【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編

人を殺すのは無神論者にとって悪くないと思いませんか。

何故ならば神がいないとすれば人間というのはおそらく全ての人が幸せを求めているといっていいでしょう。ではその観点において何が幸せを決定づけるかといえばその人自身です。ともすれば殺人というのはどんな形にせよそれを行った人が良い、もしくは他の選択肢よりマシと結論づけて行ったのであってむしろ幸せを増すかもしれません。
また更に大きな目で見ると人は無限という時のうちの有限の存在でありかつただの物(無神論は唯物論を包括しているから)に過ぎません。つまり人間の行うことは無に等しく、それらの行う業はすべて出来事と言ってよいかもしれません。

これらのことから私は殺人は無、そうでなければ出来事、そうでなかったとしても幸せを増し加える可能性があると考え全く悪いものではないと考えるわけです。

私はプロテスタントよりなのでこう考えているわけではないのですが無神論者にこう言われてしまえば無神論という範疇において反論のしようが無いと思ったので質問した次第です。

追記
失礼ながら感情をベースにした論は歓迎ですが感情のみの論はご遠慮願います。
また無神論という範疇においてご意見をおねがいいたします。

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A 回答 (19件中1~10件)

補足を読ませていただきました。



>つまりあなたの言っていることだと育った環境がすべての判断基準で、絶対的な基準がないのがあなたの思う無神論ということになるのでしょうか。

無神論、ではなく全ての人間がそうだということです。
無神論者だけではない例として、他の回答者も挙げていますが、神信者でも神の存在を理由に殺人や戦争を起こす人達もいます。自己の崇拝する神や宗教を同様に崇拝しない者は人間ではないと考え、他者に害を及ぼす信神者すらいます。
自己内の定義づけ(=主体)によっては、誰であろうと殺人を正当化できると言う事です。
即ち、遠まわしに(善悪を規定する)神に関する記述も「育った環境」を構成するものの一つでしかない、と言っています。

>求めた結果プロテスタントであってその時点で満たされてるので求めるということはないように感じます。
満たされなければ主体が顔を覗かせるのではないでしょうか。あなたがそういう人はプロテスタントではないと定義すれば、プロテスタントは満たされてなければならないので勿論あなたの感じ方はは正しくなりますが。
しかしこれはは定義の問題です。



>伝わりにくくて申し訳ないのですが、私は社会(多数決など主体以外が干渉するもの)における殺人善悪を聞いているのではなく主体にのみ焦点を当てているのです。

私も主体に焦点を置いているつもりです。こちらこそ伝わりにくくて申し訳ない。
社会が悪と規定するから駄目と思う、ではなく、主体によっても社会が規定する感覚に身を委ねる事で満たされるため、殺人は悪となる、と言う事です。
有名な欲求の一つとして、人間には集団に属する欲求や認められたいという欲求があるのでこれはそう疑問に思う事でもないと思いますが。


>自分が一番重要と位置づけたのですが間違っていたのでしょうか。。

自分が一番重要と言う事に関しては、厳密に言えば必ずしも間違ってはいないですよ。
他者に優しくしたり、自分よりも子供の幸せを優先したりするのも、その根源に自分の満足(心地良い)がある。従って実際には自分が一番なのである。という論法は成立し得ますから。
ただ、そこまで掘り下げてしまうならもはや神信者に対してもこの論法は通じるので無神論者とわける意味がありません。

この回答への補足

補足を読んでいただき一つ一つ丁寧な回答を有難うございます。

確かに育った環境が悪く、言葉が出来なければこのように思考実験をすることもできませんし大いに左右されますね。

すみません。神信者というのをプロテスタント以外ありえないと自分が考えていたのでそのことを前提に書いてしまっていたようです。

神を信ずる=即無限の恵みの実感(もちろん若干のタイムラグはあると思います)へつながるはずなので聖書という観点からするとプロテスタントは常に満たされていると思います。 そしてプロテスタントの基準や定義=聖書となるべきなのでここは間違ってないと思います。
例外があればそれは自称で真実ではないプロテスタントだと思います。


その掘り下げた定義で話していました。その上の回答に対しても同様です。
確かに無神論者とプロテスタントを分ける意味がなかったですね。

補足日時:2012/03/18 01:40
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この回答へのお礼

