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他のアジア諸国がいとも容易く列強に植民地化されていた当時、日本も江戸幕府が脆弱になり内戦が起きていた頃です。 薩長対江戸幕府の争いに乗じてイギリスやフランス、アメリカ、ロシアはなぜ侵略行動を起こさなかったのか、又は起こせなかったのかを教えてください。 当時の列強の国内事情及び列強間の関係、日本の事情を重ねて教えていただけると幸いです。

A 回答 (14件中1~10件)

単純に侵略するメリットがなかったからですよ。

欧米が中心でしのぎを削っている時に、
遠方の小島にまで手を出す余裕がなかったのです。また、日本の兵力は当時微々たる物で
活かしようがない。

あとは自分で調べましょう。

この回答への補足

当時の日本の兵力はかなりのものです。 また、微々たるものであれば侵略されています。 当時の日本の人口を考えれば、植民地化は十二分なメリットがあったと推察します。

補足日時:2012/01/29 17:53
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英国陸軍は10万人です。

日本は士分だけで40万人です。
他も海外遠征軍がそんなにある訳ではありません。

例えば薩摩と戦争するならば2万人近い兵力が必要になります。英軍の20%を動員する必要があります。そんな事をすれば鎮圧直後のインドでまた大反乱が起こる可能性があります。

英国…戦力が少ない
フランス…メキシコにかかりっきり
オーストリア…斜陽
ドイツ諸邦…統一戦争中
イタリア…統一戦争中
米国…南北戦争で国家が疲弊
ロシア…戦争や内戦で国が疲弊
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清は


アヘン戦争、清仏戦争、アロー戦争と馬鹿な戦争をどんどん続けます。

冊封体制が崩れはじめました。
ベトナムがフランスの植民地化したのに清は清仏戦争は利益があったと曲解します。

その後、日清戦争で
唯一の属国、朝鮮を独立国であると文章で認めさせられ、冊封体制は終焉を向かえます。


それに対し、薩摩や長州は列強に武力で対抗すればどうなるかを痛感しました。

日本は国力を良く知り、無謀な戦争や不利益な戦いを極力避けました
日清戦争、日露戦争は朝鮮半島の利権や衝突は避けられないと考えたのです。


>薩長対江戸幕府の争いに乗じてイギリスやフランス、アメリカ、ロシアはなぜ侵略行動を起こさなかったのか、又は起こせなかったのかを教えてください。

起こしていました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7% …

神戸も占領されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8% …

一歩間違えば神戸は香港のようになりました。

「拙者は、主君の籠の前を横切る無礼者を切っただけ。剣に何の曇りもありはせぬ。」
と頑強に言い張る滝善三郎の切腹でかろうじて回避されました。

その後、
「神戸占領は国際法上違法である。今後日本は国際法で解決する。」と宣言します。
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専門ではありませんので、参考までに。



ほかの方が答えているとおりです。
実際には一国が動くと他国を刺激します。
さらには本国から離れている上に、
植民地にしても利益が出るかどうかが不明瞭ですので、
あまり動けません。

よって、インドやベトナムのように
武力以外による制圧が必要となるのです。

そのため、フランスは幕府側に、
薩摩長州側にはイギリスがついていました。
さらには蝦夷共和国にはロシアがついていました。

この内戦に勝利したのは薩摩長州勢力でしたが、
彼らはその後割合うまく立ち回り、
イギリスほかの諸国からの「強い」干渉を受けることが
なかったと推測されます。
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 今風に言えばコストパフォーマンスが宜しく無いからってことでは。



 アメリカはその当時アジアに植民地を持つなんてことは全く考えていませんから考慮に入れる必要なし。ロシアは色気はあったでしょうが、シベリヤ鉄道が開通していなかったのですから現実性なし。後は英仏となりますが、あなたの仰るように日本の兵力は侮れません。武士階級は200万人ぐらいと言われていますから、このうち15%が動員可能として30万人。本当に外国が侵略してきたら庶民だって武器を取ったでしょう。長州の例を持ち出すべくも無く。海軍力は雲泥の差でしょうが、陸上戦闘での火器の輸入は相当進んでいますから、それほど劣らなかったでしょう。これを鎮圧し、占領を維持するにはどうしたって、10万単位の兵力が必要。本国からこれだけの兵力を極東に連れてくるなんて余裕は、両国とも無いですよ。だいいちそんな海上輸送力が無い。アジアやアフリカの占領地から徴収しても、頭数は揃っても烏合の衆。勝てると考えるほどアホでは無かったでしょう。

