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どの宗教でもよいので、信仰を持っているかたにおたずねします。

たいていの宗教では、善行には御利益が、悪行には悪い報いがあると説いているかと思います。

しかし実際の社会では、何の罪もない子どもたちや市民が巨大津波に吞まれたり、理不尽な犯罪(通り魔殺人など)に遭ったりしています。

この事実をあなたの宗教ではどのように説明するでしょうか。

悪行の報いが来世にあると教えているのであれば、津波に吞まれた子どもたちは前世で悪行があったのでしょうか。私の感覚では、ちょっと受け入れがたいです。

A 回答 (11件中1~10件)

因果って何ですか?震災にあった方はお気の毒だと思いますが、


その人達は、ただ運が悪くそこにいた、ただそれだけの人でしょう?
もしも、そこに因果だのくそだの言う奴がいたら、私が串刺しにしてやりましょう!それが因果です!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
しかし、個人のご意見ではなくて宗教的解釈をお尋ねしています。

お礼日時:2012/04/01 02:01

家系は仏教の真言宗、でも心は神道寄りと言うどこにでも居るような人間です。



>災害に遭うのは前世の因果応報か?

このような考え方が如何に現代社会とは異質な物か少し考えれば誰でも分ります。
現代の刑法では犯罪を犯した事がまぎれもない事実であっても心神耗弱状態では罪に問われないほど人間の尊厳が重要視されていますが因果応報説はこれと全く逆で誰にも証明できない、何の証拠もない前世での罪で裁かれると言う理不尽さを内包しているのです。

幸い近代日本でこんな事を真に受ける人はごく少数でしょうから実害はあまり無いでしょうけれどこれが大多数を占めたらと思うとゾッとします。
それこそ文明が数千年も逆戻りし社会は野蛮になり人間が多大な犠牲を払って作り上げてきた人々が良く生きると言う文明社会が崩壊してしまいます。

前世で悪事を働いたから現世では津波で殺されても仕方ない、などと言うなら
前世で悪事を働いたに違いないからこの人間を死刑にする、と言う事と殆ど差は無いです。
何というおぞましい考えなのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
しかし、宗教の教義と後世の価値観の間に齟齬が生じることはなんら不思議なことではありませんので、その是非をお尋ねしているのではありません。

お礼日時:2012/04/01 02:03

>この事実をあなたの宗教ではどのように説明するでしょうか。



そもそも、人が死ぬのは原罪のせいらしい。
原罪が無ければ誰も死なない。私は良く理解出来ないが。

>悪行の報いが来世にあると教えているのであれば、津波に吞まれた子どもたちは前世で悪行があったのでしょうか。私の感覚では、ちょっと受け入れがたいです。

そんなことはありえません。津波に呑まれた子供たちは天国か天国に近いところにいるでしょう。

また、前世の報いの話の極端な例では、
アニメの一休さんで、桔梗屋が一休さんに
「前世でお金を貸したから返せ」
などと無茶苦茶なことを言っていました。

前世は無いと考えたほうがいいでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/01 02:03

災害に遭うのは前世の因果応報か?



○違います。今世の因果応報ですね。「因果の理法はくらませない。」というのは今世と来世に当てはまるものです。これは、過去に起きた事象、つまり前世は精算されているからこそ生まれて来ることができるという前提があるからです。前世が精算されていない者は精算できるまで地上に現れることはないんですよ。
さて、ご指摘の「実際の社会では、何の罪もない子どもたちや市民が巨大津波に吞まれたり、理不尽な犯罪(通り魔殺人など)に遭ったりしています。」これも新しい因果ですから、来世に反映されるものですね。
それから、「何の罪もない子どもたちや市民」というのは人間の常識的な見解ですね。でも神の見解は違うということですね。神の判断基準は「神を信じるか。信じないか。」だけなんですよ。つまり、神仏を信じていない者は悪、信じるものは善として分けるのですね。そのような目で見ると日本人のほとんどは悪に見えていると思いますよ。それゆえ天変地異で突如として消えていくのですね。これは、神の目からすれば、神の国、つまり、あの世に返すだけのことですから、悲しいことではないんですね。むしろ、地上に長くいると来世で今世の応報を精算できないと見るわけですね。これが神の愛ですね。
人間の目には悲しいことですが、見解の相違ということだけなんですね。
理解できるかどうかですが、視点に違いがあるということですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/01 02:04