私に数々の不備はあったものの素晴らしい回答を有難うございます。
これでまた真理に一歩でも近づけるといいのですが。。。

お礼日時:2012/03/18 01:40

丁寧な補足有難うございます。


Wikiによると無神論者として毛沢東,レーニン、トロツキー、スターリンが名を連ねていますが、ろくでなしの殺人者、否大量殺戮者が多いですね。

この顔ぶれを見れば、通常の神経の持ち主なら無神論者に不信感を持つのは仕方ないかと思いますね。
ヒトラーはカソリック教徒でしたし、トルーマンはプロテスタントのだったとの事ですので、一概に無神論者=ろくでなしの殺人者とは言えないでしょ。

補足に無神論における善悪の定義を示してもらいそれにそって答えて欲しかった・・・との事ですので
まず、私は宗教を否定するわけでも神を信じる人を否定する訳でもありませんし、すべてが現代科学で証明されると思っていません。
ただ、私には神は存在しないし必要性も無いと思っています。
ここで、無神論を展開する必要は無いと思いますので、私の善悪の定義を示します。
前回も投稿させて頂いた通り、
一般的に無神論者にとって善悪は時代・場所またその人の価値観から生まれてくるものと考えています
私にとって、私の判断基準=善で有ればいいな位は思っていますよ。
しかし、あくまで自分中心です。
従って私にとって正誤・美醜・好悪・勝負に比べたら善悪はあまり意味が無いし、どうでもいいのです。

私の判断基準から言えば、他人の利益を私の利益より優先させる事も当然あります。
今まで受けた教育、経験そして学習したものが判断基準であり価値観です。

そして殺人は悪いと思っていない・・・・#15に続きます。

私の判断基準で取った行動が法と齟齬が生じない限り犯罪者にはなりません。
法や世間の慣習と齟齬が生じた場合は、遵法・世間体・身内への迷惑と秤にかけてそれなりの行動をする時もあります。

この回答への補足

無神論者をろくでなしたちだとは思っていませんよ。
同じようにこの世界において素晴らしい実績を残した人たちがたくさんいたことも知っています。
キリスト教徒もだいぶひどいことしましたね。
でもプロテスタントと無神論が根本的に違うのは思想自体が危険につながるか繋がらないかということだと思うんです。
ソフトウェア(宗教等)がどうであってもハードウェア(人間)が良くなければあんまり意味はないのかもしれないですけど。。。

↑についてこれは個人的な感情や経験に基づく意見ですがそれを差し引いても人にとって唯一キルケゴールの言う絶望やパスカルの言うの心の穴を埋めてくれるという救いがある道ではないかと期待しているんです。



確かに主体という観点になると善悪なんてどうでもいいですね。自分がどう感じるか一番重要なんですよね。

以下の文章はわかりました。


私の文章がもしかしたら見下したりだとかそういうふうに見えたら申し訳ありません。決してそんなつもりはありません。

補足日時:2012/03/18 02:08
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この回答へのお礼

ご要望に詳細に答えて更に一つ一つ回答していただきありがとうございます。

お礼日時:2012/03/18 02:08

>私が中途半端な知識しか持ってないことは否定しませんよ。


>他の方と違い私の理論をあなたはひとつも崩していないですし、経験のみで理論を判断しているようにしか見えません。

中途半端な知識での理論は崩すまでもなく破綻しているのですよ^^♪♪♪
もっとご自分のことを客観視しませんか?
それは難しい事かもしれないですが、この社会で生きてゆきたいと思うなら超えなければならない、貴方にとっての大きな壁です♪♪♪
がんばって!!^^♪♪♪

>私が中途半端な知識しか持ってないことは否定しませんよ。
>一部分を抜粋して批判するのはアインシュタインの相対性理論が間違っているとネットで言っているような人と変わらないと思います。

中途半端な知識から搾り出された破綻した質問者さんの寝言とアインシュタインを比べるのは、彼を冒涜としか言いようがないですね♪♪♪
ご理解いただけないですか?

