いつでも医師に相談、gooドクター

 失礼致します。

日本は世界最古の国だと聞いたことがあります。
それは、王朝が2000年以上続いたことが理由でしょうか?

中国は4000年の歴史と主張していますが、
様々な王朝が立ってきました。
だから、シナ文明が4000年なのであって
現在の中華人民共和国が4000年の歴史ではないと聞きました。
中国は王朝がよく変わりましたが、それは異民族により、
建てられた王朝だったのでしょうか?

日本では幕府が鎌倉、室町、徳川と立ちました。
幕府は変わっていても、歴史は続いたといえるのでしょうか?
同じ日本人だから、歴史は続いていたということでしょうか?



乱文すみません、私自身、日本を愛したい思いで質問させて頂きます。
仕事で海外部にいるので、これらのことを整理して、日本を紹介出来る時には
説明したいです。
私自身このことを理解できていないので、読みにくい文章になってしまったこと、
大変申し訳ありません。

ご存知の方、ご教授下さいませ。

gooドクター

A 回答 (11件中1~10件)

>日本は世界最古の国だと聞いたことがあります。



その命題に関しては肯定も否定もする立場にはありません。最古とは?国とは?定義と解釈によってどうにでも結論は変わりますし、仮に最古だからといって誇らしい理由にもならない。

>それは、王朝が2000年以上続いたことが理由でしょうか?

まあ、そう解釈しても間違いではない。そもそも日本という国と日本人という概念は、天皇の存在を抜きにしては定義できません。日本の歴史において、天皇の信任を得ないで日本を統治した政権は一つも存在しないのです。鎌倉幕府、室町幕府、徳川幕府は天皇に任じられた征夷大将軍という肩書きがあったからこそ、統治権の正当性を主張できたのです。「平氏にあらずんば人にあらず」とまで謳った平氏政権が倒れたのは、天皇の信任を失ったからです。平氏を討てという呼びかけに応えて、鎌倉幕府を立てたのが源氏でした。南北朝時代の本質は、そこにあります。鎌倉幕府が統治を続ける為には、鎌倉幕府を討てと主張する後醍醐天皇に変わる鎌倉幕府を信任する別な天皇がどうしても必要だった。そこで鎌倉幕府は後醍醐天皇が譲位したことにして、北朝の光厳天皇を即位させました。ところが、それはあまりに強引すぎるやり方だったので、後醍醐天皇は自分は退位していないとして光厳天皇の即位を否定しました。天皇の信任を得ないと日本を納めることなどできない。だからこそ鎌倉幕府は、そんなインチキみたいなやり方を発明してまで、鎌倉幕府を信任する天皇の擁立にこだわったわけです。もし、天皇に関係なく日本を統治できるのなら、そんなことはしないで済んだはずです。足利尊氏は、鎌倉幕府を討てという後醍醐天皇の命令に従って鎌倉幕府を倒します。しかし足利尊氏は、その後醍醐天皇から離反し、北朝の光明天皇を擁立し、光明天皇の任命によって征夷大将軍に就任し室町幕府を開くのです。室町時代は、戦国時代、安土桃山時代を経て江戸時代に変わる。1603年徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命される。このように日本を統治するには常に天皇の信任が必要だった。日本を店に例えれば、時代によって番頭が変わっただけで、この原則は一環しています。それはGHQ統治時代とて例外ではない。それまで日本のことなど何も知らないマッカーサーは、日本に上陸した途端に日本がそういう国であることを理解しました。外国人のマッカーサーが理解できることが、日本で生まれ育った日本人にどうして理解できないのだろうか。現代の民主党政権だって同じです。歴代の総理大臣がどれほどそれを意識しているか分かりませんが、天皇に任命されたという事実があるからこそ、馬鹿だの阿呆だのと罵倒されても倭国大乱にならずに済むのです。イラク戦争後のイラクを見てください。もう5年ぐらいになるのだろうか。いまだに爆弾テロが収まらない。それは政府の正当性が認められていないからでしょう。しかし戦後の日本でGHQ統治時代に爆弾テロを起こした日本人など一人もいません。天皇が武器を置けと命じれば、日本人は必ずそうするのです。個人的な思想として天皇の権威を認めないという考えの人がいても構いません。しかし、そうであっても誰にも日本の歴史を否定することなどできません。

古代の日本列島には、蝦夷、土蜘蛛、熊襲といった天皇の権威を認めない集団が存在しました。そういった話が、奈良時代に編纂された各地方の風土記などに古への翁たちの伝へ語り継いできた古き物語として記されています。集団なのか異民族なのか正体はよく分かりませんが、いつしかそう呼ばれる異集団はいなくなって、みな日本人となりました。それは皆がひとしく天皇の権威を認めたからです。

>現在の中華人民共和国が4000年の歴史ではないと聞きました。
>中国は王朝がよく変わりましたが、それは異民族により、
>建てられた王朝だったのでしょうか?

