最近小泉総理の靖国神社参拝でひともめしているようですが、公明党の代表が
懸念を示すとき、憲法20条3項における政教分離に反するからやめろ、みたいな
事を言っていたと思います。じゃあ自分のところはどうなの?創価学会が支持母体
じゃあないんかい!もちろん私は『政教分離』原則は正しいことだと考えています。
だからこそ公明党なんて合法的な存在理由がないんじゃぁないでしょうか?

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A 回答 (18件中1~10件)

日本の政教分離原則では「津地鎮祭訴訟」以来、「目的効果基準」というのを採用されているようです。



========以下は、判決文========

憲法の政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いがわが国の社会的・文化的諸条件に照らし信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである。
『1977(昭和52)年7月13日 「津地鎮祭」訴訟大法廷判決』
========引用以上========


公明党と創価学会との関係では、一応、政党とその支持母体という一定の線引きがあります。
また、公明党は別に創価学会を国教にせよと要求しているわけではありません。

逆に、靖国参拝については、一国の総理大臣が軽々に宗教行事に参加することは、その特定の宗教の助長させる結果となるので好ましくないという意見があります。
また、靖国神社は戦前の国家神道の名残であり、そこに参拝することによって、戦前戦中の政教一致政策が思い起こさせるので、非難されることになります。
また、「公費による玉串料の支出は政教分離原則に反し違憲」とされた最高裁判決があります。
この根拠は、同じく目的効果基準に照らして「限度を超えるものと認められる場合」にあたったためとされています。(愛媛県靖国神社玉串訴訟)
※ただし、これは愛媛県知事ですが。
また、小泉総理(当時)の参拝行為を争った裁判(大阪靖国参拝違憲確認第二次訴訟控訴審判決)では、参拝を違憲であると判断されています。

つまり、公明党がその立場を利用して(目的効果基準を超える)創価学会への利益誘導・助長、促進や他宗教に対する圧迫、干渉等にならなければ、合憲であるといえます。

政教分離について
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/ken-jinken/ …

1977(昭和52)年7月13日 「津地鎮祭」訴訟大法廷判決
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tujitinn …

愛媛県靖国神社玉串訴訟
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AA%9B% …

靖国神社問題関係主要判決一覧(PDF)
http://210.128.252.171/jp/data/publication/docum …
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政教分離原則というのは、国家と宗教との分離を規定したもので、政治と宗教や政党と宗教の分離を規定したものではありません。


また、政教分離といっても、現在の最高裁における解釈では、国家と宗教のかかわり合いはある程度容認せざるを得ないので、どこまでであれば許されるのかという基準を設けています。
仮に、公明党と創価学会の関係に、その基準をあてはめたとしても、違憲の判断にはなりません。

ちなみに、公明党が合法的に存在していることが認められている例としては、政党助成金が公明党にも給付されていることから明らかです。

参考URL:http://soka.jpn.org/blog/2007/10/post_199.html
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創価学会が(戦前の)政教一致に反対だった、というのは一面では事実ですが、中身的にはちがうと思います。


これは「邪宗」の政教一致に反対だっただけでしょう。
もともと、日蓮は鎌倉幕府に日蓮宗を国教にしないと、近い将来ハルマゲドンで滅びるぞ、というのに近い脅しをかけようとしたぐらいですから、「国教」自体に反対するような組織であるはずがないですね。

「玉串料訴訟」というのが各地でありますが、各派のお坊さんが原告に参加されていても創価学会の幹部が参加することはないようです。「邪宗・天魔・・」といっしょにやれるか、ということなのでしょうね。

労働組合や企業家の政治参加は、共通の利益のためにやることですが、例えば「トヨタが○○するための法律」を作ってもらうための行動をやっちゃあいけないわけです。(結果的に、工業化の推進政策によってトヨタが利益を被るようなことは認められる)
できた法律によって、日経連の会員だけは税金が安くなる、というようなことはできないわけです。そのへんが、政治参加の意味でしょう。

KSDみたいに、自分のための政治、と考える団体もある訳ですが、これは社会的に非難されます。

合法云々をいえば、地下鉄サリン以前のオウム(あるいは「真理党」)だって合法だったのですから・・。
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お騒がせしているようですので、


質問に対する、私の回答(考え)を整理します。

Q1.総理大臣の靖国参拝は、ゆるせるか?
A2.条件付きで容認、
   条件は、公用車を使用しない、玉串料は自腹、
   閣僚になる以前から、参拝している事。

Q2.政教分離は、正しいと思うか?
A2.正しいと思う。

Q3.創価学会が支持母体の公明党は合法的な
   存在理由がないか?
A3.合法であると思う。

Q4.特定の宗教団体が政党を作って活動してもよいか?
A4.しない方がいいと思う。政党を支持する
   1団体としての参加が望ましい。

Q5.公明党の憲法20条の解釈が正しいと思うか?
A5.理解できるが、正しいとは思えない。

こんなとこで如何でしょうか?
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私への反論がYUZURUさんからありましたので、一言いわせていただきます。



