NHKで平清盛をみて質問が一つあります。 平清盛や佐藤義清など多くの人が出家していますが、 なぜ多いのですか?

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A 回答 (3件)

おいらは 変わりました宣言として出家が一般的だったから。



現代であれば、転職するとか、大学に入り直すとか退職するとか、いろいろありましたが、当時は出家以外に方法がなかった。

佐藤義清の場合は、まぁ個人的に家を捨てということです
清盛の場合、息子の重盛の動向を見る必要がある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8D% …
1166 後の高倉天皇の立太子と、重盛の妻が乳母に成る重盛が乳父に
同年12月には東宮大夫
1167年2月権大納言
1167年5月 重盛に対して東山・東海・山陽・南海道の山賊・海賊追討宣旨 そして清盛の太政大臣退任
1168年 清盛出家

平家の棟梁は次、重盛で決まりました宣言となります。
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 平安時代は仏教の力が非常に強かった時代なので,貴族達も死ぬまでに出家して功徳を積めば極楽浄土に行けると考えていた人が多かったものと思われます。

中には本当に俗世が嫌になって出家した人もいますが,引退して後継者に家督を譲る際に出家した人も多いです。
 このような傾向は近世くらいまで続いており,戦国大名にも出家した人はかなり多いですね。
 有名どころだと武田信玄,上杉謙信,大友宗麟,島津龍伯(義久),島津惟新(義弘),黒田如水,細川幽斎など。まあ,徳川家康のように長生きしながら最後まで出家しなかった人もいますが。
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出家する=世俗を捨てる


って意味があります。
家督争いから逃れるためとか、一族に迷惑をかけない為とか、NO1様がおっしゃるように、息子に代を譲る時とかに出家します。でも、実際、僧侶になって厳しい修行をしたりするわけではないので、、、
清盛の場合、自分の一族を強化する為に、自分以外にも権力を持つ人材を作り出し、より広範囲に影響力を発揮するためと、天皇の外祖父になるために、、、政職に就いていると「第二の藤原氏」を周りから意識され、また敵視され、弊害が生じるのを危惧したからではないでしょうか?
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QNHK大河ドラマ 平清盛

 NHKの大河ドラマ 平清盛があまりの低視聴率で
危機的状態だそうです。
原因は分かりませんが、小生は一度も見たことはないです。

 見ない理由は、主演の松山ケンイチがイマイチよく分からない。

松山ケンイチは以前、映画デスノートでL役をやってましたが
よく知らない小生には、目の下を黒く塗った何か得体の知れない
奇行の男という風な、不気味な俳優という印象があって、
この人の出ている番組は、なんかちょっと、という感じで敬遠
します。

 それはともかく、題材としての〝平清盛”に対する魅力があれば
視聴率も上がるのでしょうが、小生、清盛のことは詳しくはないが
見たいとも思わない。全く魅力を感じない。
 後半は義経や弁慶なども出るそうですが、どうなるやら。

 そこで平清盛の魅力を教えていただければと思います。

Aベストアンサー

批評をするならせめて一度は見るのが礼儀とはおもいますが。

松山ケンイチさんは、いい役者だと思いますよ。デトロイトメタルシティという映画で好青年とブチ切れたメタルミュージシャンを見事に演じていました。デスノートもいい演技でしたよね。悪役を演じて観た者が「ちょっとこの人本当に嫌だ」と思わせるなら名優といっていいんじゃないでしょうか。

私は平清盛をちょいちょい見ましたが、なかなか野心的な作品だと思います。特に汚し方がいい。貴族のきらびやかさと武士の汚らしさを強調するためにあえて武士を汚くしたそうですが、それが実によくできています。今までの日本のドラマではあそこまで汚くしないんですね。どうしても遠慮をする。でもそうなるとリアリティに欠けるのです。そこが実に上手なのがやっぱりハリウッド映画で、戦争映画なんかの軍服の汚し方とかは実に上手です。
当時、武士は貴族から汚らわしい身分と差別され軽く見られていたというのを表現しようとしたそうですが、あの演出を私は全面的に支持します。特に海賊の汚らしさが本当に汚くて良かったですよ。いかにも荒くれ者って感じがしましてね。
その反面貴族はちゃんと綺麗にしています。それに気づかずに「画面が汚い」と批判する人はセンスがないことを自ら告白しているようなものですね。

