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基本的に多くの票を動かせないと選挙の結果に影響はないと思います。
一票しか動かせない個人は投票に行くべきなのでしょうか。

一票差で決まる確率のために。アンケートとしての投票に意見を反映するために。などいろいろな行く理由がある中で、みんなが行くのに私だけ行かないのは申し訳ない、という理由にもしかすると行くだけの意味があるんじゃないかと思い始めています。

考えたことがある人のみ回答をよろしくお願いします。

A 回答 (17件中1~10件)

「なぜ人は投票に行くんでしょう」。

参政権の行使という憲法上の言葉を抜きにしたら、政治に対して「ノ-」と言うためです。国民と政治の関わり合いについては「人民が主権者なのは選挙の時だけだ」とか「国民は自分に見合った政治(家)しか持てない」などと言われてきましたが、今ほど政治が出鱈目になると、政治に何か良いことを期待して投票するというよりは、今の政治に「ノ-」と言うために投票すると言った方が正しいと思われます。それほど今の政治は出鱈目です。自民党も随分と出鱈目をしましたし、選挙で勝てば手前勝手なことばかりをし、時には手前勝手が過ぎて汚職をする政治家も出ましたし、負けると反省するよりもイジケてしまうという政党でしたが、政治の運営に関しては長年のキャリアから今の民主党のような出鱈目はしませんでしたね。何よりも自民党時代は「あれもやります、これも行います」と散々公約しながら、それを随分と反故にされましたが、公約の反故は経済情勢などでも変わりますから仕方ない面が無きにしも非ずでした。ただ、自民党でさえ「やりません」という公約を反故にして「やった」ことはほとんどなかったのではないかと思います。つまり、何かを行うのは大変な苦労とエネルギ-を消耗しますが、何もしないことは何の苦労もなければ少しもエネルギ-を消費しないので、実に簡単なことなのです。それで、自民党の公約違反は「やる」という公約に違反して「やらなかった」ことに尽きると言っていいでしょう。そういうものであった公約違反の形をガラッと変えたのが民主党政権です。勿論、彼らは普天間基地問題など「やる」と言った公約を実行出来ない点は沢山ありましたが、とてつもなく悪いのは「やらない」と公約したことをやろうとしていることで、それが「消費税の増税」です。消費税については、その増税の前に国会議員たちが自ら犠牲になるという姿を国民に見せることで初めて国民が納得できる性質のものです。国会議員は何も節約もしなければ改革もせず、痛みだけは国民に押し付けるというのでは政治が泣きます。
 収支のバランスが取れていなければならないのは家系も国の財政も基本的には同じです。収入が減ったらへった収入に見合う生活レベルにするほかないですね。勿論、誰だって収入増を望みますよ。しかし望んだからといって収入が増えるわけではないから無駄な支出をしないように努力するわけです。ところが民主党の政治家たちは支出を抑えるという公約を破り、収入を増やすことに決めました。その収入を自分たちで働いて作るのならまだしも、国民から税金で徴収しようというのですからこんな安易なことはないでしょう。増税しなければ収入が増えないのは当然ですから誰だって増税は考えますよ。増税ほど簡単なことはないのです。誰だって考えるのだから政治家でなくても考えるわけで、我々一般庶民でも考える程度のことしか考えられず、それを一番いい方法だみたいに持ち出す政治家の頭はどういう頭なんでしょうか。彼らの脳味噌はとことん低能か余程に腐っているかどちらかですね。彼らは一般庶民でも考えることを実行する為に高い議員報酬を得ているんでしょうか。そうだとしたらこれほど国民を馬鹿にした話しはないでしょう。国会議員というものは、我々一般庶民ではどうにも出来ない難しいことや思いつかないことを考えたり実行したり出来る能力を持っているから高い報酬を得ているはずなのです。それなのに少しの能力も必要としない「消費税増税」しか考えられず、しかも行財政改革などは全く行う意思さえなさそうというのでは見ている我々の方が恥ずかしくなるくらいです。こうした政治と政治家に対して怒りをぶつけ「ノ-」と言うのが選挙の投票なのです。
