祝Queenの日!フレディ・マーキュリーの年代別ファッション&ヒットソングまとめ

小学校のとき、先生に昔の女性は名前がなかった。

だから、その人をさす時は ごんざぶろうの娘と言うように呼んでいた。
紫式部は実は役職名で名前がなかった。

女はそれくらい差別されていたと教わりました。

ところが、なんとなくWIKIで紫式部を見てみると本名は不明であるものの、
それはちゃんとあったような記述で、ちょっと記憶と違うと思いまして、

本当のところが知りたいのです。

また、仮に先生が間違いを言っていたのなら
何が原因で勘違いしていたのか、わかるかたいますか?

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A 回答 (12件中1~10件)

私が聞いたのは、昔は本名をなるべく人には知られないようにしていたと。


名前というものはその本質を表すもので、非常に大切なものだから。
平安時代など呪術的な事が信じられていましたので、大切な名前を守ろうという価値観だったようです。
アニメ「千と千尋の神隠し」では、名前を取られて自由を束縛されるみたいな。

そういうこともあり、また敬意もあり、特に天皇の名前は口にしないのが決まりでした。
現代だって、人の名前を呼び捨てにするのは失礼ですよね。
親しくなければ名前よりも苗字、職場の役職があればそれで呼ぶのではないでしょうか?
紫式部の場合は役職名なのですから、むしろ敬意を払われていたと解釈できるのではないかと思います。

昔の女性はそんなに差別されていたとは思いません。
古代は多夫多妻の社会ですし、平安時代も男女の関係はおおらかだったようです。
女性も働いていましたし、出世の要にもなっていました。
男女差別よりも身分の差別の方がずっと大きかったと思います。

名前がなかっただなんて、、、、
じゃあ家人は、娘1号、娘2号とでも呼んだと?
ただ、当時は男女共名前は流動的なものでもあったようです。
幼名と元服後では名前を変えますし、成長したり、思うところが変わっては名前を変えたりしました。
なぜ女性の名前の方が残っていないのかはわかりませんが、女性差別というよりももっと他の理由だったように思います。
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 #6です。

#10の回答者の方は些か「せっかちな表現」をされていますので補足訂正する形でお話しします。マルクスの歴史観とウーマン・リブは何の関係もありませんよ、こじつけに近い説明は混乱を招来する原因ともなります。
 恐らくその先生はウーマン・リブが盛んだった時代に青春時代を過ごした方なのでしょうね。歴史上に名前の残っている女性は「政治的にステータスの高かった人物」であり、庶民の名前も籍帳に残っています。もっともそれが「絶対的な事実」であるかどうかは現代に生きている私達が自らの耳目で直接に確認する術などありません。
 なぜこの様なことをお話しするかと申しますと、奈良時代の徴税システムの一つである「租」を支えた条件に「口分田の班給」があり、これは「戸口」と呼ばれる個別の家庭を調査しそこに住む人数・構成から戸籍を作成し、これに基づいて良民男子には二段、良民女子にはその三分の二、家人・私奴婢には良民男子の三分の一の面積の耕作地を与え、そこからの収益を収める形とされていました。つまりAという家に良民男子の数が多ければ多いほど班給される土地も増え一方でその土地を耕作する人間が実際の農作業や他の調庸も負担することもあり、なら時代の戸籍には「事実とは異なる内容」を記した「偽籍」と呼ばれるケースが見られます。簡単な方法としては「男子」を「女子」として記載するあるいは老人や幼少児などとして偽って記載するケースです。こうした場合には「○○女(○○め)」などの様な形で見ることもできます。
 尚「歴史」はその時点での「暫定的な結論」であり、新たに一つの史料が発見されることでそれまでの見解がひっくり返されることもあることなど、これまでの成果を見てもお判りのことでしょう。これは自然科学で緩用される「相対性」の原理・概念を歴史学も「科学の一分野領域」に属している事に依ります。「絶対的」との言葉が出て来た時点で学問は死亡宣告を受けたも同然です。
 紀貫之が自らを女性に仮託して記した『土佐日記』の形が、『源氏物語』では逆の形だった可能性もあり得ないともいえません。「理想の男性像」を設定し地位を駆け上がっていく姿、彼の目を借りてドロドロとした平安王朝の裏側を描写したならばこれは相当な恨み辛みを並べ立てた作品とも解釈できます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


>恐らくその先生はウーマン・リブが盛んだった時代に青春時代を過ごした方なのでしょうね

ウーマン・リブですかはじめて聞きました。

>(WIKI) 1960年代後半にアメリカ合衆国で起こり、その後世界的に広がった女性解放運動のことをいう。

そうかもしれません。


>「絶対的な事実」であるかどうかは現代に生きている私達が自らの耳目で直接に確認する術などありません。


なるほど、歴史に残っているからと言って事実とは限らないわけですね。

お礼日時:2012/02/26 17:47

その先生はマルクス史観で凝り固まった先生


ではないですか?