三上博史さんとかもいいですねー。三上さんはエキセントリックな役をやらせると天下一品ですね。阿部サダヲさんもいかにも狂言回しらしいいい演技をしています。

という役者さんたちや演出の上手さに比べて、脚本が弱いなあという気はしますね。24みたいに次から次へと事件が起きれば面白くなるのかもしれないでしょうが、事実に基づく大河ドラマだけにあまり過度なこともできないですからね。

名作というのはしばしば時代を先行しすぎて世間の理解を得られないということがあります。
映画「羅生門」は当初アカデミックすぎて興行は失敗だったし世間の評価も低かったそうです。それがヴェネツィア映画祭でグランプリを獲ったことで一躍名作となりました。映画「幕末太陽傳」のラストシーンは当初、映画のセットや現代の町中を走り回る演出にする予定だったそうです。川島監督はそうしようとしました。しかし、当時は映画のセットを見せてしまうなんてタブー中のタブー。そんな破天荒な演出があるかと大反対されてボツとなりました。しかし当時助監督だった今村昌平さんや主演をしたフランキー堺さんは後に「川島監督のいうとおりの演出にすればよかった」といっています。またアニメの世界に永遠にその名前を残すガンダムも、本放送は人気が出なくて話数が減らされて打ち切りになったというのも有名な話です。
もしかしたら、今回の大河ドラマも「早すぎた名作」になるかもしれません。少なくとも野心的な作品だと思いますよ。

批評をするならせめて一度は見るのが礼儀とはおもいますが。

松山ケンイチさんは、いい役者だと思いますよ。デトロイトメタルシティという映画で好青年とブチ切れたメタルミュージシャンを見事に演じていました。デスノートもいい演技でしたよね。悪役を演じて観た者が「ちょっとこの人本当に嫌だ」と思わせるなら名優といっていいんじゃないでしょうか。

私は平清盛をちょいちょい見ましたが、なかなか野心的な作品だと思います。特に汚し方がいい。貴族のきらびやかさと武士の汚らしさを強調するためにあえて...続きを読む

Q藤原道長や、平清盛などのように 〜の〜〜 みたいになる名前の人のひらがなの書き方は、 「ふじわら み

藤原道長や、平清盛などのように 〜の〜〜
みたいになる名前の人のひらがなの書き方は、
「ふじわら みちなが」なのか、
「ふじわらのみちなが」
どちらでしょうか? 説明が下手ですいません

Aベストアンサー

蘇我・藤原・源・平など「氏(本姓)」の場合は、基本的に「の」を入れますね。
北条・足利・徳川など「名字」の場合は、「の」は入れません。

豊臣だけは、本当は氏(本姓)なんですが「の」を入れないことが多いですね。

名字は平安時代から鎌倉時代に増えていくので、そのあたりが目安ですね。

Q大河ドラマ「平清盛」に詳しい方、お願いします

低評価だった「平清盛」が高評価になっていると聞き、DVDを見ています(当時も8話くらい見てやめました)当時から思っていたのですが、人物(白河法皇のメチャぶりが内容を分かりにくい感じがしました)
孫(鳥羽天皇)の嫁を取るとか・・この時なぜ毎週、初めに家計図等で解説しないのか?と思いました・・具体的に説明しすぎると、王家(天皇家)に対し不敬に当たるのか、と思っていました・・実際はどんな事が考えられますか・・

確かに今見れば「真田丸」などは大河ホームコメディ程度です、「平清盛」は優れた大河ドラマなのに気の毒と感じます・・
画像が汚い(ふんどし姿の武士が相撲とっています)・・当時の武家はこんなもんと思いますけどね・・

Aベストアンサー

全体的に映像が汚いです。王家のシーンはもっと、美しくすれば良かったと思います。
私は全話観ていましたが、脚本も出演者も素晴らしいと思います。

Q平清盛・源義経・菅原道真などは、なぜ苗字?のあとに「の」が付くのでしょうか?

