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中国の南京市の「侵華日軍南京大偶難同胞紀念館」では、現在は、「大虐殺の数は何人」と書いてありますか。15年前に南京を見物した友人は、「大虐殺の数は20万人」と書いてあったと言ってますが。

A 回答 (11件中1~10件)

このリンクは中国の「愛国者同盟網」の書き込みです。


http://bbs.1931-9-18.org/viewthread.php?tid=61009

普通の人は、毎日の仕事や勉強やデートの追われて昔のことを気にしないでしょう。
こんなネットで議論する人、それはそれはすごい愛国者の集まりなんだと思います。
どのような書かれ方をしているのが、拙い翻訳ですが、ちょっと訳してみましたね。
ご参考まで。

为什么南京『30万人』大虐杀?
【なぜ南京大虐殺は「30万人」なのか。】

世界で初めて「南京30万人大虐殺」と言ったのは
ManchesterGadian記者で英国人の田伯烈(Timperley)。である。
(はじめは長江デルタで30万人が殺害されたと言った)

彼は、国民党に雇われて欧米に対して宣伝活動をしていた。
中国社会科学院蔵書の国民党の正式文献に田伯烈は工作者(スパイ)として紹介されている。
同時に、国民党の国際宣伝部長も自叙伝にお金を与えていたと書いている。
(この自叙伝は中国で公開されていない)

日中戦争においては、どれだけの第3国の支援と支持を得るかが重要である。
ゆえに、国民党は外国人を利用して国外で宣伝活動する意義がある。

彼は1937年1月に「南京の30万人が虐殺された」と報道した。
同時に彼はイギリスの出版社に「30万人以上が虐殺された」と電報を打った。
しかし、その電報は上海電報局で日本に没収された。
しかも、日本の広田大使はその電報は日本にあてて打った。
しかし、この電文はアメリカに傍受された。

南京大虐殺紀念館で、この電文は南京大虐殺の証拠として展示され
「南京の30万人大虐殺1937/12/13-1938/1]
どうして1938年1月??
理由はこの電報の期日が1月だからだ。

同時に彼は1938年3月に「外国人の印象の中の日本軍の暴行」の序文に
「私はイギリスに日本の行為を報告するために電報を打ったが没収されたので出版する」
彼は持続的に「4万人大虐殺」あるいは「30万人大虐殺」と喧伝した。
「4万人大虐殺」はBeitsu博士の日記にも記載されている。
(中国語版ベイツ日記ではこの人数が削除されている)
理由は、30万じゃないからだ。

かれが1938年1月に報道して数ヶ月でこの伝言は広まった。
しかも、1938年7月にアメリカ、イギリス、フランスの記者16名は上海から南京へ取材に来た。
しかし、結果は明らかなため、それ以降完全に報道をやめた。
今中国はこの数ヶ月の資料をよく使う。
しかしどの資料もこのような感じで伝聞を聞いていた。
国民党の公式記録も1回の「4万人大虐殺」だけを記録し、その後削除している。
しかし、エドガーとスノーだけが持続的に欧米に対して宣伝活動のために利用していた。
その上、彼は男女比率を操作して、更に残忍性を強調した。
数カ月の伝聞は消え、その後東京裁判までの9年間、誰もその話をしていない。

しかし、東京裁判、アメリカは日本のシンボルを責めなければならない。
アメリカはちょうど原爆投下を正当化するために、シンボルが必要だったのだ。

今も南京大虐殺30万人は中国の一つのシンボルである。
しかし、もし調査したら内容が荒いことは誰にも明白である。
頑固に主張するの自由だ。
しかし、調査したら誰でも疑問に思う。
そして、最も重要な点は「30万人大虐殺」の元凶。
田伯烈 は国民党の工作員。
国民党が金銭を与えていたことは事実である。
しかし、一部の日本兵の野蛮な行為はあったであろう。
南京の司令官、松井と石根は規律違反の部隊を撤収させている。
被害者に対して日本は重い罪をがある。
しかし、それは30万人の大虐殺ではない。
南京30万人第虐殺は国民党の田伯烈の宣伝であった。
日本が中国に侵略したのは事実だ。
しかし、この「南京30万人大虐殺」は大きな疑問である。

この回答への補足

>この自叙伝は中国で公開されていない

中国国民党中央宣伝部国際宣伝処の曾虚白処長の回想記『曾虚白自伝』は台湾で発刊されました。

『曾虚白自伝』<台湾・聯経出版事業公司1988.3>

補足日時:2012/03/04 22:34
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この回答へのお礼

要するに、中国国民党・中央宣伝部・国際宣伝処が戦時中に行った政治宣伝(プロパガンダ)の数字「30万人」を、戦後は、中国共産党・中央政治局・中央宣伝部が受け継いで政治宣伝(プロパガンダ)を行っている、ということですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/04 22:41

そもそも質問者さんの質問は「何人と書いてありますか?」


ですよね。
質問者さんは祖国の名誉を守るために何をしているのですか?ここに反論を書くこと?