マルクス史観では、世の中は
原始共産制→封建制→資本主義→社会主義→共産主義
と進歩発展していくものであり、これは歴史の必然
ということになっています。
これに逆らうのは反動と言われます。

つまり、マルクス史観では、封建時代は劣った社会
であることになり、そうでないと困るのです。

それとも無知なだけ?

時代小説を一冊も読んだことがないのではないですか。
それでよく先生をやっていられますね。

他の方も指摘していますが、世界初の長編小説
源氏物語を書いたのは女性ですよ。

何が差別ですか。
今も、昔も、裏で力を持っているのは女性です。
日本の女性は名を捨て、実を取る道を選んだのです。

夫の小遣いの少なさは世界一です。
もっと増やせよ・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


どうなんだろうか?

自分はもっと浅い理由な気がします。

当時、男女差別が流行っていたんですよね
それが先生の主張と合致してたようで
よく、男女差別の話はよくしてくれました。

これも、おそらく、どこかから拾ってきた話の1つだと思いますが、
その出所が気になるのです。

先生が無知かというとそうではないと思います。

時代小説は読んでいたのかはわかりませんが
先生はいつも本をたくさん読むことを自画自賛していて

教室の教卓,本棚や教員室の机には厚い本がたくさん並んでいました。



>今も、昔も、裏で力を持っているのは女性です。

裏で糸引いてるみたいでおもしろい表現ですね。

えらくなっても男は、かあちゃんには敵わない。

結婚は人生の墓場だ。

外国の男は財布をかあちゃんに預けないらしいからね。
預けたら小遣い少なくなるのも仕方ないよ。

お礼日時:2012/02/26 17:46

昔の人は子だくさんで、6人兄弟とか8人兄弟とか当たり前でした。

それで娘が3人も4人もいたら、名前でもつけておかないと誰が誰なのか分からなくなります。というわけで、当時は当時なりに名前をつけていました。そうじゃないと「誰兵衛の娘を嫁にもらう」といっても何番目の娘なのか分からなくなります。

身分制度というと江戸時代ですが、案外に江戸時代の身分制度というのは世間のイメージより緩やかです。
例えば五代将軍綱吉のお母さんであるお玉さん(桂昌院)は八百屋の娘だったというのは有名な話。天下の将軍様の生母は庶民の娘でもなれたのです。
なんでそんなことができたのかというと、もちろん将軍様の妻(お妾さん含む)ともなれば武士の娘じゃないといけないわけですが、「武士の養子」になってしまえば武士の娘です。そんなんでよかったんです。だから、どこかのお殿様なんかが吉原の遊女を気に入って身請けしたいなんてときは、その遊女を適当な武士の養子にしてしまうのです。「え、遊女を養子にするの?そんなことで武士のメンツが立つの?」なんて思うけど、その遊女を自分の娘にすればその武士は形式上「お殿様の妻妾の父」ということになるので当然それなりの出世が約束されるわけです。

あとついでにこれも知られていないことですが、江戸時代の庶民の性というのはかなり緩やかでした。どう緩やかだったのかというと、後家さんつまり未亡人が突然妊娠してもそれは「菩薩様のお恵み」ということで「おめでたい」ことになっていたのです。父親が誰かなんて野暮なことは詮索しなかったんですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


名前付けないと不便だけど、当時の人の感覚は判らないし当時の人の感覚なら
なんかツーカーの仲みたいな感覚で区別できたのかもしれないと思っていたのですが
確かに6人もいれば名前付けないと大変ですよね。