タイトル通りです。
なぜ彼らには「の」が付き、徳川家康や織田信長には「の」が付かないのでしょうか?

Aベストアンサー

「名字」と「氏・姓(本姓)」の違いだそうです。

氏・姓は「賜姓」と言って、天皇(朝廷)から姓を賜ります。ですから正式な名乗りではこの姓を名乗り、~のとなります。昔の皇族が臣籍降下する場合などは、源や平姓を賜って、皇族と縁を切る訳です。

一方、こうして全国に散って行きますと、次第に姓だけでは家を区別出来なくなります。そういう時には姓だけでなく名字を名乗り、「木曽(に住んでる)次郎(と呼ばれている)旭将軍(という役職の)源の義仲」と名乗ったりする訳です。

ご質問のうち、徳川家康は源氏の支流、得川の系図にくっついているので「源姓」。つまり「徳川内大臣源朝臣家康」で織田信長は元々忌部で藤原姓から平姓になったので「織田弾正忠平朝臣信長」となる訳です。
※本来は賜姓なので秀吉の様なケースを除いて普通は姓は変えられない事になっています。ただし、戦国時代では家系図の偽造は頻繁に行なわれ、自らを名門であるかの様に名乗るケースが多くあった様です。

Q片山議員の大河ドラマ「平清盛」批判はファシズム

片山議員がNHK大河ドラマ平清盛の言葉使いが、天皇に対して不敬だと批判しましたが、これは戦前の天皇機関説批判を思い出させるものがあります。

戦前の騒ぎは、戦後になって、機関説の方が正しい、という結論になり、騒いだこと全体がファッシズムそのものだった、と反省されています。

当時の雰囲気では、「天皇を単なる機関だ」などと言うのは、「不敬だ!」という非難でしたが、今回の片山議員の難癖は、天皇のことを「王家」などと呼ぶのは不敬だ!というものです。

「王家」という言い方は、確かに聞きなれない言葉ですので、おやっと思うのですが、どうやらこれは新しい歴史の見方のようです。

片山氏の言い分は、「王家」という未だ定説になっていない言葉を使うのはけしからん、ということらしいのですが、天皇の呼び方について「定説以外は使ってはいけない」などという言論統制を政治家が行って良いものではない、と思われます。

これは明らかに言論弾圧では無いでしょうか?

それとも片山議員は、天皇機関説問題などという過去の歴史のことは、知らないでうっかり言ったことなのでしょうか?

Aベストアンサー

 質問に関して都合のいい部分だけ抽出して論じる人が多いのはご愛嬌ということでw

ところで、言論弾圧、というよりも、「表現の自由」の領分であることは示唆する必要性はないでしょう。

なにせ、NHK大河ドラマは史実を重視したものではなく、ドラマに過ぎませんから・・ね
ドラマである以上は、定説云々ではなく、作者および製作者関係者の違法性が明確ではない限りは、政治的介入は慎まれるべきものでしょう

履き違えている回答の適否は論じる価値はないので、割愛するとして

少し天皇機関説とファシズムとの見解について精査することにしましょう

まず天皇機関説は、国体論争上において重要な位置になりえることは指摘するまでもないでしょう
そして、論理の適否は別にして、その問題が政局となったことこそ問題とするのが妥当だと思われます
つまり、機関説論争が純粋な論争ではなく、政局・疑獄的な政治騒動になってしまった醜態として捉えることが重要であろう、ということです
 確かに、天皇機関説の適否は、政治学的には機関説が妥当でしょうが、結着をみずに現憲法制定をみているし、1章において明確にはその解を得ることはできません。
 したがって、そういう論争があり、その論争によって・・・ということが重要視されるべきでしょう