YUZURUさんは、よっぽど公明党と創価学会が嫌いなようですね(笑)。個人の考え方は様々ですから、嫌いであってもいいでしょう。

しかし、憲法論議をする上では、感情論はなくさないといけないと思うのです。YUZURUさんは「政教分離問題」が政治的に決着したと思われているようですが、法の番人である最高裁、内閣法制局の戦後一貫した見解を、「政治的決着」といわれてしまいますと、あなたの見識を疑ってしまいます。

憲法に関する議論は大いに結構なことです。でも、憲法は最高法規であるからこそ、議論は慎重かつ冷静な判断が必要であると思うのです。

憲法学上、正しく判断されていることを、公明党・学会憎しの思いで、それこそ政治的な意図により解釈を変えてしまうほうが、よっぽど危ないのではないでしょうか。しかも、民意の名を語ってです。

私は創価学会員ですが、あなたの見解では、私の政治活動は制限されてしまうことになります。私の人権を侵害しているわけです。これこそ、憲法に反する考え方なのではないですか? 私の基本的人権、差別されない権利、集会・結社・表現の自由はどうなるのでしょう? そこには、当然、政治参加の自由も含まれているはずです。
私たちの人権を侵害するようなことを、政治的な思惑から平気で言うから、私たちは声を強くして、反論しているのです。

最後にもう一つ。
政教分離原則は、神道だけを想定したものではないことは当然のことです。しかし、あなたがいっている過去の悲劇は、日本の場合、国家と神道が一体化したファシズムでした。これは歴史上の事実です。だから、「神道による政教一致を禁止するため」と書いたのであって、神道だけによる政教一致という意味ではありません。誤解があったようでしたら、謝ります。
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hirobo30さんの


”玉串料も税金から払おうものならば、明らかに憲法違反です”
中曽根総理が、公用車で参拝して、玉串料を公費で払った件ですね、あれは、やりすぎですね(笑)まあ、今回の質問の趣旨から行くと、小泉総理は、多分、公用車も使わないでしょうし、玉串料も自分でだすでしょう、毎年、行っているそうですし、それと、同じ行動をとるでしょう。公明党の方は、納得いかないかも知れませんが、民意(ほとんどの人がそう思うと言う基準)は、許すでしょう。

”神道による政教一致を禁止するためにできたのが、憲法の政教分離原則です。”
公明党さんの解釈では、そうなんですね、なるほど。
アメリカは、終戦の2年前くらいから、終結後の日本国憲法の草案は、準備にかかったようですが、(すごいですよね、勝つ事は当たり前だったんですね)その際、日本文化の研究者や法律家などが、主体になり草案を練ったようですが、ここでの”教”の扱いは、全ての宗教からの分離が目的であったと聞いております、もちろん、神道を含めてですね、古くからヨーロッパでは、宗教団体が政党ないし、政治の実権を握った為に、多くの悲劇が生まれた歴史があります、これと同じ事をアメリカでは繰り返すまいという、移民文化ならではの発想だと思います。
アメリカが日本向けにアレンジした、憲法ですから、
”労働組合や経済団体などの政治参加は良いけど、宗教団体だけは政治に参加できないなんて、どう考えてもおかしいでしょ?”
おかしいと思うのは、公明党の人だけだと思いますよ。
公明党の人が、おかしいと主張されるのは、理解できますが、公明党以外の人は、ちっともおかしくないと思っているかもよ、少なくとも私は、おかしいと思いません。
”創価学会と公明党に関する憲法上の問題は、既に決着済みで、議論の余地はありません。合憲です。”
たしかに、政治的には決着済みですね、しかし、議論の余地がないとは、傲慢じゃないですか?憲法の解釈も時代によって、民意で変わってきます、今は、政治的に決着がついていますが、未来永劫、議論しなくていいって話じゃないと思いますよ。

他の方の主張も主張として聞くだけでも聞いては如何でしょうか。自分達が一番知ってて、自分達の主張以外は、すべて間違っているって考え方は、危険だと思います。
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以下の意見の中にも書かれていますが、創価学会と公明党に関する憲法上の問題は、既に決着済みで、議論の余地はありません。

合憲です。政教分離原則は、宗教者や宗教団体の政治参加を禁じたものではなく、国家の機関として特定の宗教団体を利用したり、特定の宗教を国教化したりすることを禁じているわけです。

ちょっと考えれば分かるでしょ? 労働組合や経済団体などの政治参加は良いけど、宗教団体だけは政治に参加できないなんて、どう考えてもおかしいでしょ? また、宗教を持っている人は、総理大臣にはなれないのかしら? ちなみに、石橋湛山は日蓮宗の大僧正にまでなってましたよね。

そもそも、創価学会は「政教一致」に反対をしたために、牧口初代会長が不当に逮捕され、獄死しているという歴史的事実があります。つまり、戦時中の日本は、国家神道を全国民に強制するという、まさに政教一致政策を行っていました。田舎の古い家には必ず神札が祭ってあるのは、その名残でしょう。その神札を受けないということが不敬罪にあたるということで、牧口会長は不当に逮捕されました。

