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南アメリカは何故たくさんの国に別れているのでしょうか? ブラジルはポルトガル語ですが大半はスペイン語だと聞いたのですが。どなたかぜひ教えて下さい。

A 回答 (8件)

「シモン・ボリーバル」や「大コロンビア共和国」も調べてみてください。


一言では語れないくらいボリュームが多いので。
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この回答へのお礼

大コロンビア共和国について調べてみました。参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2012/03/29 14:59

様々な要因があるので、理由を記述しておく



(1)民族性

 一般的に国家区分としては、民族自決などの権限から、WWIIは民族単位・民族結合政体で政府が形成される
したがって、民族性の前提で国家・政府が成立することから、南アフリカ諸国もこの事例に多くが該当するだろう

(2)国際政治上の妥協から

 いわゆる植民地支配のおいて、様々な国家間の妥協の産物で形成される独立国家の形成事例も多い
ウルグアイは、『モンテビデオ条約』によって形成されたし、エクアドルもリオデジャネイロ条約によって形成されている
 南米の小国の多くは、特定の南米大国の分離独立である

(3)スペイン統治時代の独立闘争の様態から

 (1)との兼ね合いも大きいが、宗主権国家スペインからの分離時期が大きな要素になる。
早い話が、スペインが分離独立を地域的に承認・容認することで成立する

以上のような独立様態が多くの国家が鼎立する要因であろう
もっとも、南米地域の国境線は無理な区分けがあるわけでもない。
政治的には無難な区分けであるが、戦後アメリカのCIA体制において・・・・ごにょごにょ・・・・
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この回答へのお礼

詳しく教えて下さりありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2012/03/29 14:57

他回答者様の回答が大変参考になります。

勉強させて貰っています。
私からも恐縮ではございますが、回答の一部を補強させて下さい。

Ano.2さんはアルゼンチンとチリの件について、山脈があるから国境が形成されているという事を記載しました。
これをストラトフォー社代表のジョージ・フリードマン氏は、その著書「激動予測」の中で次のように記載しています(283ページ)。
「南アメリカは一つの地理的実体のように見えるが、じつはこの大陸は、大きな地形障壁によって分断されている。まず、南北に走るアンデス山脈は、ロッキー山脈やアルプス山脈よりはるかに高く、容易に横断できる道がほとんどない。大陸の中央部には、同じくらい侵入不能な障壁のアマゾンのジャングルがある」
http://www.amazon.co.jp/dp/415209219X

私も長らくチリがなぜあの細長い国境を維持できているのかと疑問に思っていたのですが、山脈という地形によって守られていて、それを政治的に取り決めている状態のようです。

更に上記の「激動予測」ではこう続けます。
「南アメリカは三つの地域に分かれており、それぞれの地域が必要最小限の陸上交易が困難で政治的統合が不可能という意味で、残りの地域から遮断されている。」

また、「教科書には載っていない! ワケありな国境」(武田知弘 著)には、国境に関する大変面白い表現が載っています。
「国境というのは、国と国との領土を定めた線である。通常ならば、「少しでも広くいい土地を取ろう」と、両国がせめぎあって複雑怪奇な線になるもの」(21ページ)
「国境の線の一本一本には、悲喜こもごものドラマが詰まっている。それは「世界史の一断面」であい、「人類の性」の表れであり、「国家とは何なのか?」という疑問を投げかけるものである。」(3ページ)

話しの種にするには難しいのですが、比較的面白く書いていますので、時間があればこちらもどうぞ(南米の事もある程度触れています)。
http://www.amazon.co.jp/dp/4883926370
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この回答へのお礼

詳しく教えて下さりありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2012/03/29 14:56

大航海時代にポルトガルとスペインが世界を二分する談合をした際、


ブラジルから東をポルトガルが、それより西をスペインが植民地化していくことになりました。
なのでブラジルはポルトガル語、その他南米はスペイン語というわけです。

その頃日本にも南蛮人が来てるでしょ。
鉄砲やキリスト教を持って。
世界中に進出してたんですよ、ポルトガルとスペイン。
フィリピンはスペイン領だったし。
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この回答へのお礼

