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(1) “霊”は既成の自然法則に適っていないから、その実在について論理・仮説立てはできないと言えますか。

(2) また、“霊”は定義が定まらないので、科学的には論考するに値しないと言えますか。

A 回答 (10件)

>“霊”は既成の自然法則に適っていない・・・


ここの「既成の自然法則」って言うのが怪しい。

人類が知っている「自然法則」って、まだまだ発展途上であるのに、今が頂点だと思い込み結論を出してしまっている人が多いが、科学の世界では大きな間違い。
「まだ知らない自然法則に則って起きている現象『かも知れない。』」の、肯定も否定もできない段階なので、「論理・仮説立てはできない」とは言えない。

「未知」の事柄に対して目を向けることが「科学」ではないでしょうか。
なにしろ、「霊」の存在自体の真偽も定かではないので、解明するためには、今の段階から仮説を立てたり、今知っている自然法則を駆使して論理付けたりして、後に新しいことが解った時に、正しかったと再認識したり、間違っていたと反省して修正したり、それが今までの「科学」の発展の形態だと思います。

今の時点で、「霊」なんてのは非科学的だと決め付けて何もしない、又は否定論ばかりを論ずるのは、決して「科学」ではない。
大切なのは、今、人類が知っている自然法則は、決して自然法則のすべてではない。頂点ではない。
と言うことです。


なので、定義を今行おうとしても、すべての自然法則を知っていない段階だから、定義のやり方次第では違った方向へ向く可能性もあります。
でもそれも「科学」でしょう。
始めから完璧など望んでも、定義に時間がかかるだけ。
違っていたと解った時点で、どんどん修正して行けばいいだけ。

それに今知っている事柄で定義はできるでしょう。
それを「定まらない」と断言すると言うことは、どこかに否定的な感情があるものと思います。
本当に定まらないのであれば、方向性が不安定なために、科学的に論じたり考えたりと言うのは無意味になるかも知れませんが、本気でやればできると思いますよ。

「オレ様は『科学者』なんだ!。「霊」などの「非科学的」なものに時間を裂くほどヒマじゃない!。」
が、少なからずあるのではないでしょうか。
もう一つは、「価値」。
本当に極端な例えですが、霊を解明することで、アインシュタインが懸念していた「テレパシー」の存在が垣間見えたり、物質ではなく精神の瞬間移動などの可能性があるとなれば、みんな必死で研究するようになると思いますよ。
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この回答へのお礼

どうもご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 21:04

<<自然法則に従っているか>>とか<<定義が定まっているか>>とは全く関係がないと考えます。

科学を支配する原則とは「再現性があるもの」および「測定可能なもの」だけを対象とするということです。言い換えれば「いつでも」「どこでも」成り立つ現象(客観的な現象)を対象とするのです。科学の歴史の中に色んな「つまづき」がありましたし新発見がありました。それらを経て上のようになっているのです。新発見があれば、それは「測定可能」のはずで、新しい学問分野が広がるわけです。明文化されておりませんが科学の各学会では「測定可能性」「再現可能性」は極めて強く意識されております。
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この回答へのお礼

どうもご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 21:03

(1)


「既成の自然法則に適っていない」と決め付ける事は科学ではありません。
 まだ発見出来ていないだけの可能性があります。
 但し「既成の自然法則に適っていない」事を仮定するのであれば、議論はできません。
 霊であろうと何であろうと同じ事です。

(2)
 定義が定まらないとするのであればYES。定義を定めようとするのであればNO。

こういった話は弁証法や科学哲学を勉強すれば、超自然的な仮定など行わずとも答えが出ます。
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この回答へのお礼

どうもご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 21:03

(1)はそのようなことは無いと思いますよ。


ある現象が実際に確認され、しかしそれは既存の法則では説明できないと言うなら既存の法則が不備な訳ですから新たな法則として研究されそれによってその現象が起こる理由が解明されるでしょう。
例えば心霊写真、存在しない人間の顔が本当にカメラに写るなら追試として様々な種類のカメラでアングルやその他の条件を変え写る条件写らない条件などを徹底的に調べるべきでしょう。
学者は心弾むでしょうね、本当にその現象が確認されたのなら。

(2)勿論定義は絶対に必要ですが同時に本当にその現象が起こった事を証明しなければ話は進みません。
何百年もの昔から霊だの何のと言われて来たのですから定義ぐらい出来るでしょその気になれば。

でもその方面の方達は何よりそれを恐れているようにも見えますが。
まあグレーゾーンにしておけばかつての江原啓之のような心霊屋さん達は商売になる訳ですから科学的に解明する事など大反対でしょうね、霊を冒涜するとか何とか言って。

余談ですが
1、写真に写ると言うなら発光にせよ反射にせよ霊から光が出ている訳です。
2、光は電子が軌道を急激に変えた時に出るものですから霊を構成する物には電子が含まれている事になります。
3、と言う事は霊は原子や分子で構成されていると言わざるを得ません。
4、空中に留まり人間の顔の形を保つ物質って一体どんな元素なんでしょうか、誰か教えて!
まあ独り言ですが。
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この回答へのお礼

