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どのカテゴリにしようか迷ったのですが。
双葉町が庁舎の土地、建物への賠償を東電に求めたという話がありました。
しかし、資本主義の原則論としては、これはおかしくないでしょうか。
原発事故がなければに期待できた収益に対する損害賠償は、すでに行われています。
そして、不動産(特に土地)の価値というものは、その土地が将来生み出すであろう収益で決まっているはず。
つまり、土地の資産価値(の下落分)と、その土地が生み出すはずであった収益、の両方に賠償するのは二重計上ではないか、と思うのですが。
これを認めたら、資本主義が成り立たなくなると思います。

精神的な苦痛(これは明らかに二重計上ではないし、実際、精神的苦痛がものすごく大きいことは明らか)で巨額の賠償を求める訴訟を起こした、というのでよく分かるのですが。

A 回答 (5件)

今回の津波は、「異常に巨大な天災地変」に該当しますのでそもそも原賠法から


東電の責任は免除されるものです。訴訟が数多く起きたほうがそのことが明確になるので
好ましいと個人的には考えています。

賠償についての基本的考えは、貴兄の考えとおりですが、
そもそも論として賠償など必要ないというのが正しいのです。
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このサイトでは議論は禁止されているので最後にします。

最初の質問文から補足に至るまで何度も読み返し、考えましたが、土地の資産価値を下げた原因もこれから得るであったはずの収益がなくなったのも原発です。仮に価値が下がらなくても、収益を獲られたにしても、それば二重取りとは言いませんよね?
同じように考えれば賠償請求しても仮に二重になったとしても、何等資本主義理念に反してはいないと考えます。
土地はあるだけで価値が生じます。石もそうです。 自分の欲しい回答が得られないからと補足して論点を整理しないで、最初からきちんと質問文を書くべきです。また、相反する回答に対し、考え方を指南するのは間違っています。
これで失礼します。
正に私はその土地の所有権がありますから。これから闘っていかなければ、人生が狂いますので。

この回答への補足

私自身は、最初の質問文から、論点を変えたり絞ったりしたつもりはないのですが。
私の疑問は、つきつめると、そもそも何故、土地といものに値段がついているのか、ということなんですよね。
おっしゃるように、もし土地はそれ自体で価値がある、のであれば、当然、二重計上の問題は生じない。
もし、土地の価値は、そこから生まれる期待収益の総和で決まっている、と考えれば二重計上になるでしょう。
土地自体が価値があると思うと、例えば近くに駅ができると土地の値段があがる、というのが説明できない気がします。(例えば、モノ自体に価値がある貴金属なんかは、回りの環境によらず価値は一定のはず。)

やはり、このカテゴリで質問したのは良くなかった気がしてきました。
学問→経済、のカテゴリで質問し直します。

補足日時:2012/03/11 11:05
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#1です。


未だに土地建物の件については、一般人は個別に闘っている状態で、国の買い上げと東電の賠償は別々ですから、二重請求にはいずれにしろならないと考えます。大熊町の方一件のみ解決しましたが、最低ラインでとのこと。この方が国からも賠償金を貰う話になったとしても、合わせて倍になる金額ではないので、補填にしかならない。
どのケースにしても、2倍になる、つまり二重計上にはならないと考えます。

この回答への補足

何度もありがとうございます。
いまいち、E-1077さんに私の問題意識(質問の意図)が伝わっているのかどうかがわからないのですが、伝わっていますか?

論点は、国と東電から二重払いにならないか、とかではなくて、
資産価値下落分とその資産が生み出すはずだった期待収益の両方を賠償するのはおかしくないか、ということなんですが。
そして、E-1077さんのお答えが、「資産価値下落分と、期待収益の両方に対して賠償されることはないと思考える」というのであれば納得です。

補足日時:2012/03/10 11:34
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#1です。

補足を受け再回答します。
だからね?今回双葉町が出したのは町所有の公共施設分なのです。
政府の指針は本日の新聞に震災前の価値全額を補償すると決まったようです。 政府は公共施設については言及していませんから、今のところは二重請求にはなっていないということです。

この回答への補足

つまり、町に関しては二重計上ではない。なぜなら町はこれまで、逸失利益に対する賠償をもらっていないから。
しかしながら、今後、例えば政府が民間の土地を、事故前の評価額で買い取るという方針をだしたら、それは二重計上になってしまう。なぜなら、民間業者は事故がなければ手にしたであろう収益(の1年分)の賠償をすでに受けているから。(少なくとも買い取り金額は、事故前の評価額から、賠償済みの1年分から割引率等を考えて換算される分については二重計上となる)
ということでよろしいですかね。

補足日時:2012/03/09 12:56
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 資本主義の原則論ってなんですか?


 原則は原則であって、それ以外の対処もあり得るのですよ。

 本題。

>> 収益に対する損害賠償は行われている。

 これは個人事業主や商工会や漁業・農業・観光業に対するものであって、町そのものの施設への賠償請求は初めてのケースです。今回双葉町は町の施設に対しての請求ですからその辺混同しないでください。
個人の話ではないということ。
 つまりは二重計上ではないということです。

 よく損害賠償と精神的損害に対する賠償を混同される方がいるのですが、実質的損害の賠償と精神賠償は全くの別物です。
 今後使われなくなった土地での収益分を請求することのどこが二重請求になるのでしょうか?不動産事業などもあるんですよ。それはどこが補てんしてくれるんです?価値が下がったのは東電の事故のせいです。減価償却分を差し引いてもあまりにも理不尽です。

 今後精神的賠償が主体になってくる時期が来るでしょう。ある程度政府が土地建物の買い上げ借り上げが進めば、東電に対する請求は、不就労分の損害賠償請求とと精神的苦痛に対する補償請求になるからです。

 ここで私の考えを書きますと、もともとその使えなくなった施設って東電の給付金で作ったものじゃないの?ていう考えもあるのです。学校などは別ですけど。その点を踏まえて今回は全体の一部であるとは言ってますけど。

 双葉町町長の考え方はあまりにもわかりづらい。

 精神的な賠償は個々人の考え方や感じ方があるので、ある程度の指針が出されるのは良い事だと思います。
 私だって何億貰っても納得はいきません。お金じゃ解決できない問題をある程度のところで折り合いをつけなければいけないということです。

 今後増えていくことを願います。長期に渡ればもっと苦しくなるのですから。。。。

この回答への補足

ちょっと質問が悪かったですかね。町は失った収益についての賠償を受けていまんから(そもそも、行政は収益事業ではないですし)

私が言いたかったのは、まさに
>ある程度政府が 土地建物の買い上げ借り上げが進めば 、
これです。
農協でも工業でも、持っている資産をもとに労働力を投入して収益を生み出しているわけで、
資産の価値(評価額)は、それが将来生み出すであろう期待収益をもとに決まっているはずです。
とくに、建てること自体にお金がかかっている建物と違って、土地の値段を決めているのは、100%、売り手買い手双方がその土地から期待できると合意した将来の収益だと思うのですが。
土地そのものには、落ちている石と同じで価値はないでしょう。土地に多くの人が納得する評価額がついているのとすれば、それは、多くの人が、その土地が将来生み出すであろう収益にある程度合意がとれている、ということなはず。

原発事故があって、土地の評価額が下がったとすれば、多くの人が、その土地の期待収益が、事故がない場合に比べて下がった、と思ったってことですよね。
だとするなら、原発事故がなければきたいできたはずの収益と、原発事故による土地の評価額の下落分、の両方を賠償するのは明らかに二重計上だと思うのですが。

補足日時:2012/03/09 12:21
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