わたしは南京の近くに住んでいますが、多分日本から考える印象と現実はぜんぜん違うんですよ。
南京は墓場のように暗い所で、日本人が歩いていたら石を投げられるんじゃないかみたいに感じているのではないですか?
広島を歩くアメリカ人は石を投げられますか?たった一つの爆弾で25万人を殺したアメリカ人は。
「そりゃ、歩いてるこの人がやったわけじゃないだろう」って思うでしょ?
そういうことなんです。
南京は超大都会です。
古い都、いわゆる京都みたいな観光大都市で、京都に原爆記念館があるようなものです。
年間、山ほどの観光客が「楽しみ」で観光に来ているんです。
風光明媚な自然と歴史の建物と夜のネオンに照らされた川沿いの夜店を楽しみに。
観光地めぐりして、日本の観光地でオルゴール博物館に連れて行かれるみたいな感じで大虐殺記念館にも行くんです。
大多数が別に泣きに来ているわけでもなければ日本への憎しみを新たにするために巡礼に来ているわけでもありません。
ここには日本人が1万人近く住んでいて普通に工場長やってたり、夜は日本式カラオケクラブに通ったりしてるんです。
300000人 っていうのは「大虐殺」という言葉のメタファーなんですよ。原爆の25万人は1桁まで名簿があるそうですが、南京にはありませんね。なきゃ死んでないのか?というわけでもないし。だからもう過去のことをほじくり返したって正解なんて無いでしょう。あくまでこの数字を訂正しろってことですか? ゼロだった。と言いたいのですか。
中国がそれを認めて極東軍事裁判は冤罪だった、って話にするんですか。
尖閣諸島と同じ、双方の国が「ほらこの文献にこう書いてある」って、自分に都合の良い方の証拠や地図を出してくるんです。
日本人は日本にいたら日本に都合のいい証拠を見てる。相手の国の政府が言ったことなんてウソと思ってる。
それって、中国側の中国人だって、同じ事を思ってるんですよ。中国に都合の良い地図や証拠だってあるんです。

ともあれ、
実のところ、中国人だって30万なんて信じてないんです。
今のネットユーザーは政府発表を鵜呑みになんてしてないし、異論反論は隠しきれないほど増殖されてしまうし、ごまかしが効かないとこまで来てるでしょう。
「30万は確かに政府の言い過ぎかもしれない。でも、なかったとは言わせない」 ってあたりが本音じゃないでしょうか。
・・・・・・・なんだ、日本人の思ってることと同じじゃん。(それともゼロですか?)

この回答への補足

>それともゼロですか?

いいえ。昭和12(1937)年12月に日本軍が実施した南京攻略戦とそれに続く敗残兵掃討戦での中国側の死者の数は、8千人から1万2千人の間です(※)。「30万人」だなんてとんでもない。

このウソの数字が国際社会に広がるから放置できないのです。日本の名誉にかけても、「30万人」を認めるわけには参りません。あなたのようなアバウトな(愛国心のない)日本人がいるから、中国のいいようにやられてしまうのです。

あなたが南京の近くに住んでいるのなら、ちょうど良かった。週に一回、休日に「侵華日軍南京大遇難同胞紀念館」へ出掛けて、『30万人は大ウソだ』と大書したプラカードを持って、座り込みの抗議をしてくれませんか。日本の名誉のために。


※東中野修道(著)『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)による。東中野修道教授は、いわゆる「南京虐殺」についての第一級の専門家です。彼の「南京虐殺」に関する研究態度は客観的かつ実証的です。なので、ウソの歴史で塗り固めた中国共産党にとっては都合の悪い存在でしょう。彼は中国共産党から目の敵にされ、中国共産党の走狗(手先)である日本人からは集中砲火を浴びせられています。

補足日時:2012/03/04 18:34
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この回答へのお礼

◆ハーグ陸戦法規は、支那事変(1937.07~1945.08)当時の戦時国際法だった。

陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約(1907年[明治40]10月18日調印。明治44年11月6日批准。明治45年1月13日公布、條約第四号。通称、ハーグ陸戦法規)の抜粋:

