アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 少しばかり前に宮島の鳥居について質問しました。答えてくださった方ありがとうございました。
 前回の質問:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=69562

 いろいろと調べていくうちにレポートとして、四脚鳥居以外の(よりも)鳥居の構造でもっと状態もよく安定できる構造を探し、一番いいものはやはり四脚鳥居なのか?をテーマとしていくことにしました。
 そして、他5つくらい比べて見ようと思い、なにか比べられるような鳥居の構造を教えてほしいと思い質問しました。
 あと模型を作り比べるのですがどんなかんじでどんな材料がいいか、作り方がよいか教えてください。おねがいします。
 わかりにくい文章ですいません。(^^;)

A 回答 (3件)

では、鳥居の歴史なんてどうでしょう?


鳥居は、西国に行くほど、簡単な構造になっていきます。
つまり、鳥居は、九州地方から全国に広がったと思われます。
更に、遡りますと、韓国に行き着きます、思いっきり日本的な象徴の鳥居は、実は韓国から渡ってきた、外来の文化だったのです。
韓国の鳥居は、今では存在しませんが、戦前までは、民間風習の形で珍しい物ではなかったようです、ただし、現在日本にあるような形の物とは、違い一本の棒の先端に短い横木があり、そこに木などで作られた鳥の模型を止まらせたものです、鳥は、神様の象徴で、神様が姿を変えて天から地上に降りてきて、休まれる場所、それが鳥居です。
今でも、済州島では若干残っていると聞いたことがあります。
九州の古い鳥居は、同じく木製で、2本の柱に横木が1本の形になり、横木の上には、鳥の彫刻を止まらせたものだったようです。
今でも田舎では、家を建てた時、屋根裏の棟の近くの横木に大工さんが鳥の木彫りを置いておく風習がありますが、この風習も鳥居の風習が変化したものらしいです。
ここまで判るように、鳥居は、つまり、”鳥が居る所”神様が鳥の姿をかりて、地上に舞い降りる神聖な場所なわけです。いつの頃からか、これが天皇崇拝と結びつき、神社に鳥居の組み合わせになっていく訳ですが、元々は朝鮮の土地神様の風習です。
脱線しましたが、本州に渡った鳥居の風習は、その後、鳥の彫刻は飾られなくなり、横木も2本になり、より立派により大きく形を変えて、全国に広がっていったようです。
もし、興味があるようでしたら、伊勢神宮や熱田神宮の鳥居は、木製の巨大な物です、強度で言ったら、宮島の鳥居は、足元にも及ばないのでは無いでしょうか?
ここからは、想像ですが、熱田の鳥居は、もしかすると、熱田空襲や伊勢湾台風にも耐えたかもしれません、一度調査されると参考になるかもしれません。
では、では、

この回答への補足

どこかに韓国の鳥居の情報をもっと知ることのできるとこはありませんか?
助言してもらったように鳥居の歴史から書いていくことにしたのですが、図または写真を貼り付けるために探しています。締め切りがとても近いのでお願いします。

補足日時:2001/05/30 11:04
    • good
    • 0
この回答へのお礼

とても参考になりました。実験が難しいとわかり、鳥居の歴史も含め、両部鳥居(四脚鳥居)について詳しくレポートに書くことにしました。歴史のことがよく分かり、助かりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/20 14:43

さらに下記のようなHPも見つかりました。


鳥杆が日本の弥生時代の遺跡から出土したとの
記載があります。
このには、しめ縄についても記載があります。
蛇信仰が変化してしめ縄になったようです。
アジアのかなり広い範囲にあった信仰が変化して
現在の形になっているようです。
景頗族の太陽祭の写真があります、よく見てください、
この種族の場合、大きな棒に太陽を中心に二羽の鳥をあしらった図象で描かれているようです。
さらにベトナムの文化にも共通の文様があるとの事です。

下は、参考URLの特に重要と思われる部分を抜粋しました。

”の太陽神と結びつた鳥信仰も、戦国時代の楚のお墓から多数の霊鳥の作り物が出土し、田畑の耕作を鳥の助けを借りて行う鳥田伝説も残っているばかりか、広西の壮族などの越系の人々の間には田に鳥杆を立てる風習がいまでも続いている。
右側の写真はベトナムのドンソン文化を代表する銅鐸だが、そこにも豊穣の儀礼とともに鳥の羽をつけた戦士や舟に乗った鳥人が刻まれていた。日本の弥生時代の遺跡や朝鮮半島からも鳥杆が発掘されている。”

この辺り調べると面白いですよ、キーワードは、”鳥杆”です。
では、がんばってください。

参考URL:http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/kuroshio.htm
    • good
    • 1
この回答へのお礼

無事レポートを提出し発表も終わりました。
歴史などについてとても詳しく教えていただきとても助かりました。
また補足に対してもすぐに対応していただいてありがとうございました。

お礼日時:2001/07/03 16:06

お急ぎとの事なので、見つかった範囲をご報告します。


http://www.kamnavi.net/it/sosimori.htm
この中に、
”5.神奈備の迷い  HP神奈備にようこその第二の仮説である。
 鳥杆と言うものがある。木に木製の鳥形をつけて、村の入り口に置き、悪霊を防ぐ、聖なる境界を現すもので、半島南部に多く祀られていたと言う。日本の鳥居か道祖神にそうとうするのであろうか。蘇塗(ソト)と呼ばれる。
~と言う文章を見つけました。
あと、
http://www.korea-np.co.jp/book/media/hihyou98000 …
には、百済の王族は天皇家とも姻戚関係にあった事、
志摩国は、すでに8世紀の天平時代に済州島との交流があった事などが書かれています。

私が書いた解答の元になったのは、NHKの教育テレビだと思いましたが、どこかの大学の先生が、講義をされていて、鳥居の歴史を話されていました、その際、済州島の鳥杆の説明と先生自身が撮影されたと言う、写真が紹介されました、その写真は”白黒写真”でしたので、かなり古い写真だったかもしれません、先生も高齢だったような記憶があります、尚、この風習は、太平洋戦争後朝鮮半島で展開された、古い文化を捨てて近代国家になろうと言う運動のもと、徹底的に廃絶され、いまでは残っていないとの事でした、わずかに済州島にこの風習が残っていると解説されておられました。
残念ながら今のところ、写真は発見できておりませんが、見つかりましたら、再度回答します。

あと
http://www.asahi-net.or.jp/~CU7Y-OIKW/zashikibut …
には、屋根に神様が来るという屋根神様の写真があります、愛知県の尾張地方の風習です。
ついでにこのホームページには、済州島のハルバンの説明にもリンクしています。

参考URL:http://www.kamnavi.net/it/sosimori.htm
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!