江戸時代、士農工商
小学校で習ったのとだいぶ違うようで、割といい加減な身分制度なのですね。

性に関してはキリスト教文化の影響で変わってしまったと聞いたことがあります。
昔のほうがギスギスしなさそうでいいような気がするのに。

お礼日時:2012/02/26 17:46

名前はちゃんとありましたよ。



政府の公式記録に名前が残るような人、つまり皇族の皆様や朝廷のトップの人(例:藤原道長)の奥さんなどは名前がわかっています。
お寺の参詣記録にも、女性の名前がたくさんあります。

紫式部が役職名なのも間違い。
あだ名みたいなものです。(wikiに載ってますよね)

あと、女性が差別されていたというのも、どうなんでしょうね。
確かに当時の女性は現代と比べれば制約が多い生活だったと思いますが、家や土地は息子ではなく、娘が相続していたんですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>お寺の参詣記録にも、女性の名前がたくさんあります。

なるほど、あったんですね。
でも参詣記録っていつの時代のから残っているのだろう

また、勘違いしていた先生はいったいいつから女性が名前をもてるようになったと思っていたのだろうか。不思議だ。


>紫式部が役職名なのも間違い。

ごめんなさい、notnotさんのところでも書いたようにこれは私の記憶違いでした。


>確かに当時の女性は現代と比べれば制約が多い生活だったと思いますが、家や土地は息子ではなく、娘が相続していたんですよ。

なるほど、現在感覚とはだいぶ違うようですね。
差物云々言うこと自体がおかしなことなのかもしれません。

お礼日時:2012/02/26 17:45

男でも女でも、名が記録に残るのは、あるレベル以上の官位の者だけです(いわゆる殿上人)


皇后や中宮、内親王の名は記録に残っています

そのレベルの人数が女性は少なかっただけです
清少納言や紫式部は中宮の仕人で官位とは無縁だからです

また 男女を問わず、名は軽々しく口にしてはいけないものだったのです(口にできるのは親くらい)
ですから 頭の中将とか式部卿の宮とか上総の介 とか 官位・役で呼ぶのが基本なのです

今でも上司は名ではなく役職で呼ぶのが普通です(拡大しても姓+役職 姓名で呼ぶことはありません)


その先生は無知か、国歌国旗に敬意を表しない思想に凝り固まっていたのでしょう(民主党の幹事長や社民党の党首のように)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


なるほど
女性はやるべきことが多いから、記録に残るまで上り詰められる人は必然的に少なくなってしまいますよね。

また、名を軽々しく呼ばない風習なんですが、当時のインテリ層だけじゃなく庶民も同じだったんでしょうか


>その先生は無知か、国歌国旗に敬意を表しない思想に凝り固まっていたのでしょう(民主党の幹事長や社民党の党首のように)

国家国旗に対する思想はわかりませんが、
日教組に入らないと仲間はずれにされると言っていたので、そっち系の思想にかぶれていたのかも

お礼日時:2012/02/26 17:44

 時代は下がって戦国時代の話ですが、備中国の新見荘の様子を伝える古文書群があり、その中に「たまがき書状」と呼ばれる史料が現存します。


 これは新見荘に代官として着任した東寺の僧祐清の身の回りの世話をしていた「たまがき」若しくは「たまかき」と呼ばれる女性が書いたとされる古文書(『大日本古文書-東寺百合文書-ゆ函84号』に所収)です。
 また江戸時代の読本である『雨月物語』などを見ますと、そこに登場する人物は女性にも「磯良(いそら)」などの名前が記されています。
 また聖武天皇の皇后として知られる光明皇后も史料によっては「藤三娘(とうさんじょう)」などとも記されています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

いそらって現代でも通用しそうなおしゃれな名前ですね。

お礼日時:2012/02/26 17:43

差別されていた?馬鹿をいってはいけない。

平安時代に日本以外のどの国の女性が文学作品を残したでしょうか。そもそも昔は文学以前に、ごく一部の階層しか文字を使えなかったのです。それは西洋も東洋も同じです。なにしろ文字を使える人が限られているのだから、書物として残されているものも限られていますし、男女問わず人名の記録は残されていないのです。それを差別とかいうほうがおかしい。1000年も前の女性が著した文学作品が残されている事実にスポットをあてずに、女性が差別されていたなどとたわけた妄想を子供にいいたがる教師はゴミクズです。人間として生きる価値などない。間違いも何もない。現代基準で、歴史を捉えようとするから話がめちゃくちゃになってしまうのです。

