田中義一内閣の行ったモラトリアムについて細かく教えてください。

1 モラトリアムとは誰が誰に、なんのために支払いを猶予した事なんですか?2週間は台湾銀行が営業停止なのですか?
2 モラトリアムの2週間に勅令法ができたのか、勅令法ができてモラトリアムなのか?
3 全国の銀行の営業停止3日間はモラトリアムに含まれるのですか?
4 裏白紙幣はなぜ必要になったのですか?

インターネットで調べてみてもほぼ解明できませんでした。教えてください。よろしくお願いいたします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (1件)

1 モラトリアムとは誰が誰に、なんのために支払いを猶予した事なんですか?2週間は台湾銀行が営業停止なのですか?



全ての銀行が預金者に対して500円以上の支払いを3週間の期限を限って猶予することです。
発券銀行である台湾銀行、当時の5大銀行の一角である十五銀行(華族の銀行として有名で、皇室の出資もあり絶大な信用を得ていた)や近江銀行が休業し、全国の銀行で取り付け騒ぎ(預金引き出し=現金の銀行からの流出)が起こり、日銀は銀行に対して現金の貸し出しを続けたが、手持ちの現金・紙幣が底をついたため。このまま預金者の支払いに応じられない銀行が続出し、休業する銀行が増えると、日本の金融システムが崩壊する可能性があったため。

2 モラトリアムの2週間に勅令法ができたのか、勅令法ができてモラトリアムなのか?

1、3の質問にも関連しますが、モラトリアムの期限は三週間です。4月21日の夜に緊急勅令にモラトリアムの方向が政府決定。それを受けて4月22日(金)と23日(土)は政府の要請により全ての銀行は一斉休業します(25日は日曜なのでもともと休業日)。この理由は緊急勅令の発布・施行の準備のための期間です。ただ、モラトリアムの終了日が5月12日(木)で、4月22日(金)から丁度3週間終了日になります。緊急勅令の原文を見ていないのでなんとも言えませんが、緊急勅令の起算日は22日であったのではないでしょうか。モラトリアムは緊急勅令ができてから施行になります。(実際上の施行は25日(月))
モラトリアムの内容は、500円以上の支払いを猶予することです。

3 全国の銀行の営業停止3日間はモラトリアムに含まれるのですか?




4 裏白紙幣はなぜ必要になったのですか?

1の中にも書きましたが取り付け騒ぎのために日本銀行は各銀行に貸し出す現金がなくなり、貸し出すことができませんでした。そのためによる22・23日の休業でもあったのです。25日には銀行を開け、500円未満の支払いには応じなくてはなりません。支払いに応じられない銀行があった場合にはその銀行は休業に追い込まれ、そのような銀行がいくつも出ると信用不安が拡大し、日本の金融システムの崩壊につながることにもなります。その対策としてモラトリアムの実施と、銀行の店先に現金を積み上げ支払能力をアピールして預金者の不安心理の沈静をはかる必要がありました。22日から24日の間に大量の現金をつくるために裏面まで印刷する余裕がなく、裏白の200円札が印刷されます。また、24日の日曜日、銀行に現金が届けられ、25日の営業再開に備えました。
銀行は預金を貸出しに回し、現金を手元にそれほど持っているわけではありません。そのため多くの預金者が預金の引き出しに走ると、手持ちの現金での支払いが困難になります。



海外にいますので緊急勅令の原文が見ることができず、隔靴掻痒ですが参考まで。
    • good
    • 2

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qフリーターはモラトリアム人間?

倫理の質問になると思うのですが、フリーターはモラトリアム人間ですか?
モラトリアムについて、私の知っている知識は、教科書にのっている

 モラトリアム:一人前の大人として自立するために必要な、
        高度で専門的な知識や技能の習得のための
        社会的に容認された準備期間。
 モラトリアム人間:社会人となることを嫌悪したり、拒否したりする青年。

という定義です。
読んでなんとなくわかったつもりだったんですが、
先生がモラトリアム人間の例として「フリーター」をあげました。

私はフリーターはモラトリアム人間だとは思いません。
フリーターってどういう人のことを言うのかよくわからないのですが、
フリーターは一人前の大人として自立しているとはいわないのですか?
なぜフリーターはモラトリアム人間なのですか?
また、違うのならモラトリアム人間とはどういう人のことをさすのでしょうか?
学生は、モラトリアム人間ですか?
質問多くてすいません。教えてください。

