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2礼2拍手1礼ですが
どの段階で「鈴」を鳴らし
どの段階で「お賽銭」を入れたらいいのでしょうか?

心ある誠実な回答おまちしとります。

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A 回答 (4件)

特に正式な順序などというものはありません。


皇學館名誉教授の書によれば例祭の基本は[修祓][一拝][献饌][祝詞][拝礼][撤饌][一拝]となります(関係するものだけ抜粋)。 修祓とは祓い清めを言います。
拝礼とは再拝・二拍手・一拝の所作を言います。

一方賽銭には二つの意味があります。一つは実りを捧げる意味で、世俗でもよく言われているものです。
もう一つは厄祓いです。昔はヒトガタに息を吹きかけ厄を移して水に流したり焼いたりしましたが、ウチマキという今の節分に通ずる米を地面に打ち付けるものです。
これは神職の祭事にはない行動ですが、強いて言えば修祓に含まれます。

鈴は鈴祓いといい、祓いの一種です。これはアメノウズメの岩戸の踊りに起源を持ち、現代でも巫女舞のルーツでもあります。
伊勢の神宮などで昇殿参拝をすると分りますが、巫女舞は参拝後に行われています。つまりこのままでは最後に鈴を鳴らすことになります。

しかし一連の所作で祓えである修祓が最初に行われることを考えれば、鈴は最初に鳴らすのが合理的です。
修祓はこれから行われる神事の初めにその場所や参加者を祓い清める意味があるからです。
また賽銭は供物を捧げる献饌の代用と考えられます。

従って、これに従って順を示せば次のようになります。
「鈴を鳴らす」(祓え)
「一拝」
「賽銭を上げる」(献饌)
「願い事をする、或いは神拝詞」(祝詞)
「拝礼」
「一拝」

冒頭で「作法などない」と書いたのには理由があります。
単に参拝するという場合、本来は昇殿参拝をさします。
私達が日常しているのは略式の参拝法で、これを「自由参拝」と言います。
略式なので作法などないというのが本当のことです。
実際神社本庁の冊子などでも「参拝法は両段参拝に基く」としています。これには賽銭とは鈴はありません。
実際、前出の「神道概説」という専門書にも参拝法を見ると再拝・二拍手・一拝しか書かれていません。
一部地方の神社庁が独自に手水など俗説に倣って書いているものがありますが、正式ではありません、神社本庁が上位組織ですから。
それに伊勢の神宮には賽銭箱も鈴もありません。もし鈴や賽銭が正式であれば、伊勢の神宮は正式なおまいりができないことになります。

冒頭申し上げたように、賽銭には二つの意味があります。厄祓いの意味を取れば、これを就縛に変えることができます。
また俗説では最初と最後の「一拝をしろ」と書いているものはありません。つまり、これを省略すれば鈴を鳴らし、賽銭を上げ、拝礼するという一般的な順番になります。
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この回答へのお礼

よく理解できませんでしたが・・

お礼日時:2012/02/11 21:45

この順序が正解、鈴を鳴らして神様の注意をこちらへ向けて賽銭を投げ入れる。





賽銭






ちなみに手水の作法では水を柄杓からそのまま口へ入れてはいけません。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5941278.html
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この回答へのお礼

これだ!

お礼日時:2012/02/05 20:32

私も昨日同じ質問をしました。


『正しい神社の』で検索してみて下さい。
詳しく回答して下さった方がいらっしゃいます。
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この回答へのお礼

そうですか

お礼日時:2012/02/05 20:33

賽銭







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この回答へのお礼

参考にします。

お礼日時:2012/02/05 14:33

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お寺では鐘を打つようになっていたりしますが、地蔵さんの前では時々見かけます。
仏教や神道では呼び方はちがうのでしょうか?
どうか教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

あ、失礼しました。 No.3 です。

専門的には“本坪(本坪鈴)”といいます。

厳密な決まりではないのですが、お寺は鰐口、神社は鈴と一応使い分けがあります。

買いたいんですか?よかったらご紹介しますヨ!

それでは、ゴキゲンヨウ!!!