世界一単純な歴史を持つ日本人に、世界一複雑な中国の歴史を理解することは不可能です。中国には天命思想があります。中国の統治権は天の任命によるという思想です。王朝として政権を続けるのも、別な政権に政権を移譲するのも、別な政権に討たれるのも、全部天命として理論的に正当化されてしまいます。だから異民族による統治を受けるという選択肢も否定されないのです。王は皇帝によって任命される。では皇帝は誰が任命権者なのか。それが天なのです。といわれても天とは何ぞや。天の意思はどうやって表現されるのか。これが難しい。中国は必ずしも統一王朝だったわけでなく五胡十六国、五代十国など短命王朝が分立していた時代もありますが、それも天命に基づくと言われれば、外国人である日本人に異を挟む余地などありません。なんせ中国大陸は、地続きで周辺異民族との明快な国境など存在しないのです。只の草原が続くばかりで自然の境界など皆無に等しいのだから、いくらでも侵入できてしまう。だから歴代王朝の最大の任務は万里の長城の保守と維持であった訳です。日本に例えれば、樺太からウィルタ、ニブフ、アイヌが頻繁に南下して日本に侵入し、襲撃、略奪、統治などをするようなものです。中国では毎年のように元寇が起きているようなものです。幸い、日本は海に囲まれているし、樺太には犬はいても馬は居なかったので、史実ではそういったことは全く無かったわけです。そもそも中国とは何ぞや。中国という概念を提唱したのは孫文が最初です。孫文が中国同盟会を結成する数年前の義和団事件では義和団は、扶清滅洋というスローガンを唱えて、排外テロを正当化していました。清を助けて、西洋を滅ぼすという意味なのでしょう。このスローガンに漢民族の国家観が表現されていると思う。先に太平天国の乱の際には太平天国は滅満興漢と唱えました。人民にとっては王朝が漢民族だろうが満州族だろうがモンゴル族だろうが善政を施してくれるなら誰でも良いというのが基本的な思想だということなのです。だから、太平天国はあえて滅満興漢と唱えて漢民族の民族意識を呼び起こして内乱を正当化しようとしたわけです。また清に対する方向性は逆ですが、義和団は扶清滅洋と唱えて、排外テロを正当化しようとしました。どちらにしても中国人民の王朝観は同じなのです。統治する側と統治される側という区別があるだけで中国人には国家意識など存在しなかったということです。だから清が英仏に連戦連敗でも、なんだふがいないなあという感慨はあっても自分たちの国が負けたという観念も生まれない。孫文が提唱した中国という概念は、もう漢民族や満州族といった意識に囚われる時代ではない。西洋と伍していくためには皆同じ中国人という意識を持って助け合っていこうという呼びかけなのです。現在の中華人民共和国は基本的にこの孫文の思想を継承しています。共産党の指導を国家運営の根本としていますが、民族意識としては孫文が提唱した中国人という概念を認めているのです。そういう国家観は中国の歴史を肯定する為の概念でもあるのです。つまり元や清は異民族王朝ですが、中国人という概念を発明したことによって、それも中国の王朝であって、異民族に支配された屈辱の歴史でもなんでもないのだという論理が成立する訳です。