 鳩山政権を生んだ選挙で民主党は「消費税は上げない」と公約しました。それなのに国民に対して「ごめんなさい」もなければ「許してください」もなしに消費税を上げるのは当然のことだというような顔をしているのです。これでは前の総選挙が「詐欺だった」と言われても仕方ないでしょう。小生は、民主党は出来もしないことを約束する選挙詐欺で総選挙に勝ったのだと判断しています。少なくとも最大の約束の一つだった消費税問題を反故にするためには、消費税増税を争点とした総選挙をしなければ、政党は選挙で勝つ為には国民にどんな嘘八百を言ってもかまわないということになり、民主主義は死んでしまいます。アメリカのオバマ大統領の支持率が低いのも「チェンジ」を公約して高い支持を得ながら何もチェンジしなかったためで、支持率が下がるということは政治に対する「ノ-」という意思表明なのです。「やらない」という公約を反故にして「やった」ら、米国なら政治家は即座に退陣せざるを得なくなるはずで、日本国民は米国民ほどは厳しくないため政治家の出鱈目が横行するのです。
 こうした状況の言い訳とされるのが「状況が状況だから仕方ない」とか「今、そんなことを言っても状況が改善するわけではない」という現実主義ですが、実は現実に怒っていたから自民党政治に「ノ-」を突きつけて民主党に勝たせたわけで、その民主党を自民党時代と同じ「現実だから仕方ない」という現実主義で支持し消費税増税を安易に認めたら、民主党に変えた意味が全くなくなってしまいます。むしろ、改革を訴えながら現実主義に復帰することで積極的に悪事を働いたようなもので、積極的に公約を破ったことで民主党の方が何もしなかった自民党より数段悪質な政党ということになるのではないでしょうか。
 最も悪いのは日本の政治家たちは政治が何のためにあるか、民主主義とは何なのかということを本質的に理解していない為、平気で公約違反をするということです。公約違反で止まっていればともかく、何かにつけて国民に辛く当たるのが政治の役割だと誤解しているような節さえあります。そうした出鱈目な政治と政治家に「ノ-」を言える唯一の機会が選挙なのです。
 そして選挙ですが、政治家という人種は基本的に国民が投票しないことを望んでいます。国民が投票しないことは政治に無関心とか政治に期待しないとかの心の現れですから、棄権者が多ければ多いほど政治家は好き勝手なことをするようになります。
 自分一人が投票してもしなくても大して違いはないという考えは今では間違っています。小選挙区制になって選挙区の有権者数が少なくなりましたから少ない得票で当選出来るようになりました。国会議員の選挙でありながら市長選挙の得票数より少ない得票で当選出来るようになった選挙区さえあります。国会議員の価値が市長より低くなったと言っていいでしょう。これは投票の一票の価値が上がったということで、この一票は実に重く大きいのです。小泉郵政選挙、民主党が勝った選挙で一票が中選挙区制の選挙とまるで変わったことを知ったはずです。
無党派層という言葉がありますが、無党派層は必ずしも支持政党がないということではないと小生は理解しています。無党派だろうと思われる人たちの政治意識は実は相当に高く、たまたま既成政党がそれを吸収しきれないということがあるにしても、無党派層は日和見でもなければ節操なしでもなく、ちゃんとした政治意識を持つ人たちです。なぜならば無党派層は投票に行くからです。小生は政治学を学びましたから無党派層というものについても相当研究しましたが、無党派層は自民党支持とか民主党支持と言った政治イデオロギ-の拘束を受けない非常にしなやかでニュ-トラルな人達だと判断しています。ですから無党派層は実は「自らは候補者を持たない無党派という政党」で、この政党をどちらの分野が味方につけられるかで勝敗が決まるわけです。
 ともかく、悪くずるい政治家ほど、貴方が投票を棄権することを望み期待しています。その望みをかなえ期待にこたえたいというなら棄権も仕方ないですが、「馬鹿にされて黙っていられるか」という怒りの心が少しでもあったら投票してください。それによって、以後、「ノ-」と言えるのです。
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この回答へのお礼

わざわざありがとうございます。感謝します。
小選挙区制になって「ノー」と言えるようになった。
私は感覚的にはそうとは思いませんが、これだけ真面目に質問に答えてくださる方がそうだとおっしゃるのだからそうなのかもしれません。
質問をした当初は「みんなが行くのに私だけ行かないのは申し訳ない」という考えを深めてくださる方が現れて納得してベストアンサーに選ぶ、という流れを想定していたのですが、そもそも無理なのかもしれません。
私は国民全員が1票を投じるだけで影響を与えれるのは問題だと思いますし、また影響をあたえることはできないのですから責任も業も生まれ得ないと思ってます。
しかし納得できない納得できないと子供のように言い続けるのもなんですから、1週間様子を見て納得できる答えがなければ、これだけの人がそう言ってるということで納得してこれをベストアンサーに選びたいと思います。

お礼日時:2012/01/15 00:28

質問は「自分の票の影響が非常に小さい時に、なぜ投票に行くべきなのか」ですね?