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近頃少し色々あって疲れていまして、今日少し遠出をした際に目的地付近にちょうど神社があった為、せっかくなのでお参りをしていこうと思いたちました。

お恥ずかしいことですが、あまり作法には詳しくなく「礼が何回だっけ…?」と迷っていましたが。
先にお参りしてらしたお婆さんの姿をみて「2礼2拍1礼」にしました。

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なんだかおかしな質問ですが、よろしければお願いします。

近頃少し色々あって疲れていまして、今日少し遠出をした際に目的地付近にちょうど神社があった為、せっかくなのでお参りをしていこうと思いたちました。

お恥ずかしいことですが、あまり作法には詳しくなく「礼が何回だっけ…?」と迷っていましたが。
先にお参りしてらしたお婆さんの姿をみて「2礼2拍1礼」にしました。

しかしそこでタイトルの通りの問題が起きてしまいました。
お賽銭をいれて、鈴をならして「2礼2拍1礼」してお願いして…と...続きを読む

Aベストアンサー

こんばんは

今回はたまたま引き方が悪かったのではないでしょうか?
軽くゆすぶると鈴の中の玉の位置が変わったとおもいます

それとお参りするときですが
住所と名前を心の中で言ったほうが良いそうです
神様がどこの誰だかわからないそうなので
東京都新宿区の鈴木一郎です。と言う風にですね

ご参考までに

Q神社でお賽銭と鈴はどちらが先?

神社でお賽銭を入れる時、鈴を鳴らしてから入れるのですか?それとも入れてから鳴らすのですか?

Aベストアンサー

参拝マナーサイトによりますと.....

--------------------------------------------
(1)神前に進み、姿勢を正します。
(2)(賽銭を賽銭箱に入れます。)
(3)鈴を鳴らします。
(4)もう一度姿勢を正します。
(5)二拝二拍手一拝の作法(ニ礼二拍手一礼の作法、あるいは、再拝二拍手一拝の作法とも言う)で拝礼を行います。
(5-1) 90度の礼で、二回拝みます。
(5-2) 胸の前で二回、拍手をします。
(5-3) もう一度90度の礼で、一回拝みます。
--------------------------------------------

................だそうです

この質問を見て、「うっ、自分のやり方は正しいのだろうか?」と、
ちと不安になりましたが、この通りやってましたので、ホッとしました(笑)

参考URL:http://www.jp-guide.net/manner/sa/sanpai.html

Q「充分」と「十分」の使い分け教えてください

題名のとおりですが、どう使い分けるのか知りたいです。

たとえば、「私はじゅうぶん満足した」のときは、十分でいいんですよね???

どちらをどう使い分けるのか教えてください。

Aベストアンサー

そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。

国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。
私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。
☆「十分」「充分」の意味が混同される原因は(推測です)、
 ・漢字本来の発音の違いが日本語では区別し難いため、便法で漢字音を決めた。
 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。
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     などを意味するようになり、現在に至っています ⇒ 充ちる(満ちる)。
  ☆基本は動詞、切れ目なく満ちる、満たす、果たす、アナログ的思想です。
【分】:実は、発音も意味も一意でないのです。
  【十分】の発音はshi2fen1   【分】fen1の意味は 部分、分割したもの など。
  【十分】の発音はchong1fen4 【分】fen4の意味は 成分、本分、職責 など。 

さて、お尋ねのこと「私はじゅうぶん満足した」はどう書くか。
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 ・心または腹が充足感を以って(徐々に内部から)満たされた場合は【充分】。
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ついでに、
  「十分ご説明をいただいて、充分満足いたしました」のごとき用法も。

いまや、【十分】【充分】を使い分けるか否かは個人の好みです、読む人の感性に合わなければそれまでのこと、自己満足の域を出ません。いずれにせよ、公式文書や事務的文書では、好悪を捨てて、国語辞典を標準とするに越したことはありません。

そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。

国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。
私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。
☆「十分」「充分」の意味が混同される原因は(推測です)、
 ・漢字本来の発音の違いが日本語では区別し難いため、便法で漢字音を決めた。
 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。
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Qうろ覚え?うる覚え?どちらでしょうか!?