第一章 交戰者ノ資格
第一條…戰争ノ法規及權利義務ハ單ニ之ヲ軍ニ適用スルノミナラス次ノ條件ヲ具備スル民兵及義勇兵團ニモ亦之ヲ適用ス
(1)部下ノ爲ニ責任ヲ負フ者其ノ頭ニ在ルコト
(2)遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト
(3)公然兵器ヲ携蔕スルコト
(4)其ノ動作ニ付戰争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト
……中略……
第二十五條…防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ如何ナル手段ニ依ルモ之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス
第二十六條…攻撃軍隊ノ指揮官ハ強襲ノ場合ヲ除クノ外砲撃ヲ始ムルニ先チ其ノ旨官憲ニ通告スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘキモノトス
……中略……
第四十三條…國ノ權力カ事實上占領者ノ手ニ移リタル上ハ占領者ハ絶對的ノ支障ナキ限占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ囘復確保スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘシ


◆以下、昭和12(1937)年12月、日本陸軍が実施した南京攻略戦の経緯:

○12月1日、東京の大本営が華中にあった日本陸軍中支那方面軍(以下、日本軍)の司令官松井石根大将に対して南京攻略を命令した。松井司令官の国際法顧問として斎藤良衛博士(外務省)が加わった。松井司令官と作戦参謀に戦時国際法の助言をするためだ。なお、当時の南京は中華民国(国民政府)の首都であり、人口百万人を超える大都市であった。大本営の命令を受けた日本軍は南京に向けて進撃を開始した。

○12月4日、日本軍が南京郊外に到達。南京城外の中国軍との間で戦闘が始まった。

○12月5日までに多くの南京市民が家財を持って南京を脱出した。日本軍が南京に到着したときには、脱出するための資金もない、貧乏な市民ばかり20万人が残っていた。南京在住の欧米人が「南京安全区国際委員会」(以下「委員会」と略称)なるものを結成して、南京城内の一角に「安全区」と称する中立地帯を設け、20万人の一般市民を収容した。

○12月6日、中国側は南京城の全城門を閉鎖した。城外で日本軍と戦っていた中国兵が取り残されて無統制になり、暴徒化して民家に押し入って家財などを略奪するなど、乱暴狼藉を働いた。

○12月7日、中華民国国民政府の蒋介石総統、総統夫人宋美齢、何応欽軍政部長、白崇禧参謀総長らの政府・軍首脳は、唐生智南京防衛司令長官と唐配下の中国兵4万人(以下、中国軍)を残して南京を脱出した。続いて国民政府の要人も、南京市の市長と職員も南京を脱出した。電話は不通となり、電気、水道などの生活インフラも機能しなくなった。

○12月9日正午、南京城を包囲した日本軍は飛行機で城内にビラ(和平開城勧告文)を撒いて、中国軍に降伏勧告を行なった。

※ハーグ陸戦法規第二十六條に、「攻撃軍隊は砲撃に先立ち、砲撃する旨を相手官憲に通告せよ」とあるので、日本軍はビラを撒いたのだ。この時、唐生智司令長官は日本軍の降伏勧告を容れて城内の中国兵約3万人を南京から撤退させ、「南京はオープン・シティ(無防守都市)である」と宣言すべきであった。そうすれば、南京には同法規第二十五條が適用されて日本軍は攻撃しなかったし、その後の悲劇も起きなかった。
※ちなみに、ドイツ軍がパリに迫った時、フランス軍は「パリはオープン・シティ」と宣言して軍隊を撤収したので、ドイツ軍はパリを無血占領できた。また日米開戦の緒戦で、フィリッピン駐留の米軍が「マニラはオープン・シティ」と宣言して軍隊を撤収したので、日本軍はマニラを平和裏に占領できた。いずれのケースも死傷者が出なかったのである。

○12月10日、降伏勧告への回答期限である午後1時に至っても、中国軍からの回答がなく、日本軍は午後2時に城内の中国軍への攻撃を開始した。城内には20万人の一般市民がいるために、日本軍にとっては難しい戦闘になったのだ。

○12月12日午後8時、中国軍の唐生智司令長官と幕僚が暗闇に紛れて南京から脱出した。総指揮官自身が敵前逃亡したのだ。そのため、見捨てられた中国兵3万人余りの統制が失われて大混乱に陥った。中国兵は、武器を持ったまま一般市民の「安全区」に侵入し、軍服を脱いで市民服に着替えて潜伏した。「安全区」の委員会は中国兵の侵入を許してしまったのだ。「安全区」の中立性が完全に失われた。委員会の責任は極めて大きい。