実際のところは名前が記録として残されていないだけの話です。ちょっと考えてみてください。今だって中小企業の社長さんは、社員から「社長」と呼ばれるだけで本名はいちいち呼ばれませんよね。他に社長がいるわけでなし、それで話が通じるのだから、何も困ることはないわけです。それをしたり顔で、社長は実は役職名で名前がなかったなどといったら馬鹿だと思われるのではないでしょうか。まして、それをもって男はそれくらい差別されていたと生徒に教える教師がいるならまるっきり狂人としか扱われないでしょう。

それぐらい馬鹿げた話です。平安時代は文字を扱える能力のある階層が限られているうえに、印刷技術もコピー機も何もない時代です。そういう時代について現代にまで残されている一次資料がごく限られたものとならざるを得ないのは容易に理解できるのではないでしょうか。そういう理解力、想像力の無い人間が教師を務めている。その程度の話です。

本当のところが知りたいというなら、いつまでもおねだりをするだけではダメです。それでは子供です。自分の頭で考える。そういう心掛けを持たない限りは、いつまでも彷徨える信者にしかなりません。誰のいうことを信じればいいの?と涙目で右往左往するばかり。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


>平安時代に日本以外のどの国の女性が文学作品を残したでしょうか。

これはマジですか? だとしたら日本が最先端を進んでいたということに


>社員から「社長」と呼ばれるだけで本名はいちいち呼ばれませんよね。

そうなんですが、作家となれば名前は重要ですし勘違いもわかる気がします。


>一次資料がごく限られたものとならざるを得ないのは容易に理解できるのではないでしょうか。

資料がないから何とでもいえるんですよね。当時、先生という職業は聖職で誠実な人しかなれないと思い込んでいたから、タチが悪い。


>本当のところが知りたいというなら、いつまでもおねだりをするだけではダメです。それでは子供です。自分の頭で考える。そういう心掛けを持たない限りは、いつまでも彷徨える信者にしかなりません。誰のいうことを信じればいいの?と涙目で右往左往するばかり。


自分の頭で考えるのは難しいことで労力のいることです。
なぜなら自分は完璧じゃないから、常に正しい考え方をしているとはいえない。
だから、さまざまな資料に当たって間違っているか合っているのか常に正していかなければいけない。

めんどくさいから、それっぽい人の意見に頼ってしまいますよね。

お礼日時:2012/02/26 17:42

研究者ではないので、推測の域を出ませんが、多分女性にも名前はあったと思います。

普通に考えて、名前があった方が、家族や周囲の人は呼びやすいですよね。名前がないとしたら、なんと呼んでいいか分からなくなります。
ただ、記録には「多くは」残っていないというだけだと思います。

また、平安時代くらいまでは、日本は母系社会だったので、その後の時代に比べて、ひどく男尊女卑だったとも思えません。

先生が勘違いされた理由としては、二つ考えられます。
一つは、家系図に名前が載っていないことが多いことです。よく「女(娘の意味)」とか「室(妻の意味)」だけで、女性の名前がないものを見かけます。ただ、これはその人たちに名前がないからではなく、文書に残す必要を、当時の人が感じていなかっただけのことだと思います。

もう一つは、源氏物語などに出てくる女性の呼称に原因があると思います。
「藤壷」や「桐壷」などは、当時の御所の女性たちが住む局(部屋)の名前でした。「明石」などは地名ですし、「朧月夜」や「空蝉」などはストーリーやシーンに由来するものだったりします。さらに、「女三の宮」とか「二の姫」などという呼び方が出てきたりします。
これらのものを見て、「当時の女性には名前がなかったのか」と思われたのかな?と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今でもあんまり名前で呼びませんから、なくてもそれはそれでいける気がするんですよね。
よほど親しい柄でもなければ苗字かあだ名で呼びますし、名前で呼ぶのは年下の家族くらいです。


>一つは、家系図に名前が載っていないことが多いことです。よく「女(娘の意味)」とか「室(妻の意味)」だけで、女性の名前がないものを見かけます。ただ、これはその人たちに名前がないからではなく、文書に残す必要を、当時の人が感じていなかっただけのことだと思います。

結婚すると女性は~~の奥さんって呼ばれるようになるのと関係がありそうな。昔テレビで女性は結婚すると本名を呼んでもらえなくなる男女差別だっていうのを聞いたことがあります。
思想の問題とか、なんでもかんでも書き残すとごちゃごちゃして見難くなったりするからとかもあるかもしれない。



