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ストレートすぎる質問です。

今の僕の考えを書きます。

「すべての現象を第三者的視点から見てテキスト化する職人。」

人間はどーだ。愛はこういうシステムだ。人間は奴隷だ。
それに対し「おい違うだろ!」とテキストや手紙や、会って話したり、新しい発見に共感して考えが変わったり。

これってインターネットに似てません?

だから今は哲学や思想が身近になり、自分の意見を今僕もこうして公開してる。
難しい文体ではなく、現在のカルチャーの言葉でこうやって。

紀元前からいる思想家なども文字に残したり、言い伝えだったりで残し、それを未来の人間が読んで
「あーでもない」「こーでもない」と論ずる”場”が哲学なのかなと。

だから哲学とは今は言葉を変え、インターネット、掲示板と言葉を変え、身近な存在なんじゃないかと思うんです。

このように論ずることも生きる上で退屈なのでやってるだけで無意味なんでしょうけどねw
生まれたからには仕方ないので奴隷を楽しんでます!


ふんだんに妄想が含まれる質問だと思うので、あまり熱くならず、笑える程度のお話が出来ればと思います。
自分はネットで読み漁る程度の知識しかありませんがよろしくおねがいします!

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A 回答 (14件中1~10件)

哲学者は、この世に生きる物みんなです。



考えて、人と議論する、これがすでに「哲学」。

哲学しない人は、よく「哲学は物事をあえて変わった見方をすることだ」みたいに勘違いしてることが多いですね。

インターネットの意見交換、ブログを見ることもそうですね。

考えを変化させて、あらゆるものを知ろうとすること、それが哲学です。

哲学は誰もが楽しめるものです。
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私見です,ということで…


哲学者は本当の世間を知りません。本当の苦労を知りません。言葉で他人を欺き勝とうとします。
思想家は本当の闇を知りません。本当の死の意味を知りません。五体を使い他人を惑わし迷わせます。
どちらも頭の中でしか仕事をしません。
いやいや…,私たちがいたからこそ人類は進化したのだ,進歩したのだという人達もいますが,長い歴史を見れば,その人達がもたらしたものは何もありません。
極論ですが,戦争等は無くなってないですから。
ネジ一本作れない人が,頭の中で ”さも自分はロケットを作った!! ” とプレゼンしていると言ったらどうでしょう…
ただ,色々な考えを学び自分の糧にすることは,とてもいいことだと思います。
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No.11です。


>すべての現象を第三者的視点から見てテキスト化する職人

第三者的視点から→8割くらい

哲学者のほとんががこの視点で見ますが
哲学者のの中にはこの視点に疑問を持つ人もいます。
第三者的視点=科学的・客観的な見方より
個人的な視点=文学的・主観的な見方が重要だと考える。

テキスト化する職人→同意見です

テキスト化というのは伝達を目的としてるわけです。
人間は社会的な生物なのであり哲学者も例外ではないです。
哲学の著作というのは職人的な地味な作業が必要です。
文学の詩作のように単なる思い付きだけではだめなんです。
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哲学者って何ですか?



哲学者とは物を考えるのが好きな変わったタイプの人間です。
普通の人は生活以外のことはあまり深く考えません。
何を食べようか、何を着ようかなどを考えます。
哲学者は生活の利害を越えて根本から考えるのです。
人間とは何か、人生の意味とは何かなどを考えます。
これらは簡単に答えはでずに生活には何の役にも立ちません。
だから、社会で生活する普通の人間から見ると、
哲学者は何の得にもならないことを
何故あんなに必死に考えるのかと理解不能なんです。
それで哲学というのは高尚で難解な感じはあるけど、
言葉の遊び、単なる妄想、暇人の時間潰しではないかと疑うわけです。
哲学の意味を根本から考えるとそういう皮相な見解にはならないのは
哲学好きならすぐに分かると思いますが一般人ではそうではないのです。
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現実に人の何倍もの困難を経て乗り越えた経験ある哲学者や思想家は、


後世への伝道師だが、
それ以外はただ一見小難しい言葉遊びしてるだけのの三流の暇人。

論じテキスト化する?そんなのそこそこ優秀な人間ならだれでも出来るのでそこにたいした価値はない。
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例え話をしましょう


(1)哲学者→人生を論じる者
(2)思想家→人間を論じる者

と言うのは如何ですか??
貴方の思考が高度に洗練される事を祈ります
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

