No.9ベストアンサー
- 回答日時:
おっしゃる通り、釈尊は禅問答をすることはありませんでした。
「真理の言葉」などを読めば分かると思いますが、釈尊の問答のスタイルは、基本的に弟子の質問→釈尊の返答(またはその繰り返し)ですから。その疑問が解消されるまで、質問者の能力に応じ、できるだけ平易な表現を用いて、時に比喩を用いて、釈尊は質問に答えていましたから、禅宗の禅問答のような雲をつかむような奇妙な問答が起こる道理がありません。また、釈尊の立場は、基本的に「形而上学的・哲学的な問答は修行の妨げになる」という立場ですから。
そもそも、中国の禅宗は、仏教(大乗仏教の中でも特に、空思想を説く般若経)だけではなく老荘(老子と荘子)思想の影響を強く受けて成立しました。禅問答は、清談と言われる老荘思想に関する議論の延長上に発生したもので、インド起源のものではなく、あくまで中国的、中国仏教特有のものです。これが仏教の基本的立場だと考えると、仏教を見誤ります。
また、釈尊の説法がどのようなものであったのか、それをうかがえる面白いエピソードが残っています。
ある時、頭の働きが大変鈍い仏弟子(ど忘れをして名前は思い出せませんが…)がいました。同僚の仏弟子に「これが預流果(よるか)だ、一来果だ(どちらも修行者の悟りの段階)」と果物を差し出され、その弟子をバカにしたのです(修行の成果を表わす「果」には、「くだもの」という意味がある)。で、同僚にバカにされたその仏弟子はますます混乱して、悲嘆にくれるわけですよ。その弟子の姿を見て、釈尊が次のように言います。
「よく洗った白い服を、よく洗った手で、毎日、こすりなさい。」
そのお弟子さんは、釈尊に言われたとおり、毎日、白い服を洗った手で擦るわけです。すると、綺麗な手でも長い間こっすっていれば、ついには、白い服が汚れますよね。で、服についたその汚れを見て「欲望・煩悩でこの身は汚(よご)れる、汚(けが)されるのだ」と悟るわけですよ。
このように、釈尊の説法スタイルは、その人の理解能力に合わせて、できるだけ平易に説いたとされています。
また、こんなエピソードもあります。
子供をなくした母親が釈尊に子供を生き返らせてくださいとお願いに来るのです。その時、釈尊は、「分かった、子供を生き返らせてやろう。生き返らすためには、芥子(けし)の実が必要だから、それをもらって来なさい。ただし、その芥子の実は一度も死者を出したことのない家のものでなければならないよ」と言います。
その母親は喜んで、芥子の実をもらいに、色々な家を訪ねるのですけれども、一度も死者を出したことのない家なんかどこにもあるはずがありませんよね。で、何軒も何軒も訪ね歩いている内に、その母親は死んだ子を蘇らそうとする自分の行為の無意味さに気がつくわけですよ。
これらを禅問答というのなら「釈尊は禅問答をした」ということになるのでしょうが、謎かけ問答のような、いわゆる禅問答とはまったく次元の違う問答ですよね。
こうした釈尊の説法スタイルは、釈尊が入滅するときに弟子たちに発した言葉にすべて象徴されていると思います。
「あの時、如来に質問したおけば良かったと後悔しないために、質問したいことがあったら、今のうちに尋ねなさい」
入滅の場に立ち会った人たちが誰も質問しないのを見てから
「すべてのものは移りゆく。怠(おこた)ることなく修行につとめなさい」
と言い残して、息を引き取ったそうです。
No.10
- 回答日時:
釈迦の教えと、仏教と、禅問答は其々違う形になっていると感じます。
それは『仏の教え』と言う樹が長い時間の経過によって成長を遂げてきたと言う意味があると思います。禅問答の意味は、禅の教えの中にはないからです、禅問答の意味は『その答えは、各自の内に存在する』と云う事を意味します。逆な言い方をするなら『禅の中には何も教えがない事』を意味します。
何も説かない『と言う教えが』=『禅問答の意味』と言う意味です。本当の意味は『各自が抱く疑問の答えを、各自の心の中で、各自が自分で答えなさい』と言う意味になるからです。
答えが存在しそうもない問題の答えです。その問いとは『人生の全てに付いての問いです。』集約するなら『生と死』の問題になるのかもしれませんし、『有限と永遠』の問題になるのかも知れません。
自分は、或は人間は、どうしてそのような問題を提起するのか?と言う問い掛けの答えを、その問題を提起する事の中に見つけようとする『試みです。』