 考えられるとすれば、対馬等の離島を占領して租借地にすること。ロシアなんかはそれを狙ったようですね。軍事的に可能だったでしょうが、さて、その経済的メリットは?
 英は薩長に付き、仏は幕府に付き、それぞれを勝たすことによって貿易でのメリットを最大化するというのが現実的で唯一の選択ではなかったでしょうか。
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これは専門家の間でも議論の分かれるところです。


国土が小さく、資源もないから、メリットが無かった
とか、日本の武力を怖れた、とか、色々です。

そんで、私見ですが。

1,天皇制があって、幕府の受け皿があった。

2,当時、日本にいた英国人などは、日本の
 武士、特にローニンを極度に怖れていた。
 彼らの残した手記には、それを示すものが
 沢山残されています。

 一つだけ例を挙げておきます。
「英国人。夜間台所で物音がしたので、部下の英国人
 兵士に銃を持たせ、調べに行かせた。
 しばらくしたら絶叫が上がり、すぐに静かになった。
 おそるおそる、台所に行ったところ、くだんの兵士
 の首が切離され、血の海にのたうっていた。
 ああ、ローニンが、あの恐ろしい刀を持って
 襲ってきたのだ。もう駄目だ・・・」

 この英国人は、幸運にも助かったのですが
 こういった手記が沢山残っています。
 当時、数十万のローニンがいて、植民地など
 にしたら、ゲリラ、テロで収集がつかなくなる
 だろう、と判断したのではないでしょうか。

3,中国のような大陸と異なり、無理して植民地
 にするメリットが無かった。
 
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是非はありますが、軍事的にソコソコの能力はあった…と。

すなわち、軍事的な制圧をするためには相当の兵力を本国などから派遣しないとならない…そこまでして、なんかメリットあるのか?って列強も認めたのだと思います。
それに、運良く列強同士で牽制しあっていた…。

加えて…日本の当時の庶民の教育レベルは、列強各国が驚くほど高かったようです。
(庶民でも寺小屋などで手習いをしていたりして…)
ですので、少ない大使や代表をおいただけでは、国民全部を思いのままに操れ続けることは難しい!って理解したんでしょうね。
軍事で制圧しても、その後に支配続けないとならないですものね…権益を独占し続けないと、植民地化しても意味無いですし…
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 幕末当時の日本は西欧から見れば「清の向こう側にある島国」程度の認識です。

でも太平洋を隔てたアメリカから見れば「中国との貿易」にとっての「格好の中継基地」です。イギリスの場合はインドや香港を既に拠点としている意味からも日本には興味はありません。フランスも同様です。但し英仏両国の間には「払拭しがたいライバル意識」があったことも事実で、一方が開国派と取引するなら他方はその相手と取引せざるを得ないとの思惑があります。でも彼らには「日本」は魅力のある市場でもなかった、「眠れる獅子」として広大な版図を有する中国が本当のターゲットであり、だから「日本なんぞ」は意識の外にあった、この程度です。
 ロシアは体制そのものを巡っての革命前夜ですから「そんなことにかまけている場合などではない!」が本音でしょう。
 日本の士の数などは問題とはなりません。個別の白兵戦などに拘っていた武士などが近代装備に太刀打ちできると思いますか?。三浦半島に姿を現したペリーの艦隊を見て腰を抜かした程度の集団ですから。
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 19世紀の欧米列強諸国は,先進的な文明と技術力で世界を席巻していましたが,彼らは東アジアのみならずほとんど世界中に進出していたので,高度な軍事技術により個々の戦闘では勝てても,中国をはじめとする東アジア全土を征服するにはとても人口が足りません。