Aベストアンサー

何でもそうですが、100%そうだと分類しきれるものでは、ありません。
いずれの質問も、「モラトリアム人間もいるし、そうでない人もいる」。決め付ける意味は、ない。その個人、個人で、人は評価すべきと思う。
また、どんな人が評価するかでも変わってくる。同じ会社に定年まで勤めた人の多くからは、フリーターは評価が低いでしょう。でも、なんらかの形で働いている、という見方をすれば、頑張っているんですよ。

Q【歴史・日本史】高橋是清って偉人だと思いますか?尊敬しますか? アメリカの留学先で奴隷契約書にサイ

【歴史・日本史】高橋是清って偉人だと思いますか?尊敬しますか?

アメリカの留学先で奴隷契約書にサインをしてしまって学生時代は1年間奴隷になってたり、ペルーの銀山を買ったら、銀山じゃなかったり。。。

よくこんな人が大蔵大臣という要職に就けたなあと。

当時は人手不足だったのか、英語が出来れば誰でも要職に就けたのか。

そもそも奴隷契約にサインしてアメリカで奴隷になったのにどのようにして1年で奴隷契約が解除されたのか知ってますか?

普通、奴隷になったら一生奴隷じゃなかったんでしょうか。

アメリカの奴隷制度って一年契約更新制だったんですかね?

Aベストアンサー

すごい人ですね。私も226で暗殺された「だるま蔵相」という印象しかなかったですが、質問者さんのこの質問で奴隷の話を初めて知りました。
いやぁ・・・すごい人です。尊敬に値します。
13歳でアメリカに「奴隷」として売られ、1年で帰ってくるほど英語も堪能になり(ようするに奴隷から開放されるくらい口喧嘩できたってことですね)、度胸もすごかったんでしょうね。
帰国したのが14歳ですよ?ありえません(笑)

http://www.miyajima-soy.co.jp/kyoka/shaze6/shaze6.htm

 これを読んで感動しました。
不良少年で奴隷経験者で山師で総理大臣まで上り詰め、81歳で226にて暗殺され、お札の肖像になった人を、誰が偉人であることを否定し、誰が尊敬しないのでしょう(笑)

 とりあえずリンク先読んでみてください。

Q田中義一内閣 高橋是清蔵相 モラトリアムの内容

田中義一内閣の行ったモラトリアムについて細かく教えてください。

1 モラトリアムとは誰が誰に、なんのために支払いを猶予した事なんですか?2週間は台湾銀行が営業停止なのですか?
2 モラトリアムの2週間に勅令法ができたのか、勅令法ができてモラトリアムなのか?
3 全国の銀行の営業停止3日間はモラトリアムに含まれるのですか?
4 裏白紙幣はなぜ必要になったのですか?

インターネットで調べてみてもほぼ解明できませんでした。教えてください。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

1 モラトリアムとは誰が誰に、なんのために支払いを猶予した事なんですか?2週間は台湾銀行が営業停止なのですか?

全ての銀行が預金者に対して500円以上の支払いを3週間の期限を限って猶予することです。
発券銀行である台湾銀行、当時の5大銀行の一角である十五銀行(華族の銀行として有名で、皇室の出資もあり絶大な信用を得ていた)や近江銀行が休業し、全国の銀行で取り付け騒ぎ(預金引き出し=現金の銀行からの流出)が起こり、日銀は銀行に対して現金の貸し出しを続けたが、手持ちの現金・紙幣が底をついたため。このまま預金者の支払いに応じられない銀行が続出し、休業する銀行が増えると、日本の金融システムが崩壊する可能性があったため。

2 モラトリアムの2週間に勅令法ができたのか、勅令法ができてモラトリアムなのか?

1、3の質問にも関連しますが、モラトリアムの期限は三週間です。4月21日の夜に緊急勅令にモラトリアムの方向が政府決定。それを受けて4月22日(金)と23日(土)は政府の要請により全ての銀行は一斉休業します(25日は日曜なのでもともと休業日)。この理由は緊急勅令の発布・施行の準備のための期間です。ただ、モラトリアムの終了日が5月12日(木)で、4月22日(金)から丁度3週間終了日になります。緊急勅令の原文を見ていないのでなんとも言えませんが、緊急勅令の起算日は22日であったのではないでしょうか。モラトリアムは緊急勅令ができてから施行になります。(実際上の施行は25日(月))
モラトリアムの内容は、500円以上の支払いを猶予することです。

3 全国の銀行の営業停止3日間はモラトリアムに含まれるのですか?