まず、投票に行くべきだと無条件には思いません。
熟考の結果として棄権が最も理にかなうという場合はあるんじゃないでしょうか。
例は、どの候補者も魅力的でない、その選挙制度に賛同しない、よく考えたが何が重要な争点なのか分からなかった、など。
必ずどれか選べ式の質問票に○を記すのが、いつも正しいとは思いません。

次に、投票に行くべきである理由ですが、これは分かりません。
ただ、「自分の票が帰結を変えるような場合にのみ投票が意味を持つ」という考え方は、民主制とそもそも両立しない気がします。
自分以外の人の意見が結果を決める可能性を認めないのであれば、独裁制しかないですから。

また、「みんなが行くのに申し訳ない」は、行くべき理由にはならないと思います。
それこそ影響が小さいのですから、棄権が他人に迷惑をかけるとは思えません。

個人的には、影響が小さいなりに意見を表明しているつもりです。
質問文中の「アンケート」の動機に近いかと思います。
この立場では棄権も1つの意見表明なので、棄権が発するようなメッセージを発したくない場合は投票します。

蛇足ですが、影響の大きさに関わらず意思を表明したいという心理は誰でも多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「みんなが行くのに申し訳ない」という感情ですが、これは民族の儀式のようなものを想定しました。
それ自体は全く無意味だし、辛いし、理不尽です。
しかし前の代はその前の代に「なぜ私はやったのにこいつはやらないんだ」と思わせないためにそれをして、そして今の代は前の代にそう思わせないためにそれをやるということです。
個人の動機としては間違ってないし、また全体としてはそれでうまくいくわけです。
ですが遡っていくとそれは幻想から出発したものなので、やっぱり間違っているのかもしれません。

>蛇足ですが、影響の大きさに関わらず意思を表明したいという心理は誰でも多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。

表明することで自分を規定したいという思いなのかもしれません。しかしだとするとネット上でのアンケートでいいのでまた私は困りました。

お礼日時:2012/01/15 17:53

>私が一票を入れた所でその現実は変わるのでしょうか。



あなたと同じ様な考えを持った人が全員棄権するとどうなるでしょう。
逆に少しでも多くの人が投票して望んだ結果になったとしたらどうでしょう。
参政権と言う様に投票は義務では無く権利なのです。

本来の意味は若干違いますが、蟻の一穴と言う言葉があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私が一票入れた所でその棄権される票はどうにもならないと思います。

お礼日時:2012/01/14 10:28

>一票しか動かせない個人は投票に行くべきなのでしょうか。



思考を放棄した人間が、それと交換に安逸という名の怠惰を得て行き着く無気力状態ですね。
同情する気にもなりません。

何千何万票も動かせる人の都合で、自分の生活を変えられてもよいなら、行かなくても結構です。
私も一票にかいませんが、それらには関わりなく、自分の考えで投票しています。
しかし、あなたが投票するしないに関わらず、結果に対する責任は、私と同じ様に負っていただきますが。
良い人が当選すれば、あなたにも良い事があるでしょう。
悪党が選ばれても自業自得です。
そう考えると、あなたの考えは、ずいぶん効率は良いのかもしれませんね。
但し、候補者の中に悪党が混じっていた事がわかっていて、投票しなかったら、あなたは阻止する努力をしなかったチキン野郎ですが。


>みんなが行くのに私だけ行かないのは申し訳ない、という理由にもしかすると行くだけの意味があるんじゃないかと思い始めています。

バカなりに考えた跡が見えますが、民主党に政権を渡した連中と同じ程度の知能さえ感じられませんね。
頭の悪そうな質問文で得意げにだらだらと ぼくのかんがえたいけん とやらを恥ずかしげもなく晒していますが、