※同法規第一條第(1)項には、「正規の交戦者は、指揮官の下で統率されて行動しなければならない」とある。だから指揮官に見捨てられた中国兵3万人は「交戰者の資格」を失った。
※また中国兵が着た市民服は「安全区」の一般市民から略奪したものだ。市民服を着た中国兵は「便衣兵」と呼ばれた。
※ここでも中国兵はハーグ陸戦法規に違反した。第一條第(2)項には、「正規の交戦者は、遠くから見ても兵隊だと分かるように良く目立つ『軍の徽章』を着けよ。」とある。しかし中国兵は兵隊であるのを隠すために軍服を脱いで市民服に着替えたのだ。『軍の徽章』を着けるはずがない。
※また第一條第(3)項には、「正規の交戦者は、銃などの武器を誰からも良く見えるように持て。(懐などに)隠し持ってはダメだ。」とある。しかし中国兵は武器を隠したのだ。

ここまで書けば分かると思うが、第一條第(4)項に「正規の交戦者は、戦争の法規、慣例を順守せよ。」とあるのに、中国軍の唐生智も彼の幕僚も3万の中国兵も、戦争のルールにはまるで無頓着で、メチャクチャだった。日本軍は近代的な軍隊だったが、中国軍は未開で野蛮な匪賊集団同様だったのだ。だから、われわれの祖先は中国人を「チャンコロ」と呼んで軽蔑したのである。

○12月13日、南京城が陥落して松井大将を初めとする日本軍司令部が入城。

○12月14日、日本軍は、南京城内の「安全区」に潜伏する中国兵(敗残兵)を摘出する掃討戦を開始した(~16日)。

※南京城に入城した日本軍司令部は敗残兵の掃討を急いだ。これには正当な法的根拠及び目的がある。ハーグ陸戦法規第四十三條に「占領軍は、占領地域の住民のために平和秩序を回復し生活インフラを確保せよ」とあるからだ。そのためには、一般市民の間に潜伏している敗残兵(便衣兵)を摘発し、隠し持っている武器も押収しなければならない。20万人の一般市民が安全に生活できるように秩序回復を急ぐ必要があったのである。

※掃討戦の結果、多くの中国兵が死ぬことになった。このとき一般市民を巻き添えにしたかもしれない。しかし、それは日本軍のせいではない。中国兵が戦争ルールに違反して市民服を着たために、兵と市民の区別が難しくなったのだ。

※指揮官に見捨てられて「交戰者の資格」を失った兵隊は、捕虜になったとしても、正規の捕虜として戦時国際法の保護を受ける資格がないということ。日本軍は中国兵をどのように扱っても構わなかったのである。かりに全員、殺しても良かったけれども日本軍は、捕虜の半分以上を解放してあげたのです。

※日本軍の南京攻略戦における中国側の死者の数は、東中野修道教授の研究によれば、8千人ないし1万2千人だ(東中野修道(著)『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)より)。中国側に「30万人」の根拠を尋ねたい。

◆悲惨な結果を招いた責任は、すべて中国側にある。
(1)唐生智司令長官が軍隊を撤収して「南京オープン・シティ宣言」をしなかったこと。
(2)唐生智司令長官と幕僚が敵前逃亡したため、取り残された中国兵3万人の統制が失われたこと。
(3)武器を持った中国兵を中立地帯である「安全区」に侵入させてしまった委員会(欧米人)の責任も非常に大きい。
(4)武器を持ったまま一般市民の「安全区」に逃げ込んだ中国兵が、軍服を脱いで市民服に着替えて潜伏したこと。これは、南京市民の生活にとって大きな脅威になった。

だから日本軍は、20万人の南京市民のために「安全区」の平和の回復を急いだのである。日本軍は正しい事をした。我々日本人は自信を持って良い。日本軍を誇りに思って良いのだ。

日本人は中国人(漢民族)を見下して、高圧的な態度で『南京問題の責任はすべて中国側にあるのだぞ』と言おう。「日本軍は南京市民のために平和の回復を急いだのだ。どこが悪い。」と、ひたすら言い続けよう。われわれ日本人と祖先の名誉を守らなくてはならない。名誉を守ることも国益に適うのだ。

