”宇宙の果て”とはどのようなものなのでしょうか?この疑問に答えられる方、お願いします。

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A 回答 (14件中11~14件)

宇宙に果てはないと思います。

どこまでもズーッとそのままだと思いますが、なんとなく納得がいかないかもしれませんね。でも、私達の感覚では物事全て有限、最初と最後、と捉えがちです。
私達の能力の範囲、理解の範囲を超えているから理解しがたいのであって、何も一生命ごときに理解出来る範囲ではないのですから、無理に最後、果てを決める必要はないですよ。
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この回答へのお礼

うん、そう思います。
人間の考える限界です。
でも、誰か知っているんじゃないか。
と、思いました。

お礼日時:2001/05/07 22:49

わしが考えとること全部書きたいんだけど


全部書いたらえらいことになるから結論。
果てはあるんだけど、わかれへんようになっとる。
なんかスーパーで商品の奥に鏡があって
どこまでがほんまの、かまぼこなんだか
わかれへんようになっとるやつ。
あんな感じになっとるんちゃうかなあ。
ばれれへんように。
どこまで行っても星があるように見えるように。
なんかすごい大規模な錯覚で。
こんなんで納得するのはわししかおらんと思うけど。
すんません。
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この回答へのお礼

楽しい考え方ですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2001/05/07 22:44

ずーっと続くんじゃないんですか?その方が夢がありますよね。

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この回答へのお礼

そうですね。ありがとう。

お礼日時:2001/05/07 22:38

回答ではないのですが、私も昔、考えましたよ。

そして自分で出した結論としては、この答えがわかる時は、世界が終わる時、宇宙が破滅する時に答えがわかるのではないかと言う事です。 逆説的に言えば、この答えがわかる時はこの世が終わるときといえます。 すいません答えになっていなくて。
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この回答へのお礼

ありがとう。

お礼日時:2001/05/07 22:36

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宇宙の果ては

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そんなのには答えはないと思いますよ、智を使うのが哲学でしょうが、智を超えるが宗教かもしれないですがそう言う意味では宗教的な答えと言うところでしょうか(人間の理解を超えている)。

Q美しい国はどのようなものなのでしょうか

皆さまはどういう国が「美しい」と思いますか。
その上で、これから目指すものはどういったものなのでしょうか。

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どなたか教えていただければ幸いです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

安部前首相の提唱した「美しい国」の事と考えていいのでしょうか?
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これが「美しい国」であると考えます。

Q宇宙の法則がなんで神なものか

1. 法則とは 経験事象に見られる共通の要素についての規則性などが一般的・普遍的で
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2. しかるに 神は 経験事象から自由な《非経験の場》である。

3. 経験的な事物が神に――人間の理性とその意志による判断で――なるとしたなら そ
こら中にうようよ神がいることになる。

4. だから 経験世界を超えている場が そうだとしたら 神である。

5. 宇宙の法則がなんで神なものか?

Aベストアンサー

5について。考え方の時間軸が間違っている。
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一神教の人達にとっての「神」は、そういう神という事になっています。

Qプラトンの視点から見て、ソクラテスにとっての『勇気』とはどのようなものだったか?

こんばんわ。
今『ラケス』を読んでるんですが、そこだけがどうしてもわかりません。
みなさんはどうおもいますか?
できれば長文でお願いします。(そのほうが自分としては解釈しやすいんです。)


プラトンの視点から見て、ソクラテスにとっての『勇気』とはどのようなものだったか?

Aベストアンサー

長文は得意なのですが、今回に限っては。。。

プラトンは<「自分は知らない」ということを人々は知らない>ということを指摘した人でしたよね。

知識のある人に対して、低姿勢で「教えてください」といいつつ、実は、相手に「自分は知ったつもりでいて、実は何もわかってはいなかった」ということを自覚させるために、問答をした人でしたよね。


このラケルもそう。

ラケルは勇気が何なのか知っているという。

ところが、問答をしていくうち、勇気について説明しているのに、勇気じゃないことを説明していたことをラケルは気づかされる。


ラケルは勇気について無知であった。
にもかかわらず、知っていると思い込んでいた。


ということで、プラトンの「実は勇気がなんなのか知らないのに、勇気とは何かを知っていると誤解している愚者であることを自覚させる」あるいは「暴く」といういつも通りのやり方。


>プラトンの視点から見て、ソクラテスにとっての『勇気』とはどのようなものだったか?

ソクラテスも知らなかった。
というのが正解じゃないかと。



ヘブライ語はものの本質を直接表す珍しい言語だそうです。
対してギリシャ語は、抽象に満ちた言語で、それだけでも永久に問い続けることが可能な言語だそうです。
だから 詭弁も成り立つ。

ヘブライ語のクラスにギリシャ語の生徒が入ると、ギリシャ語は嘘つきですらなく、明らかに愚者 になってしまうのだとか。

そのギリシャ語でかかれている新約聖書は、どこまででも永久に研究できる終わりの無い無限の書になる。
何故なら、ギリシャ語に翻訳され「正義」となったものは、ヘブライ語では「救い」のこと。

救いをギリシャ語では正義だとなり、正義とはって永遠にイエスの言葉を理解しようとするが、決して終わりは無い。
だって、正義についてイエスは語ってなどいないから。

あさっての方角にイエスの言葉の意味を探しているので、永久にイエスの言葉の意味を理解できないわけです。

ヘブライ語はヘブライ文字一字一句たりともこの世が終わるまで変えてはならないとされた意味。
ましてや他の言語に置き換えて改造してしまってはならないとした理由。
本来の意味を直接あらわず言語以外に変えてしまうと、本質を表さなくなるので、読み手は永久に理解できない ってことで。


で、抽象概念にみちみちた言語であるギリシャ語を使用していたソクラテスも「勇気とはなんぞや」と結局わからないまま処刑された。
わたしから見ると頑固すぎ。

長文は得意なのですが、今回に限っては。。。

プラトンは<「自分は知らない」ということを人々は知らない>ということを指摘した人でしたよね。

知識のある人に対して、低姿勢で「教えてください」といいつつ、実は、相手に「自分は知ったつもりでいて、実は何もわかってはいなかった」ということを自覚させるために、問答をした人でしたよね。


このラケルもそう。

ラケルは勇気が何なのか知っているという。

ところが、問答をしていくうち、勇気について説明しているのに、勇気じゃないことを...続きを読む

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