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キューバ危機についての疑問なのですが、
何故ソ連はキューバにミサイル基地を建てようとしたのでしょうか?

確かにキューバに立てればいざという時にアメリカに対して攻撃し易いのはわかるのですが、
位置も近いし立てればすぐにばれるということは考えなかったのでしょうか?

それにミサイル基地を立てて火に油を注いでいるだけではないのでしょうか?

A 回答 (8件)

その本質的なところは実は謎なのですが、一説によると、どうやら当時のソ連首相であったフルシチョフはアメリカのケネディ大統領を若造と見くびったらしいのです。



キューバ危機の1年前である1961年にアメリカはキューバでピッグス湾事件というのを起こします。これはキューバのカストロ政権を打倒するためCIAの支援を受けたゲリラ軍がキューバのピッグス湾に上陸してキューバ軍と戦ったという事件なのですが、結果的にCIAの作戦は大失敗に終わりました。CIAの歴史において、このピッグス湾事件と1979年のイランアメリカ大使館人質奪回作戦失敗は二大「黒歴史」となっています。
このとき、ケネディ大統領は上陸作戦に反対でした。それをCIA長官だったダレスがいわばゴリ押しして実行されたのです。だいたい、こういうのって失敗すると相場が決まっています。作戦の失敗を聞いたケネディは激怒、ダレスを解任しようと考えたともいわれています(実のところ情報作戦のエキスパートだったダレスの首は簡単には切れなかった)。一説には、このピッグス湾事件の怨讐があのJFK暗殺事件を生んだともいわれています。

フルシチョフの元には、ソ連の情報機関であるKGBからこのピッグス湾事件におけるアメリカ政府の手際の悪さとCIAとホワイトハウスが対立していることなどが伝わってきたと思います。この混乱状態こそが「千載一遇のチャンス」と思ったのではないでしょうか。ピッグス湾事件にケネディが反対していたということは、ケネディはキューバが社会主義国家であることを黙認している(結果としてキューバ危機後アメリカ政府はキューバが社会主義国家であることを黙認せざるを得なかったのですが)と映ったのでしょう。

またフィデル・カストロにすれば実際にアメリカ支援のもとで軍事作戦が行われたことはそれは恐怖ではあったと思います。そもそもキューバとアメリカでは軍事力からすれば比べようもありません。今回は相手の不手際もあって撃退に成功しましたが、そう何度も上手くいくとは限りません。もし次回にアメリカ軍が万全を期して支援してきたらいかなカストロがゲリラ戦の名人といえどもかなうはずがありません。
ではカストロが政権を維持するため、というより生き残るためにはどうすればいいか。もしキューバ内にソ連の核ミサイル基地ができればアメリカはそうそう手が出せなくなります。
もしアメリカやその支援を受けた組織がキューバを攻撃してきても、ソ連は核ミサイル基地を守るために動くでしょうし、いよいよとなったらニューヨークやワシントンDCにミサイルを発射することもできます。
キューバ内にソ連の核ミサイル基地を建設することは、カストロが熱望したという説もあります。それが本当かどうか、まだフィデルはお元気(御年85歳!)なので、キューバを訪れてご本人にお会いできれば直接聞けることでしょう。

もちろんキューバ内に核ミサイル基地を建設するということは途方もなくアメリカを刺激することになるのでものすごい賭けではあります。実際問題、キューバ危機という全面核戦争一歩手前までいってしまいました。
でもね、当時のフルシチョフの立場ってとても難しかったのです。なにしろアメリカに対抗するための膨大な軍事費に耐えかね、1959年にソ連指導者でありながら訪米し対米融和を図りました。そんなことをしたというのは、勇ましいことをいってられない状態だったということです。なにしろ、当時のソ連はアメリカから穀物を輸入していた(!)んですぜ。
その融和路線はもちろん国内の武断派から軟弱者と突き上げられることにもなります。フルシチョフはアメリカから一本とってやらないと国内の政治基盤が揺らぎかねないという立場にもあったのです。

結果からすればソ連の作戦は失敗し(ただし、キューバのカストロ政権は黙認されることになったのでカストロは勝利しましたけどね)、危機の2年後の1964年にフルシチョフは失脚します。
一方、首の皮一枚で文字通り世界を救ったケネディ大統領はそれに先立つ1963年にあの暗殺事件で殺されてしまうことになりました。ひとりカストロ殿が今もお元気です。
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<参考>