おお!端的でわかりやすいです!
ただ僕の考えとは違うっぽいので妄想話にお付き合い下さい!
確かになんとなくわかります、言い得てる!と僕なんかが勝手に思っちゃいましたけどw
お互いにとっての大きさというか、枠というか、その順番は僕と同じで思想の中に哲学が収まってないと成り立たないと僕も思ってます。
(2)はどんな事も根拠があればイメージしていい場所。悪魔が実在するなら根拠を筆にまとめればいい。
(1)ではそれにどう対処すればいいか、を考える。そしてそう行動する人。

ここの回答者様の意見を読む内にこんな考えになってなってきました。
でも哲学って知れば知るほど色んな事に冷めそうで怖いです。

ありがとうございました!

お礼日時:2012/03/14 09:39

 こんにちは。



 ★ 哲学者、思想家ってなんですか?
 ☆ 哲学と思想とを無理に分けるとすれば 哲学は 事実認識に徹します。思想は 事実ないしその現状を一般にさらに良くしようとして変えようとします。

 事実認識だけではなく 想像上の世界についても――つまりいわゆる思弁としての・机上の空論としても――あらゆる可能性を 可能性のそれぞれについてまづは価値判断せずに 考えておくということをします 哲学は。いわゆる迂回生産ですね。

 思想は この迂回生産をむろん視野においてその哲学の営為をできるだけ摂り入れますが いくぶんその傾向としては すでに価値判断のほうに片向きます。つまり 現状の変革を目指します。

 けっきょく哲学も思想としてのいとなみをふくみます。ふくむはずです。ただ そうすると 同じ哲学であるのに 思想としての結論がかなり違って来るという結果が現われます。それほど人びとの価値判断には 差があり 幅があるのだと思われます。

 ということは それでも世界を認識するのだという哲学は こう答えます。
 いくつかの互いに異なる価値観にもとづく世界観が表わされ それらの表現および行動と互いの作用をつうじて 世界観が練られて行き それだけではなく 世界じたいもその様相を変えて行くのだと見るというわけです。これを 自然史過程と言うのだと思います。


 この自然史過程の中に 奴隷も奴隷でない者も 愛も退屈もインタネットもカルチャーもそれぞれいとなまれ 互いに影響しあっていくのでしょうね。


 ★ 「すべての現象を第三者的視点から見てテキスト化する職人。」
 ☆ これは 狭い意味での哲学です。すなわち価値判断を抜きにしてすべての現象を捉えて交通整理しておく作業です。
 したがって 思想でなくても じつは哲学がすでに その人それぞれの世界観をもって ではどうするか・どう行動するかをも考えると言わなければならないはずです。そうして実際に行動も起こします。
 自然科学者の場合を考えれば 分かりやすいはずです。《狭義の哲学》に相当する自然科学そのものの研究をおこない そのうえで 政治社会のことにもその考えを発表することはあり得ます。そうして さらに問題は 狭義の迂回生産としての作業じたいにも 或る程度は 世界観が混じるとも思われることです。ただしこれは やがて事実認識としての分野では 間違いがあったら正されていくとも思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

☆ 哲学と思想とを無理に分けるとすれば 哲学は 事実認識に徹します。思想は 事実ないしその現状を一般にさらに良くしようとして変えようとします。

昨日猫が道で死んでました。僕は物凄く悲しくなり、手を合わせました。でも目の前にあるのは意識のない肉の塊でした。
別にこれは哲学じゃないですけど、こういう思考って虚しくなりませんか?
(投稿者様に言ってるわけじゃありません!誤解されたらすみません!)
僕はまだ本当に数年興味はあったけど、ここ最近になってちゃんと本やネットで調べだして「面白い!」と思って調べ始めた者です。まだなーんにも知らないのにこんなに面白い。
普通に生活してても考え方が変わって、いままでテンパってた事も落ち着けるようになった、反面凄く冷めます。不思議です。多分これもお偉い方の本を読めば解決して、なんか冷めます。また誰かが解決して…。

あと哲学者は多分芸術家よりも次の人類まで名前が残るから羨ましいです。
きっと前の人類の誇張された大物著名人ですよねモーセとかノアとか旧約のスターって。
妄想が膨らんで参りました。この辺で。

ありがとうございました!