詳しく教えて下さりありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2012/03/29 14:55

 個別の国についての事情はNo.3の方が回答されていますのでそちらに譲りますが,一言で言えばスペインの中央政府には統治能力がなかったんですよ。


 スペイン全盛期の国王であるフェリペ2世は,世界中に広がったスペイン領の各地に副王を置いて,16世紀当時としては先進的と言える書類決裁システムを整備して強力な中央集権体制を築いたのですが,フェリペ2世の死後,スペインの王位に就いたのは凡庸というより精神障害が疑われるような人物ばかりで,そのような書類決裁システムを管理できる国王は一人も現れませんでした。もうちょっと具体的に言うと,政治は王妃とその愛人に任せっきりにして自分は趣味のウサギ狩りに熱中しているというようなひどい国王が何代も続き,イギリスと違って国王の無能を補う近代的な統治機構も発達しなかったのです。
 ちなみに,スペインで無能な国王ばかりが続いた理由は近親婚で,当時カトリックの盟主を自認していたスペインとしては,格下の貴族やプロテスタントの王家との婚姻はもってのほかで,婚姻関係を結ぶに値するカトリックの王国はフランスとオーストリアくらいしかありませんでした。
 これらの国の間で何重にも繰り返された近親婚の結果,やがて王位継承権が認められるのは正式な結婚から生まれた子供(=近親婚で生まれた子供)だけになり,まともな王位継承者はおよそ期待できないという状況になってしまったのです。
 こうして,スペイン本国が統治能力を失った結果,南アメリカのスペイン植民地は各副王領がそれぞれ勝手に統治するしかなくなり,スペイン本国からの独立運動も各副王領ごとに行われることになりました。
 これに対し,ポルトガルの植民地だったブラジルはいくらかましな方でした。ブラジルがポルトガル領とされた法的根拠は1494年のトルデシリャス条約でしたが,この時点でまだブラジルは発見されておらず,この条約によりポルトガルが入手できる新大陸の土地は無いと思われていました(条約締結当時,ポルトガルはこの条約でスペインのアジア進出さえ阻止できれば良いと考えていました)。
 その後,1500年になり,同条約によればポルトガル領となるところにブラジルが発見され,ポルトガルとしてはまるで棚からぼた餅でも落ちてきたかのように,思いがけず広大な植民地を手に入れることになりました。その後19世紀に至るまで,ポルトガルにとってブラジルは最も重要な植民地であり,植民地支配もスペインよりはるかに熱心に行われました。ポルトガルの王家もスペインほどひどくはなかったので(スペインと違って,ポルトガルでは庶子が王位を継いだ例もあったのです),ブラジルは旧スペイン領のようにばらばらになることはなく,独立後の敗戦でウルグアイを失った程度で,単一のまとまりとして国家を築くに至ったのです。
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スペインが、中南米を支配していたとき、スペインは、地区ごとに分けて管理していました。


各地に副王や総督を置き、各副王や総督を、ムスペイン本国の゜インディアス会議」のしたにおき管理していました。
ですから、中南米を統合する組織は、存在しませんでした。
そのため、独立するときも、各副王領や総督領が、個々に独立しました。

簡単に経過を記載します。
・ヌエバエスパーニャ副王領(メキシコ)
ここは、各地で独立の気運が高まる様子を見て、副王自らが、スペインからの独立を行いました。
そのため、勢力圏が、そのままメキシコとにりました。

・キューバ総督府
カリブ海地域を管轄していましたが、独立せず、米西戦争により、アメリカ領となります。

・グアテマラ総督府(グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ)
ここは、中央アメリカ連邦として独立しますが、インディヘナ中心のグアテマラ、太平洋側のマヤ地域のエルサルバドル、高地マヤのホンジュラス、低地マヤのニカラグア、ヨーロッパ移民中心のコスタリカと、経済環境が異なり、分裂します。
ただし、それらの国全てで、中央アメリカ連邦時代の国旗の色、(青白青)を使用しています。