長い歴史の中で、その問題の根本を、『短い人生の中で、見つけるのが困難』と云う事に気が付いた優れた禅匠が、考え付いた事と思います。
『自分が生きる意味の問題』=『生と死の問題』=『人生の意味』=『自分は何者か?』と言う様々な問題の根底に在る問題。更に云うなら、人間が苦しみとする根源の問題が『何か?』と云う事を、かなりわかり易く提起する方法として編み出された方法が『禅問答』として考案されたものと思います。
人間が苦しみとする問題の根本は『脳の構造にあります。』
全ての問題は『心の矛盾』を疑問に感じている事からです。人間の心が二つの要素から成り立っている事が、『全ての問題の根底に存在している事』です。
その科学的な根拠です。ウイキペデアからです。
”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”
自我意識は左脳に存在する意識です。物事を割り算で計算して『言葉にして』考える脳の意識です。当然その機能では割り切れない問題に関して『歯が立たないように出来ています。』その機能では『永遠』と言う概念でさえ、把握出来ない事を意味します。
右脳に存在する意識は『命そのものの維持装置』として働いている機能です。この『命の維持装置として働いている機能』と上手く同調出来ている人たちを『健常者』と呼んでいます。
右脳の意識をわかり易く説明出来ている動画がありますので、参考のために載せてみます。脳科学者が脳の障害によって、左脳の意識が出ている場面と、左脳の意識が薄れてゆく様を表現しています。
URL:
右脳に存在する意識は『生まれる時から備わっている者』です。櫻が其々の櫻でありながら、その種としての特徴を兼ね備える働きを有している機能そのものです。昆虫でも、動物でも全ての『生きとし生きるものに備わっている、命そのものの働き』です。
釈迦に言わせるなら『仏性』です。キリストに言わせるなら『神』です。
禅問答の意味は、左脳の機能には限界が在り、左脳の意識に依存する事が『人間の苦しみを招いていて、全ての障害の元になっている。』と言う意味があります。
人間の障害は『心の矛盾』が全ての元になっているという意味ですが、その意味は『意識の根底で』二つの意識が仲違いしていると云う事を意味します。
心の矛盾を何処に感じているのか?と云う事です。左脳に存在する自我意識が『右脳の命の維持装置と』何処で矛盾を起しているのかで『その症状がでています。』
身体の生命維持装置としての働きと『仲違いしている場合に』自律神経失調症や、過敏性腸症候群や、難治性の心身症と判断されています。。
行動する場合の生命維持装置としての働きと『仲違いしている場合に』神経症と判断されます。
考えたり、思う事、つまり『心として』の生命維持装置としての働きと『仲違いしている場合に』心を病むと判断されます。
全ての障害には共通点があります、漠然とした不安や、得体の知れない違和感です。処が健常者と言う人たちと比較した場合に、何処にも異常は見つけられません。
全てが異常ないという検査結果があります。
共通項があるだけです。『漠然とした不安や、得体の知れない違和感です。』この違和感を感じている具体的なところを症状名と言っています。。
健康体であって、何処にも医学的な見地から正常で在りながら、『過剰な意識する力によって』命の働く機能を封じ込める力が働いていることを意味します。
右脳の意識は、脳の機能分化が完成される頃に『無意識の奥底に、封印された形で、隠れてしまいます。』この現象が『失楽園』と言う現象の元になっています。
自我意識という左脳の機能には限界があります。その限界点を知る事が『有限の壁を乗り越える事』になります。それが『自分自身を知る事』=『見性』と言う現象です。
禅の言葉を借りるなら、『大死一番』です。自我意識には出来ない事を認める、と言う意味です。
禅問答は、自我意識という『左脳の機能では』解く事が出来ません。出来ないと判断した場合では、『右脳の意識が出て来て』全ての、『今まで出来ないと考えていた問題全てを』一瞬の内に解いてしまいます。この現象を『人生における、魂の救い』と表現しています。
二つの意識の間に、ホットラインが構築された事を意味します。是以後二つの意識の間には『仲違いする事がなくなります』あくまでも、心の中が静寂に満ちるようになります。この境涯が『涅槃』と云う事になります。。