お礼日時:2012/03/14 09:29

たとえば私がいくら思索をしても、昼間のほとんどの時間を


建築に費やし、そこから生活の糧を得ている以上、建築家
と呼ばれます。
現代日本において、哲学を生活の糧としているのは、多くは
大学の先生で、わずかに文筆家がいるぐらいです。
それも哲学の核である創造的理解ではなく、過去の哲学の
歴史研究者がほとんどです。

それ以外の「哲学を趣味としている人」は、自分の生きる目的
や目の前の物の意味について、学校教育の与える答えでは
満足できずに、自ら考えているだけです。
他人に対して意見したり、自己顕示するのは、哲学の本来的
性質(自覚、目的)とは別の、手段として使っているだけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>他人に対して意見したり、自己顕示するのは、哲学の本来的
性質(自覚、目的)とは別の、手段として使っているだけです。

と言うことは論ずる事無にもテキストに残さずとも思想家、哲学者になれるのでしょうか?
先ほど知ったのですがソクラテスはテキストに残さなかった方だそうですが。
だとしたら思想や哲学は脳のなかにあって、テキストにアウトプットされたものは脳の中の情報とは100%の一致はなかなか難しいですよね。

となると思想家や哲学者の仕事ってそれを100%伝えるように文字に起こす仕事。
ソクラテスの場合は弟子でしょうかね。弟子がソクラテスの考えを理解してテキストにする。
もしソクラテス本人が執筆の作業をしてたら正確なテキスト化へのショートカットになり、世界は変わってたかもしれませんね。

やっぱりこの話も僕のテキスト職人の外には出そうになかったですw
これも教えてGOO情報ですが、忘れることも大事だとの事。
僕も一旦この思い込みを忘れてもっと大きなイメージにしたいです。

ありがとうございまさいた。

お礼日時:2012/03/14 09:18

わざわざお礼なんていいのに。

。。でもやっぱいいセンスだわ。

『その脳のコピーをLANで繋げたら二次元の文字の感情なんて一切いらない。』
そのとーりですう。文字の意味とか強弱なんて定義できないんだよね。文字を文字で定義しようとすると,無限に循環しちゃうから無駄。言葉は心を超えないの。。。あれ?何の質問だったっけ。まあいいや。

文章が苦手だそうだけど,それだけ中身が濃いってこともあるし。まわりをよく見わたせば,文章がしっかりしているわりには中身が薄いこともあるし,病的であることに気づくこともあります。ってゆーか,病的であっての哲学なのかもって思いましたなう。
ではでは。お気を付けてよい旅を。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
いえいえ、質問してるのは僕ですから興味があるのでお礼させて頂きますw

僕の妄想は多分、攻殻機動隊の受け売りです。
他の質問を見たら分かる通り、結構アニメなども見るので頭が硬かった時よりSFも楽しめるようになって。
哲学や思想が好きと言うより、アニメのキャラが言ってることって支離滅裂なストーリーでも世界史で見ると「うわーマジであった…」と背筋が凍るシーンがある。その事件を哲学者があーでもないだ言い合ってるのが面白くて最近興味を持った次第です。

秀逸なストーリーって、小難しい事を並べて面白くするんじゃなくて。
既に面白い事(ショッキングな事)が歴史的に既に存在してそれをアニメ化しても絶対面白いなとか。
あ、僕も妄想が始まってしまったのでこの辺で!
ありがとうございました!

お礼日時:2012/03/11 22:18

kurala_is様、こんばんは



私は、法律という分野から入った、ということもあって、
「すべての人を「最高裁判所の長官」と同等に、敬う」ということを心掛けていたこともあります。

・・・いつ、誰の見識が、どんな時に、(裁判における)裁判官の判断(材料)と、なるかもしれないですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

法律のスペシャリストなのでしょうか?
すみません僕は裁判は見てても難しくてよくわからないですけど、でも人が人を裁くr\って凄いなって思いました。
だって真実を知ってる人を他人がさばくんですから、なんだか不思議です。

でも裁判は、ちゃんと聞けるようになったら面白そうですよね。
お笑い芸人で年間何百もの裁判を聞いてる人がいたような気がします。
僕が日本史を見て「本当に史実なのかな?」みたいな見方を裁判でもできたらまた違った見え方になるんでしょうね。

ありがとうございました!

お礼日時:2012/03/11 22:37

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