>「藤壷」や「桐壷」などは、当時の御所の女性たちが住む局(部屋)の名前でした。

部屋の名前ってすごいですね。
fumkumさんもおっしゃるように本名を隠す慣習から着てるのでしょうね。
ここまで、徹底されてると勘違いもわかる気がします。

しかし、現代にない慣習でおもしろいです。

お礼日時:2012/02/26 17:40

古代日本でもまた世界の多くの民族で実名や諱(いみな=忌み名)を口にしない習慣・慣習は存在します。

これは実名を呼ばれることにより、呼ばれた人間は呼んだ人間に支配されるとの考え方があったためです。万葉集の関東の雄略天皇の和歌の中の「告らめ 家をも名をも」とあるのは、家名と実名を聞くことにより妻の一人とする意志があったとされます。逆に古事記には雄略天皇が名を聞いたのにもかかわらず、天皇がこのことを忘れ、本人は天皇の呼び出しをいつまでも待ち、年取ってから天皇を尋ねたとの記述があります。ですから男子もそうですが女子の場合は特に名を秘するようになります。ただ、官位をもらったり、皇后に冊立されるときなどには実名を必要としますので、そのような場合だけ記録に残り、後世に伝わることになります。
紫式部の名前ですが、角田文衛さんの説です。紫式部は一条天皇の中宮にして藤原道長の娘の藤原彰子の女房であるので、女官に任命された記述のある藤原香子を紫式部とする説ですが未だ定説になっていません。なお、紫は源氏物語の中の紫の上に由来すると言われています。また、若紫と呼びかけられたことがあったともされています。
「何が原因で勘違いしていたのか」についてですが、「更級日記」の作者が「菅原孝標の女(むすめ)」とされているように当時の歴史書・文学などの記録には「~の女」などの記述が多く、女子の実名が伝わっていないためだと思います。

雄略天皇の和歌
篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも

Wikiの実名敬避俗の説明
「漢字文化圏では、諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が名で呼びかけることは極めて無礼であると考えられた。これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためである。このような慣習は「実名敬避俗」と呼ばれ、世界各地で行われた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

昔の女性は本名を伏せていたために、まるでそれがなかったかのように伝わってしまったという事ですね。

お礼日時:2012/02/26 17:40

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Q女性の名前に「子」がつくことについて

歴史に疎いので質問させてください。

本日、NHK大河ドラマ「義経」を見ていてふと思ったのですが、
女性の名前に義経の時代は「子」がつくことが多かったみたいです。

例:平家の「時子」「能子」、その他大勢。「北条政子」など。

しかしついていない人もいます。
例:義経の生母「常盤」、義経の想い人「静」など。

義経の時代は「子」がついていますが
江戸時代になると「お○」という名前が多くなり、
「子」がつく名前はあまり無かったのですよね?

昨年の「新撰組!」ではたしか女性は殆ど「お○」という名前でした。

これまたテレビのドラマの話で恐縮なのですが
フジテレビの「大奥」でも「お万の方」「お楽の方」など「お」がついた名前が多かったような気がします。

「子」のつく名前があった時代があり、
またあまり使われなくなった時代もあったようで、
そして現代は復活しています。

何故なのでしょうか?

詳しい方、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

女性の名前で「○子」というのは、#2さんが印象で答えていらっしゃるのが正解に近いですね。
「○子」というのは、位を貰うときにつけられる名前なので、当然ながら位をもらえるような、「宮廷の貴族の女性に多かった」ということになります。

ちょうど、今年の大河ドラマ「義経」を引き合いに出されていますので、平家物語からお話しますと…。
平家物語の原文を読んでも、女性の名前って殆ど出てこないんですよ。
「女」としか書かれていなくて、名前がついているのは位を貰っている、高い身分の女性だけなんです。
すなわち、女性が後宮などで「女官」として働くる場合(天皇の后(皇后、中宮、女御、更衣)なども一種の女官)、従三位典侍や従五位命婦という位と官職をもらっていたので、その時には名前の登録をしなければならず、その時に「○子」とする-となっているのです。

