ニュースなどで、「学会では…が定説とされている」というような表現をよく耳にしますが、学会などである(学)説が「定説」とされるのはどのような場合でしょうか。
学会がその学会としての公式見解として正式に「認知」したときでしょうか、それとも単にその学説を多くの人が引用したり前提として話を進めたりしている場合でしょうか。

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A 回答 (7件)

某宗教家の「定説」は別です。



普通、学会が公式見解として認知するという作業は
しません。

学会の査読委員委員(それなりに権威ある人たち)が
論文をチェックして、おかしな処が無ければ
論文誌に載せます。

で、これが学会員の多くに認められる様な状態になれば
「定説」です。
つまり、その論文と反対の意見が出ていたりして、
まだ見解が安定していない状態では「定説」ではありません。

ここで難しいのが、どんな話にでも反論は出るということで
たとえば、地球平坦論者が居ても地球が丸いのが定説になるように
反論の質というのも定説か否かの重要なカギになります。

なお、その意見を踏まえて、さらに次の研究が沢山なされるようなら
もう、これは間違いなく定説です。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
完璧な回答で納得行きました。

お礼日時:2001/05/08 21:26

【お礼へのお応え】


>・権威ある団体(公式な学会など)で「定説」が“A”であるとされ、
>・民間の研究者(アマチュア研究家など)の間では「定説」が“B”であるとされ、
>・前者より後者の方が信奉する人数が圧倒的に多い、
というような場合、世間一般で通用する「定説」はどちらになるのでしょうか

1)AもBも「世間一般」に普及してなければ、「世間一般の定説」とはなりません。それぞれの研究者仲間内での定説にすぎません。

2)しかし通常はAがどんどん実証され、「世間一般」に喧伝されて浸透していきますから、Aが「世間一般の定説」となっていきます。

3)一方Bを誰かが実証し、それを「世間一般」が信じるようになったら、こんどはBがニュー・パラダイムとして、それが世間一般の定説となります。それでもAを信じる人とBを信じる人と両方いれば、AもBも「世間一般の定説」にはなりません。

つまり定説とは信じるか信じないかの問題で、「真理」とは別ものです。定説必ずしも真理ならずです。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
頂きました回答を読ませて頂いて、(本件とは直接関係ないのですが)エイズウィルスの最初の発見者は誰かという問題があったことを思い出しました。
あの時には人類に貢献するはずだった学問が功名争いのネタにされて、ひどくがっかりした記憶があります。
すべての学問がそうだとは言いませんが、学問には「信じるか信じないかの問題」という以上に、「信じさせられるか信じさせられないかの問題」という問題をはらんでいる気がして、真理の追究の最先端にいる人たちは心してかからなければならない問題であることを再認識しました。

お礼日時:2001/05/10 00:15

ごめんなさい。

個人的な経験から、ちょっと筆が滑ってしまいましたが、#5の最後の一文は、このご質問と無関係な私的見解ですので、無視してください。失礼しました★

それと、#3でのわたしの説明の「有効な反論が用意できず」ってところ、「 "現時点では" 有効な反論が用意できず」でないといけませんね。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
皆さんから頂いた回答を読ませて頂いて、気軽に使っている“定説”という言葉がかなり扱うに難しく、また言葉というものの厳しさを感じさせられました。
私は本カテゴリー「文系の学問」の門外漢ですが、この言葉の定義自体が何やら哲学的な色合いを持っているような感じさえして、あらためて学問というものの難しさを思い知らされたような気がしました。
有難うございました。

お礼日時:2001/05/10 00:06

定説の「定」は、"定める" ではなく、"(自然に)定まった" と、とらえられればいいかと思います。



>権威ある団体(公式な学会など)で「定説」が“A”であるとされ、
>・民間の研究者(アマチュア研究家など)の間では「定説」が“B”であるとされ、
>・前者より後者の方が信奉する人数が圧倒的に多い、
>というような場合、世間一般で通用する「定説」はどちらになるのでしょうか。

tntさんが書いておられたように、
「定説」は、誰かがそれを定説と「定める」ものではない
(認定システムが用意されているものではない)ので、もし、

>権威ある団体(公式な学会など)で「定説」が“A”であるとされ、
>・民間の研究者(アマチュア研究家など)の間では「定説」が“B”であるとされ、
>・前者より後者の方が信奉する人数が圧倒的に多い、