4 裏白紙幣はなぜ必要になったのですか?

1の中にも書きましたが取り付け騒ぎのために日本銀行は各銀行に貸し出す現金がなくなり、貸し出すことができませんでした。そのためによる22・23日の休業でもあったのです。25日には銀行を開け、500円未満の支払いには応じなくてはなりません。支払いに応じられない銀行があった場合にはその銀行は休業に追い込まれ、そのような銀行がいくつも出ると信用不安が拡大し、日本の金融システムの崩壊につながることにもなります。その対策としてモラトリアムの実施と、銀行の店先に現金を積み上げ支払能力をアピールして預金者の不安心理の沈静をはかる必要がありました。22日から24日の間に大量の現金をつくるために裏面まで印刷する余裕がなく、裏白の200円札が印刷されます。また、24日の日曜日、銀行に現金が届けられ、25日の営業再開に備えました。
銀行は預金を貸出しに回し、現金を手元にそれほど持っているわけではありません。そのため多くの預金者が預金の引き出しに走ると、手持ちの現金での支払いが困難になります。



海外にいますので緊急勅令の原文が見ることができず、隔靴掻痒ですが参考まで。

1 モラトリアムとは誰が誰に、なんのために支払いを猶予した事なんですか?2週間は台湾銀行が営業停止なのですか?

全ての銀行が預金者に対して500円以上の支払いを3週間の期限を限って猶予することです。
発券銀行である台湾銀行、当時の5大銀行の一角である十五銀行(華族の銀行として有名で、皇室の出資もあり絶大な信用を得ていた)や近江銀行が休業し、全国の銀行で取り付け騒ぎ(預金引き出し=現金の銀行からの流出)が起こり、日銀は銀行に対して現金の貸し出しを続けたが、手持ちの現金・紙幣が...続きを読む

Q高橋是清の大蔵大臣の回数

高橋是清が大蔵大臣を務めた回数は何回ですか。
こんな簡単そうなことですが違う回数の記載があります。
兼任していることはありますけど、普通回数に入れますよね。
どうしてこういうことが起きるのかも解りませんのでそこのところも教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは
図書館に行ったついでに少し調べてみました。

原首相が暗殺された際、高橋は蔵相を辞任していないことがわかりました。
つまり高橋をはじめ、全閣僚はいったん辞表を提出しているのですが、全員留任ということになって辞表は却下されています。
高橋の首相の親任式のみ行われています。
「大正ニュース事典第五巻」毎日コミュニケーションズ 1988年 掲載の 「大正10年11月13日 東京朝日」の記事より

Q金融モラトリアム法案?

亀井静香さんが言っていた、金融モラトリアム法案って
可決されたんですか?施行されたんですか?

母が「亀井さんのモラトリアムなんたらが通ったから、
銀行もお金返せって言わないのかしらね?」と
いきなり言いだしたんです。

『モラトリアム法案 可決』とかのワードで検索かけても
コレといった記事が見当たらなかったんで・・・。

お詳しい方、教えていただければ幸いです。

Aベストアンサー

中小企業等金融円滑化法(モラトリアム法)のことですね。
11月30日に国会で成立し、12月4日に施行することを発表してましたが、その後運用されているんでしょうね(^_^;

マスコミも当初のみしか報道しませんから・・

下記のサイトをごらんください。

参考URL:http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/091201/fnc0912011053011-n1.htm

Q高橋是清の年表

高橋是清の1年、1年の行動が載っているHPを教えてください。
本じゃなくてHPでお願いします。
お願いします。

Aベストアンサー

国立公文書館のHPに簡単な年表は載っていますね。
これ以上詳細なものは、どうでしょう?
トップページから検索すると、もっと詳しい資料も出てくるようですね。

参考URL:http://www.jacar.go.jp/cloud_takahashi.htm

Q「モラトリアム人間」からの抜け出し方法について

本を読んで気付いたのですが、自分は「モラトリアム人間」に当てはまっている様に思います。「モラトリアム人間」の特徴は下記の様なものです。
・自分本位の思いこみが激しい
・他人と深くかかわらない
・傷つきやすい
・自己中心的