大河ドラマの「義経」は、宮尾登美子さんの小説がもとになっており、女性の名前も宮尾先生が考えられたものもありますので(朝日新聞社刊「平家物語の女たち」にも載っていますのでごらんください)、そのまま全ての名前を史実として話されると困るのですが…。
「時子」は、二位の尼ともいわれるように、「二位」という位を貰っているので、記録に「時子」という名前が残っています。
「徳子」も高倉天皇の中宮になっていますのでこちらも記録に「徳子」と残っています。
ですから、「時子」も「徳子」も、生まれたときから「時子」とか「徳子」という名前だった訳ではないのですよ。
また、「能子」は、宮尾先生がつけられた名前で、「平家物語」では「廊御方」としか出てきませんし、歴史関係の書物でも「名前」は出てこないのです。

いつの時代においても、庶民は、位を貰って女官になる訳ではなかったので(将軍の大奥や武家の奥向きに勤めにあがるからといって、位や官職がもらえる訳ではありません)、○子という名前がつけられることはなく、家族からは「○」、近所の人からは「お○さん」とか「○ちゃん」と呼ばれていたのです。

「常盤」も「静」も本名ではありません。
「常盤」は九条院に雑士女として使えていたときの「候名(さぶらい-な)」ですし、「静」は芸名に近いものでしょうね。
江戸時代における将軍側室の「お万の方」や「お楽の方」は、本名から派生した「局名(つぼね-な)」です。
庶民出身であるが、将軍の側室となったので、一種の尊敬語(?)として「お」と「方」を付けた-といったところです。
ついでに書けば、豊臣秀吉の正室・おねも、位を貰っていますから記録に残っています。その名前は「豊臣吉子」です。

明治以降に「○子」が流行したのは、「○子」だと高貴な人と同じような名前で気分がいい-程度のことではないでしょうか?
ただ、明治期か大正期には「○江」も流行したと聞きましたが…。
しかし、最近「○子」ってお名前、同世代以外では見かけなくなりましたね。
私も「○子」ですが…。

最後に、#6さんの「清和天皇の母親は「明子」と書いて「あきらけいこ」と読みます。」ですが、この方は、ちゃんと読み方まで記録に残っているのですよ。
この人と「高子(たかいこ)」さんと「多賀幾子(たかきこ)」さんだけは。

専門は平安期の日本史で、近現代の事情には疎いもので、中途半端な回答になってしまい失礼いたしました。

女性の名前で「○子」というのは、#2さんが印象で答えていらっしゃるのが正解に近いですね。
「○子」というのは、位を貰うときにつけられる名前なので、当然ながら位をもらえるような、「宮廷の貴族の女性に多かった」ということになります。

ちょうど、今年の大河ドラマ「義経」を引き合いに出されていますので、平家物語からお話しますと…。
平家物語の原文を読んでも、女性の名前って殆ど出てこないんですよ。
「女」としか書かれていなくて、名前がついているのは位を貰っている、高い身分の女性だけな...続きを読む

Q平安時代の庶民の名前

 執筆中の小説に平安時代のキャラを出そうと思っているのですが、当時の庶民(貴族以外)がどんな名前だったのが全然わかりません。

 部曲の廃止とかで名字は勝手に名乗っていたらしい、とか、庶民の女性は「~女」が流行っていた、男性は「~右衛門、~左衛門、~兵衛」がほとんどだった、までは調べられたのですが、そこで行き詰まってしまいました。

 直接教えていただけなくても、参考となるサイトのURLを貼っていただくだけでも構いませんので、ご助力の程、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは、初めまして。
中古文学&平安時代にハマって◎◎年の専業主婦です。
平安時代の庶民の名前・・・との事ですが、まず女性名については
『日本の女性名』角田文衛著を読まれると大変参考になると思います。
皇族貴族から遊女まであらゆる階層の女性の名前を紹介しています。
ある程度の規模の公立図書館もしくは大学図書館に蔵書されているかと思いますので、確認してみてください。ちょっと前に復刊されたのですが、それは大変高価で豪華な装丁がされています。20年ほど前に刊行されたものは上下(上巻ですよ)に分かれていて手頃で読みやすいので、こちらをお薦めします。(ネット検索できる図書館はたくさんありますよ)
男性名に関してはこれといってご紹介できる専門書は知らないのですが、「~右衛門、~左衛門、~兵衛」は少しばかり年代が下るのではないでしょうか?(室町時代以降位かな・・・と。専門家ではないので余り適当な回答を差し上げてはいけませんが)貴族といっても天皇周辺の大貴族から六位以下の下人や位官を賜っていない者まで様々です。また庶民にも平安京に住む下層の貧民もいれば、京より遙か遠くの地方在住でも実際は大規模な土地保有者で非常な富豪である者(負名・田堵といいます)もいます。
角田文衛氏の『平安人物志 下』の<大春日兼平>という章に、長徳二年(996年)に京で強盗を働き逮捕された者の名簿の一覧がありました。そこには<藤井国成><田辺延正><伯耆?吉><津守秋方><能登観童丸>などといった名前があげられております。仰るところの<庶民>かどうかは確認できませんが、位官については明記がないので官人では無いと思われます。
余り詳しい資料をご紹介できなくてすみません。

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Q“せせらぎ"って漢字ある?