質問のような考えを改めることが出来ないのなら、ネットの世界でも質問者さんは実生活と同じような境遇に置かれることになると思いますよ♪♪♪

この回答への補足

あなたは私が社会不適合者のような話しぶりをしますね。
しかし初対面の人には鉄板ジョークをかましたりして楽しみ、同じような仲間と一緒にいることによって意外とやってけるもんですよ。

ですからどこが具体的に破綻しているのかわからないと言っているのです。
確かに部分的に矛盾があることは他の回答者様が指摘してくださったように認めます。
しかし私の思考実験である根本的な理由、つまり殺人を肯定できる理由がないとあなたは述べています。
あなたはあなたよりも賢いであろう歴代の殺人が悪くないとした哲学者達を否定することになりますよ。私がアインシュタインという一人個人を批判するだけで冒涜というのにあなたは歴代のそういう哲学者たちを全員否定しておいてなんとも思わないのですか。
思うとすればあなたももっとご自分のことを客観視しませんか?
思わないとすれば傲慢も甚だしいと思います。

それとこれは少し引っ掛けたのですが人は全て中途半端な帰納法を元にしか生きることができないということはあなたが学問のある方であれば理解しているとおもいます。(ブラックスフワンなど)
あなたは私を中途半端な知識では人をアインシュタインを否定出来ないと言いました。
しかし彼も不確定性原理について神はサイコロを振らないなどと発言し、後にそれが間違いだとわかりました。
つまり彼ですら中途半端な知識しか持ち合わせていなかったんです。
この前提によると私がアインシュタインを否定出来ないとすれば同じく中途半端同士であるあなたも私を否定できないことになります。
上の論理は完璧だと思いますがあなたはこれにすら批判する(できる)のですか?
仮にあなたがこれに対して批判をすればあなたはこの分野を語るほどの厳密性を持って問答していないと告白するようなものだと思います。

それに中途半端な知識であっても部分的に主体や前提というものを理解せずに話す人の事ぐらいはわかります。
社会と主体、無神論上の話とあなたの人生経験上の話、これらを分けることからはじめましょうか。

私の考えではなく思考実験だと書いてありますがわかりませんか?もしそれが偽装で私の考えであればプロテスタントよりという事が説明できないでしょう。
それすらも疑うのであればあなたは質問者と回答者の範疇を超えたことをやろうとしてると思いますよ。

あなたこそ全てとは言いませんが自分の理論の一箇所も否定しないのであれば頭の硬い人と言われたり、海外へ行った時に表面だけの関係や社会不適合者になる可能性が高いと思いますよ。
あなた、他の国の人達と精神において深く交わったことがないんでしょう。また別の社会に入った時に自分の国の中や周りの社会なんて意味が無いことを知らないんでしょう。もう少し多くの考えを持ったほうがいいと思いますよ。

補足日時:2012/03/18 01:26
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>あなたのいうように生きるとヒトラーの政権下であればヒトラーが教える考えに従うということになってしまいます。



中途半端な知識で遊ぶ姿は滑稽ですよ^^♪♪♪

貴方が社会で生存を希望するなら、他の人の生存を脅かしてはいけない。

これが人間社会の大前提です。

もちろん例外はありますが、貴方は例外の世界で生きるヒトなのですか^^♪♪♪

この回答への補足

私が中途半端な知識しか持ってないことは否定しませんよ。
だからといってどこが理論の間違いになっていますか?
自分が知っている限りがその人にとっての社会ということはあなたにも理解できるでしょうが、その場合ヒトラーの国ような国に生まれていたらその指導者の考え方にそまるという考えのどこに間違いがあるのですかね。

あなたは私の言っていることを読み、理解したのでしょうか。もし理解したのであれば社会においての悪という見方は私の主体かつ無神論の視点からの質問とは見当違いとわかるはずですよ。

あなたが知識のある方であれば無神論のその人個人にとっての死と他人の死は意味が違うことは理解してると思いますが、そういう観点においてその人個人の死に直面するということはすべての喪失に当たると思っています。
そういう意味で人間は全員孤立した人生だと考えています。

他の方と違い私の理論をあなたはひとつも崩していないですし、経験のみで理論を判断しているようにしか見えません。
論理立てて無神論と主体の観点から批判、意見を述べてくれませんか。
一部分を抜粋して批判するのはアインシュタインの相対性理論が間違っているとネットで言っているような人と変わらないと思います。