キリスト教的な言い方をするなら『神と和解して、神の僕となる(命の働きの下になって、自我意識が優先権を争わない)』というほどの意味になります。
右脳には言葉が有りません、言葉を持っていない意識が、書かせた言葉が『禅問答です。』言葉を捨てた『思考方法で考えた場合以外は、答えが出ないようになっています。』言葉を捨てた思考方法が『全ての鍵を握っています。』
No.7
- 回答日時:
>拈華微笑・・・後世の創作・・・
このへんも本当の事は分からないですね。
言葉を使わない無相の会話といったものなのでしょうが
弟子との間でそうしたやりとりがあったかもしれない可能性は十分にあると思います。
仏陀が涅槃に入る直前のことですが
横に伏したまま六段階の瞑想の境地を上がって行っては下がり、また少し上がったところで涅槃に入ったと伝えられています。
すでに弟子達との会話もない最後の状態だったのでしょうが
弟子達は仏陀がどの段階に今いるのか明らかに分かっていたという話があります。
最後の別れを目前にして、仏陀の精神状態は言葉によらず弟子達に伝わっていたという事になります。
そうした以心伝心のやり取りが生前にあったとしても不思議ではないように思います。
瞑想を重視した立場においての言葉の扱いは、通常の言葉の扱いとは異なってくるのではないでしょうか。
言葉とは二次的なものであり、伝えるべき真実そのものではないといった感じです。
公案の答えにしても、仮に正解となるべき言葉を使っただけでは正解にはならない、といったものだと思います。
言葉巧みなだけでは見抜かれて却下されてしまうのでしょう。
>仏陀は禅問答をしなかった?
このへんは仏陀がどこまで瞑想を重視していたのか、また、言葉をどのように扱っていたのかによると思います。
仏陀の説法のすべてが論理的であったかどうかは不明のままです。
人間のみならず天人や神々にまで説法されていたというぐらいですから
私達が理解しやすい論理とは違った方法で説かれていた可能性もあると思います。
禅問答はなくても、それに近いものはあったかもしれませんね。
そんなふうに思います。
回答ありがとうございます。
瞑想・座禅に関しては仏陀も禅宗とわりと同じだったのかもしれませんね
ただ問答やコミュニケーションのスタイルはだいぶ違うように感じます。
No.6
- 回答日時:
そてはないでしょうね釈迦の思考が煉られて禅的な禅問答が出来たのだと私は思っています
それに釈迦の考え方はそもままでは中々受け入れがたいでしょうからその為にも禅の的な修行を
通して釈迦に法を体得させる禅問答が出来たのだと私は思っています。 禅でも禅問答(公案を)使わない
のも有りますよ。
No.3
- 回答日時:
やっぱり仏陀本人は禅問答のようなことは決して言い出さないと思うのですが、
どうでしょうか?
○ 釈尊は「一転語」は使っていたようですし、また、二重否定を使った説明も沢山ありますので、後代の禅問答の基礎となるものはあったようですね。ただ、禅問答が珍問答に変質したのは、中国の慧能からですね。
釈尊の「一転語」として、有名な話は、殺人鬼アングリーマーラを改心させた時の「一転語」ですね。
アングリーマーラが、釈尊を殺そうとして近づくも、後ろ向きの釈尊が速すぎて近寄れなかったのです。その焦りに、釈尊が振り向きざまに「あなたが動いているのです。」といったそうです。この一言で自分の過ちを悟ったそうで、釈尊に帰依し、償いの生活をしながら晩年は立派な僧になったという話があります。説得などしてないのですね。アングリーマーラはバラモンの修行僧でしたが、先生に騙されて殺人を犯していただけですから「一転語」で悟ったのでしょうね。
二重否定の哲学は、難しいですから、例えば「諸法無我」これは中国語訳ですが普通に考えても「あなたの周りの全ては無いのだ」と言われても理解できませんね。これは、一義的には、あなたの常識を捨てなさい。という意味でしかないのですが、二義的には深い真理があるという、二重否定語なんですね。こんなとことを見ると禅問答の目は原始仏教にあったと言っても良いと思いますね。スッタニパータなどを読んでもわからないかもしれませんが。
回答ありがとうございます。
六祖慧能から理不尽な感じになっていったんですね。
神秀のほうは理知的な偈ですもんね。
一転語に頓悟の素地があったのがわかりました。
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