ここで方向を変えて西洋を見てみましょう。西洋では皇帝や王の任命権はローマ教皇にあり、皇帝には王の任命権がありました。つまり王権は、皇帝かローマ教皇かどちらかに任命されることによって正当性が主張できたのです。元は古代ローマ帝国に遡る。古代ローマ帝国がキリスト教を公認したのは、ローマ教皇の信任によって皇帝の統治権を正当化する必要性に迫られたからでもあるのです。イングランド国王は現代に至るまで、ウェストミンスター寺院で戴冠するのが慣例です。インドランドはヘンリー8世が宗教改革によってイングランド国教会を成立させるまではローマ教皇の信任を得て、王位に就任していた。イングランド国教会の長はイングランド国王ですからイングランド国教会の成立というのはローマ教皇から完全に縁を切るということです。ローマ教皇の干渉を排除するという政治的動機がイングランドの宗教改革の動機であり、カトリックから見れば政教分離でありイングランド国教会から見れば政教一致の体制です。

ここで西洋を引き合いに出したのは、西洋のローマ教皇の役目を果たしているのが中国では天であり、日本では天皇なのだといいたいからです。といって天皇は宗教界の長というわけではありません。ローマ教皇が果たしてきた役割の一部を歴代の天皇が受け持ってきたと訴えているだけです。当然ながらローマ教皇と天皇を同一視しているわけではない。ローマ教皇が西洋の複数の諸国家に横断的な普遍的権威を持っているのに対して、天皇は日本だけですから。例えば、大航海時代にスペインとポルトガルはトルデシリャス条約を結んでお互いの勢力圏が衝突しないように事前に協定を結んで新世界を分割しましたが、それを仲介したのがローマ教皇です。お互い不満もありましょうが、私の顔に免じて、これで納得してくれといった話です。こういったことが権威の価値なのです。お互い鉾を収めなければ戦争になって共倒れになる。だからお互い妥協できるラインを見つける。

日本国内において、こうした役割を果たしてきたのが天皇という存在なのです。それが日本という国です。念のために付け加えれば、天皇はいつの時代も絶対的権威を誇っていた訳ではないし、権威を振りかざそうとしていた訳ではないということです。例えば、正親町天皇は秀吉の朝鮮出兵計画を諌めようとしましたが、秀吉は耳を貸さずに、史実通りのことになって豊臣政権の寿命を縮めてしまった。
で文字数政権で御終い。
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この回答へのお礼

 詳しくありがとうございました。
心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!

お礼日時:2012/02/25 21:33

>仕事で海外部にいるので、これらのことを整理して、日本を紹介出来る時には説明したいです。



何だか嘘くさい話ですねw
日本を紹介するのに必要な文献は、旧約聖書と竹内文書があれば説明できます。
キリスト教徒に申し訳御座いませんが、新約聖書は日本史が元に創作されています。

>日本は世界最古の国
筑波山神社周辺の住民にユダヤ民族の血筋が濃く残っています。
ニニギとアシツ姫の子孫は、恐らく数年前にお亡くなりになったようです。
(事実確認を春先に行う予定です。89歳と83歳の女性)
元々ユダヤ民族は、地球規模の大洪水が怖くて聖地エルサレム(アララトス山)から下りられなくなった小心者の一族です。
旧江戸城に根城っている自称天皇家は、史実を曲げ与太話で現在のポジションに居座っています。

竹内文書を見て貰えれば判るように、ニニギの前に多くの王様が連なっています。
ただ今現在云える事は、古事記や日本書紀は竹内文書を元に与太話を書いたまがい物と言える。
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横レスですが



>朝廷は連綿と続いてきた日本古来よりの王朝ではありますが、
>実質的権力は鎌倉幕府辺りから? 幕府にとって変わり、
>幕府が大きな統治機関でありました。
天皇家は各政権に統治の正当性を認め、
>幕府はそれを利用し、自分の支配を正当化しました。
>天皇家は利用されていたのに、その王家を2000年以上続いてきた
>と誇るのはしっくりこないのですが、どう解釈すればよろしいでしょうか?



天皇家は利用されてきましたし、また天皇家もそれを利用してきたから存続したということでしょう。


誇るのはしっくりこないといわれますが、権力を持たず権威のみを抽出した天皇が存続できたという稀有な結果、そしてそれが世界最長であるということだけで、誇るべき事だと思いますよ。

だって、世界中見渡して日本以外存在しないじゃないですか?