補足日時:2012/03/16 16:37
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まず


>人を殺すのは無神論・・・について
私は、無神論者です。
そして殺人は悪いと思っていない。
状況によりますが、必要なら躊躇いなく殺しますよ。その位の覚悟なしで生きられないでしょう。
しかし、法で殺人は禁じられており裁かれますから、よほどのことが無い限り人殺しなどしないのです。
そして、法的に裁かれなくても、今まで受けた教育や経験や世間体も有りますから殺さない様に手加減するのです。

神を信じ信仰心のある人達
質問者様は、現実をご存知ですか?
聖戦などといって平気でテロ・内乱・戦争で殺しあっています。
悪とは思ってはいないでしょう。
神を信じる彼らにとって、殺す相手は悪魔の手先なのでしょう。
神を信じる彼らにとって、原爆で殺された広島や長崎に居た人々や東京大空襲で死んだ人は、黄色い毒虫で人では無かったのでしょう。
悪いなどと思っていませんよ。神を信じる彼らは英雄なのです。エノラゲイは勝利を決定づけた誇りなのです。
自分たちに刃向う身の程知らずの蟲を退治しただけなのです。

質問者様は、人の定義と善悪の定義を明確にしていませんね。
無神論者の一人の私は、人とは、人類全てでヒトと言う種をさし、善きこと・悪しきことの判断基準は、時代・場所またその人の価値観から生まれてくるものと考えています。

それを、信仰に判断基準を求めると、
民族宗教(神道・ヒンドゥー教・ユダヤ教・ブードゥー教等世界中にあります)でいう神と
世界宗教(キリスト教、イスラム教、仏教などですね)で言う神では大きく違いますよ。
世界宗教と違い民族宗教の神はその民族を対象をしていますから、当然神のご加護は多民族は受けられないのですから当然、人とはその民族を指す場合が多いでしょう。

しかし世界宗教も元々は民族宗教で信者を増やすため他民族も対象にしたのでしょ?
カトリックとプロテスタントが同根の様にキリスト教とイスラム教も同根です。
ユダヤの民族宗教であったユダヤ教から世界宗教であるキリスト教が生まれそこからイスラム教が生まれていますね。根っこが同じですので異民族に対する思いと異教徒(悪魔の手先)に対する思いは似たようなものでしょう。否、魔女狩りを考えるとそれ以上か・・・・

民族宗教の神を信じる人は他民族を殺すことを悪しき事と認識しない場合が多いのではないですか?
世界宗教も悪魔の手先との認識なら殺害する事を悪とは考えないでしょう。

正・誤は比較的簡単に回答できますが、ただでさえ曖昧な善悪の基準を明確にしていないご質問ですとのここまでの回答ですね。

この回答への補足

本物の無神論者の方の意見を待ってました。
やはり殺人に対してはそのような観点になるのですかね。

多くの宗教に通じてなく、信じるとすればプロテスタントしかないという結論に自分で達しているのでのでjbeamさんの意図とは違うかもしれませんがその目線から申し上げます。
聖書には神様が直接指導なさらない限り人を殺していいことにはならず、それらはすべてプロテスタントにおいて罪です。別の回答者様にも申し上げましたが多分殺害をする人などは聖書を取り違えている、刷り込み、洗脳されている可能性が高く、プロテスタント自体の教えはそのようなものではありません。

人に人類以外の定義があるのは知りませんでした。ご指摘ありがとうございます。
善悪の定義は明記し忘れたのですが人はすべて居心地の良い場所(幸せ、善)を目指すと考え、その反対を居心地の悪い場所(不幸、悪)としてこれが無神論者にとっての善悪だと考えています。これを定義せずに押し付けたことは申し訳ありませんでした。 ご指摘ありがとうございます。

キリスト教とイスラム教には決定的な違いがございまして、旧約聖書で予言されているのがキリスト(救世主)の再来なんですね。これを疑う余地は彼の行動を見てもないと思います。
イスラムはキリスト教に対する横やりのようなもので彼に関することは聖書のどこにも書いてないし、証拠不十分だと言えるのでキリスト教は異彩を放ってますよ。

