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陰山英男氏の次の発言が話題になっています。

>最近、自分の名前であっても学校で習ってない漢字を使ってはならないと先生が指導するという。おかしい。だって名前の漢字はすべて学校で習うとは限らない。ならばいつまでも自分の名前は漢字で書けない。名前は親が指導し、学校では友達の名前を読めるように指導すべきと思う
http://www.news-postseven.com/archives/20120301_ …

上記の記事には、このように指導することの目的が書かれていません。
未習漢字を使わせないことの目的はなんでしょうか。

「私は今の教育現場を知っているが、こんな指導は絶対に実在しないはずだ。都市伝説だ」というご指摘でも結構です。

(※目的が知りたいのであって、漢字制限指導の是非を問う質問ではありません)

A 回答 (5件)

漢字で書かれた友達の名前を読めるようにする時間があったら


学習指導要領等で定められた、やらなくてはならない範囲を進めたい

または、「(友達の名前なのに)なんて書いてあるのか読めません!」
といちいち聞かれても困る

といったのが理由では?

当方小学校の教員ですが、
「先生に出すもの(宿題など)やおうちの人に見てもらうもの」は漢字でOK。

「友達同士で見合うもの・他の子が見る(図工の作品など)・
係の友達が返却してまわるもの」は漢字はNG。
と伝えています。

このやり方で今のところ混乱はありません。

ついでに、無理に漢字で書こうとする子もいるので
「自分の名前を漢字で書いて、もし間違っていたらちょっとかっこわるいと思うよ」
と無理なく書くよう、さりげなく伝えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど、教師の手間を増やさないための措置なのですね。

お礼日時:2012/03/01 23:33

 「学校で教える漢字」、生徒児童からすれば「学校で習う漢字」は小学校学習指導要領の付録にある「学年別漢字配当表」に基づいて定められたものですが、これは「常用漢字の中でも特に使用頻度が高いと思われる」によるとされています。


 この「特に使用頻度が高い」と判断するのは誰かが質問者様からの疑問の背景にあると考えられます。実際に学校で使用する「漢字」は国語の授業だけではありません。社会科で扱う地理的分野や歴史的分野でも漢字は多用され、美術や音楽でも“ゴチック(=呉竹)”や“椰子の実”などのケースもあります。
 この「学年別漢字配当表」や「常用漢字」のベース的な存在が81年に廃止された「当用漢字」です。この「当用」は第二次大戦以前からあった漢字廃止論(漢字は数が多く学習に困難であるから制限または廃止すべきであるとの主張)と戦後のGHQの占領政策(占領政策の国語国字改革の下、簡素化と平明さを目指す)との方針を受けた形ですが、実際にGHQが調査した資料からは「想定以上に日本人の識字能力が高い」ことに驚きを禁じ得なかったとの感想が示され、「当用」には実際の政策的意味がなかったことが知られています。
 「教育漢字」のシステムを支えている背景には現場の小学校教員に「漢字を知らない世代」が増えつつあることや試験範囲以外は勉強する意味がないなどの「テスト重視論」が影を落としているようにも感じられます。
 個人的な感想ですが、試験で出されない=必要のないもの、との短絡的な発想は子供達の柔らかな頭脳にタガをはめてしまう危惧も感じさせます。「この漢字は今の学年で習っていないから使ってはいけません」などとされたのでは文字の使い方にまでチェックが入れられているようで個人的には余り気持ちの良いものではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
しかし、国語政策の話をしているのではありません。つまり

>この「特に使用頻度が高い」と判断するのは誰かが質問者様からの疑問の背景にある

のではありません。

せっかく詳細にご解説いただきましたが、私の疑問とは関係がないのではないでしょうか。小学生の教育漢字は現在1,006文字ありますが、これが増えても減っても「その学年で未習な漢字がある」ことには変わらないからです。

私が不用意に「漢字制限」という言葉を使ってしまったばかりに誤解を招いてしまい申し訳ありません。

なお、「呉竹」はGothicの当て字です。出版・印刷業界の用語であり、小学校で習う言葉ではありません。

お礼日時:2012/03/02 23:46

>しかし命名の話をしているのではありません。



そのとおりなので,「逆手をくらわせる」とふざけぎみに書いたのです 笑。では,マジに:

>私の質問へのご回答

「何年生でこの漢字を教える」という基準から(上に)はずれた行為を許容できない,教師の管理意識ないし奇妙な平等意識があるんじゃないでしょうか。「足をひっぱる」とか「出る杭を打つ」とも表現できる,卑しい根性ともいえます。

なお,ぼく個人は,「習った漢字は全て使え」と指導しているらしい(学生の答案をみるとそう思うことがある)ことにも,疑問があります。あえて「」内はその流儀で書きました 笑。その観点から,ぼくの回答文を読んでみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
生徒の向上心や知的好奇心は教師にとって歓迎すべきことかと思っていましたが、そうではないのですね。

お礼日時:2012/03/02 23:37

逆手をくらわせるようですが,うちの家系には「小学校で習うやさしい漢字で新生児を命名する」というしきたり(?)があります。

そのほうがみんなに容易に覚えてもらえますし,ありふれた名であるぶん<中身>で勝負しろということです。ぼくは大学教員ですが,学生名簿に難しい漢字や読みかたがわからない<名前で勝負する人>がおおくて困ります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
しかし命名の話をしているのではありません。私の質問へのご回答のほうもお願いできるでしょうか。

お礼日時:2012/03/02 09:50

 学校で未習のことを児童が「披露」することを禁止、あるいは自粛させるという不文律は、私自身の昔にもあったように思いま。

しかも学年が低い時ほどそのような「雰囲気」が強かったような気がします。

 教師側の目的は明確には説明できませんが、知識の豊富な児童が、教師の説明を先回りし、説明を要する児童に答えだけを知らせてしまう結果を避けるためのように思います。または、発言する児童が固定化し、平等性がなくなるからでもあるような気がします。どちらも私見ですが…。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
クラスの「和」が乱れる。これはたしかに日本人の基礎教育として好ましくない事態です。

お礼日時:2012/03/01 23:52

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