実際、日本という国の歴史を語る上で、権威の象徴たる天皇の果たした役割はとても大きいわけですしね。
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この回答へのお礼

確かに日本のみですもんね
ありがとうございました^^

お礼日時:2012/02/25 21:23

 「国」という存在をどう見るかによっても答え方や様々なスタンスがあります。

日本で最初の体系的政治組織が登場するのは奈良時代の「律令」と「太政官制」が導入された8世紀です。
 このうち実際に政治を司っていたのは天皇ではなく太政官と称される行政府です。そのトップ(=最高権力者)にあったのが左大臣(太政大臣は常設ではなく“人品骨柄”など相応しい人物がいた場合だけのポジションです)です。こうした古代的システムに対峙するのが中世の「幕府」です。
 一方では「古代からの朝廷」が存続すると共に「新たな実効支配能力を有する幕府」が対立しつつも相互にもたれ合う関係で国土空間としての日本を統治していた形です。
 ここでの「もたれ合う」との意味ですが、「将軍」は律令の下では臨時の軍事職にあたる者で元々は征夷大将軍と呼ばれています。それが武家の棟梁となった者が「武家を束ね代表する」との意味で幕府のトップとして就任するようになったのが源氏による鎌倉幕府です。しかしながら元々は臨時の官職であるため彼らには「役人としてのステータスである職階」つまり官位などなかったことが「天皇」を残した一つの事由であるともされています。叙任に関する権限は「法に裏付けられた正当な統治組織である朝廷(公家)にあり、武家の側も「官職としての地位及び序列」に組み込まれる形で「支配の正当性を裏付ける形」が担保されます。更に朝廷と雖もその後ろ盾を必要としたことで天皇を引っ張り出してくる必要性があり、実際には武家にとっても公家にとっても「さほど現実的な政治権力など持つ必要のない存在」が中世から近世にかけての天皇の意味でした。
 「王朝」との歴史用語が日本史で扱われるケースとして平安時代の「王朝国家論」などの事例がありますが、西洋史で使用される「王朝」とは少しばかり異なります。
 西洋史で使用される「ダイナスティ(Dynasty)」は文字どおり「同じ王家に属する歴代君主の系列、あるいはその系列が支配する時代」のことですが、日本の歴史上でこの「王家」の中身をどう位置付けるかが現在でも議論の続いているところです。
 「天皇家の歴史」も一つの日本史像ですが、必ずしもそれが「全ての日本の歴史像」であるとは規定できません。例えるならば、「鎌倉幕府の成立年代」がありますが、これにも幾つかの見解があり「どれが“正しい”のか」との質問は成り立ち得ません。「幕府」というものの本質を何処に求めるかによって異なる見解が成り立つこと自体が歴史学としての健全性を保証しているともいえます。政治体制が変化する過程からの理解もあれば、原始共産制から奴隷制や農奴制そして封建制から近代の資本主義経済システムへと遷る過程に注目する経済史、中国や朝鮮半島など東アジアからの文化を色濃く残している古墳文化や仏教文化もあれば15世紀に出会った全く未知の南蛮文化もあり、日本の文化が多様な地域からの影響を受けて成り立っていることもあるように「歴史の括り」は必ずしも一つではないといえましょう。
 但し「万世一系」そして「純粋直系の日本人」という天皇家の流れに関する信仰にも近い憧憬だけは学術的根拠が希薄であるだけに、範疇としては「心情」に属する事から歴史とは少し趣が異なる存在です。
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。
感謝致します。

お礼日時:2012/02/25 21:23

中国4000年の歴史がナンセンスなら、日本の皇紀2000年以上ってのもナンセンスです。


正直、どんぐりの背比べ。
そもそも、歴史というのは、ある土地・地域を支配するために正当化する手段の一つであり、ほぼフィクションの世界です。
「歴史とはなにか?」という問から始めてみましょう。

と前置きをしつつ、各問に私なりの答えを。

>日本は世界最古の国だと聞いたことがあります。
>それは、王朝が2000年以上続いたことが理由でしょうか?