ただこれも別の回答者様に申し上げたのですが自称キリスト教徒に関しては私は懐疑的です。(個人的な関係なので自称以上言いようがない)
半分以上のキリスト教徒は刷り込みや先入観で本当に信じているのか怪しいものだと思っています。

民族宗教などの怪しい宗教に属する方々とその教えは確かに悪だとは思っていないかもしれませんね。
世界宗教に関してはあまり知らないのでなんとも言えません。

私は回答者様方に無神論における善悪の定義を示してもらいそれにそって答えて欲しかったのですが、私も書き忘れてましたし、そういう回答がほしいのであれば質問に添えておくべきでしたね。 すみません。

補足日時:2012/03/15 18:47
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この回答へのお礼

少しは無神論における考え方を垣間見ることができた気がします。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/15 18:49

>思考実験によって無神論というのは生きる価値と意味をなくすという考えからです



 あなたが、あなたの神に信心なさることは結構なことですが、他を否定する論陣を張ることは好ましくないと思いますね。しかも、「無神論者」という一定の思想する人達と殺人と結びつけたり、生きる価値や意味の喪失という人生の根幹を否定することはあなた自身を傷つけることに気づいて下さい。

 あなたは、思考実験でそのような結論を得たとお思いでしょうけれども、それはあなたの神の反射です。それが如何なる神であるか私には知り得ませんが、あなたにとって、無神論者とは、あなたが思い描く神は存在していないと考える人達なのですから、あなたが神に信心すればするほど、あなたからみた無神論者は、生きる価値を喪失してゆくということです。

 そして、あなたからみた生きる価値を喪失した無神論者は、誰あろう、あなたとあなたの神が作り出した幻想にすぎません。

この回答への補足

結びつけるのではなく結びつくのではないか?という考えです。ですからその根拠になるような考えを質問に添えたつもりでしたが。。。

すみません。こればかりは書き方が悪かったのですが私は無宗教です。ただプロテスタントの教育を受けてきたのでそちらよりの考えが入っている可能性があり得るということで先に書いたつもりでした。
質問の中にその思考実験の一部を書いたつもりでしたが不十分でしたかね。
私は自分の有限の人生の後に無限の無が待っていると想像しただけで自分があまりに小さく見え、そこにのみ生きる自分に価値が見いだせないと思ったのですが。。

最後の[幻想に過ぎません]という部分ですがどうしてこの結論に達するのか理解できません。
もし生きる価値があるということを言いたい結論であればその理由がないと。。。

補足日時:2012/03/15 18:21
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/15 18:21

無神論者にとっての主体的な殺人の捉え方についてですね。



>人を殺すのは無神論者にとって悪くないと思いませんか。

一般的な無神論者にとって「人を殺す」のは悪になります。
何故ならば、神や宗教という存在を用いたものさしが無くとも、他に社会的規範、道徳、哲学、親の教え、人生経験、等様々なものさしが人が成長する上で本人に取り込まれ主体の一部となるからです。
(委ねている、でも構いませんが)
それらのものさしは大部分が私欲での殺人=悪としているため、一般的な無神論者の主体に立っても「人を殺す」のは悪になります。


プロテスタントであっても自己の幸福を求めない人は稀でしょう。
自己の幸福のために聖書を曲解したり、都合の良い解釈をして確固たる自己内武装を施せば自己を委ねるはずの聖書を元にしても悪は悪で無くなりうます。本人にとっては。
しかしそれは歪です。
一般的な無神論者にとっても、自己の幸せのためのみの殺人者とは、キリスト教徒で言うなら質問主さんの仰る「刷り込みの可能性や人間による部分的な聖書の都合のいい解釈による悪の正当化が原因」等となります。

従って、無神論者⇒自分のみが重要になってくると定義してしまった事が質問主さんの疑問の根本的原因でしょう。
定義は自由ですが、それが現実と乖離していれば、自己内で得られる答えは当然空想妄想と変わらないものとなります。
そこに幾人かの回答者との齟齬が生じるのだと思いますよ。