みんなから尊敬される様な立派な人間になりたい、とまでは思わないのですが、自己中心的な思考が多い自分に時々嫌気がさします。

「モラトリアム人間」からの抜け出し方法について、分かる方がいらっしゃいましたら教えて頂けますとありがたいです。

Aベストアンサー

「モラトリアム人間」ってそういう意味だったんですか…自分が思っていた「モラトリアム人間」って、自分の中に関心が向いていて重要な物事を直視せず先送りにする人のことだと思ってたのですが(要するに現実逃避?)…自分が若い頃そうでしたし、有名人にもそういう人はたくさん居ます。
でも、言い換えれば、繊細で自己内省が出来る人でもあるのです。
自己内省したあげくどうしていいか分からないから自分の殻に閉じこもる部分があるのです。
そういう自分を否定しなくてもいいや、モラトリアム人間いいじゃない!…ぐらいに開き直ると、自分の個性の中の魅力的な部分が見つかりますよ。そうすると自分に自信もつくし、自分に自信がつくことで他者との関わりも苦痛でなくなって来ます。
「自分」をすぐに変えるのは難しいことで、自分と向き合い自分の良い部分を認めてあげることが、回り道のようでも近道かも知れません。
「抜け出したい」のに、ストレートな回答になってなくてすみませんが…自分の経験からでした。

Q原敬の内閣が日本初の本格的な政党内閣と言われるのはなぜ?

米騒動を経て内閣を組閣した原敬ですが、その内閣は本格的な政党内閣と言われています。これはなぜですか?原敬は党首から首相に選ばれたわけですが、この内閣以前はどうやって首相を選んでいたのでしょうか?天皇が勝手に首相を選んで良かったのでしょうか?大日本帝国憲法下における組閣の仕組みが良くわかりません。選挙によって選ばれた与党の党首が首相になるということはなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

ごきげんよう。



【回 答】
大日本帝国憲法(明治憲法)下では、現在の日本国憲法で定められているように内閣総理大臣が選ばれていたわけではありません。明治憲法が出来た最初の頃は、明治政府を作った「元勲」と呼ばれる人々が交代で内閣総理大臣に就任していました。その後「元勲」のうちの何名かが「元老」として、「次の内閣総理大臣はこの人に」と天皇に推薦し、天皇が任命するのが慣例でした。別に、議会で与党の党首が選ばれていたわけではありません。

さて、そうやって選ばれる内閣総理大臣ですが、予算案や法律案を通して政治を円滑に進めるため、衆議院の多数を占める政党と仲良くする人が出てきます。そういう意味で「政党内閣」の原形は原敬以前に成立していました。

原敬内閣が『初の本格的政党内閣』と呼ばれるのは、原敬が「爵位をもたない」「選挙によって選ばれる衆議院に議席をもつ」「政党『政友会』の党首」であり、原内閣が「陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣以外の閣僚はすべて政友会員が就任した」内閣であったことが、「選挙によって選ばれた多数党の党首が内閣総理大臣に選ばれ、閣僚の多数が政党の党員(政党所属の議員)である」という『政党内閣』の定義にほぼ近かったことによるものです。

(上記の「政党内閣」の定義は完全に正確ではない可能性がありますが、だいたいこのような内容だったかと思います)


以下、詳細な説明です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

■ 大日本帝国憲法(明治憲法)下での首相の選定方法

大日本帝国憲法(明治憲法)には、内閣総理大臣の決定方法は記載されていません。

大日本帝国憲法第10条に、「(統治権を有する)天皇が行政を行なう官僚を任免する」ということが書かれています。かといって、天皇が内閣総理大臣を勝手に選んでいたわけでもありません。「宮中・府中の別」という慣例がありまして、天皇は政治の世界には関与せず、行政機関である内閣の決めた方針にもとづいて「YES」と言うだけでした。内閣総理大臣を決める時にも、天皇は、誰かが選んだ内閣総理大臣をそのまま任命するのです。

大日本帝国憲法(明治憲法)
http://www.edogawa-u.ac.jp/~kiuchih/home/statutes/teikokukenpou.html


では、内閣総理大臣の決定方法ですが、

歴代内閣総理大臣一覧
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
http://www.promised-factory.com/100years_after/pm/pm-list.html


上の一覧をご覧になればわかりますように、最初は明治維新の功労者であった人々が協議の上、内閣総理大臣や各国務大臣を務めていました。「明治政府を作ったのは俺たちなんだ!」ということでもあり、内閣総理大臣や各国務大臣として明治初期~中期の政治を引っ張っていけるのは、この人々しかいなかったのだと推測されます。