とどのつまり、
(何もしないくせに)今の世の中に疑問を感じているオレ様カコイイ
という中学生並の思考でしかありません。

実際、あなたのように、現実にその程度の浅い考えで選挙に行かない人は掃いて捨てるほどいます。


そして、ここでは同じような質問は定期的にでています。
あなただけが思いついた特別な考えではありません。


選挙にどんな幻想を持っているのかしりませんが、
選挙とはバカの中からもっともマシなバカを選ぶ作業でしかありません。
理想を求めるのは勝手ですが、同時に目の前の現実にも対応しなければなりません。
あなたのように考えて、目を閉じても、その現実は消えるわけではありません。
「なぜ人は投票に行くんでしょう」の回答画像14
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>何千何万票も動かせる人の都合で、自分の生活を変えられてもよいなら、行かなくても結構です。

確かにある人の都合で生活を変えられるのは嫌です。
しかしだからと言って解決策があるとは限りません。
私が一票を入れた所でその現実は変わるのでしょうか。

お礼日時:2012/01/13 22:31

指摘通りだと思います。



更にです。

1,そもそも投票する人は、候補者の事など
何も知らないで投票する人が殆どです。

考えても下さい。
会ったこともない人の、政治的能力や
信条をどうやって知るのですか。
演説をそのまま信用できるのですか。

皆、イメージで投票しているだけです。
非常に無責任だと思います。

2,例え、候補者のことを知ったとしても
それをどうやって評価するのでしょうか。

社会主義国が倒産するまでは、多くの知識人
は社会主義に傾倒していました。
知識人でさえ間違えるのです。
どうして庶民が、正しい判断ができるの
でしょうか。

3,投票はごまかしです。
国民を納得させる為にやっているだけです。

それでもあえて、意義を考えるとすれば、
棄権が多くなると、公明党や共産党のような党に
有利になってしまうから、という以外に考えられません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
一体どういうシステムがいいんでしょうね。
ただそれは私が考えることじゃないんでしょうね。

お礼日時:2012/01/13 22:42

こんにちは。



私以前、自分が投票しなくてもきっとこの人が当選するから、行かなくてもいいや…って思ったことがあって、結果投票したかった人、ほんの少しの差で落選しました。

無茶苦茶驚きました。自分が1票入れなくても当選するのが当たり前だと思っていましたから。

きっと、そう思った人が多かったんでしょうね。

それからは、どんな選挙でも投票に行くようにしています。


今でも、あのとき投票に行かなかったことを後悔していますし、候補者に申し訳ないと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
うーん、それはもし一票を入れていたら変わっていたのでしょうか?
私は一票増えるだけだと思いますが。

お礼日時:2012/01/13 18:54

> 一票しか動かせない個人は投票に行くべきなのでしょうか。



当たり前です。

質問者さんの理屈で、もし個人票の投票者が全員棄権したら、既存政党の殆どが反対に回った橋下市長は、確実に落選してましたね。

更に言えば、選挙する必要さえ無いと言えるかも知れません。
仮に個人票が無価値で、投票する必要性が無いとすれば、党員やサポーター,支持母体が強固な政党が推薦すれば、その候補は選挙無しで当選させでも、結果は同じですから。

しかし組織票が圧倒的に不利な橋下さんが圧勝したと言う事実がありますよ。
投票者の大半は、組織票ではないと言うことです。

従い、質問冒頭の「選挙の結果に影響は無い」は間違いですね。
選挙の結果は、主に「選挙に行かねばならない」と考える個人票投票者の影響で決まります。

また、では当選ラインに達したら、それ以上の得票は無意味か?となると、そうでは無いでしょう。
橋下さんが市政を執り行う上で、「圧勝」「圧倒的民意の支持」と言えることは、非常に有利だから。

それと、伯仲する選挙って、案外少なくないですよ。
地方では、市長など首長選挙でも、100差くらいの例は有ります。
都市部でさえ、市議選挙くらいなら、下位当選と次点の差が僅かと言う例も多いです。

仮に100差とすれば、個人票が1%に相当します。
都市部の国政選挙で1%も動かせたら、かなりの組織力ですが、個人がソレを実現している形です。

地方選挙でもバカには出来ないです。
阿久根市の竹原前市長のリコール選挙なども注目されましたが、結構、僅差でした。
竹原氏の良否は別として、竹原氏は議会を全く無視する暴走市長でしたから、どちらが当選するかで、市政に大きな影響を与えるでしょう。