お礼日時:2012/03/04 18:38

No.8です。


殺人事件が1件あったようでが、これも正当防衛か何かと思われます。
参考までに、平成20年5月に、胡錦濤宛に「南京事件の真実を検証する会」が公開質問状を出しましたが、何の返答もなしに今日に至っています。
ご参照ください。 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1447.htm …

この回答への補足

殺人事件ではありません。

番兵(銃を携帯して門番をしていた日本兵)が不審な人物に誰何(すいか)したけれども、何も言わずに逃げ出したので撃ったのです。番兵の正当な職務行為です。

※誰何(すいか):「お前は誰か。名前と身分を言え。」と職務質問すること。

補足日時:2012/03/04 12:28
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2012/03/06 00:23

0人です。

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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2012/03/06 00:23

これよく見ると


遭難者 300000人と書いてありますよね。
「被害者」という意味ですが。
被害者というのは殺されたという意味をずばりなのか、
南京事件の被害者といえば殴られて大怪我した、とかも「被害者」ですが、
大虐殺被害者といえば、まあ殺されたってことなんでしょうね。
わたしは、ちょっとごまかしが入ってる気もしないでもないのですが。

中国でも30万が本当なのか?
「10万人、20万人、30万人とも言われてる。」でも本当は?
という論評はあるんです。
http://bbs.1931-9-18.org/viewthread.php?tid=61009

いまさら、東京ドーム何個分の死体を。。。。なんて理屈、今になっておかしいことに気が付いたようないい方しなくても昔から何度も言われてきた理屈だし、30万か3万か それは事件の本質ではないと思うんです。
だって、極東軍事裁判(東京裁判)で20万人と明言されて、A級戦犯が2人死刑になってるんだから、もうそれで終わった話でいいんじゃないですか?
これ蒸し返すなら、従軍慰安婦を蒸し返してる韓国を認めることになると思います。

この回答への補足

>極東軍事裁判(東京裁判)で20万人と明言されて、A級戦犯が2人死刑になってるんだから、もうそれで終わった話でいいんじゃないですか?

いいえ。昭和12(1937)年12月に日本軍が実施した南京攻略戦とそれに続く敗残兵掃討戦での中国側の死者の数は、8千人から1万2千人の間です。20万人も30万人もベラボーに誇張された数字です。殊に「南京大虐殺30万人」は、中国共産党・中央政治局・中央宣伝部が創作した政治宣伝(プロパガンダ)の数字です。絶対に承服できません。

>これ蒸し返すなら、従軍慰安婦を蒸し返してる韓国を認めることになると思います。

いいえ。日本軍には「従軍慰安婦」なんていませんでしたよ。従軍記者、従軍看護婦、従軍僧侶などはいましたけど。

日本軍は立派でした。占領地域(外国)の女性に迷惑をかけるのを避けるために、日本の売春業者が戦地で営業するのを許可しました。売春業者が雇っている売春婦が、日本軍の駐留する地域で日本兵を相手に商売したわけです。売春婦の多くは若い日本人ですが、朝鮮人も台湾人も含まれていました。日本兵たちは彼女たち売春婦のことを話すとき、隠語で「慰安婦」と言いました。

さて、彼女たちの商売の「値段」ですが、日本内地での「値段」よりもかなり高かったということです。彼女たちも、海外出張して商売するのだから、高くて当然でしょう。

彼女たちは、大いに金を稼いで国元の両親へ送金しました。親孝行でした。家を新築するほど、金を稼いだ女性もいたのです。朝鮮人の慰安婦で、家を二軒建てたと自慢話をするのもいました。

補足日時:2012/03/04 10:16
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この回答へのお礼

私は日本の名誉と日本人の名誉と日本人の祖先の名誉のために頑張ります。名誉を守ることも国益なのです。

お礼日時:2012/03/04 10:22

白髪三千丈ってご存知ですよね。


私は三千丈ってどれくらいだろうかと調べたんです。すると一丈は10尺であることがわかりました。つまり三メートルですからそれに三千をかけると九千メートルになります。
白髪の長さが九千メートル!