明治維新の功労者達は、明治初期から後期にいたるまで第一線で政治を動かし続け、その後も「元老」という立場で、天皇の諮問に答える形で、国家の政策決定に関与しました。
伊藤博文、黒田清隆、山縣有朋、松方正義、井上馨、西郷従道、大山巌、桂太郎、西園寺公望の九人です。

その主な仕事のひとつが、内閣総理大臣が辞めた場合、次の内閣総理大臣を選ぶことです(ちなみに、法的な根拠はまったくありません)。彼らが選んだ内閣総理大臣を、天皇が任命していました。

元老 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E8%80%81

ちなみに、昭和に入って、最後の元老の西園寺公望が死んでからは、天皇の側近で天皇の仕事を助ける役職であった「内大臣」が中心となって「重臣会議」を開いて、内閣総理大臣を選んでいました。

内大臣 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%A4%A7%E8%87%A3


■ 内角総理大臣と、議会や政党との関係

内閣総理大臣は、別に議会での選挙で選ばれているわけではないので、議会を無視して勝手に政策を決めて政治を行なっていくことができる、・・・というわけではありませんでした。

選挙で選ばれた政党系議員が多数を占める衆議院は、予算案を貴族院より先に審議するので、内閣が政党と対立してしまうと、予算案が議会を通らず、政治が一気に止まってしまうのです(政党を無視して独自に政治を行なおうとす『超然主義』の方針をとる内閣と、衆議院で多数を占める政党が対立して混乱したのが、1890年代の『初期議会』と呼ばれる時期です)。

そういうシステムの中で、内閣総理大臣のなかには、政党に理解を示して協力してもらい政治を行なおうとする人が出てきました。代表的なのは、伊藤博文、西園寺公望、大隈重信などの人物達です。彼らは政党の党首も兼ねていたので、一応、「政党内閣」と言えなくもありません。


では、原敬とその内閣の場合は、彼らと何が違うのでしょうか?

「原敬」個人に対する注目点は3つ
  ○爵位をもたない
  ○選挙によって選ばれる衆議院に議席をもつ
  ○政党「政友会」の党首

「原内閣」のポイント
 ○陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣以外の閣僚はすべて政友会員が就任

つまり、「選挙によって選ばれた多数党の党首(衆議院議員)が内閣総理大臣に選ばれ、内閣閣僚の多数が政党の党員(政党所属の議員)である」というところが、『本格的な政党内閣』と呼ばれる意味です。


ですが上で述べた通り、原敬は議会で選ばれたわけではなく、やはり「元老」による推挙によって天皇から任命されています。

原敬が内閣総理大臣に選ばれた理由としては、その前の寺内正毅内閣が米騒動の対応に失敗して総辞職して、政府に対する国民の不満が高まっており、「元老」としても国民の意見を反映した内閣を作らないといけなかったこと、原敬がもともと官僚出身で、内務大臣も務めたこともあって、内閣総理大臣に任命しても行政を行なうのに問題がないこと、そして、原敬は元老や貴族院の勢力とも対立しないで上手くやれる政治家であったこと、などがあげられます。

原敬 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%95%AC

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%95%AC

ごきげんよう。



【回 答】
大日本帝国憲法(明治憲法)下では、現在の日本国憲法で定められているように内閣総理大臣が選ばれていたわけではありません。明治憲法が出来た最初の頃は、明治政府を作った「元勲」と呼ばれる人々が交代で内閣総理大臣に就任していました。その後「元勲」のうちの何名かが「元老」として、「次の内閣総理大臣はこの人に」と天皇に推薦し、天皇が任命するのが慣例でした。別に、議会で与党の党首が選ばれていたわけではありません。

さて、そうやって選ばれる内閣総理大臣...続きを読む

Qモラトリアム

モラトリアムとはどういう意味なのでしょうか?
辞典で引いてみたのですがよく意味が分かりませんでした。
用例としてこのような場合意味はどうなるのでしょうか。
ある人物が自分のドッペルゲンガーを探している。一度は見つけたものの見失ってしまった。そこである人物はこう言う「私を見失ってしまった」と。もう一人の人物が「モラトリアムだな。」と言う。
分かりにくい用例で済みませんが。

Aベストアンサー

質問者の方はまだお若いのかな。「モラトリアム」という言葉は、かつて流行語だったので、ある年齢以上の人にとっては、ほとんど直感的に理解できます。その小説の作者の方も何気なく「モラトリアム」という言葉を使ったのでしょう。