・ヌエバグラナダ副王国(コロンビア、エクアドル、ベネズエラ)
ここは、コロンビア連邦としてペルー軍を破り独立します。
しかし、インディヘナ中心で、むしろペルーとの共通点の多いエクアドル、カリブ海経済圏のベネズエラが、コロンビア連邦から離脱して、3国になります。
この3カ国とも、コロンビア連邦時代の旗が、国旗や国旗のベースとなっています。

・ペルー総督府(ペルー、ボリビア)
ここは、スペインに忠誠を近い、コロンビア連邦、チリ総督府、ラプラタ副王国の独立阻止に動きます。
そのため、逆にコロンビア軍とアルゼンチン軍に攻め込まれ、降伏し、独立したのが、ペルーになります。
そのときあくまで独立に反対した軍が支配していた地域が、ボリビアになります。

・チリ総督府
チリ総督府が総督を追放し、独立した地区が、チリとなります。
一時ペルー軍に制圧されたため、危機感を持ったアルゼンチン軍が侵攻し、ペルー軍を撃破し、チリが独立します。

・ラプラタ副王国(アルゼンチン、パラグアイ)
ラプラタ副王国では、ナポレオン時代に、イギリスに攻め込まれます。
その時、副王は逃げ出してしまい、アルゼンチン住民がイギリス軍を撃破します。
そのため、独立心が強く、ナポレオン失脚後副王が戻ってきても、副王の力が弱く、スペインの課税強化に簡単に独立することになります。
その独立運動が起きたところが、ブエノスアイレスとアスンシオンだったため、アルゼンチンとパラグアイに別れて独立することになります。

・ウルグアイ
ウルグアイは、アルゼンチンとブラジルの対立の時に、アルゼンチンが、ブラジル領の中で、スペイン語系住民を独立させたことにより生まれます。
パラグアイの国旗の中の顔のある太陽は、アルゼンチンにより独立できたことの敬意をアルゼンチンに示してのものです。
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この回答へのお礼

詳しく教えて下さりありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2012/03/27 20:29

質問者さんは宗主国が違えば国が別々になることについては疑問はないんですよね。


スペインが宗主国であって同じスペイン語を話しているのに南米がコロンビア、エクアドル、ベネズエラ、ボリビア、ペルー、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイなどいくつもの国に分かれているのが不思議なんですよね。
このうち二つだけですが、分かれている理由が私にもわかる国があります。アルゼンチンとチリは隣同士ですが、その間にアンデス山脈という途方もなく高い山脈がありますから仕方がないと思います。
あと、ウルグアイはもとブラジル領だったんです。シスプラチーナという州だったんですが、ブラジルから独立しました。
その他の国もおそらくそれぞれの事情があったんでしょう。南米も広いですから一つの国にするのは難しいですよね。宗主国スペインは無敵艦隊をもっていて一時はたいへんな勢いでしたが、イギリスと戦って負けて、没落しましたから植民地を束ねることができなかったのでしょう。植民地にボリーバルみたいな英雄が現れるとスペインは抑えきれなかったのでしょう。
実は私も同じ疑問をもっていますので誰か詳しい人が簡潔に回答してくださるとうれしいです。
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この回答へのお礼

詳しく教えて下さりありがとうございます。

お礼日時:2012/03/27 20:26

15世紀の大航海時代に、当時世界の覇者として君臨していたスペインとポルトガルが、植民地を取り合うこととなって、戦争になるということで、トルデシャリス条約で、世界を二分して所有しあいましょうという約束をしました。


その際、南アメリカは、ブラジルのみポルトガル領とされたので、現在南アメリカでは、ブラジルがポルトガル語、それ以外はスペイン語になりました。
詳しくはリンク先のWIKIPWDIAで見てください。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB% …
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この回答へのお礼

詳しく教えて下さりありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2012/03/27 20:22

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