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「恋人」と「異性の友人」に対する問題提起です。

恋人と同じ位大切な特定の親友がいる(恋人=異性の友人)、恋人よりも大切な特定の親友がいる(恋人<異性の友人)
といる方も世の中にはいらっしゃいますよね。恋人でなくても「夫、妻」の可能性も中にはあるのかもしれません。

僕にとっては「?」となってしまうのですがどうなんでしょうか。

もしも「僕がそういう人の恋人であったり夫婦間であるとする」と僕はとても辛くなるであろうし、その人を愛することすら躊躇してしまう原因となってしまうと思います。
「愛」と「友情」が全く別個のものと定義したとしても「僕」と「異性の友人」との価値を比べてしまうような一緒の土俵にいることは気持ちよいものではありません。
極端な例を出してしまいますが「僕」と「異性の友人」どちらか1人の命しか救えないという状況になったとしてその状況で「彼女」は迷ってしまうわけでしょう?そんな人に対し真剣に愛せますか?ばかばかしくなりませんか?そのような恋人が危険な目にあった時、命を張れますか?「その程度の覚悟」に返せるのは「その程度の覚悟」ではありませんか?
こちらの文章は極端な例え話でしたが。

文中に僕の偏見が入ったかもしれませんが、皆さんはどう思われますか?
異なったモノの見方でも、意見でも、思いでも、僕に対する中傷でも何でもかまいません。
お手すきの際、回答お願いします。

A 回答 (7件)

はじめまして。



私には愛する主人も異性の親友もおります。

どちらも自分にとってはかけがえのない存在です。

では、かなり無理のある設定ですが
主人とその親友が同時期に心臓を患い、そのドナーが私しかいないとしましょう。
私の一存で、どちらに心臓をあげられるか、決められるのであるならば
私は迷う事無く、主人を選びます。

私の「愛する主人」と「大事な親友」
どちらかを選べと言われれば、私はそうなります。
そして、それを親友は良しとするでしょうし
主人は自分では無く、親友にあげなさいと言うと思います。

では、主人はどうかと言いますと、
恐らく主人は私では無く、親友を優先するかもしれません。
それでも私は良いと思っています。

何故なら、愛しているのは「そういう人」だからです。

そういう人だからこそ、私は主人と生涯を共にしようと思ったのですから。

あなたは相手から自分と同等に愛してもらう事を前提にしていますよね?
だからそこに、こういう考えが浮かんでしまうのだと思います。

愛も友情も推し量る事は出来ません。

どちらも形では表せないし、その大きさや深さなどは
誰にも分からない事だからです。

あなたはそこに大きさや形、深さを作ろうとしているのでは無いですか?

そして自分が一番愛されていたいという願望を感じます。

では、私はどうか?と問われれば
今の主人に限定してのみ、ですが、私は一番では無くても良いと思っています。

主人が本当に大事にしているものを、私も同じように大事にしたいです。
でも私が大事にしているものを、同じように大事にしろとは言いません。

私が今の主人に対する愛情は、どういう訳か、出会った当時と少しも変わらず
今も、そしてこれから先も枯れる事は無いからです。

で、ここからは私の一意見になります。

そもそも、親友がいかに大事でも、友情と愛情を同じ土俵に上げる事自体
無理があると思います。

同じ愛するという感情であっても、一方は愛、一方は友です。

そこは似て非なるものだと私は思っております。

これが今の主人では無く、
過去、付き合ってきた恋人であったなら、もしかしたら違う回答になっていたかもしれません。
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この回答へのお礼

>主人が本当に大事にしているものを、私も同じように大事にしたいです。

この想いが本当の「愛する」ということなのでしょうね。そのように想えるほど僕は洗練されてはいなかったのでしょう。もしかしたらそう思える程の人にこれまで出会えてさえいなかったのかもしれません。


ズレはありますが回答者様の回答は僕の内面に即しております。
今回ばかりは皆様の回答の中でどれをベストアンサーにしようか非常に迷いましたがこちらの回答をベストアンサーとします。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/25 12:07

私は…



愛する女性>大好きな、女性の友人

です。


もし、逆になり…
大好きな、女性の友人を愛してしまうことがあるなら…

私は…、欲望という名の魔に負けた、あわれな人間に成り下がることでしょう。


私が愛する人は、ただ一人です。
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この回答へのお礼

友情の延長線上に愛情があると思っている僕にとっては「大切≠友情」とならず「大切=愛情」と短絡的な解釈となってしまっていたのでしょう。
自分がそのような考えを持っているからこそ付き合う際、その相手1人だけを愛するよう「覚悟」をしていたようです。

>欲望という名の魔に負けた、あわれな人間に成り下がることでしょう。

回答者様と思考は違うのかもしれませんが行き着く想いは同じですね。
僕は愛する人を裏切りたくないのでしょうね。
逆に愛する人に裏切られたくないからこそ、その芽を潰しておきたいと「比べられること」について拒否の反応を示していたのかもしれません。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/25 11:28

