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各時代劇で、しばしば登場する宮廷内の去勢された人物についての疑問ですが・・・
お解りの項目や参考情報があればお教えくださいませんか。

◇画面には多く登場するのですが、そんなに大勢いたのですか?
◇日本でも茶坊主なんかが同じような去勢(男根の切除)をしていたのでしょうか?
◇医術や麻酔の発展していない時代に生命の危機や後遺症が酷くなかったのだろうか?
◇何時頃から行われ、何時頃まで存続していたのでしょうか?
◇現実に、処置後はどのような状態で、小用に支障は無かったのでしょうか?

A 回答 (3件)

◇画面には多く登場するのですが、そんなに大勢いたのですか?



宋や明の時代には多くの志願者がいたといわれています。
詳しくはwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A6%E5%AE%98


◇日本でも茶坊主なんかが同じような去勢(男根の切除)をしていたのでしょうか?

一般的には日本で宦官制度はないといわれていますが、江戸時代の古川柳に「奥家老らせつしたのを鼻にかけ」というものがある。また「案山子かな女中預かるらせつ人」という古川柳も残っている。「らせつ」とは漢字で「羅切」と書き、「陰茎切断」の俗語であることから、女官たちを取り仕切る宦官に近い存在はあったという説もある。(wikiから引用)

◇医術や麻酔の発展していない時代に生命の危機や後遺症が酷くなかったのだろうか?

出血多量、排泄の困難による尿毒症、感染による腐敗、化膿など抗生物質のない次代にはかなり危険な手術だったとおもいます。
性器を完全に削除するのではなく、睾丸部分をきつく縛り血液の循環を止め腐敗させて取り除く方法もあったようで、その方法は比較的安全で家庭でもできたようです。
排泄に問題もないのですが、睾丸を失っても性欲は残るらしく、宮中で問題を起こす宦官もいたようです。

◇何時頃から行われ、何時頃まで存続していたのでしょうか?

中国では 春秋時代とも、殷の時代とも言われていますが、
奴隷や戦争捕虜に去勢を行うことは、牧畜の盛んなユーラシア大陸では広く行われていたようですね。十字軍あたりの戦争でも捕虜の性器を切り取ったなどの記録があったと思いますし
18世紀末のロシアにはスコプチ教という、去勢することを目的にした宗教が誕生しています。

http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/scopti.html

◇現実に、処置後はどのような状態で、小用に支障は無かったのでしょうか?

切断後、膀胱へ麦わらなどを入れた状態で傷口が治るのを待ちます。
尿が排泄できなければ尿毒症で死にます。
形態的には、遠くからは女性と見分けられない完全に切除した状態
陰茎のみを残した状態の2種類があります。
清王朝末期の紫禁城では前者の宦官が大多数だと思います。

こちらのページが参考になるかと

http://www.toride.com/~fengchu/intro.html
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

詳細な解説と情報提供並びに分かり易い考察をお教え願い、心より感謝とお礼を申し上げます。

お礼日時:2012/04/16 21:56

◇画面には多く登場するのですが、そんなに大勢いたのですか?て


 中国や韓国,イスラム,ビザンティンなどの宮廷では,男性機能を失った人間は主人に忠実であると考えられていたため,宦官が数多く登用されていました。正確に何人くらいいたかまでは分かりませんが,少なくとも中国など大国の宮廷なら,時代劇の画面を埋め尽くせるくらいの人数は優にいたでしょうね。
 ちなみに,清朝が滅亡した後,1924年のクーデターで宦官が一斉追放されましたが,このときの宦官の数が約2000人だったそうです。
 なお,キリスト教のうちギリシャ正教では,宦官が高位聖職者になることもよくありました。西欧では宦官が高位聖職者になることはできませんでしたが,去勢された歌手(カストラート)が20世紀の初めくらいまで使われていたようです。

◇日本でも茶坊主なんかが同じような去勢(男根の切除)をしていたのでしょうか?
 日本では,犯罪者に対する刑罰として去勢が行われることはありましたが,そういう男性が権力者の側近として重用される慣習はありませんでした。

◇医術や麻酔の発展していない時代に生命の危機や後遺症が酷くなかったのだろうか?
 もちろん,去勢が事実上の死刑になることも珍しくありませんでした。時代などにもよりますが,確率的には4分の3くらい生き残れば良い方だったらしく,宦官の主たる供給源は外国人の奴隷が多かったようです。

◇何時頃から行われ、何時頃まで存続していたのでしょうか?
 いつから始まったかは分かりません。馬の去勢手術に関する技術を人間に応用したのが始まりと言われており,一番古い例とされているのは,紀元前2000年くらいにヒッタイトの司祭が始めたものとされているようです。
 終わりは,20世紀初めまで存続していました。

◇現実に、処置後はどのような状態で、小用に支障は無かったのでしょうか?
 宦官にもいろいろなタイプがあったらしく,男性器を全て切除する場合もあれば,陰嚢または睾丸を切除するだけの場合もあったようです。男性器をすべて切除した場合,もちろん通常の男性のような排尿はできず,排尿の際には尿道に葉っぱを差す必要があったとか。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

詳細な解説と情報提供並びに分かり易い考察をお教え願い、心より感謝とお礼を申し上げます。

お礼日時:2012/04/16 21:56

宦官は、東は朝鮮半島、西はオーストリア付近まで分布していました。


特に宦官が多かったのは中国でした。
明の時代が一番多かったと聞いています。
かなり宦官の数を減らした清朝においても、300人程度はいたと聞いています。

日本には、宦官の習慣はありません。

古代エジプトでは、去勢による死亡率は、60%程度、古代インドでは、過半数が死亡したとなっています。
そのため、去勢されることは、「運がよければ命が助かる」といった状態でした。
その後去勢は、全去勢から、睾丸の削除することに変化します。
それにより、死亡率は格段に下がり、中国などでは、自宮する人達がうまれてきます。
清朝においては、300人程度を去勢したひとでも、一件の死亡事故もなかったと言っています。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

お陰様で聞き難い話題でありながら、疑問に思いズーッと引き摺っていました痞えが、お陰様でストンと落ちた感じです。
貴重な情報を提供頂き、心より感謝とお礼を申し上げます。

「疑問に感じたシーンや背景」
と言いますのも、韓国時代劇「王と妃」「女人天下」で度々登場し、当該人物が重要な役回りをしていますし、また中国古典では三国志の曹操の出自に語られる事が多く、その実態や実数とか役割や権限に付いて知りたかった為です。

お礼日時:2012/04/16 10:32

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