建前上は、日本の天皇家は神武天皇即位を起源とし、今年で皇紀2672年となります。
が、この「神武天皇」というのは、架空の存在であることで歴史学会はほぼ一致しています。
一部の最右翼系の人々が「真実である」と主張していますが、科学的に証明できる客観的証拠は存在しません。(まぁ、歴史学に「客観的」なことがあるならばですが)
そもそも、この「皇紀」なる年号ですが、江戸時代の国学者(歴史学者)が西洋列強の「歴史ある伝統豊かな国家」に対抗するために、急いで論理武装するために作られたものとされています。
その国学者が参考にしたのが、『古事記』や『日本書紀』です。
で、この『古事記』や『日本書紀』は、天皇家の支配権を強化するために8世紀頃に編纂された物であり、読むときには注意が必要です。
つまり、天皇家にとって都合の悪いことは書かれていなかったり改ざんされていたり、捏造されたりしているわけです。
その上、編纂当時の一次史料となるべきものは存在せず、全て後代につくられた写本しか残っていません。
そのため、「偽書説(8世紀に作られたのは嘘)」という説も強く主張されています。
そういえば、最近はかの聖徳太子も存在しなかったという主張もなされ大きな論争となっていますね。

と、以上のように、「歴史」というのは為政者がその土地を支配するための「口実」でしかありません。
まぁ、他人を説得するだけの論理武装をする必要があるので「真実の一部」はある一定以上含まれている必要がありますけどね。(それでも、誇張や誤謬、捏造など絶えませんが)

>日本では幕府が鎌倉、室町、徳川と立ちました。
>幕府は変わっていても、歴史は続いたといえるのでしょうか?
>同じ日本人だから、歴史は続いていたということでしょうか?

「同じ日本人だから」というのは、現在の我々からみた謬見でしかありませんね。
そもそも「日本人とは何か?」というところから問わねばなりません。
古代の日本は中国から「倭国」と呼ばれており、日本人(とはいっても一地方だけ)も倭国として返礼しています。
当時の中国は中原から外れた周囲を夷狄として一等低いものとしてみていました。
日本側はそのことをあまり気にしていないようでした。
むしろ、大陸から渡ってきた渡来人は、土木技術や大工などの技術者として厚遇していました。(特に朝鮮は百済系の人が多かったみたいです)
それどころか、『日本書紀』には天皇自身が自分の血には朝鮮の血が流れているとして渡来人に一定の名誉を与える記述なんかもみられます。

ところが、ある時期から日本は朝鮮を飛び越え中国に対して対等な立場で応じようとするようになります。
この理由に、中国が南下し「倭国」と親しくしてた百済が滅ぼされたことに危機感を覚えたというのがあるようです。

一方、日本列島内に目を向けると、古代史は近畿が中心となりますね。
つまり、近畿の外の世界は日本(天皇国家?)にとっても夷狄の地だった。
特に東北や九州などは僻地でした。
そんな僻地に政治争いに負けた源頼朝の父・信頼が追放れてきました。
その後、東国の有力者を味方につけた頼朝が主導権を取り返し、鎌倉幕府を築きます。
最近の説として、東国豪族たちは頼朝を王に立てて東国に独立国家を築こうとする動きがあったようです。
ところが、頼朝は中央政界への返り咲きと東国豪族からの突き上げの間で板挟みとなり、苦肉の策として、征夷大将軍として天皇に成り代わって政治の主導権を得る「幕府」という制度を打ち立てたという説です。
面白いのは、その後の戦国時代に有力武将がこぞって家系図改ざんして平氏・源氏・藤原氏などの末裔を主張するようになっていくということですね。
まぁ、いずれにせよ日本の支配権の正当性がいかに天皇に近い立場にいるかで決まってくるようになっていくわけです。

で、こうした論理はなにも日本だけでなく、ヨーロッパも似たような傾向は見られます。
特にカトリック圏では西ローマ皇帝の後継者であることが支配権の正当性を担保するようになっていくことです。
まぁ、その皇帝に戴冠する教皇というスパイスも効いてますけどね。
(思えば、皇帝と教皇の関係と、征夷大将軍と天皇の関係ってどことなくにていますよね)


思わぬ長文となってしまいましので、ここらで筆を置きます。
最後に、「歴史とはイデオロギー」であることを強調しておきたいと思います。
結局は、歴史の長短ではなく、今をどうするか、未来をどうしたいのかが重要だと思いますよ。
ではでは、参考になれば幸いです。

参考URL:http://okwave.jp/qa/q3672975.html
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この回答へのお礼

 考えに厚みを増して頂きまして、ありがとうございます。
大変勉強になりました。
ご意見頂けて、感謝申し上げます。

お礼日時:2012/02/25 21:20

どの国を見ても神話の時代から、今にまで繋がっている家系はなく、


日本の天皇家が唯一無二です。
シャーマニズムの首長を頂いて、現代まで続いている国は他にはありません。
そういう意味では最古の国です。

単一民族の歴史を断続せず続けていて、
天皇が海外では非常に尊敬されている立場であるのはそのためです。
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この回答へのお礼

 なるほど!
ありがとうございます^^

お礼日時:2012/02/25 21:16

>日本は世界最古の国だと聞いたことがあります。


それは、王朝が2000年以上続いたことが理由でしょうか?