よく「小川のせせらぎが・・・」なんて文がありますが、
この“せせらぎ"っていう言葉は漢字にありますか?

辞典やらいろいろ検索してみたのですが、出てこない。
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Aベストアンサー

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いいアドバイスを、もしくは、参考になるサイト等あれば教えて下さい。

Aベストアンサー

友達でいいなあと思った名前は、

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お姫様は子がついていると公家の出だったので、
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 大名でなくても、貧乏御家人は御家人株を売って金持ち町人から養子という形で実質家を明け渡しています。これこそどこかの馬の骨でもいいから苗字と家と墓と位牌を受け継いでくれればいいという考えです。

皇室の男系維持論は根強いですね。さて、武家は男系どころか、血のつながりのまったくない人間が後嗣になっても気にしないのはなぜですか。皇室が男系にこだわっている一方で。。。
 小生、江戸時代の大名家の系譜を調べてますが、大名家で男子がいない場合、娘に婿養子を迎えるはあたりまえです。いったん婿養子が当主になると血のつながりのない人間が家を継ぐことになりますが、娘に男子が生まれてそれがその次に家をついでくれたらなんとか女系で血統つながります。ところがだいがい正室の子は育たず、婿養...続きを読む

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例えて言うなら、

武家:企業。血族に代替わりする会社もあるが、縁もゆかりもない人でも何ら問題なし。要は社員を養っていければそれでよろしい。

皇室:老舗のウナギ屋で、創業以来継ぎ足し継ぎ足し使っている秘伝のタレ。血(味)が続いていることに意味がある。

…という違いかと思います。
少なくとも私はそう思っています。

ヘンな例えですみません。

Q平安時代の人々の名前に関する疑問

『あさきゆめみし』を読んでいて疑問に思ったのですが、当時の人々の名前はどうなっていたのでしょうか??
光源氏さん(?)の苗字は源氏ですが、では名前は??
他の方には源氏の大将とか官職名とかで呼ばれるけど名前って出てきませんよね。
他にも左右の大臣の家は藤原ですが、やはり官職名での呼び名しか出てこないのでどうなのでしょうか。
女性にいたっては六の君とかむしろ順番しかついていないのか。。。出仕したりすればやっぱり父さんとかの官職名で呼ばれるけど、あとは好き勝手に言い寄ってくる男性にあだ名(?)を付けられるだけなのでしょうか?

逆に下々は惟光とか名前だけなのでしょうね。

よろしくお願いしますっ

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本名を名乗ること、知られることは相手に命を取られるのと同じくらいの重みのある事柄だったようです。本名は親兄弟、配偶者くらいしか知りませんし、他人に聞かせないためにめったに本名を呼ぶこともありません。ですから、呼び名という御互い呼び合うための名や官職名で呼び合ったり書き記すことになります。

Q昔の人が、よく名前をコロコロかえているのはなぜですか?

こんにちは。

日本史の小説などを読むと、「名を挙げる」ということが男子の本懐だということがわかります。
しかし、歴史上の人物って、よく名前を変えますよね?
たとえば、伊藤博文公は利助→俊輔etc.
桂小五郎は木戸孝充
上杉謙信公は景虎→謙信
などのように、しょっちゅう名前が変わっています。

昔の人は、「名前」というものに愛着がなかったのでしょうか?
元服などの際に儀礼として名前を変えるのは別として、大人になっても何度も名前を変えているのはなぜでしょうか?
教えていただけるとありがたいです。

