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倭の時代から現在までの日本は、秀吉が朝鮮半島に攻め込んだり、明治には征韓論があったり、実際に併合したりかなり攻め込んでいますが逆のこと、もしくは征日論のようなものはあったのでしょうか?

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A 回答 (6件)

鎌倉時代に,そのときの中国王朝である元が攻め入ってきたことがあることはご存じだと思います.


何かの文献で読みましたが,
当時朝鮮半島を支配していた高麗は,中国軍に負けてしまったため,
元寇の際は,実質,高麗人(朝鮮人)と日本人の争いだったと書かれた文献がありました.

中国大陸から日本に攻め入ってきたのはその時ぐらいです.

なぜ,そのように少ないかは,ハッキリとはわかりませんが,
日本を攻め落とす理由がなかったのだと考えられます.

実際,中国の王朝は何度も変わり,変わって革命が起こるたびに戦乱の世になり,
中国の地を平定することに大きく力を注いでいたため,
小さな島ごとき,何も考えていなかったのだと,私は思います.
また,当時,日本列島の戦略的価値はあまりないと思います.

やはり,19世紀に近代化に乗り遅れて,
欧米・日本に中国・朝鮮半島が実質的に支配され,
それまで世界をリードしてきた民族としてのプライドが大きく傷ついてしまったため,
今日の日本を敵視するような考えが広まってしまったのではないかと思います.
元々,何千年も前から,中国人は,朝鮮・日本・越には優越感を持っていたので,
余計,腹立たしく思うのではないかと思います.


ただの一般人の歴史認識でした.
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多数あります


弱かったため撃退されたこともドサクサ紛れぼ責任を転嫁したことも
今のj韓国の言っていることは聞くに堪えない言いがかりでしかありません
それを論破できる知識をもちましょう
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 朝鮮族は騎馬民族であり、海洋には殆ど伝統的に関心を示さなかったので、自らが日本列島へ出兵する計画は全くなかったと言えるでしょう。

但し、高麗が元の属国となり、日本を攻めるための準備をさせられたとき、船旅の困難さを考えて計画を中止しようとしたとき、高麗の武将が強く計画の続行を主張し、元寇が実現したという事実があります。
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この回答へのお礼

元寇の兵士は征服された朝鮮の兵で士気が低かったと聞きました。高麗の武将は元の支配下で生き延びるために手柄を立てたかったのでしょうか?

お礼日時:2012/01/23 13:28

政治支配下におき統治する論議もなかった。


逆に今の日本に、生活の仕方、技術、政治制度のサポートをした。
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はい、攻めて来ました。

日本は韓国から攻められまくりました。そのおかげで武士階級が成長し、九州には大宰府が設置されたのです。

韓国(朝鮮人)による主な日本侵略:
・天智天皇7年(668年) 大化の新羅の賊
・弘仁3年(812年) 弘仁の新羅の賊
・弘仁4年(813年) 弘仁の新羅の賊
・弘仁11年(820年) 弘仁の新羅の賊
・弘仁4年(813年) 弘仁の韓寇
・弘仁11年(820年) 弘仁新羅の乱
・貞観11年(869年) 貞観の韓寇
・寛平5年(893年)および寛平6年(894年) 寛平の韓寇
・延喜6年(906年) 延喜の新羅の賊
・長徳三年(997年) 長徳の入寇

・寛仁3年(1019年) 刀伊の入寇(刀伊とは高麗の支配下にあった満州族の一派)
・文永11年(1274年) 文永の役(元寇)(文永の役は高麗軍が中心となった侵略)
・元中6年(1389年) 戦艦300艘による高麗・李氏朝鮮の対馬侵攻
・応永26年(1419年) 応永の外寇
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この回答へのお礼

新羅の賊は何度も来ているのですね。勉強になりました。

お礼日時:2012/01/23 13:26

有名なところでは「元寇」ではないでしょうか?


あれはモンゴル帝国(元)と高麗王国(朝鮮)の連合軍が日本に侵攻したものです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87
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