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名球会入りしている選手の現役時代の背番号を調べても堀内投手ぐらいしか18番はいません。
勝ち星では金田、米田、小山、鈴木、記録では奪三振記録の江夏、 堀内投手以上の成績を残している投手もいます。
なぜ、プロ野球の中では18がエースナンバーと言われるのですか?

余談ですが、今回の件で僕なりに調べてわかったのですがノーヒットノーランを3回もした投手が2人いるのですが偶然にも2人とも同じ背番号で14番です。
でも、14番にあこがれる新入団の選手って聞きませんよね。

A 回答 (8件)

14番は沢村栄治の背番号ですから


昭和では、結構あこがれる投手は居たんですよ。
今は知らない人が多いみたいですけど。

エースナンバーが18番というイメージは
堀内から桑田に受け継がれたのが大きいのかなと。

そもそもエースがつけていたからで
他の回答者さんが言われるように
球団別にエースナンバーがあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/02/10 21:17

18番の歴史は古いです。


『いよっ!18番!』・・・昔から芸や技術の優れた人に対して使います。その人の得意芸・技は十八番(おはこ)と呼びます。

・巨人では堀内恒夫が高卒新人デビュー13連勝(16勝2敗)で、さらにノーヒットノーラン試合で自らHR3本を打つなどスーパーマン並みの活躍をしV9に貢献したことから、『いよっ!18番!』ということで、「18=エースと定着」

・「プロ野球では過去に18番を付けた選手に活躍した投手が多かった」

高校野球では投手「1」がエースナンバーと呼ばれますが、プロでは毎試合出場するレギュラー野手に1~9番を割り振る球団が多いです。同時に毎試合投げない投手(昔は完投が当たり前)は10番台が割り振られるケースが多かった。
▼優れる=十八番(おはこ)から、優秀な投手に18番を付けさせる機会が他の番号に比べて多かったため、自然と18番の投手が活躍するケースが多くなったわけです。つまり堀内が活躍し18がエースと定着した巨人以外でも、上記の十八番(おはこ)=エースに重ねるケースが多かったためです。

14については、欧米では13が嫌われますが日本では4が嫌われます。24以上なら4に対しても悪い印象はありませんが、14ですと4に一番近い4の付く番号ですから、悪くないにしても積極的に好きになる(付けたいと思う)番号ではないのでしょう。

説明が長くなるので以下Wikiもご覧下さい。
▼十八番(おはこ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%AB% …
▼エースナンバー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
18番の歴史って古いんですね。

ちなみにノーヒットノーランを3回した2人の投手は沢村栄治と外木場義郎です。
偶然にも2人とも背番号は14番でした。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calen …

お礼日時:2012/02/12 21:15

今では考えられませんが、良くも悪くもプロ野球イコール「讀賣(巨人)」という時代がありましたので、その名残でしょうね。



歴代の讀賣の主な18番は中尾(ノーヒットノーラン2回、沢村賞等で200勝投手)、藤田(MVPは2度、新人王等で、パの強敵チームがいた事や、怪我等で大舞台で貢献が出来ず「悲運のエース」と言われる、また最初で最後の「天覧試合」の先発も勤める)、堀内(沢村賞2回、MVP1回、ノーヒットノーラン1回等で「V9のエース」で200勝投手)、桑田(MVP1回、沢村賞1回で高校時は、甲子園最多勝投手)この4名の投手の印象が今でも球界、マスコミでは強いのでしょうね・・。

あとは、現ボストンの松坂、それを引き継いだ(横浜高校、西武で後輩の)涌井、広島の前田健、楽天の田中将、日ハムの斉藤祐 らがどれだけ今後も名実ともに頑張れるかが「18」を今後も「日本球界のエース番号」として認められるか?ですね(ちなみにテキサスに行くダルは北京五輪代表では「18」でしたが、その時は、中日の川上憲が「11」を使用していたので、しかたなく「18」でしたね)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

桑田が18をつけたときはすでに「エースナンバー18を・・・」となっていた。
ということはそれ以前から18がエースナンバーとされていたのかなと思われるのですが。

お礼日時:2012/02/10 21:21

 巨人の14番は永久欠番ですから、その番号をつける事はできません。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
14番をつけれないのは巨人だけの話ですね。
でも球界全体の話となると別だと思うのですが・・

お礼日時:2012/02/07 20:47

巨人では18でしょう。



でも、我がドラゴンズは20です。

球団によるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

でも、どの球団でも新入団の選手が18をつけると報道では「エースナンバーをもらった」と表現されてしまいます。

お礼日時:2012/02/10 21:16

一番大きな理由は「巨人のエースナンバーだから」です。


その中でもV9時代を支えた堀内恒夫氏、その後を継いだ桑田真澄氏の2人の功績が大きいんじゃないですかね。

V9と言えば野球が国民的スポーツに押し上げられた象徴的な時期ですし、桑田氏もKKコンビで一世を風靡したインパクトのある選手だったので、それ以降の世代の野球少年はそういう選手に憧れてたパターンが多いからだと思います。

さらにその後の世代としては、松坂大輔選手や田中将大選手に憧れてる野球少年がまた18番を目指しますから、18番=エースナンバーという図式が続いていくのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
堀内投手の現役時代をリアルタイムで知らないのですがその後、エースとして活躍した江川投手は30番でしたね。
しかし、江川投手に憧れて30番を目標にする選手はあまりきかなかったなぁ。

エースナンバーとは関係ないことですが広島の前田智徳選手は掛布雅之選手に憧れてデビュー当時31番をつけていたそうです。

お礼日時:2012/02/06 21:02

日本プロ野球草創期のタイガースに在籍していた「若林忠志」という投手がおりました。

この若林投手、当初は4番を付ける筈だったんです。しかし4は「縁起が悪い」という事で、空き番号の中で一番若い番号である18番を付ける事になったんです。この若林がタイガース在籍時に残した成績は13年で233勝136敗です。特に1939年には28勝、防御率も脅威の1.09を記録。タイガースのエースとして大車輪の活躍をしました。それで自然と18番はエースナンバーという事になりました。

東京巨人軍に1939年に入団した中尾碩志投手も18。同じく1939年、セネタースに入団した野口二郎も18。特に野口は1942年に40勝を記録しています。そして脅威なのは1942年5月23日、巨人戦に先発。あわやノーヒットノーランの快投をします。阻止したのは川上哲治です。そして腹いせに試合後、当の川上とたらふく酒を呑み、二日酔い状態で翌日の対名古屋軍戦にも何と先発。延長28回を名古屋の西沢道夫と共に完投。試合は日没で4対4の引き分けになりましたが、野口二郎を語る上で欠かせない話です。

という経緯があって、18番はエースナンバーという事になったのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
18番ってかなり古い時代からの歴史があったんですね。

お礼日時:2012/02/06 20:56

どうも巨人軍に於いての伝統的なエースナンバーのようですね。


前にそういうことを聞いたことがあって、ググッてみたら次のような記事がありました。
参考URLをどうぞ(・⊥・)ノ

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
どうも巨人のエースナンバーをマスコミがプロ野球のエースナンバーのようにあつかっているだけのように見えますね。

お礼日時:2012/02/06 20:54

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