 核兵器というのは、相手にその存在がわからなければ、基本的に無意味です。

 「冷戦」というのは、お互いに相手の国の脅威を強調し、長期にわたって「火に油を注ぎ続けた」軍事拡張競争です。

 相手に対して、完全に隠し通すならば、相手は「ない」という前提で外交なども行いますから、核を配備しても何ら外交上の利点は生じません。

 軍拡競争においては、軍事的配備を相手に認識させないと、軍備拡張をした意味がなくなります。

 ミサイル自体の命中率やスペックまで知られて、戦力を完全把握されるのは困りますが、相手に戦力を過大評価されることは、期待していると言ってもいいでしょう。
 逆に、過小評価されれば、相手国になめられますから、自ら戦力の大きさをアピールすることになります。
 現在の北朝鮮・イランなども、アメリカのスパイ衛星で極めて高精度の調査が行われることを知りながら、自ら核開発の進展を国際的にアピールしています。

 ソ連にとって、キューバへの核配備の理想形は、
1.アメリカが、キューバにソ連の核兵器があることを知っている。
2.その数は相当数あるが、具体的な数・性能はアメリカにとって不明である。
 という状態です。
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キューバが共産化したためにこのような憂うべき事態になったのだ。


このような赤化はなんとしてでも食い止めなければならない、それこそが自由を守るアメリカの義務である。

ベトナムを赤化させてはいけない、今こそアメリカは自由を守るために動かねばならないのだ

~~~~~
軍産複合体ならびにその背後にいる金融資本にとって戦争とは一大イベントなのです
このあり方は日露戦争のころから顕著になってきています

WW2でソ連を最大援助して巨利を得たのはアメリカ金融資本です

ちなみにその金融資本は、冷戦期間中も水面下でソ連へ武器輸出を行って利を得ていたとか
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アメリカがトルコにミサイル基地を


造ったからです。

それに対抗するために、ソ連がキューバに
ミサイル基地を設置しようとしました。

キューバ危機後、アメリカはトルコのミサイル基地
を撤去しています。

後になって、ソ連が引き下がったのは、アメリカが
トルコの基地を撤去することを約束したからだ
ということが判明しました。
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次はメキシコ。

原油を止めてアメリカの息の根を止めてやる!!
残念ながらメキシコは完全に言いなりになりませんでした。

メキシコは米国とキューバーの両方の支援を巧く立ち回ります。

そこには徹底した米国の諜報活動や国家支援などの裏工作がありました。
黙っていれば米国は逆に餓死していたでしょう。


米国は何から何まで世界一だと思い込んでいました。
それを覆したのがスプートニクショックです。

米国は威信をかけたアポロ計画を発表します。(1961
その矢先の出来事だったのです。キューバ危機(1962

西側は英才教育と集団農場による量産化に危機感を抱きます。
ココム規制で徹底的に排除した結果がソ連崩壊です。
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お早うございます。


簡単に説明しますね。
>ミサイル基地を立てて火に油を注いでいるだけではないのでしょうか?
 それが、やったらやり返す冷戦時代(米ソ対立)の特徴です。
冷戦当時ののアメリカは、自国本土にソ連を攻撃可能な大陸間弾道ミサイルを配備し、加えて西ヨーロッパ、トルコに中距離核ミサイルを配備していました。
ソ連は大陸間弾道ミサイルはまだ開発段階で、潜水艦・爆撃機による攻撃以外にアメリカ本土を直接攻撃する手段を持っていませんでした。
そこでソ連は、キューバ革命で親米政権を倒し、アメリカと対立関係になったキューバのカストロに近づき、兵器の提供の代わりに核ミサイルをキューバ国内に配備する『アナディル作戦』をカストロに承諾させ、ソ連製核ミサイルをキューバに配備させ始めたのです。
要は、当時核ミサイルの攻撃能力で大幅な劣勢に立たされていたソ連が、その不均衡を挽回する狙いがあったのです。
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米国がトルコに、ソ連がキューバに中距離ミサイル(核ミサイル)配備すれば相手を攻撃しやすい。



カストロはもともと弁護士でバチスタ独裁政権倒したときは不在地主の資産没収はしたが(連中は保養地フロリダに住んでいた)反米でもない。米国訪問したがアイゼンハワー(大統領)はゴルフしていて会わなかった。会談したニクソン(副大統領)は彼を共産主義者と報告する。
