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何らかの名前を呼ぶとき、名前そのものを伏せて、ぼかして呼ぶことがありますが、あれはなぜなのでしょうか?
例えば「アダム・スミス」について説明するとき、「18世紀のある高名な経済学者が『見えざる手』を説いた」と書いたりします。

文章からアダム・スミスであることは明らかなので、伏せる意味はないように思えます。

A 回答 (5件)

   英語には重複を避ける習慣があります。

例は今日の新聞を見れば大抵あります。

    例えば、一回目は、 Obama、二回目は White House、三回目は Administration,四回目は President と言った方法です。

    某国のように首相がネコの目のように変わる時は、この手法で、おやこのノダと言うのが総理大臣か、フクシマと言うのは日本にあるんだ、などと言う事が分かります。

    別に伏せているのではありません、その証拠にアダムスミスアダムスミスと作文を出すと間違いなく「言い方を変えなさい」と言われるのは、アメリカの小学生の経験する事です。
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アダム・スミスについて説明するときに、「18世紀のある高名な経済学者が『見えざる手』を説いた」とか書き起こすとしたら、倒叙法というか、まあ、修辞の一種でしょう。

いずれは名前を出す。そのときのために、最初は伏せる。




だけどそうじゃなくて、別にアダム・スミスが本論では全然なく、ただ経済について何事かを語るためにアダム・スミスの説に言及するだけ、というような場合に、伏せる意味がまったくないのに敢えて伏せてある、という文章も、とても多いですね。なんなんだろうなアレは、という疑問は、僕もつねづね感じます。固有名詞を明示することを忌避する、日本人特有の感覚があるような気もします。

世界事情に通じているわけではないので、なんとなくそう感じる、程度の話ですが、例えばアメリカの映画やテレビドラマで「クリネックス」という語があれば、日本語吹き替え版では「ティッシュ」と訳したりとか、「バッファリン」を「頭痛薬」と訳すとか。ニューヨークタイムズだったらキャプションに「・・・と語る隣人のチャーリー・デイヴィスさん」と載りそうなところで、日本の新聞やテレビは決して個人名を載せなかったりとか。

無人島に男2人女1人が流れ着いた。
男2人がイタリア人の場合、決闘になる。
男2人がフランス人の場合、一方が夫に、一方が愛人になる。
男2人が日本人の場合、どうすべきか本社にFAXで問い合わせる。

・・・みたいなジョークが生まれるのもその辺と関係あるような気がするんですが、それはさておき、そういう感覚が生まれるそもそもの理由は「けなす時に、けなす相手を明示しないことによって責任を回避したい」心理でしょう。「ここんちのハンバーガーはマク○ナルドとはひと味違う」とか「初デートにリー○バイスで来る男ってどうよ」とか書いておけば、仮にマクドナルドやLevi'sから抗議が来ても逃げることができて安心です。逃げを打っとく、ということです。卑怯者です。しかし、卑怯ではあるが、理解はできます。

ただ、全くけなしてない場合でもとりあえず伏せ字を好む、という人がたくさんいて、あれは不思議ですねー。「きのうマク○ナルドで不思議な女のコと出会った」とか、「この前ドン○ホーテで買った中華鍋が」だとか、そんな感じで。「ブラックジャックによろしく」の佐藤秀峰は、「何かあった時のことを考えて、“なんでもないこともとりあえず自主規制しとこう”みたいな風潮」「ありもしないクレームを想定して、さも賢そうに自主規制する」「“めんどくさいことはとりあえず自主規制”っていう風潮」だと述べていますが、僕も同感です。「本社にFAXで問い合わせるが、返事が来るまではとりあえず伏せ字にしとく」みたいな。
http://getnews.jp/archives/173454

「日本人特有の感覚」というと、さも伝統があるようですが、割とさいきん顕著な現象なのかも知れません。夏目漱石なんて結構平然と、固有名詞を出してたような気がします。夏目漱石に通じているわけではないので、なんとなくそう感じるという程度の話ですが、例えば「タカジアスターゼ」だとか。
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アダム・スミスすら存じ上げません



そのような紹介文が載っていたという文書ですが、
複数の著者の紹介文を見たと考えてよろしいのでしょうか?

文章には、文章を書いた人の 癖 が出る物です

複数の著者の文章を見て、全てボカして書いてあったのだとしたら、
何か意味が有ると思います
一人の著者の文章しか見てないのであれば、
その人の癖である可能性があります

 
ところで、どのような紹介文が適切だと考えるのでしょうか?
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いくつかパターンがあると思います。



1) あえて名前を伏せることで読者を引き込むレトリック
  知らない人には疑問を持たせ、知ってる人には優越感を持たせて
  興味を引く。
2) 本論と関係ない情報なので、読者の興味がそれないように不要な情報として
マスクしている。
3) 単にもったいぶっているだけ。

明らかなことをあえて隠すことで得られる効果もあるということです。
貴方がここで質問しているように。
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名前を伏せたほうが文脈的に適切な場合があるからです。



すでに名前がわかっている場合でも、あえて名前を伏せることによって、その人物を強調することができます。具体的には、次のとおりでしょうか。

題名:アダムスミスについて

「時は18世紀。ある経済学者が、『見えざる手』を提唱し、現在に至ってもなお進化を続ける古典派経済学の基礎を作った。その男こそ、アダムスミスである。彼は・・・」

要するに、題名で既に人物名がわかっている場合でも、強調して名前を出すことによって、文章的に迫力を出せます。ここらへんは感覚的で難しいかもしれませんが、理屈では説明しづらい面もあります。

他にも考えられる場合がいくつもありますが、くわしい文脈が分からないので答えられません。
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