私は単純に個人の性格や価値観の問題であって良いとか悪いとかを論じ合えるものではないと思います。


1番であってほしいことがエゴならエゴでしょうし理想なら理想でしょう。
そこにあるものは自分と相手でありお互いが同じ方向を見ているのかちょっと違う方向を見ているのかだけです。
命を張れないと思っても間違いではないのです。
2人の間に理解があるのならそれがどんな形であれ問題はありません。
いやならいやと素直な気持ちで接することがお互いの理解を深めることだと思います。
難しく考えないようにしましょう。
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この回答へのお礼

>2人の間に理解があるのならそれがどんな形であれ問題はありません。

その通りですよね。恋愛関係には1つ1つ別の形があり許せない部分があるのなら話し合い妥協点を見つけていく。価値観が違うのは当たり前なので相手の本質を知り理解していく。それが関係を続けていくこと。相手と向き合うことなのでしょうね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/25 10:43

私としては、友人と恋人って、立場が違うだけで同じくらい大切なものです。



もちろん恋人のことは好きですが、恋人か友人どっちがより大切、特別か、なんてものはありません。
恋愛と友情はまったく別の種類の感情で、程度で言うならどちらも同じく大切です。

もし質問者さんのような考えの方とつきあっていても、同じレベルの“好き”はできないと思います。
恋人と同じくらい大切な友人がいるだけで、自分の想いを「その程度」にされたくないですね…

恋人は他の人よりも特別な存在という考え方はわかりますが、
特別な友人がいたっていいと思いますよ^^
それがたまたま異性だったっていうだけです。


私の考え方も結構かたよってるかもしれませんが;
参考程度にしてください^^
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この回答へのお礼

僕は「恋愛と友情は全く別の感情」という考えを「否定」する価値観を持ち合わせています。友情が生まれるのなら愛情も生まれる。それが真理だと思っている節があります。

その点から「”異性”の親友」と定義しました。
人間関係で親友の「男」と同レベルと比べられること自体、僕の価値観からすると恐怖であり大切な恋人であるからこそ他の男に取られたくないという本能が働くのかもしれません。そのような一面もありそうですね。

新しい発見がありました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/24 23:28

結局は、自分にとってどちらが価値があるかという話ですよね?



「恋人、妻が第一でないといけい」という絶対法則はありません。

今の自分の幸せ、あるいは、将来の幸せを考えたとき、どちらが価値があるものなのか。。。と心のどこかで必ず天秤にかけます。
で、重要なのは、多くの人は、その時々で優先順位は変わりますし、それによって相手に納得してもらおうとします。

絶対に自分が第一でなくてはいけないと思っている恋人、妻を時には重荷に感じることもあるでしょうし、時には自分が2番目以降になろうが、きちんとした配慮、思いやりがあれば納得できるはずです。

「自分(恋人、妻)が第一でないといけい」と思っている人は、逆に相手の立場や心情を考えてあげられないエゴであることも少なくないと思います。

私なりの意見でした。
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この回答へのお礼

この問題で「大切」=「価値」と思っていただいてかまいません。

僕は相手から愛情の分、自分もその分の愛情を返すことが出来る。
その点、非常に臆病な人間なのかもしれません。
相手が僕を第一と思っているのであれば、自分も相手を第一に思える。
僕にそういう要素があるからこそ相手に「覚悟」を求めるのかもしれません。
だからこそこの質問に行き着いたのだと感じます。

「絶対」に一番という極端なことを言うつもりはありませんが一番であってほしいという願望があるのでしょうね。悪いように言えば自分が相手を愛したいがために、愛せるように相手に望んでいる。僕の現在の恋愛観でありエゴなのかもしれません。自分勝手な悪い思考なのかもしれませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/24 22:44

あなたが彼女を愛しているからといって、


彼女もあなたを愛しているからといっても
彼女はあなたの所有物ではありません。

彼女は自由であり、あなたも自由であって
自由な者どうしの恋愛です。

あなたが彼女の行動を束縛しようとするなら
それは愛ではなくエゴです。
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この回答へのお礼

恋人の行動を束縛するつもりは例外を除き毛頭ありません。

僕が恋人の「夢」や「家族」に対しどうこう言うつもりもありません。それは彼女の自由です。自分が言われ嫌なこと、譲れない部分を言う権利がないことは心得ています。

ただ、家族を除いた上での「人間関係」。その分野での「大切」という点で低くみられるのが嫌だな、というエゴです。
僕はその「大切」という点で相手の「愛」そのものでなく、「愛の質」「覚悟」を推し量ってしまうのです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/24 22:10

愛って無償なんですよ。


見返りを求めない。ただ与えるのみ。相手には何も期待しない。
だから相手が愛してくれなくても、愛する人が既に他界していてもそこには愛があると思う。

恋を楽しんで^^
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この回答へのお礼

相手が全力で愛してくれるから僕も全力で愛せる。
相手が愛してくれなければ自分も思いっきり愛せない。
僕は愛すために愛されているという実感が欲しい人間なのかも知れません。

無償の愛・・・。漠然としたイメージしか掴めませんが今の僕の人生経験に裏打ちされた今の価値観では無理なのでしょうね。
さまざまな恋を楽しみ経験していきます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/01/24 21:55

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