よろしくお願いします。

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現代で言えば、サラリーマンは
課長 部長 取締役 常務 専務 以上 島耕作シリーズ。
というように、肩書が変わってきます。サラリーマンという体制が無くなった遠い将来の人が、「なんで、本名である 耕作が あるのに、島部長だの、島課長だの、その時々で呼称が変わるのだ?」と疑問がわくのと、同様な構造だと思います。
典型的には、No2さんが指摘している、上杉謙信の例になります。
徳川家康も、今川義元からの独立を宣言する意味で、元康から家康に変えています。
幕末の場合、変名が有名になったので、そのままというケースもあります。これなどは、ロシア革命時での、レーニンやスターリンなど。

Q明治の女性名はなぜ二文字のカタカナなのですか

明治の女性名はなぜ二文字のカタカナなのですか
明治の女性の名前を見ると、セツとかトセとかコノとかチカとか、カタカタ二文字の名前が多いですが、
何か意味があってカタカナ二文字なのでしょうか。
明治時代に漢字の名前だった女性もいると思いますが、例えばどんな名前でしょうか。

Aベストアンサー

江戸時代から続いた男尊女卑の影響と漢字の読み書きが出来なかった事情があったと思います。
江戸時代の武家は、篤子や雪子のように女の子に漢字を使ってましたが、民百姓(一般人)に苗字はなく、漢字の読み書きすら教育されてませんので、カタカナぐらいしか読み書き出来なかったのです。
男の子には〇左衛門や〇之助のような漢字を苦心して名付けたようですが、女の子の名に漢字は恐れ多いと思う一般人が多かったのだと考えられます。
キンさんギンさんのような名前は、おキンさんやおギンさんのような呼ばれ方をしてました。
しかし、江戸時代に武家に育った親は漢字の読み書きが出来たので、節子や竹子のような名前を付けてました。
医師でもあり文豪でも有名な森鴎外は、長女に茉莉(まり)次女は杏奴(あんぬ)と名付けてます。

Qペイントで写真の切り抜きする方法は?

以前、パソコン雑誌でペイントか、ピクチャーマネージャで、ラフな写真の切り抜きができる方法を紹介してあり、その方法で試したことがありました。しかし、今、必要なこのときに忘れてしまい困っています。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、お教え願います。W7 NEC VE5570/T

Aベストアンサー

ANo.2続き
やぁ、皆さんの知らない ? ソフトのオンパレ~ド御紹介、御見事です。
ANo.2の回答は、飽く迄もANo.1さんの画像を使っての説明でした(苦しかったです)

>【ラフな】切り抜き、【ペイント】使って此れの遣り方教えて下さい.........ですよね ?
ANo.2では、詳細部分を端折って回答してしまいましたので、今回はWin7「ペイント」を使った手順を判り易く解説しましょう。

1.トリミングする画像を右クリック
2.プログラムから開く
3.ペイント
4.選択画像のペイント起動
5.ホ~ム
6.イメ~ジ>選択▼
7.自由選択(E)(〇&☆形は無理)
8.トリミングする範囲の始点迄マウス移動、クリックしながらポインタを移動、トリミング範囲を囲む
9.目指す範囲を囲んだらマウスボタンから指を離す
10.ホ~ムタブ内の「コピ~」クリック
11.「ペイント」ボタンクリック
12.表示されたメニュ~の「新規(N)」
13.無題-ペイントフォルダの表示
14.ホ~ムタブの「貼り付け」クリック
15.此処でトリミング選択範囲が表示されてる事を確認
16.後は、ツ~ル内の「消しゴム」を使い、自分のイメ~ジ通りに丁寧に綺麗に仕上げます
17.......で、如何(どう)しても上手く往かないなぁ.....とゆう事でしたら、改めてANo.4&5さん御奨めのソフトを考慮されては如何でしょうか ?

参考URL:http://www.fmworld.net/cs/azbyclub/qanavi/jsp/qacontents.jsp?PID=0008-2383&mailbn=MHQZ4201

ANo.2続き
やぁ、皆さんの知らない ? ソフトのオンパレ~ド御紹介、御見事です。
ANo.2の回答は、飽く迄もANo.1さんの画像を使っての説明でした(苦しかったです)

>【ラフな】切り抜き、【ペイント】使って此れの遣り方教えて下さい.........ですよね ?
ANo.2では、詳細部分を端折って回答してしまいましたので、今回はWin7「ペイント」を使った手順を判り易く解説しましょう。

1.トリミングする画像を右クリック
2.プログラムから開く
3.ペイント
4.選択画像のペイント起動
5.ホ~ム
6.イメ~ジ>選択▼
7.自由選...続きを読む


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