非礼に怒ったカストロはソ連に接近する。報告に怒ったアイゼンハワーもCIAに亡命者など訓練させ傭兵団を組織、キューバ侵攻とカストロ政権打倒目指す。新しく選ばれたケネディ(大統領)は1961年作戦にゴーサイン出すが失敗する。非力と見られたキューバ軍は東欧諸国の全力支援もあり3日で侵略した傭兵部隊を撃退する。
このあと米国はカストロ暗殺、キューバ政権打倒の作戦立案する。今度は軍部が主導です。1962年10月の予定。
これとは別にカストロ側はソ連に武器の供与要請した。武器与えれば米国刺激すると懸念したフルシチョフ(書記長)は核ミサイル供与打診(キューバには米軍基地ある) カストロが受け入れ米国攻撃出来る中距離核ミサイル配備始める。
当時のICBM(長距離核ミサイル)は米国有利、本土に配備し欧州に中距離核ミサイルあってソ連攻撃出来たが、ソ連は潜水艦か爆撃機でないと米国本土核攻撃出来なかった。1962年7-8月ソ連の貨物船がキューバに出入り、10月には領空侵犯したU2偵察機が核ミサイルを確認する。

米軍はキューバ空爆主張したがケネディはキューバ近海(公海上)での海上封鎖と臨検で入港阻止しようとした。ソ連船は突破して入港せず、臨検も屈辱的と引き返した。
ケネディ政権はテレビ演説や各国への根回しで西側の支持取り付ける。マスコミ通じて核戦争あおる。

米国は一方でソ連と交渉する。ソ連の国連大使は写真見せられてもミサイルの存在認めなかったが(当時のソ連にも賢い人はいた)
1962年10月27日ソ連は米国がキューバ攻撃しなければミサイル撤去すると提案、27日にはトルコの米ミサイル撤去要求。同じ日キューバ上空侵犯のU2偵察機がソ連製ミサイルで撃墜される。
第3次世界大戦予感される事態になる。

19月28日フルシチョフはモスクワ放送でミサイル撤去発表する(ロシア語)。この日ケネディは教会で礼拝後演説することになっていて(へぼなソ連外務省情報機関は)それが核攻撃の合図と誤解した(実際は海上封鎖のことだったといわれている(まぁ国家機密だから真偽不明))
フルシチョフはケネディの恫喝にびびりミサイル撤去を約束、ケネディも核戦争(ワシントン攻撃)にびびりトルコミサイル撤去する。
この頭越し交渉に総力で国防と対米攻撃準備政策とっていたカストロは激怒し自力で革命守る決意固める。周辺国の努力もあって米国ソ連はこの後デタント(平和共存策)、これは結局はソ連圏崩壊につながった。

2年後失脚したフルシチョフは回想録で新たな海上封鎖あれば米国本土核攻撃せよと迫られたとばらす。キューバのソ連不信は1968年のチェコ事件(西側がひそかに武器搬入しクーデター起こそうとしていた)まで続く。
冷戦後のレポートではこのとき米国もソ連も相手を全滅させるだけの核兵器持っていなかった。米軍計画のようにキューバミサイル基地を核爆撃すれば生き残ったミサイルで米国本土に反撃出来た。ソ連で1億人、米国で1億人、その他で数百万人が死んだと見られる。戦争自体はソ連の敗北の可能性大です(結局時間かけて負けたが)

フルシチョフの後継ブレジネフ政権はこのときの譲歩は誤りとみなした。冷戦後の発表では(たぶんフルシチョフは知らなかったが)短距離核ミサイルはほかにも配備済みでワシントン攻撃可能でグァンタナモ(キューバの米軍基地)核攻撃する準備も出来ていた。船団は臨検受けたら(公海上で米海軍艦船もろとも)核自爆するよう命令されていた。
ソ連軍も米軍も相手過小評価していた気配ある。戦争起きていれば大惨事です。
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別にバレても構わない。



正確には、建設中は秘匿するつもりであり、稼働状態になればバレて困ることは無かったが建設中にバレたのは想定外だった。

米国は、ドイツ・イタリアそしてトルコとソビエトから比較的近い距離に核ミサイルを配備して居たのに、ソビエトにはそう言った施設がそれまでなかった。

距離が近いと言うことは、発射から着弾までの時間的な猶予が無く迎撃は困難である。
いつでも使用できる体制が出来上がり既成事実となれば、米ソの核戦力バランスは一挙にソビエト側の有利に傾く。
そう言った有利な立場を確保した上で米ソでの交渉を行う事で、自身の立場を国外的にも国内的にも高めたかったフルシュチョフの冒険主義的な挑戦だった。

火に油を注ぐって・・・・実際に戦火は交えてなかったが、両国はある意味ずっと戦い続けて居たのだから、『あ~、コレやると怒るかなぁ』なんて事は考えるはずもない。
如何にして相手の裏を掻いて、有利な立場を作り上げるか?それが第一に考慮された時代。
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