単なる虚偽にすぎまないだろう
仮に王朝で思慮するにしても、壬申の乱・南北朝を筆頭に断絶・王朝の切り替えが起こっているのだから、統一王朝である謂れはない
そもそも神武天皇即位からして、歴史学的には「史実ではない」と通説となっているのが現実である
王朝の勃興が国の勃興とシンクロするものではないことは、共和国政体で考えれば分かる
海外で「日本の歴史は2000年など」と吹聴しても嘲笑されるだけのであることは言うまでもない
赤恥をかきたい日本人は別にして、思慮して回答することを進めておく



>現在の中華人民共和国が4000年の歴史ではないと聞きました。
中国は王朝がよく変わりましたが、それは異民族により、
建てられた王朝だったのでしょうか?

漢民族という概念が抽象的で曖昧であること問題があるが、中国の歴代王朝には、非漢民族系統・異民族王朝は少なくない


>日本では幕府が鎌倉、室町、徳川と立ちました。
幕府は変わっていても、歴史は続いたといえるのでしょうか?

幕府が執政権(外交・国防)の領分まで政治権力が及ばなかったことから、王朝の政治権力の残滓を認めることは可能でしょう
歴史の継続性は主体の視座・視点に寄りますので、幕府を中心とした歴史観であれば、断絶・中断を認めることは可能でしょう


>同じ日本人だから、歴史は続いていたということでしょうか?

民族史で思慮すれば、継続性を認めることが可能でしょう


海外にいる人にとっては、国の歴史とは、民族通史の意味ではなく、総じて、国家通史である

簡単にいえば、「国民国家」の歴史が”国の歴史”であることが多い。(例外も多いが)
英語で言う国の意味は、複数あるので注意するのがいいだろう




同じ日本人だから、歴史は続いていたということでしょうか?
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この回答へのお礼

見方にもよりますね
ありがとうございました!

日本が神武天皇で笑われるのなら、
中国(共産党)4000年の歴史や韓国5000年の歴史と主張している人には
笑ってしまいますね。

お礼日時:2012/02/25 21:15

>日本は世界最古の国だと聞いたことがあります。


>それは、王朝が2000年以上続いたことが理由でしょうか?

王朝が2000年以上続いた証拠はありません。3世紀の卑弥呼
や5世紀の倭の五王ですら万世一系の中か否か判りません。
ですが7~8世紀には「日本」という国名を定めて、今の国土の
大部分(薩摩~陸奥)を律令国家として統治して、以後国名、
主要民族共変わっていませんから世界最古の国と言えるで
しょう。王朝の連続性有無は本質的には無関係です。

>中国は王朝がよく変わりましたが、それは異民族により、
>建てられた王朝だったのでしょうか?

現在の中華人民共和国の領域外で生まれた王朝により征服
されたのは13世紀の「元」だけと思います。漢民族以外の王朝
は元以外に周、秦、金、清等がありますが。

>日本では幕府が鎌倉、室町、徳川と立ちました。
>幕府は変わっていても、歴史は続いたといえるのでしょうか?
>同じ日本人だから、歴史は続いていたということでしょうか?

ここでは「歴史は続いたと言えるか」の意を「日本国としての本質
は続いたと言えるか」と解します。本質を、国名、民族、有効な
統治システム、統治領域、とすれば続いていると言えます。
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この回答へのお礼

難しいですね!
もっと、考えねばならないです!
ありがとうございました^^

お礼日時:2012/02/23 23:10

>日本は世界最古の国だと聞いたことがあります。


>それは、王朝が2000年以上続いたことが理由でしょうか?