ところで、ファシズムとの指摘ですが、それが機関説時代のものであれば、そう評価することは可能でしょうが
現在においてはファシズムと批判することの妥当性は大きな嫌疑が生じえる・・と思います
少なくとも、ファシズム的な体制ではないし、当人がファシストである論説を開陳しているわけではないから、ですが、
ファシズムとは何か?という定義も踏まえて、検討するのが望ましいでしょう

片山氏のヒスのような批判は、まるで昨年の「暴力機関」論批判と似たようなものを感じなくはないですが、これが日本社会の国会議員の現実である・・という認識でいいように思います
これが、内閣の人間であれば十分に問題とされる余地はありましょうが・・・

なお、NHKが公器であろうとも、『定説以外は用いるべきではない』という論説であれば、定説など存在しない政治事象は報道出来無いことになりますから、定説云々などは非現実的な論説と言えるでしょう

そうすれば、当然のようにドラマ・アニメなどは定説に依拠しないので出来無いことになるわけですからね

 質問に関して都合のいい部分だけ抽出して論じる人が多いのはご愛嬌ということでw

ところで、言論弾圧、というよりも、「表現の自由」の領分であることは示唆する必要性はないでしょう。

なにせ、NHK大河ドラマは史実を重視したものではなく、ドラマに過ぎませんから・・ね
ドラマである以上は、定説云々ではなく、作者および製作者関係者の違法性が明確ではない限りは、政治的介入は慎まれるべきものでしょう

履き違えている回答の適否は論じる価値はないので、割愛するとして

少し天皇機関説とファシズムと...続きを読む

Q平「の」清盛・・など

平清盛にしろ、源義経にしろ、菅原道真にしろ、昔は「○○の○○」という名前が多かったのですが、北条政子のへんから、「の」をいわなくなったように思います。このへんの時代背景はあるのでしょうか。

Aベストアンサー

結論からいいますと「姓」と「苗字」の違いになります。

「姓」(=かばね)は、生まれ持った血族の氏(うじ)の名前で
古来の蘇我・物部・巨勢・葛城・中臣・紀・大伴・伴・橘・菅原・秦・小槻などがそうです。
源氏・平氏も天皇家から別れた血族の一つです。
これらの名前は「~の」と呼ぶことができます。

「苗字」は新たに姓とは別に名乗ったもので地名などを「苗字」とする場合が
多いです。藤原氏の九条・鷹司・近衛や源氏の武田・平氏の北条などがそれです。

つまり質問の北条政子は、やはり平政子(たいらのまさこ)なのです。
古代から中世にかけてはこの「姓」が正式な名前とされ、古文書にも
「苗字」ではなく「姓」で署名されています。
近世以降、姓が形式的なものになってしまって言われなくなり「苗字」だけをつかうようになったと考えられます。

Q大河ドラマ「平清盛」

「平清盛」がネットでかなり物議を醸している様ですが、何故ですか。

Aベストアンサー

某知事の発言を巡って…
もしくは
NHKがドラマ内で使っている「王家」という言葉を巡って…
の物議だと思います。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120119-00000031-spnannex-ent

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120114-00000008-zdn_n-inet

Q1月29日放送の「平清盛」を見られた方に質問です

昨夜(1月29日)、京阪電車のテレビカーで「平清盛」を見ていました。
車内でのことで、何度か電波がとぎれたりしてよくわからなかったので教えて下さい。

番組の中で、三十三間堂とおぼしき建物が登場しましたよね?
(CGだと思われます。)
堂内には多数の千手観音が安置されていたと思います。
(目が悪くて千手観音かどうかよくわかりませんでしたが)
そのあと、ふたりの男性が弓を射るシーンにかわりました。
(ひとりは平清盛?)