また沖縄基地問題の賛否に関しては、当時市町村の賛成派と反対派の議員数は、いつも半々くらいですから。
賛否が入れ替われば、地元としては基地移転反対か推進で、正反対の結論になります。

それとまた橋下さんの例で言いますと、平松前市長(落選者)に投票した人は、もし橋下さんの都構想などが悪政であった場合とか、市政運営に不満があれば、胸を張って文句を言えますよ。
逆に、当選者に投票して、善政であれば胸を張り、現在が悪政と感じたら、責任感を感じ反省し、次回の選挙に反映すれば良いワケです。

モチロン棄権者も、政治に不平や意見を述べても構いませんよ。
「選挙に行ってないヤツは、政治を語る資格は無い!」などは暴言・暴論です。
ただ「選挙に行かない人」の意見は、絶対に投票結果には反映されませんので、語っても構わないけど、理屈上は全く無視して良いですね。

橋下さんは、今年の成人者に対し、「選挙に行って下さい。そしたら政治も若い人を無視出来なくなります。」って仰ってましたが、これも同じコトです。
選挙に行かない人や、行かない層は、無視される可能性が高いし、無視されても仕方が無いでしょう。

質問者さんの世代などは判りませんが、当落に関わらず、「質問者さんの世代」として投票するコトだけでも、意味・価値があるってコトです。

私は選挙に行く派ですが、白票投票も多いです。
候補者全員に「お前ら全員、信用してない」と言う意思表示のつもりですが、白票なら、いつでも誰にでも、政治に文句は言えますしね。

それと比例代表はどう考えておられますか?
これはビリ争いになればなるほど、少ない票数が効くシステムです。
自分の1票が当落に関わるとまでは言いませんが、選挙区よりは影響が大であるコトは間違いないです。

列記してみましたが、選挙に行かない理由が、結果への影響が小であるから選挙に行かない程度であれば、選挙に行く意義・意味・価値などは多いと思います。

現在の公職選挙の投票率は50%内外です。
モチロン質問者さんの様な動機で選挙に行かない人も多いと思いますし、私の白票の様に、政治不信的なモノが理由の人も多いと思います。

ただ政治家からすれば、投票する人のみがお客様であり恐怖感を感じる対象者で、お客様はそれこそ主に「票田」「組織票」です。

誰に投票するか判らない、恐怖の対象者は、少ない方が良いでしょうね。
「票が読めない」が、一番困りますから。

実際に政治家は、投票率を上げるコトには不熱心で、やれば簡単で合理的なインターネット投票などは消極的です。
極言すれば、政治家のホンネは、人気や流行・風潮に左右される浮動票の「選挙権」は、出来れば取り上げたいくらいと言うのがホンネかも知れません。

選挙権は、歴史的に国民が獲得した権利であり、権利を行使しないのは自由・勝手ですが、権利は永遠に保障されるモノとか、永遠に剥奪されないモノではありません。

また権利を考える場合、必ず義務とセットで考慮されるべきですが、選挙権の反対側に、国民が負うべき義務もあります。
そちらも考えてみられたら良いと思います。
例えば選挙権を行使せず、実質的に政治無関心であれば、国民の義務である納税を、一方的に押し付けられるワケですね。

現状は政権与党でさえ、投票者の過半数程度しか支持を得ていないのだから、せいぜい20~30%からしか支持されてないません。
政権与党の施策とは言っても、到底、民意を反映しているとは言えないんですよね・・・。

私自身は、必ずしも消費税増税は反対では無いですが、それは社会保障などと一体では無く、「先に行政改革をやる」と公約した通り、行革とセットでやるべきと考えていますので、現在の民主党に消費税増税をして欲しいとは思いません。

ちょっとイヤな言い方をすれば、選挙を棄権する人が選挙権を保有する人の半分くらい存在するんですから、もしそういう人達の内、たった2~3割でもが、民主党以外に投票してくれていれば、そういうコトにはならなかった可能性もあります。
選挙に行かない人のせいで、増税になったとは言いませんけど、行ってない人が動けば、かなり政治や政界が変わることは確かです。