 因果応報は、善悪とは関係ないと思います。

大きな地震があって大きな津波が起き、罪のない人々を襲い巻き込んだ、という事だと思います。

 これに善悪をからめて“説教”する宗教は、いわゆる方便と言うものです。
 
 私の考えとしては、人の心は行為によって影響を受ける、と言うものです。
 善い行い、良い生活をしていれば、良い心持が育ち、悪い心を使っていると悪い方の心が育ってしまう、と言うのが因果応報なのです。

 真の御利益とはその行為を成す精神に結果として現れる、と受け止めています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/01 02:04

宗教とは無縁の者ですが。



>たいていの宗教では、善行には御利益が、悪行には悪い報いがあると説いているかと思います。

仮にそうだとして、おそらくですが、善行には御利益があると説く宗教にしても、「善行を為す者に災厄(悪い結果)が訪れることはない」とは言っていないのでしょう。

「善行には御利益、悪行には悪い報い」というのは、あくまで人間の意志なり感覚なりが関与した場合の因果関係です。災厄に意志はありませんから、なんの因果関係も成立しません。
こうした事実を無視して、「善行には御利益以外の結果は生じない」と説いているとすれば、それはインチキということになってしまいますが。
      
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
災厄に意思がないということはつまり、それは神の意思ではないということですね。

お礼日時:2012/04/01 02:06

前世はさておいても、現世において善良でありつつ苦労を経る事で、来世はより良いものとなる、という考え方です。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/01 02:06

個人的な見解ですが



受け入れがたさをお感じになられる原因は
単なる因果関係とカルマの思想が歴史的に混同されてきたことにあると思います。

何の罪もない子どもたちや市民が巨大津波に吞まれたりした例でいえば

単なる因果関係・・・偶然にその場、その地域にいた、治安や防災の不備、地球の活動などが主な原因でしょう。

カルマの思想・・・死ぬ瞬間の性格の傾向が設定値として新たな生に引き継がれるということだと思われますから、まったく無関係です。

質問者さんが悪いわけではありませんが、
ブッダは「カルマを考えると狂うから考えないほうがいい」と述べているにもかかわらず
気になるからさんざん妄想して、挙句の果てに「受け入れがたい」といわれるわけですから
ブッダも気の毒です。

何事も妄想や空想が付加されているものですから、それらを切り分けないと真実は見えこず、それを志すのが引き継ぐ者の義務かと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「因果」はもともと仏教用語だったかと思いますが、形而下の概念だというご解釈なのですね。

お礼日時:2012/04/01 02:09

>>たいていの宗教では、善行には御利益が、悪行には悪い報いがあると


>>説いているかと思います。


それは、その通りだと思います。
いかにいいにくいことであっても真理を隠すわけには行かないと思います。
私を含めこの世に生まれた者はすべて過去世の罪を背負っていない者はないと思います。いつ如何なる時に自分自身が災害に遭っても何の不思議はないと思っています。イエスキリストは『裁いてはいけません。あなたも裁かれるからです。』といっています。この世で罪の無いものが病気事故災害などの不幸に遭うことはないと思います。

人間は前世だけでなく、何万回もの過去世があるのです。そこで罪を犯さなかった者はこの人間界には生まれず、天界に生まれるのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/01 02:10

 こんにちは。



 過去に あなたと同じ DNA を持った人は ひとりもいません。

 これが答えだと思います。
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この回答へのお礼

それはどの宗教から導かれることでしょうか。

お礼日時:2012/04/01 02:11

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