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宇宙って何だ?何でできてるの?という感じの本を読むのが好きです。

今持っている本を読むうちに疑問がわきました。
(トポロジーと遺伝子の関係について書いてあった)

なんで繁栄して子孫(自分の遺伝子)を残さないといけないのでしょうか?
そうしなきゃっていう本能に従っている「だけ」、本当にそれだけなのですか?
今ある種が全部子孫を残さなくなったら、生物はいなくなることになりますが、逆に、残さないと何か問題あるのでしょうか?
一個人、個体としてなら、何世代、何十世代という長い歴史に思いを馳せることは、日常的にはそんなに多くある事ではないでしょう。
なんていうか、私たちは生きているけど、一番の主役?は遺伝子なのかな?みたいな。。。
遺伝子でみれば、種が繁栄/滅びることは、人間の感情的に喜ばしい、悲しいとかではないだろうと思います。
何世代、何十世代もあとに残っていることで、いいことがあるのでしょうか?

もやもやはあるのですが、うまく説明できず、変な質問ですみません。

A 回答 (5件)

これはいけないとか、悲しいとか、嬉しいとかとはまったく無関係な話です。

そのように設計されているからそのように働くという。単純に機械的な動作によるものです。この機能が正常に働かない生物は、発生しても次の世代が生まれませんから、一代限りで終わってしまいますので、当然私たちが目にすることはないでしょう。

もっと言ってしまえば、生物が栄養を摂取し、呼吸をし代謝をするのと同じです。これらも行わなければいけないという意思の決定とはまったく無関係に行われます。意思など持たないであろう単細胞生物でも人間でも同じです。そのように設計された物なのでそのように働くという機械的な動作です。細胞ですらないウイルスでも、自分にとって適した環境(感染するのに適した生きた細胞)に置かれると、最初に設計されたとおりに働きその結果がウイルスの増殖という状況です。

自己増殖をする機能を持ち、それを正常に動作させることができた種族だけが現存しているのであり、それに失敗した種族もいくらでもありますが、それらは当然ながら現存していないということです。極端な言い方をすれば増えるように設計された機械が正常に働いているだけということです。そしてその機能を持たないものや機能に以上が発生したものは存在し得ないという単純な理由です。

まぁ、人間の場合などは制御系等が複雑化しすぎてエラーを起こし、機械的な機能は正常であっても、その機能を発動できないとか、制御不能になり自滅したりという場合も有りますね。いずれにせよ良いとか悪いとか、嬉しいとか悲しいとか、いなくなったことで問題が起こるとか、起こらないとかとは全く無関係に進むことです。ある生物にとって不都合なことが自然界で起こり、それが原因でいくつもの生物が絶滅したり、逆に絶滅した生物の影響で繁栄できなかった生物が爆発的に増えても、そこには善悪も責任も義務も全く無関係です。きわめて機械的にメカニズムに沿って行われるだけの話です。
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この回答へのお礼

「増える機能を持つ」という表現がとてもわかりやすかったです。
ただそれだけのことなのですね。
皆様ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/07 18:22

物質に「目的」はありません。


しかし、無目的=ランダム=エントロピー増大は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、そのような個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「種を維持する事」を目的とするよう導くのです。

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。

であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。
(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)

1.人は生物として、生きることを志向します(淘汰により常にその方向に収束する)。

2.その自覚化において、意志の充足を志向します。

3.その環境の認識において、人生を通算した精神的充足量の最大化を志向します。

4.その環境認識の発達において、分業化や組織化の発達による生存強化を志向します。

5.その分業化における市場&流通の拡大において、貨幣制や社会制度の発達を志向します。

6.そこにおいて、発達する社会性に対し、認識の発達により自己の社会生命性(全体への依存)を自覚して、自律的に社会行動をとるのではなく、お金や権力といった先入的価値=馬車馬の目の前のニンジンによって、他律的に社会行動をとらせる方法を、人類の進化はとった。

7.それによって、本来助け合うために集まっているはずの社会は、お金や出世を競い合い、奪い合う、弱肉強食のジャングルとなり、本来、社会生命として生きる事そのものである労働も、お金をもらうために仕方なく働くものとなった。

8.よって、生物でありながら、楽にお金を稼ぎ、何もしない、半分死んだ状態を理想とするようになった。

9.その結果、より多くの事を為すための組織性や道具も、他人を使役し、より楽に為すためのものになる。
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>なんで繁栄して子孫(自分の遺伝子)を残さないといけないのでしょうか?