特に組織票しか無い公明党とか共産党などは、現在の半分くらいの議席になる可能性も有りますしね。
そうなると、もっと必死に政党活動をするかも知れません。(熱心にガッカイ員を勧誘されても困るけど。)

まあ、行ってもムダとかそんなに難しく考えず、行った方が良いか悪いか?くらいで考えても良いと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。感謝します。
「選挙の結果に影響は無い」というのは一票にはないという意味です。
一票の集まりにはあります。
しかし一人ではその集まりを操作できない、なのになぜ投票に行くのか、これが質問です。
ですので一票差で決まるわけじゃない比例代表制についてもそこまで大きな意味は感じません。
アンケート的に、確率的に意味があるという意見は大変参考になりました。

お礼日時:2012/01/13 20:05

選挙をする事が税金の無駄遣いなんです。

官僚が与党を
コントロールするのですから、どこが与党になろうと、誰が総理になろうと、
日本の進路は官僚が決めるのです。総理はそれを国民に納得させるのが仕事。
政党が与党になりたい理由は、与党になれば多額の企業献金を手にする事が出来るからです。
票欲しさに、国民の見方のふりをしているだけ。
それが解ってから、選挙には行きません。
何十年前から、選挙がある度に、国民の今度こそ、今度こその期待は
全て裏切られた事を考えましょう。
選挙の度に莫大な税金が消えて行く。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/01/13 18:53

私は、子供が生まれてからは必ず行くようになりました。



正直、それ以前は質問者と似たり寄ったりの考え方でしたが
子供に悪影響が残る様な施政方針を掲げる政党や立候補者
には当選して欲しくないのです。

投票権は賛成だから行くだけでなく反対だから行く場合もあります。

子供の事を考えると無関心は罪だと考える様になりました。
タレント議員や天下り議員、2世議員、プロ議員と色々な方がいますが
自然や将来に関する考え方が自分に近い方を選択しています。

私の様に利己主義でも浮動票の1票が最近は影響が大きくなって来て
います。雨の日曜日は既成政党は恐怖するとかと言いますよね。

国民投票で決められない以上、他の方法を選べません。
私は子供に恨まれないように投票します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私が言うのもなんですが、素晴らしい志と思いやりですね。
ただはたしてusagiminntoさんの一票に影響力はあるのでしょうか?

お礼日時:2012/01/13 16:08

うーん・・・暇つぶし?



もしくは、1つのことに日本国民総出で注目することで、「日本国民」という仲間に加わっている気になれるとか。特に価値観の多様化がますます加速している近代では、そういうことは他にあまり無いですからね。「国民総出」という意味ではワールドカップなんかより大きい。むしろ貴重な存在なのかもしれません。


宝くじは買わないと絶対当たりませんが、選挙の投票は自分一人がしてもしなくても同じ。同列に扱うこと自体的外れだと思います。

おそらく自分一人が投票しなくても、「この人は嫌」と強く感じる候補者がいるなら、同様に感じる人が少なくないということでしょうから、票はそっちの方向に流れていくでしょう。「みんな似たり寄ったりだな」という時も、おそらくみんなそう感じていて、結果はその通り。「この人は組織票が危険」という危機感が大衆に広まっているとしたら、おそらく票はそういう風に流れるでしょう。
つまり、国民が候補者から得られる情報も、それに対し投票がどう動くかも、みんな似たり寄ったりなのです。あえて自分一人が投票するまでもなく。

逆に、中にはあまり知られていない情報を得ていて、もっと的確な票が投じれる人もいるかもしれません。でも当然のことながらそういう情報を得る人というのは少数でしょうから、票には影響しないでしょう。つまり、その人が投票することは全く重要ではなく、「投票前に、いかにその情報を広めるか」が最重要なのですね。
これは実は全国民に言えて、もし自分が票に影響したいのなら、自分の一票を大事にするのではなく、投票前になんらかの行動を起こさなければならないのですね。


(組織票は別として)「自分一人が投票するのとしないのでは結果がまるで違う」と言い切れる人は、むしろその理由を理論的に説明して欲しいくらいです。「国民の権利」なんて政府のまやかしコピーではなく。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は今まで投票は歪んだシステムだと思ってました。
だけど組織票で当選させるシステムとしては機能してるのかもしれません。
組織票から外れることは個人的なデメリットになり得ますからね。付き合い上で。

お礼日時:2012/01/13 15:22

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