つまり、政教一致だったのは神道であり、それに反対していたのは創価学会だったわけです。その神道による政教一致を禁止するためにできたのが、憲法の政教分離原則です。

この結果、靖国神社も一宗教法人となりました。そこに国家の機関である総理大臣が、公式に参拝して、玉串料も税金から払おうものならば、明らかに憲法違反です。

以上、皆さん、もっとよく勉強するように!
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政教分離原則とは、政府が宗教に介入してはいけないことを定めたもの。


宗教家が政治に参加することは合憲です。
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 首相であろうと政党代表であろうと、個人が、自分の信仰について自由の立場であることが政教分離だろうとおもいます。


 靖国神社については、もともとが一宗教法人でなく、国の宗教として祭られていた歴史がありますので、それに首相として公式参拝するのは時代の逆戻りだということが考えられます。
 たぶん、首相が初詣にお稲荷さんに行っても誰も文句はいわないでしょう。むかし、大平首相はキリスト教でした。

 個々の党員がどんな宗教を信じていてもかまわないですが、(たとえば、無宗教の共産党でも、お坊さんが比例名簿で候補者になっていることがあるぐらいだから・・)
「王仏冥合」だとかいって、最初からそれを目的にして政治団体を作って出てくるのはおかしいですね。この人たちは、社会的にどうか、というよりも、身内の価値観が優先しますので、まえには反対していた盗聴法でも取引で賛成しちゃう。
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 一般論というのは、一部マスコミや反創価学会・公明党の人たちが作り上げたものであって、一般論だから正しいとは言えません。

そのことは、これから客観的な事実を基に説明したいと思います。
 「政教分離」問題に関しては様々な議論がされていますが、この「政教分離」の根拠となっている憲法20条が「政教分離」をどのように定義しているのかという説明がなされないまま、「政教分離」問題を議論すると、「政教分離」という言葉だけが一人歩きして、不毛な議論になります。
 そこで、憲法20条の政教分離原則を客観的な視点からとらえてみます。長文になりますが、明確にしておきたいと思いますので。
 憲法20条ですが、以下の条文です。
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 まず、最高裁の政教分離に対する判例から引用します。「政教分離規定は、国家と宗教との分離を制度として保証することにあり、間接的に信教の自由を確保しようとするものである」。つまり、最高裁は、憲法の「政教分離」原則を、国家と宗教を分離し、国家が宗教に干渉等してはならないことだ、と解釈しています。
 誤解してならないのは政教分離の「政」と「教」が「政党」と「宗教団体」ではないということです。一般論といわれるものは、公明党と創価学会がこの「政」と「教」にあたるとしているわけで、憲法でいう政教分離原則を逸脱しています。
 これだけでは、議論が終わってしまうので、国会で憲法解釈を担っている内閣法制局の見解を紹介します。内閣法制局について補足すると、憲法には国家統治の基本しか表現されていないため、条文と現実政治の間に乖離が生じると、政府としてそれに整合性を与えるための「憲法解釈」が必要となってきます。政権の交代にも耐えられる理論的整合性、政治的妥当性がある憲法解釈、が求められ、その役割を担っているのが内閣法制局です。
 
 憲法制定時から一貫している憲法20条の政教分離原則の解釈は次の通りです。
・最高裁の判例と重複しますが、「憲法の定める政教分離の原則というのは、信教の自由を実質的なものとするために、国やその機関が宗教に介入し、また関与することを排除すること」
・「政党として、その宗教団体関係者が政治上の行動をするということを禁止する趣旨ではない」
・「政治上の権力を行使してはならないとは、宗教団体が、国から授けられた政治上の権力を行使してはならない」ということ。
・「政治上の権力」とは「国や地方公共団体だけが持つ統治的権力」で、裁判や警察の仕事、税金を課税したり徴収する権限、公務員の任命・解職権などのことであり。宗教団体はそのような権力を授けられたり、委託されたりして、これを行使してはならないということ。
・「宗教団体は、政治的な活動というものが許される、その中には選挙運動といわれるようなものも含まれている」

 付け加えますが、私は、最高裁の判例、内閣法制局の憲法解釈は、真に第三者の意見であり、最も信頼のおけるものだと考えます。また、ここに紹介したものは、マスコミでは一切報道されず、誤った解釈の一般論ができあがってしまう一つの大きな要因なので、マスコミには真実を知らせて欲しいと思います。

 以上のことから、憲法の政教分離は「国家と宗教の分離」、「国家の宗教への介入、関与禁止」、「国家の宗教的中立性」を規定するものであって、それによって「信教の自由を実質的に保障する」ということと結論づけられます。

 靖国神社への首相の公式参拝の問題ですが、これは、過去に、仙台高裁で「首相の靖国神社への公式参拝は違憲である」との判断が出ていますので、憲法20条に抵触するという意見が出て当然で、神崎代表の発言は国政を担っている人として当然だと思います。
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