私はずっと「うろ覚え」と使っていたのですが

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※ちなみにCD-ROMの辞典で調べると「うる」は出てこなかったんです・・・。

Aベストアンサー

うろ覚えが正解です。

過去にもありましたね、この質問。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=167373

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お守りもいくつも持つと神様が喧嘩するから・・・という話をきいたことがありますし。
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実際はどうなのでしょうか?
教えて下さい。

Aベストアンサー

多くの神に願いをかけると神様同士が喧嘩するというのはただの俗説であって神道書に書かれてはいません。
日本では『八百万(やおろず)の神』と言って数多くの神を集合的に信仰する伝統がありますし、皇室も徳川幕府も古くから数多くの神社を建立したり寄進を続けました。
日本武尊は『古事記』の中で転戦する土地々の地神に願をかけ、また那須与一も『平家物語』の中で複数の神(南無八幡大菩薩、わが国の神明、日光権 現、宇都宮、那須の湯泉大明神)を祈願して見事扇の的を射落としました。
悪いことではありません。

Qお米1合はご飯何グラムですか?

お米1合(150g)は炊きあがり後の「ご飯」になった時は大体何グラムでしょうか?
また、炊飯ジャーなどで、容量6L等とありますが、このリットルはどの状態の事を差すのでしょうか?(米?ご飯?、容積?)

Aベストアンサー

一合150gのたきあがりは約300gです。ちなみにお茶碗一杯150gおにぎり一個100gすし一貫20gカレー一人前300g弁当一個220gが標準です。

Q信仰心についてお願い致します。

信仰心についてお願い致します。

私は毎日お風呂に入るほどの潔癖症なせいなのか
先日行った京都清水寺の音羽の滝での出来事ですが
裏山から流れ出る自然の滝水を柄杓ですくい口を洗い清める儀式が無料で出来るアトラクションが
大人気で行列を作っています。

私もそこの行列にならびアトラクションに参加しました。

中国人観光客も大勢このイベントを満喫しているご様子でした。

しかし、問題は柄杓はそもそも水をすくうためのものであり
直接口につけて飲むものではないのではないでしょうか?

柄杓から手にとり口を少し潤しすすぐ儀式だと思うとりますが
これは間違いでしょうか?

柄杓に直接口をつけられたら潔癖症の私にはキモチが悪くてもう
耐えられません!

どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

再び No.6 No.10です。

毎日お風呂に入っていることだけが清潔かどうか分かりませんが、
多分質問者さんは潔癖症なんで一日に入浴が1回ってことないんでしょうね。
僕の勘では3回以上は入っているでしょう。
1回じゃ汚すぎます。うんうん。

中国の方も多分同じ事を思っていると思いますよ。
あなたと同じ柄杓を使って中国人と違う細菌や病原菌が介在する可能性
があるけど他の日本人がやってるから礼儀として同じように振舞おうと。

私は湯船に浸かるのは好きですし、温泉にも行きます。
中国の方は思っているでしょうね~
『雑菌だらけの湯船によく浸かれるな~』とか
『他人と同じ湯船によく浸かれるな~』とかね。

大陸???の人も日本にたくさんいるんで
あんた家から出ない方がいい。

Q神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願いごとは、上記の神拝詞(となえことば)を唱えたあとに、お願いすればいいのでしょうか?

それとも、個人的なお願いごとをする場合は、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなくてもよいのでしょうか。よく、神社やパワースポット関係の本には、参拝作法に、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなさいと書かれていないと思います。

ただ、時々、神社に行ったとき、拝殿の御賽銭箱の近辺に、上記の神拝詞(となえことば)のうち、
「祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と書かれた表示物を見たことがあります。

そもそも、参拝の際に、神前での願い方について、何を唱えればいいか、何が正しいかわかりません。

よろしくお願いします。

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願...続きを読む

Aベストアンサー

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありません。

昨年でしたか、大相撲の朝青龍が、手刀を切り、懸賞金を左手で受け取り、大ひんしゅくをかいました。相撲というのも、神の御前でする神事ですが、形から入り、心が入り、そして、そこに美と調和が生まれるわけです。これを「様式美」と言い、ただ、勝てばそれで良いというわけではない、という端的な例を表しています。