この回答への補足

つまりあなたの言っていることだと育った環境がすべての判断基準で、絶対的な基準がないのがあなたの思う無神論ということになるのでしょうか。

プロテスタントは本来神様が私達に無限の恵みを与えてくださり幸せにしてくださったというのが先に来ると思います。求めると言うよりも神の愛によって作られた時点からそこに存在するというわけですので求めた結果プロテスタントであってその時点で満たされてるので求めるということはないように感じます。

伝わりにくくて申し訳ないのですが、私は社会(多数決など主体以外が干渉するもの)における殺人善悪を聞いているのではなく主体にのみ焦点を当てているのです。
その場合自分の存在が消滅した場合何もなくなりますし、人に優しくするにしてもそれに対して自分がどう感ずるかが重要になってくると思いませんか?
ですから自分が一番重要と位置づけたのですが間違っていたのでしょうか。。

この厳密な分野においてその根拠などを書かなかったことに関しては申し訳ありませんでした。

補足日時:2012/03/15 19:04
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/15 19:04

>これらのことから私は殺人は無、そうでなければ出来事、そうでなかったとしても幸せを増し加える可能性があると考え全く悪いものではないと考えるわけです。



これが質問者さんの本音ということでよろしいですよねっ♪♪♪

無神であろうがなかろうが、殺人を肯定できる論理はありませんよ♪
人は誰にでも人間として生存する権利があります。
しかしそれは、他の人の生存を脅かさないという義務のもとにね♪♪♪
質問者さんには稚拙な宗教論ではなく人間としての義務と権利をしっかり勉強されることをお勧めしたいです。
この程度の道徳=社会生活を営む人間としての基本的な考え方は、小学校で習いませんでしたか?♪♪♪

この回答への補足

私もそれは社会説活を営む上ではとても大事な事だと考えています。
しかし、社会が順調でも自己が幸せのうちにいなければ意味が無いと私は考えるわけですよ。
そして私は無神論者は個人に生きるものだと考えているのでその観点における殺人とはどのような位置づけになるのかということを知りたかったし、批判の意見を聞きたかったのです。

それとあなたは学校で習ったような義務や親の教えを指針にしておられるようですが、あなたのいうように生きるとヒトラーの政権下であればヒトラーが教える考えに従うということになってしまいます。

私は自分にとっての人生というものをできる限り外部の刷り込みや思い込みを省いて追求したいのです。

補足日時:2012/03/15 18:13
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/15 18:13

人を殺すことの善し悪しに宗教なんて関係ないでしょう。



法律で禁止されているから、世界的に悪とされているから、人間的な道徳に反するから。だから、悪いとされているわけでそこに、宗教は関係ないと思いますが。
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この回答へのお礼

確かに人間社会においてはそうです。
しかし主体的な目線からすると悪くないのではないか?という質問だったつもりなのですが伝わりづらくて申し訳ありません。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/03/14 17:51

>無神論という範疇においてご意見をおねがいいたします。



 質問文の内容から、無神論の立場からあなたに直接回答すると曲解される恐れが大きいと感じます。

 なぜなら、質問文で、あなたはあなたの神は正しいと信じており、その対極にある無神論を排除するために無神論者と殺人を結びつけているように思われるからです。

 神の名において神を信じない人々を殺戮してきた歴史的事実とその根拠にこの質問の答えがあります。

この回答への補足

質問文がわかりにくくて申し訳ないのですがプロテスタントよりというだけで今はまだ無宗教ですが、子供の頃からプロテスタント教育を受けたのもあってかプロテスタント的な見方が入っていたとしたら申し訳ありません。(区別して書いたつもりではあったのですけども)

これは一つの思考実験として主体において無神論者は殺人をどう捉えているかということを知りたかったのです。

人間が神の名においてというのは人による罪だと思いますよ。
聖書に書いてあるような本当の神の名によるものであれば神の御心としか言い用がないと思います。

質問の答えがあります。といっておられますが具体的に言ってもらえないと私の考えが浅いせいかいまいちピンと来ません。。。

確かに無神論を排除しようという思いが出てしまったかもしれません。
しかし宗教的な思いからではなく思考実験によって無神論というのは生きる価値と意味をなくすという考えからですので誤解されないよう願います。

補足日時:2012/03/14 18:43
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/03/14 18:43

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