>そうしなきゃっていう本能に従っている「だけ」、本当にそれだけなのですか?

理由なんてありません。偶然に子孫を残す遺伝子が発生し、それが脈々と受け継がれ進化してきただけです。

>今ある種が全部子孫を残さなくなったら、生物はいなくなることになりますが、逆に、残さないと何か問題あるのでしょうか?

何も問題ありません。

>なんていうか、私たちは生きているけど、一番の主役?は遺伝子なのかな?みたいな。。。

主役とか脇役とかは相対的なものだと思います。
遺伝子から見れば遺伝子が主役。自分から見れば自分が主役。

>遺伝子でみれば、種が繁栄/滅びることは、人間の感情的に喜ばしい、悲しいとかではないだろうと思います。
>何世代、何十世代もあとに残っていることで、いいことがあるのでしょうか?

人間的な感情からすれば、宇宙に行けたり、太陽が寿命を迎えても他の星で生きられたりすれば、
いいことだと思います。
そういうことを考えるだけでも少しワクワクします。
遺伝子を擬人化して考えてみると、絶滅するよりは残って繁栄した方がいいでしょう。
でも地球の生命が絶滅しても、他の星でもっと優れた遺伝子が残ってればいいのかもしれません。

なんでも擬人化したり意味を求めたりするのは、人間のいい面でもあり、逆に悪い癖でもあります。
宇宙、生命、物質等はもっと無機質な物理・化学現象の結果なんじゃないでしょうか。
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追伸・♯1です。



全然関係無いのですが…。
トポロジーと遺伝子の関係の本、というのが面白そうなので、もし良ければ補足かお礼で教えて頂けると嬉しいです。
逆に質問してしまってすみません。(汗)

この回答への補足

本は、マリオ・リヴィオ「神は数学者か」です。
トポロジーとの関係について書かれているのは、本の中の一部で、私にとってはとても難しい本ですが、おもしろいです。
ぜひ読んでみてください。

補足日時:2012/02/07 18:11
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「子孫を残さないといけない」のではなく、「遺伝」という仕組みがある限り「子孫を残す様になっている」のです。



仮に、という話なのですが…。
「子供を作る」遺伝子と「子供を作らない」遺伝子があったとします。
さて、最終的に残るのはどちらの遺伝子でしょうか?
当然、「子供を作る」方の遺伝子が残りますよね。
「子供を作らない」遺伝子はその遺伝子を持つ個体が死んだらそれまでですが、「子供を作る」遺伝子の方は、最初にその遺伝子を持った個体の子供に受け継がれる訳ですから。

遺伝子は、残ろうと思って残っている訳ではありません。
親の遺伝子が、その名の通り子供に「遺伝」するという仕組みそれ自体によって、必然的に「何世代、何十世代も後にまで残る」ことになるのです。

「より残りやすい遺伝子が残っていく」のは、当然ですよね?(残らない遺伝子が残る筈はありませんから…。)
また遺伝子は、「偶然に」より残りやすく変化する事もあります。
今いる全ての生物は、その積み重ねの中に生きています。


>今ある種が全部子孫を残さなくなったら、生物はいなくなることになりますが、逆に、残さないと何か問題あるのでしょうか?

「地球に生き物がいる」という事は「そこに星がある」という事と本質的には何も変わりありません。
生物がいればいる、いなければいない、滅びるなら滅びる、という事は、宇宙にしてみたらどれも「一つの事実」でしょう。
地球にとってですら、自分の表面に生き物がいてもいなくても「問題はない」でしょう。


しかし、これが『「地球環境の保全は必要ない」という議論とは全く別の問題である』事は、きちんと認識しておくべきです。
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