三十三間堂ウィキペディアには次のように書いてあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81% …

この地には、もともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、今に言う三十三間堂である。

上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて旧暦の長寛2年12月17日(西暦1165年1月30日)に完成したという。
(上記より引用)

平清盛が生まれたのは1118年なので、後白河上皇が命じて平清盛が47歳のときに完成したということだと思います。


1月29日放送の平清盛はまだ47歳ではないように思いました。
三十三間堂は存在していなかったのではないかと思います。

江戸時代には三十三間堂で盛んに通し矢が行われたそうで、現在も1月に通し矢が行われています。
三十三間堂の映像ののち、弓を射るシーンになっているので、弓を射るシーンにつなげるために、三十三間堂を映しだしたのかな、とも思います。


質問(1)
1月29日の放送で映し出されたお堂は三十三間堂ですか?
また、どういったシチュエーションで三十三間堂が映し出されたのですか。
未来予測?
それとも通し矢が有名なお堂なので、弓をひくシーンにつなげるためでしょうか。

質問(2)1月29日に放送されたのは、西暦は何年のことでしょうか。

※仮に時代考証がまちがっていたとしても、ドラマのことですのでどうこう言うつもりはありません。
ただなぜ三十三間堂が出てきたのか、気になりました。
(よくドラマの筋がわからなかったので)

よろしくお願いします。

昨夜(1月29日)、京阪電車のテレビカーで「平清盛」を見ていました。
車内でのことで、何度か電波がとぎれたりしてよくわからなかったので教えて下さい。

番組の中で、三十三間堂とおぼしき建物が登場しましたよね?
(CGだと思われます。)
堂内には多数の千手観音が安置されていたと思います。
(目が悪くて千手観音かどうかよくわかりませんでしたが)
そのあと、ふたりの男性が弓を射るシーンにかわりました。
(ひとりは平清盛?)

三十三間堂ウィキペディアには次のように書いてあります。

http://ja....続きを読む

Aベストアンサー

録画しているので
見なおしてみた

1)お寺に関しては No1の通り
弓矢は、清盛と家盛兄弟

家盛の生年が
保安4年(1123年)頃?
大治2年(1127年)?※平治物語による。
なので、この時 9歳か5歳 ずいぶん筋肉のついた子供です

映像は千手観音
たぶん三十三間堂でロケをしているんじゃないかな。できたばっかりなのに古びているし。


※あんな豪壮なお寺を寄進できる大金持ちの忠盛の息子の服が貧乏臭いというは、言わない約束です

Q大河ドラマ「平清盛」の面白さ(?)が分かる人は何割

毎週、妻とふたりして例の「清盛」を視聴しています。

私は『新平家物語』20数巻もわくわくして読んだことがあり(20年前ですが)、歌舞伎や文楽、日本舞踊観賞歴もかれこれ20年くらいです。

大体の歴史は知っていますが、(たかが)テレビドラマに、歴史資料を片手に見る気はせず、
妻と一杯気分を楽しみつつ見ていますが、さすがに妻から苦情が出ました。

分からない、つまらない、

という批評です。妻は寂聴さんの源氏を読んでいる最中ですが、まあ「歴史おんち」に近いでしょう。
それでも、私も正直「何がやりたいドラマかさっぱり」なので、妻の反応はよく分かります。

今回のもぜんぜん「やりたいこと」が伝わってきませんでした。

むかし「仁義なき戦い」というやくざ映画がありました。ぶっちゃけた話、源平など、やくざのあれと変わるところなしとみなせば、
あの映画のような演出のほうがいいのでは、つまり「テロップ」でこの人物は「保元の乱」で喉に刀を刺して自害することになるようなテロップを流すといった演出です。

要するに、「清盛」はどう見ても「面白くない」という事実は曲げらず(教養の高い人はいざ知らず)、
これを次回からも(かえるの顔になんとやらで)懲りずにみていて、少しは面白くなると期待できるのでしょうか。
金を返えせとは言わないが、時間を返せと言わずにすむものかどうかの質問です。
忌憚のないご意見を賜れば幸いです。