日本人のジョークの限界は何メートルでしょうか? 私はせいぜい三メートルだと思います。
俺、仙人の真似をしてさ~、山の中にこもったんだよ。すると髪がどんどん伸びてきて三メートルに達して困っちゃったよ、ガハハ。みたいな話です。
それが中国人にかかると9千メートル!
だからね、中国人は3千倍にするのが普通です。

それともう一つ。
普通の人は反論されると相手の言い分を聞いて少し数を相手に近づけるのですが、中国人は反論されるとさらに数を増やします。どんどん増やします。
私は南京事件の犠牲者は東京裁判で米国人が証言したものが正しいと思っています。
その米国人の証人は声高々に日本人の虐殺を述べました。証言が終ると日本側の弁護士が尋ねました。
「貴方は貴方自身の目で何人の虐殺を見ましたか?」
すると証人は急に発言が弱弱しくなり、小さな声で「一人です」と答えました。

この回答への補足

>南京事件の犠牲者は東京裁判で米国人が証言したものが正しいと思っています。

それは何人ですか。


>「一人です」と答えました。

その一人というのは、日本兵に誰何(すいか)され何も言わずに逃げ出したので撃たれた人物のことです。

補足日時:2012/03/04 12:34
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この回答へのお礼

>中国人は3千倍にするのが普通です。

すると、GHQ発表の数字が「130万人」ですから、中国発表の数字は今後も増え続け、「130万人」の3千倍で「40億人」まで行きそうですね。 ^ ^;

お礼日時:2012/03/04 12:48

30万人です!

「いわゆる『南京大虐殺』の数は何人ですか」の回答画像5

この回答への補足

これ、黒大理石ですかぁ。高価ですよ。 立派なものだ!!

補足日時:2012/03/02 10:06
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2012/03/06 00:24

30万人です。



多すぎる、と抗議すると、数は問題ではない!
と反論してきます。

ちなみに、中国が発表するこういった人数は
増加していく傾向があるそうです。

日本政府が問い合わせても、答えはないそうです。


(参考までに)

■日中戦争犠牲者数
終戦時    130万人  GHQ発表
終戦時    130万人  国民党発表
1948年    438万人  国民党政府報告書
1950年代   1000万人  共産党政権発表
1970年    1800万人  共産党政権発表
1985年    2100万人  共産党政権発表(抗日勝利40周年)
1998年    3500万人  江沢民発表
2005年    5000万人  卞修躍博士発表(抗日勝利60周年)

この回答への補足

>1998年  3500万人  江沢民発表

これは、よく知っています。1998年に江沢民が来日して早稲田大学で講演したときに、初めて「中国軍民3800万人が死んだ」と言いました。

中国共産党は、結党以来、中国人同胞を1億人以上虐殺しました。
◇1949年(中華人民共和国建国)以前………9百万人前後
◇建国後、ただちに地主階級と資本家階級の一族郎党、親戚まで、2千4百万人
土地を小作農に与えるために、金を共産党の資金にするために同胞を大量に殺した。
◇共産党の大躍進政策の失敗で、農産物が激減した。同胞に渡らないで、餓死者も出ていた。そんな時、ソ連から核兵器の技術を含む技術を得るために、農産物を供与してバーター取引をした。3千万人~5千万人の餓死者を出したと言われる。
◇反右派闘争で1千万人から1千5百万人
◇社会主義文化大革命の10年間で、2千5百万人~3千万人の同胞を殺した。国家主席を務めた劉少奇も殺された。

中国共産党は、1億人以上の同胞を殺したとは認めたくない。しかし、さすがに全部は隠しきれないので、共産主義革命の過程で3500万人の同胞死者を出したことを、公式に認めました。これが1995年ころのことです。

そして1998年、中国共産党は「3500万人」という数字の衝撃を和らげるために、「日中戦争の犠牲者3800万人」と言い出したのです。

補足日時:2012/03/02 10:34
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2012/03/06 00:24

2,3、年前に「南京で日本軍に虐殺された被害者は『50万人とも60万人』とも言われる」っていう中国のTV報道を見ましたが?


たまたま友人と一緒に見ていて「100万人突破するのは時間の問題だぁー」と笑った記憶が有ります。

例の南京の記念館には行った事がないので、そこに何人と書いてあるのかはしりませんが。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2012/03/06 00:25

この回答への補足

下のサイトの中国語ウィキペディアで使われている写真は、すべて、劇映画のシーンです。事実を撮影した写真ではありません。

日中戦争当時の中国国民党・中央宣伝部・国際宣伝処が、欧米の世論を中国の味方にするために制作した政治宣伝(プロパガンダ)映画「THE BATTLE OF CHINA」のシーンです。登場人物のほとんどが中国の俳優です。国民党から金を受取って祖国日本を裏切った売国奴の日本人も、数名が出演したようです。

補足日時:2012/03/02 22:27
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この回答へのお礼

上のサイトを見ると、30万人に増えたのですね。どうせウソを書くのなら、いっそのこと、100万人にすれば良かったのに。 (^ ^;

お礼日時:2012/03/02 10:01

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