回答:現在、存在している国の中では日本が最古の国です。
(某隣国がウリの歴史は5000年ニダとか言っていますが、証拠はありません。)

しかし、【最古】の意味が、世界で一番最初に生まれた国ということなら違うでしょう。


>現在の中華人民共和国が4000年の歴史ではないと聞きました。

その解釈で問題ないと思います。
中華人民共和国は清の滅亡後に建国した国で、歴史自体は70年にもなっていません。
よく誤解されていますが中国の歴史とは、土地の歴史であって民族や国家のそれではありません。
中原と呼ばれていたあの地域には、昔から多くの民族が住んでおり、漢以降の各王朝の支配民族はそれぞれ違います。漢民族はその中の一民族に過ぎず、その王朝もせいぜい漢王朝まで、領土的も今の中国とは比較にならない程小さいものでした。
そして中原では、王朝交代ごとに人口が激変するほどの虐殺が民族間で起こっており、王朝間に民族的な連続性はありません。文化もそれらによりリセットが繰り返された為に、継承はされていません。


>幕府は変わっていても、歴史は続いたといえるのでしょうか?

↑より、質問者様は【幕府】の意味を理解していないと判断させていただきます。
幕府とは、制度上は朝廷の機関であり、朝廷=国のトップは天皇です。
日本では、天皇の【権威】を借りて【権力】を得たものはいても、天皇の血統を滅ぼしてそれに変わろうとした者はいません。
理由は、国民すべてが天皇の権威を認めており、仮に簒奪者が出たとしても、誰からも認められず地位を維持できないからです。
江戸→明治も幕府が政治の役目を天皇(明治政府)に返したということに過ぎず、これは革命でもクーデターでもなく、政権=国家は継続しています。
大東亜戦争後の連合国による占領統治も、日本が国家として消滅したのではありません。
「日本は世界最古の国って?」の回答画像3
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この回答へのお礼

 詳細な回答、心から感謝申し上げます。
幕府の位置についてはよく分かりました。
ありがとうございます!

朝廷は連綿と続いてきた日本古来よりの王朝ではありますが、
実質的権力は鎌倉幕府辺りから? 幕府にとって変わり、
幕府が大きな統治機関でありました。
天皇家は各政権に統治の正当性を認め、
幕府はそれを利用し、自分の支配を正当化しました。
天皇家は利用されていたのに、その王家を2000年以上続いてきた
と誇るのはしっくりこないのですが、どう解釈すればよろしいでしょうか?

申し訳ありません、
教えて下さい><

お礼日時:2012/02/23 22:29

確かに日本には進駐軍による占領の歴史があります。



しかし、

王朝が継続している。

他民族による国家が建設されていない。
他民族の侵略を受けていない。

など、ほかの国と比較すればはるかに歴史が継続しているのは確かです。



中国の歴史が史記の殷からだとすると約4千年の歴史があると見なされます。

史記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98

有史の定義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2% …

しかし残念な事に中国は他民族の国家が成立した事があります。(元)



朝鮮の歴史も古い事で有名ですが、
高句麗は北方民族であり、満州の歴史に組み込まれます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5% …

朝鮮は日本統治期を含め、苦難の連続でありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE% …



一方、欧州では

古代ローマはブリテン島まで進出します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3% …

大英帝国はブリテンの覇者だ。

アーサー王はローマ兵を撃退し、ローマまで軍を進めたのだ。
と言う神話が登場します。

当時のブリテンにはケルト人(中央アジア人)が住んでいました。
アングロサクソン人は後の移住であり、ケルト人差別が残っています。

あまり歴史は古く無いのです
しかも、ブリテン島の記録は紀元前6世紀、カルタゴ人によるアルビオンが残っているだけです。


地中海の覇者カルタゴはローマに制圧されます。

優秀な人種であるエジプト人は殆どいなくなります。
現在のエジプトやリビアにはオスマン帝国が制圧した時、多数のアラブ人が移住したからです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9% …

ゲルマン帝国ははトイトブルク森の戦い以前から侵略を受けず。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4% …

と、言いたいのですが、フランク王国が欧州を統一します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9% …

これらを見れば、
ロシアはロシア革命がありますが確実に古いはずです。
しかし、記録が無いのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7% …


このように、他国は思った以上に歴史が浅かったり、国自体が消滅しているのです。
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この回答へのお礼

 他国の歴史も学び、そこから日本の歴史の尊さを学ぶことも
必要ですね^^
ありがとうございました!
大変、わかりやすかったです。

お礼日時:2012/02/23 22:32

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