毎週、妻とふたりして例の「清盛」を視聴しています。

私は『新平家物語』20数巻もわくわくして読んだことがあり(20年前ですが)、歌舞伎や文楽、日本舞踊観賞歴もかれこれ20年くらいです。

大体の歴史は知っていますが、(たかが)テレビドラマに、歴史資料を片手に見る気はせず、
妻と一杯気分を楽しみつつ見ていますが、さすがに妻から苦情が出ました。

分からない、つまらない、

という批評です。妻は寂聴さんの源氏を読んでいる最中ですが、まあ「歴史おんち」に近いでしょう。
それでも、私も正...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。平清盛を毎回楽しみにしている少数派の30代前半の男です。今回の平清盛がおもしろいという人の割合は、男性の場合は概ね歴史に興味がある人の割合と一致するのではないでしょうか。女性の場合は、ほとんどいないのではないでしょうか。かく言う私もドラマ的には全く興味がなく、俳優さんの誰が出ているのかわかりません。私が、おもしろいと思うのは、平清盛本人のストーリーではなく、その時代背景の変遷です。平安時代というと、桓武天皇の遷都から、荘園が発達し、藤原氏の台頭、院政がはじまり、なんや知らんうちに武士が台頭してきて鎌倉幕府にバトンタッチという大まかな流れは学校で習いましたが、日本国の一大転換点である武士の世の中になる移り変わりは、教科書ではほとんどわかりません。確か教科書の武士の記述は、摂関家の下で徐々に力をつけ政治にかかわるようになったとだけです。今回の平清盛では、細かい時代考証は別にして、どのように、武士の世の中に変わっていったのかを学習できるいい機会と思って毎回楽しみに見ています。そろそろドラマは保元の乱ですね。学校では、保元の乱と平治の乱で武士の地位を確立したと習いましたので、どんな風に時代の主役が武士になっていったのかが楽しみです。ところで、蛇足ですが、大河ドラマで日本の「高度経済成長」を取り上げてもらえるとすごくおもしろいんじゃないかと思います。私たちの年代では昭和の時代は遠い歴史です。感覚的には文明開化くらいの感覚です。歴史の教科書にもしっかりひとこと「高度経済成長という時代がありました」と載っています。でも、この時代は試験にはほとんど出てきませんし、授業時間も足りなく学校ではわかりません。学校では経済成長よりも「公害」について多く学びます。高度経済成長の時代を描いた作品はたくさんあると思いますが、三丁目の夕日のような家族的な視点ではなく、国がどのように成長していったかというような大きな視点でドラマ化してほしいなと思います。長くなってすいません。

こんにちは。平清盛を毎回楽しみにしている少数派の30代前半の男です。今回の平清盛がおもしろいという人の割合は、男性の場合は概ね歴史に興味がある人の割合と一致するのではないでしょうか。女性の場合は、ほとんどいないのではないでしょうか。かく言う私もドラマ的には全く興味がなく、俳優さんの誰が出ているのかわかりません。私が、おもしろいと思うのは、平清盛本人のストーリーではなく、その時代背景の変遷です。平安時代というと、桓武天皇の遷都から、荘園が発達し、藤原氏の台頭、院政がはじまり...続きを読む

Q平清盛はなぜ大輪田(現神戸港)に港を開いたのか・・

平清盛は博多で止まっていた宋船を都(京都)近くまで入らせ貿易の円滑拡大を計るため大輪田を開発したと聞きましたがなぜ淀川河口(現大阪港)に作らなかったのでしょうか。
神戸と大阪では30Km程離れており、都により近くまで大型船を接岸させることができれば運搬費用や時間の点で有利だと思いますが。

Aベストアンサー

その土地を毛嫌いしていたのだと認識しています。
と、言うより寛容(むしろ大甘)な人物だったのでしょう。

歴史的には源満仲は住吉大社に参籠しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E5%A4%A7%E7%A4%BE

ここは源氏の本拠地ですので、何が起きても不思議ではありません。
(近代以前参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C#.E8.BF.91.E4.BB.A3.E4.BB.A5.E5.89.8D


その西に湊を起こせば河内源氏の支配する住吉津には積荷が無くなるので良しとしますが、
本拠地を徹底的に粉砕しなかった事は、後々の大失敗の要因のひとつになります。


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