 中国(清)の植民地化といっても,実際には欧州諸国が清を完全に滅ぼしたわけではなく,清から香港を始めとする重要拠点を割譲させて,そこを拠点に貿易上の利権をむさぼることで満足するしかなかったわけです。インドにおいては,イギリスがムガル帝国を滅ぼしていますが,これはムガル帝国内部の分裂に乗じて徐々に勢力を広げていき,現地人にもかなりの協力者を得たことで最終的に実現しています。
 欧米諸国も,日本に興味がなかったわけではありませんが,日本は(中国ほどではないにせよ)相当の人口を抱えている国ですので,どの国であっても日本を完全に征服するには,内紛に乗じて日本国内にも多くの協力者を得る必要がありました。
 仮に明治維新が成功せず,江戸幕府と薩長などの内紛が何十年にもわたって継続していれば,欧米諸国もそのいずれかに荷担するなどして介入し,そのうち欧米諸国の植民地と化すことは免れなかったと考えられますが,そのような事態になることを恐れた幕末の志士たちが中心となって明治維新を起こし,幸いにして幕末の内乱は十数年程度で片が付いたわけです。
 それだけでなく,明治政府下の日本は,他のアジア諸国では類を見ないほどの速さで政治・軍事・経済の近代化に成功し,わずか数十年で欧州の強国・ロシアに勝つほどの実力を付けるに至ったため,結果として欧米諸国に付け入る隙を与えず,独立を維持することができたものと考えられます。
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詳しいことは知りませんし、研究者でもないですが、、、


占領して植民地にすることで得るメリットは、日本の場合なんでしょう。
江戸時代は全期を通じて寒冷な時代で、凶作や飢饉が絶えなかったし、欧米が欲しかった農作物は多くなかったでしょう。貴金属も産出量がもう厳しくなっていました。
http://www15.plala.or.jp/kuni-1/gakusyuu/edo/kik …
http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kisho/kish …
奴隷も、イギリス領諸島では1833年、スウェーデン属領では1846年、フランス領では1848年、オランダ領では1863年に廃止された状況ですから、労働力として日本人に魅力があったとしても、占領して人間を商品にはできなかったでしょう。(インド人、中国人、日本人を移民としてイギリスは砂糖栽培に使った)
日本の工芸品等には欲しいものもあったでしょうが、占領して植民地にするよりも、交易で有利な条件を得られれば、欧米としては良かったでしょう。
日本の江戸、大坂、その他城下町に高い文化の担い手がいても、所在地が限定的で絶対量が大きくはないので、交戦して都市部を破壊したら、意味がないでしょう。当時、幕藩体制ですから、九州の一地方が占拠されても、幕府や他藩の反応は、中国清朝がアヘン戦争、清仏戦争、アロー戦争で被ったようなショックは受けないでしょう。攻撃し占領する側からみると、江戸や大坂などの地域を攻めるのは、その結果を考えると二の足を踏むのではないでしょうか。
 
No.2 PENPENMAKKYさんの回答にあるように、当時の欧米は「いけいけどんどん」で極東の島に関心を向けていられる悠長な状況になかったのもあると思います。軍事力をちらつかせ、威信作戦を展開することで、良い条件で交易権や居留地を取れれば良かったのではないでしょうか。

英国…一番力を持っていたけれど、すでにたくさんの地域に介入していて、それだけでも大変で、日本にそれほどの力を割く気持ちにはなれなかったでしょう。
イギリスの海外での活動は、【中国】1840年から42年にかけてのアヘン戦争と、1856年から60年のアロー号戦争をおこない、中国を半植民地化 【インド】18世紀後半からイギリス東インド会社が領土を拡大していたのですが、インド人の大反乱を鎮圧したのち、1877年インド帝国をつくり全インドを支配下に入れた 【エジプト】スエズ運河を買収。スエズ運河はエジプト領内にあるのですが、運河はイギリスのものになる。やがて、イギリスはスエズ運河の警備という名目で、軍隊をエジプトに駐屯させ、エジプトを事実上支配する。 カナダ連邦(1867)、オーストラリア(1901)、南アフリカ連邦(1910)を作り、原住民を押しのけてイギリス人が住み着いて生活基盤をつくった
これらの地域の広さに比べると、日本はとても小さい。大農園・放牧地・プランテーションを作る好都合の場所には思えないです。
 
フランス…メキシコにかかりっきり
オーストリア…斜陽
ドイツ諸邦…統一戦争中
イタリア…統一戦争中
米国…南北戦争で国家が疲弊
ロシア…戦争や内戦で国が疲弊

この回答への補足

当時でもかなり進んだ文化を持っており、人口もある日本は列強にとって非常に魅力的であったことは間違いありません。 

補足日時:2012/02/11 19:39
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