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『努力するのに才能がいらないと思うのは、努力する才能を持っているからじゃないですか?
才能ってのは、いわば能力なんで、それを持っている人は持っていない人のことなんて分からないものですよ。』

どう思います???

A 回答 (14件中1~10件)

質問者さんが女性だと適当な例えではありませんが・・・・



あるロ野球選手の打率が250だったとする。
決して良い成績ではありませんが、首になる成績でもありません。
来年も今のままで良いやって努力しないプロ野球選手がほとんどだと思います。

対してイチローさん。

去年は272の成績でしたが、マスコミでは叩かれてますよね。
本人も満足してないと思いますが、メジャーではそんなに悪くは無い成績なんですね。
彼は徹底的に自分を律して、打率350目指してトレーニングしてると思うんですね。

自身も言ってますが、「私は天才ではない」「努力する事には天才だ」

ちなみに、清原の現役晩年、イチローと合同練習しましたが、清原は余りの辛さにリタイヤしたそうですね。
素質的には清原は歴代日本有数の選手でイチローより上ですが、努力を怠り怪我に泣かされ無残な晩年になりましたね。
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努力できない人は工夫が足りないのだと思います。


元々自分はできると思っているから無理が生じる。
これは、自意識過剰ってやつですね。

自分は出来ないダメ人間で怠け者だと思う人が努力ができるのだと思います。
そんな怠け者の自分がどうやったら努力ができるかを考える。
努力できなきゃどうやったら努力できるかを工夫する。
工夫しない人は努力が出来ない…そういうことだと思います。

工夫なしで努力できる人もいますが、非常に稀です。
彼らは努力する才能があるのでしょうが、普通の人はそうではありませんから…。
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はじめまして



「努力ってのは、才能なのか?」
前者は、単なる言葉の分類でしかありません。
仮に才能であっても、免除はされませんし、
ここに才能が無ければ、他の方法を求められるだけです。
才能でなくとも、免除もされませんし、努力を要求されます。
この場合は、単なる分類であって、実質的にはなんの意味も持ちません。

個人的には、
「持っている人は持っていない人のことなんて分からない?」
のほうが、大切かと思いますが?
もし、これが成り立つなら、
持ってない人も持ってる人のことは分からないでしょう。
つまり、分からないもの同士になってしまいます。
この状態が一番問題ではないでしょうか?
恐らく、お互いが分かろうと「努力」することができれば、分類なんてどうでもよい事だと思います。



って書くと、その「努力」がデキナイんだって・・・って、思うでしょ?
その「努力」できないなら、他の方法を探してください。
それを探すのも「努力」のウチでしょ?って思いますか?
なら、諦めてください。そして、その環境から離れてください。
その環境に近づくことで、何らかの「努力」あるいは「努力様のこと」を要求されます。
離れられないなら、従ってください。
従うことがデキナイなら、「努力」は才能では無いと考え直してください。
ただ、これだけのことだと思います。
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努力するのには 才能というか 忍耐強さが必要です。

 で その忍耐強さはある程度 親からの遺伝によるところがあると考えられます(もちろん後天的なものもありますが)。
忍耐強い人は、忍耐がない人のことは 確かに 分かりません、単に甘えているだけと見えますね。

チョット別の軸で見ると 努力している事を 恥ずかしいと思う人と、尊いと思う人がいます。

よさそうなのは 努力を尊いと思い、かつ苦に思わない人。人生のどんなピンチでも切りぬけられそうですよね。

最悪なのは、努力を恥ずかしいと思い、かつ飽きっぽい人ですね。先行きが思いやられます・・・
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仰るとおりです。



努力出来ることも一つの才能です。

才能があるなら努力するでは、

ただの怠け者です。
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考え方の素質、という事もあると思いますが


(努力自体を楽しむ⇔努力自体が辛い)
最終的には目的と努力、どちらが重要かでは?

●目的>努力
 どうしても○○になりたい! そのためなら何でもする!!

●目的<努力
 ○○にはなりたいけど、努力にも限界がある…

できない言い訳を探す人は、目的に達しないそうです。
『努力は才能』 というのも、その言い訳のひとつでは?
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私は、努力する才能の有るなし、あると思います。


努力するしないではなく、努力の仕方。

人と自分を見比べない。
頑張り過ぎず、無駄な力を入れすぎない。
目標を低く、達成しやすいところに持つ。
その積み重ねを楽しむことが出来る。
そんな風に、努力の積み重ね方が上手い。

こんなことって、初めから誰でもできることではないと思う。
これが努力する才能なんじゃないかな?
例えば、イチローのインタビューでも、私はいつも、彼のこんな才能を感じます。
彼は、努力家である前に、努力の仕方が上手い。

才能を持っている人は、持っていない人のことは分かりにくいかもしれない。
だから、努力は誰でもできるように、簡単に言う人多いです。
でも、持っていない人は、持っている人のことを分かってないなあ、と思うこともよくあります。
このサイトでもね。

分かれば、少しは真似したいことですよね?
自分なりのペースで。
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人は努力して当たり前なので、それを才能と呼ぶには、他人の何十倍も努力する必要があります。


それが出来るのは、一種の才能でしょう。

謙譲か、はなむけに言う以外には使わないはずです。

人並みの努力しかしない人が、言い訳に使うなんてありえませ。
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努力に才能はいると思います。

どうやっても努力が続かない人というのはいるものでそれって生まれ持った「才能」による部分ではないでしょうか。
ただ、「才能」というか「素質」という言葉のほうが近いのかな?と思います。

知り合いが漫画家になりたいともう10年近く言い続けていますが、毎日「やる気がでない」「描けない」と言って作品を創る気配がありません。数ヶ月に一度くらい、一瞬だけやる気が出るようですが…
10年かけて何とか形になったのは一つだけだと思います。
考えてみたら漫画に限らずバイトもそれほど長く続いた記憶が無いですし、せっかく正社員になっても「いじめに遭った」とか言ってすぐ辞めていました。
要は、そういう「素質」の持ち主なんだと思います。
実際何を言っても聞きませんでしたし…
彼女は恐らくこれから一生「●●がしたい。でもできない」と言いながら努力できずに生きていくのだと思います。

私自身は自分で決めたことであれば一つのことを比較的長く続けられるタチなので彼女のような人のことは理解に苦しみますし、逆に彼女も私のことは理解できないでしょう。
そういう意味では「いわば能力なんで、それを持っている人は持っていない人のことなんて分からないものですよ。」というのは合っていると思います。
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自分の価値観にあった目標や活動を見つければ、誰でも必然的にそれに向けて努力をするのではないでしょうか?


そういう気持ちがないのに努力できる人は、むしろロボットだと思います。
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