神社では、鳥居の前で脱帽し、礼をし、二礼二拍手一礼のマナーというものがあります。また、手水舎(てみずや)で片方ずつ手を清め、口をすすぐというのは常識ですが、直接、ヒシャクに口をつけてはいけません。今は、常識が常識でなくなってきているようです。確かに、出雲大社などでは違う作法があるところもありますが、それは注意書きが入っていたはずですし、こういう作法は、混沌としているということでもありません。明治以降、二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)を一般としてしてきているわけですから、それに従えば済むことです。知らなければ、覚えれば済む話です。この作法は、明治時代に作られた「神社祭式」を根拠としています。

また、女性は、柏手(かしわで)を鳴らさないというのは、占い師の細木数子氏が言ったそうです。しかし、女性は鳴らさないというようなことはありません。柏手は、神様を呼び出すという意味を持っているのですから、死者の前(葬式やお墓)では鳴らさない時(しのび手)があるという常識さえ知っていればよいことです。また、お寺では、二礼二拍手一礼はしないということも心がけてほしいものです。

それが、いつの時代に作られたものであれ、統一されたものなら、それに従わないということはありません。マナーのひとつとして、ぜひ、守って欲しいものです。それを守らなかったら、どうにかなるということではありません。日本的な表現ですが、「美しくない」ということです。

それから、祝詞というのは、簡単にいうと、「かむながら」という言葉がある通り、「神の御心のままで」という意味ですから、もともとは、「神の言葉として上から下に申し伝える言葉」だったわけです。唱え詞(となえことば)で一般的に知られているものは、

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ、幸(さきは)え給へ」
というものです。私は、特に参拝客が声を上げて唱えるという話は聞いたことがありませんが、神社に詣でたときに、どこかに書かれていたら、黙読し、心の中で、「清い心で、神様の御心のままに、みなを守り、みなが幸せになれますように」と祈ればよいと考えています。

なお、浄土真宗の話に触れておきます。
日本の宗教の中で、戦前戦後、妥協を許さなかった宗教であり、西洋哲学でいうなら、日蓮宗が日本型の強者の理屈を持つ宗教なら、(浄土)真宗は、それに対抗する弱者の宗教です。

浄土真宗は、現代まで靖国神社を反対している唯一の仏教団体です。ここでは、日蓮系の新宗教団体は除きます。明治政府は、事実上、仏教と神道を分離しました。祝詞を唱えると願いが叶うという発想は、空海の真言密教を起源とする両部神道であるかもしれませんが、仏教色が残るものとして、これ自体も廃仏毀釈運動によって排斥されました。

浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と唱えることは、日蓮宗のように題目を唱え利益(りやく)が得られるというような意味合いを持ちません。念仏は念仏を唱えること自体に意味を持ちません。それは、信仰そのものの現れだと考えています。

真宗大谷派大阪教区『銀杏通信』靖国神社に対する考え方。
http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_042.htm

明治の初期、森有礼の建白書や浄土真宗の島地黙雷僧侶が、明治政府に信仰の自由を訴えましたが、逆に神道側は、その体制を整えることになりました。

明治憲法が発布されたとき(明治23年)に、神道とは国家神道として、別格な地位を得て、「国民の道徳」としました。断じて、浄土真宗が、神道に影響されたり、政府に擦り寄り、神道に影響を与えたなどということはありません。

また、見えない霊自体を肯定するかどうかは別としても、霊体が危害を加えようとするという、オカルティズムは、私たちの一般社会には馴染まない考えだと思います。

参考:国家神道

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93#cite_note-6

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありませ...続きを読む

Q「輩(やから)」ってどういう意味ですか?

テレビやラジオで関西の芸人さんが「ヤカラや」って言ってるのを聞いたことがあるのですが

意味が分かる方、教えてください。

関西方面の言葉(大阪弁)なのでしょうか?

Aベストアンサー

大阪出身のものです.
疑問に思われたということは,一般に使われている「・・・する人たち」というような意味ではなく,いきなり一つの名詞のようにして「やから」が出てきたのではないですか?
もしそうなら,それは「やくざや不良など,理不尽な言い分を押し付ける人」という意味に使われているものです.特にやくざ限定というわけではなく,街のおっさんでも,変な因縁をつけてきたら,やからです.
また,「やかられる」(=因縁をつけられる,からまれる)などという言葉もあります.


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