「モラトリアム」とは、、「年齢的には大人だけれど、大人になりたくない気分。大人になるための心理的な葛藤を先延ばしにしている人(青年)やその状態」を指します。

日本では、20年ほど前に出版された、小此木 啓吾氏の「モラトリアム人間の時代」という本で有名になりました。
私の学生時代には、この本が結構広く読まれていましたし、その頃この「モラトリアム」という言葉も一種の流行語として、一般に広まったと記憶しています。

経済的には独立していても、精神的に大人じゃない人っていうのは、最近じゃちっとも珍しくはなくなってしまったのですが、20年くらい前には「本来大人になるべき年齢なのに、精神的に大人になりたがらない若者たち」っていうのが、社会的にクローズアップされてたんですね。

Q初の政党内閣と初の本格的政党内閣の違い

 初めまして、今回は政党内閣についてお伺したく質問させて頂きました。
 歴史などの本を見ていると、日本の初の政党内閣と、本格的政党内閣という用語が出てきます。しかし、その違いまでは言及されておらず、私のイメージでは前者が藩閥的な要素が強く、後者の方がどちらかというと民主的なのかなと言う程度なのですが、2者の根本的な違いというのはどこにあるのでしょうか。 
 基本的なことをお伺して申し訳ないのですが、ご回答賜れれば幸いです。

Aベストアンサー

政治学・行政学をやっている学生です。

初の政党内閣というのは恐らく第一次大隈内閣のことですね。「本格的政党内閣」というのは私は初耳ですが。

まず、政党内閣とは、平たく言えば、首相を含む内閣の構成員の多くを政党出身者の議院が構成することです。戦前の場合、例えば陸軍・海軍大臣は現役の中将・大将によって常に構成されましたし(現役武官制でない時も結局全員現役が務めました)、今日でも、半数以内では非議員からの閣僚選出が憲法上可能ですから、政党出身の議員が全ての閣僚ポストを占めるというわけではありません。

で、「本格的政党内閣」というのが戦後の議院内閣制期のことを指しているのだと仮定すると、それは内閣構成員の選出権が何処にあるかというところに本質的差異があります。今日では、首相指名権が議会にある為に、一般的には議会の多数派を抑えているか、または抑えられるような連合を組んでいる政党群のトップが選出され、彼・彼女が閣僚を任命(当然自分の政党や連合相手の政党から選出します)することで、議会多数派を占める政党と内閣構成勢力が一致します。他方、戦前の政党内閣時代においては、25~31年の大正・昭和デモクラシー華盛りの時代であっても、首相の任免権は天皇にあり、つまり元老(具体的には西園寺公望)に実質的な決定権があったわけで、議会の多数派と内閣構成勢力が一致しないということも間々ありました。つまり、国会議員選挙が直接内閣の構成如何とリンクしていないのが戦前の政党内閣時代の特徴です。

で、「本格的政党内閣」というのがこの25~31年のこと(または原内閣も含む)ことを指しているのだとすると、恐らく初(というか初期)と本格的の違いは、憲政の常道論の有無といったところに帰着するのではないかと思います。どちらにせよ、首相や閣僚ポストが自分の懐に転がり込んでくるかは、結局のところ元老・宮中の意向で決まったわけですが、憲政の常道時代には、民政党・政友会両2大政党に、政党の議席数も踏まえつつ、相互に政権を渡していこうという慣習が各方面に定着することになりました。ただ、明治後期から大正時代にかけても、桂太郎含め藩閥勢力や官僚勢力による政党はあったわけですし、他方で政党政権が連続的に続いたにせよ、究極的に誰に政権を渡すかは明治国家の重鎮達の裁量如何だったわけで、その意味では戦後の議院内閣制とは似て非なるものだといえます。

政治学・行政学をやっている学生です。

初の政党内閣というのは恐らく第一次大隈内閣のことですね。「本格的政党内閣」というのは私は初耳ですが。

まず、政党内閣とは、平たく言えば、首相を含む内閣の構成員の多くを政党出身者の議院が構成することです。戦前の場合、例えば陸軍・海軍大臣は現役の中将・大将によって常に構成されましたし(現役武官制でない時も結局全員現役が務めました)、今日でも、半数以内では非議員からの閣僚選出が憲法上可能ですから、政党出身の議員が全ての閣僚ポストを占める...続きを読む


人気Q&Aランキング