というようなケースがあった場合(あまり実際にはあり得そうにない事例だと思いますが)、
そのどちらも「定説」と呼ぶのは不適切でしょう。

いわゆる専門家であるとないとを問わず、
広く世間が #3 に書いたような評価を下していなければ、
それは「定説」と呼ぶにはあたりません。

もちろん、そうした「定説」とは逆の立場を採る方々もおられます。
しかし、そうした場合でも、その方々は、自分たちが
「"定説" とは異なる立場を取っている=異端である」ことを
自覚されているのが通常であり、
(orimotoさんのお話への反論みたいになってしまいますが、)
"定説" とは異なる自分たちの説を「定説」と呼ぶことはありません。

ていうか、これまたもちろん、そうした異端説を
「定説」と呼ぶ方々もおられないではないですよ。
tntさんの挙げておられた某宗教家の「定説」みたいなのも、それに当たるといえば当たる....かな。
ただし、それはあくまでも、内輪だけで通じる「定説」という呼称に過ぎず、
ここでnakrianさんがお尋ねになっている「定説」とは、
言葉は同じでも、異なる性質のものです。
そして、そのような人々は、一般には、異端というよりも、
異常(正常な認識に欠ける)と受け止められていることが常であるように思います(ってのは、あくまでもわたし個人の印象ですけれども)。
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おおざっぱに言えば、その学会のメンバーの多くが、認めている説です。



ということは、その学会以外の人たちにとっては、定説ではないかも知れません。

人間は、1つの画期的な説が出ると、始めは拒否反応が出ますが、段々その鋳型・檻のなかに押し込められていくと、トマス・クーンが言っています。(みすず書房『科学革命の構造』)

画期的な発明・発見は、この定説をくつがえすものです。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
定説とは、ある集団内でしか定説として扱われない場合もあるのですね。
と、ここで一つ疑問が生じたのですが、
・権威ある団体(公式な学会など)で「定説」が“A”であるとされ、
・民間の研究者(アマチュア研究家など)の間では「定説」が“B”であるとされ、
・前者より後者の方が信奉する人数が圧倒的に多い、
というような場合、世間一般で通用する「定説」はどちらになるのでしょうか。

お礼日時:2001/05/08 21:43

>それとも単にその学説を多くの人が引用したり前提として話を進めたりしている場合でしょうか。


そちらの方ですね。

先のお二方のお話に付け加えさせていただくと、
論理的に完璧とまではいかなくても、ほぼ疑念の余地がなく、有効な反論が用意できず、かつ、多くの方が「納得できる説明である」との評価を公に表明なさっているものを、「定説」と呼んでいるように思います。

そういえば、「ほぼ定説」な~んて言い方もあるけど、これってなんか、おもしろいですね(^^;(どこか不安な部分があるのでしょうね。)
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
厳密に突き詰めた定義づけで納得できました。

お礼日時:2001/05/08 21:34

 たとえば、「恐竜は隕石で絶滅した」という見解があります。

これが事実という確認はされていませんが(実際に隕石が落ちたらしい、ということは分かっていますが)、一般に広く知れ渡った説ですから「定説」です。

 しかし、「恐竜は新種の植物に含有されるアルカロイドを分解できず、便秘で絶滅した」という見解があります。
 でもこんな説、ほとんど認知されてませんよね。
 ですからこれは「定説ではない」ということになります。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
大変わかりやすいたとえで感心しました。
それと、恐竜全滅便秘原因説は初めて知りました。とても興味深かったです。

お礼日時:2001/05/08 21:30

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