どうもご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 21:02

(1)(2)どちらも命題の立て方自体が間違っていると思われます。



> (1) “霊”は既成の自然法則に適っていないから、その実在について論理・仮説立てはできないと言えますか。
たとえ既成の自然法則では説明の付かない現象であっても、その現象が実在することが確かであるのならば、それを説明する新たな理論体系を仮説だてすることはできます。

例えば相対性理論は、「どんな場合でも光速は不変である」という、それまでの自然法則では説明できない新事実が実験により発見され多くの科学者がそれを追試して確認されたからこそ、その現象を説明するために考え出され、多くの科学者がその理論の正しさを検証した結果、認められてきたわけです。
決して「光速は不変であって欲しい」という願望からでっちあげられた理論のわけではありません。

“霊”について科学的な理論立て・仮説立てができないのは、
「“霊”そのもの、あるいは“霊”の存在を仮定するしか説明のできない現象」が実在する、ということ自体が誰の目にも明らかな形で未だに確認できていないからです。

> (2) また、“霊”は定義が定まらないので、科学的には論考するに値しないと言えますか。
定義が定まらないから論考に値しないのではなく、現象として実在することが確かめられていないから論考に値しないのです。
現象の実在が確かめられさえすれば、その現象を起こす物として“霊”の定義はおのずから定まってきます。
現状ではもっぱら「霊は存在して欲しい」「存在するはずだ」という願望や信念のレベルの話にとどまっているから、物理的実在としての論考にはそぐわないのです。

それまでの測定器で検知できない物質であっても、例えば素粒子の世界では存在が「予言」された素粒子を検知するための特別な測定器を作って実在を証明した例はいくつもあります。
なぜ「予言」できたかというと、正しいことが証明済みの理論をもとにさらに論理的に突き詰めて考えて行くことで「今はまだ誰も見つけていないが、当然こういう物が存在するはずだ」と予想できたからです。

「科学における“霊”の仮説」が成り立つためには、まずは何よりも
「“霊”そのもの、あるいは“霊”の存在を仮定するしか説明のできない現象」が実在する、ということ自体を誰の目にも明らかな形で示すことが大前提でしょうね。

なお私はフィクションとしてSFやホラー小説は人一倍愛読してますが、現実に霊が存在するとは露ほどにも思っていませんし、人文科学や精神病理学などの分野は別として、少なくとも理系の科学的論考に値するとも思いません。
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この回答へのお礼

どうもご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 21:01

 (1)も(2)もNo。

というか、霊とは何かなんていう定義は検証しようとする人が定めればよろしい。それが既存の定義によって定まらなくてもいいし、その定義によって理論が組み立てられるのならそれでいい。

 ただし、その定義は誰が解釈してもほぼ同じになるものであることが必要です。「霊とは既存の定義には当てはまらないものです」なんていうのはどんな解釈でも可能になるから「科学的」な定義ではない。その定義に基づいて誰でもが自由に検討して理論の欠点を見つけようとあら探しして、それでもどうやら欠点が見つからないとなればそれは「科学的に認められた霊の定義」になる。
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この回答へのお礼

どうもご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 21:00

 「測定器で感知できないものは存在しない」と結論付けるのは科学的ではありません。

相対性理論など、証明できないのに、物理の世界では発表早々より認められていました。

 ですので、霊に関することは証明できるか否かではなく、信じるか否かが現代科学での限界だと思います。人間社会では、科学的な証拠と理論よりも、利権の方が優先されますので、注意が必要です。

 私としては、検知されない放射線に被曝する危険性を訴えるよりも、霊の方信憑性があると思うのですが…。
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この回答へのお礼

どうもご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 20:59

こんにちは。



(1)でも(2)でもなく、科学的に霊は存在します。
存在する場所は、物理的空間の中ではなく、人間の脳の中です。
その先は心理学の話になります。
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この回答へのお礼

どうもご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 20:59

ここでは「科学的」とは、次の要件を満たすこととします。


(a) 実験または観測を通して自然現象や社会現象における一定の規則性を見出すこと (実証性)
(b) 誰が実験または観測しても同じ結果が得られること (客観性)
(c) 見出した規則性に対して、矛盾なく論証できること (論理性)
(d) 論証により得られた結果から将来の予測が可能であること (予測性)

これを踏まえて、ご質問の内容を検討してみます。


> (1) “霊”は既成の自然法則に適っていないから、その実在について論理・仮説立てはできない

我々が霊に対する適切な観測手段を持っていないだけかもしれませんので、これを持って仮説立てできないとは言えないでしょう。例えば「汚いところにウジが湧く」という自然現象に対して、生命が自然発生するか否かは、顕微鏡やS字フラスコ管が発明されるまで結論が出ませんでした。


> (2) “霊”は定義が定まらないので、科学的には論考するに値しない

科学的方法論と価値判断は別物問題だと思います。例えば転生(生まれ変わり)については定義が比較的容易ですので科学的方法によって検証可能だと思いますが、実証性、予測性の点で検証が極めて難しいでしょう。


「霊が存在する」という結論の仮説が否定されたからといって存在しないことにはなりませんよね。
宇宙人も超能力も霊もパラレルワールドも、あったほうが世界が面白くていいんじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

どうもご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 20:59

(2)です。


そもそも定義の定まっていないものを科学的に検証するのがナンセンス。
個別の定義に各々検証するには金も時間も労力もかかりすぎます。
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この回答へのお礼

どうもご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 20:58

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