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愛されたければ愛しなさい。
受け入れられたくば受け入れなさい。
自分が変われば他人も変わる。

良く聞く言葉です。

しかし、自分が常に働きかけたり、痛みを感じたり、嫌な思いもしながら
変わらないと受け入れてもらえない弱点な立場の人間と、
自分は何もせずとも相手が自分にとって楽な有利な風に働きかけてくれたり
相手からこちらに合わせて変わってくれる強者の立場があるということですか?

それなら後者でいられる人は幸せ者ですね。

弱い立場の人間は常に何かであり続けなければ価値がなくなってしまうのでしょうか?

A 回答 (7件)

こんにちは。


多少内容にズレがあるかもしれませんが…。

まずは周りのノイズをいったんシャットアウトして、あなたの心を見つめましょう。
カウンセラーさんの言葉もとりあえず忘れましょう。
答えを見つけたいのはわかりますが、あなたが混乱していると、見えるものも見えなくなります。
他人に依存せず、まずは孤立した個としての自分を見つめましょう。
とにかくあなたの立ち居地をはっきり定めて、それから進みましょう。

あなたはあなたでいいのですよ。
あなたは、物事をはっきりさせたい人なんです。そのための冷静に論理的に思考する能力も充分あります。
けれど、集団の感情とその中での自分の感情、それらにとらわれていて(それらは論理的でないし、白黒つけられない)そこをどう処理していいのかわからなくて葛藤しているんですよね。(たぶん)
その状態から離れたい、スッキリさせて世の中に役立つ人間として確固たるアイデンティティを築きたいのですよね。
そんなふうに感じます。

情というものは流動的で、はっきり位置を定めることは不可能です。それはあなたも理解していると思います。
もちろん、好き・嫌いがはっきりすることもありますが、たいていはグレーゾーンの中で揺れ動いています。
あなたの中でもそうですし、集団の中のそれぞれもそうです。時には同じような人が集まってグループを作っていることもあるわけです。

さて。
自分が変われば他人も変わる、とはどういうことなのでしょうか?
それは自分を犠牲にすればいい、ということではありません。
同じように、他人も犠牲になればいい、ということでもありません。

自分も他人も、お互いに尊重し合って、折り合う点を見つけて着地することです。あなたも譲歩し、他人にも譲歩してもらうように努力をすることです。相手を思いやりながらコミュニケーションをとることです。その結果、自分も変わって相手も変わるのです。

それにはまず自分はどうしたいのか?をはっきりさせることです。とりあえず、他人はおいといて、自分はどうなのか?と。
それをきちんとしておかないと、他人との妥協点を見つけられません。
揺れ動いたままでは、よくわからないまま相手に丸投げして…自分が犠牲に?なるかもしれません。

次に、相手はどうしたいと思っているのかを探ります。表情や言動で、大体はつかめるはずです。
自分と同じような感じだったら、確認するだけで、すんなり着地しますよね。
でもそうでなかったら、やみくもに自分の主張をぶつけても拒絶されるだけです。
相手を凌駕できればその時だけは思い通りになるでしょうけれど、それは結局断絶を招きます。
また、拒絶されたままでは『自分が受け入れられなかった』と自己憐憫に陥ってしまいます。ひょっとしたら自分の方が正しい考えを持っていたかもしれないのに、です。

あなたは冷静に論理的に話が出来る人です。だから、自分の中に湧き上がる感情をコントロールできるはずです。
でもそれで感情を押さえつけてはいけません。自分の感情を大事にしつつ、相手の感情を汲み取りながら妥協点を探してください。
たとえば。
「君はどう思う?」と話を聞いて、そこで折り合えないようだったら、「僕はこうしたいんだけど。それは、これこれ…こういう理由で、このほうがいいと思うし。どうだろうか?」と意思表示をしてみてください。
それからお互いに少しずつ歩み寄って行くのです。最終的には『痛みわけ』に近くなるよう、お互いに落としどころを決めるのです。
キャッチボールするうちに、どちらか寄りになることもありえます。
要は、お互いに譲れるところは譲ることです。お互いに、です。

簡単ではないですけど、そこまでしなければ対等な立場になりませんし、互いに負の感情が残ってしまいます。
(仕事では、それが出来ない場合もあります。社会のシステムなので、ある程度は仕方ありません)

世の中の殆どの人は、各々、日常的に、あまり考えることなく自然そのようなことをしています。顔を見ただけで、相手の感情を察して行動することもあります。
また、自発的に自分の感情は二の次にして奉仕する人もいます。その人は当然、損得・見返りなど考えもしません。


人は…職業などの社会的地位などで強弱を決めてはいけないと思います。
社会的地位(立場)は社会システムの役割として便宜上あるだけです。そこを間違わないように。
人は皆違った個性があります。でも人間としては皆対等(平等)。だからお互いに尊重し、お互いに努力すべきです。

どうしても折り合えない場合は…離れるしかない場合もあります。今現在折り合えなくても、時間が経てば…将来展開が変わることもあります。この世界は常に動いているのですから。

たとえ上手く行かなくても、努力はしたのですから、役立たずの弱者ではありません。努力することで、問題点が明らかになったわけです。それを参考に出来る人々が必ずいるのです。その人たちの役に立てるのです。それどころか、ひょっとしたら、自分を応援してくれる人が出てくるかもしれません。
だから、無駄なことなどないのです。それに、苦労した分、確実に成長出来ます。

「何か」である必要などありません。人間としてどう生きるか?のほうが大事です。そう思います。
他人から見える自分にあまりとらわれずに、自分は自分。自分をしっかり持って、そこからスタートです。
0か1(オン・オフ)ではなくて、0~1。それを意識して、時には『ま、いいっか!』というくらいの余裕も必要ですよ。
それでも、かかわる相手のなかには、誰が見ても『?!』な、自己中心的でエゴを押し付けてくる人もいるでしょう。そんなときは、その人を『(成長する気も無い)その程度の人だ』と認識して、自分を向上させる鏡とすればいいと思います。

人がいる。だから難しい。だれも皆、失敗しては修正し、そうやって少しずつ成長しているんです。
完全な人などいません。だから大丈夫です。ボチボチ行きましょう!


あなたは心理的に背負っているものが、ほかの人より少し大きい(重い)とは思いますが、その分、…それだから、あなたにしか出来ないことがあるはずです。それを探してみましょう。
それを伸ばせば、あなたがこの社会で「役に立っている」という実感が持てるようになると思います。
頑張りすぎないで肩の力を抜きましょう。大丈夫です、きっと見つかります。

P.S.山羊座生まれの助言者を持つことをオススメします。
    カウンセラーはマニュアル化されていない人を選ぶほうがいいです。経験豊かで柔軟な人がいいですね。
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「無償の愛」って聞くでしょ?


愛は、見返りをも求めてはいけない。

自分があーしたから、こーしたからって、相手は何も感じないし、興味もない。
世の中には、自分が楽する事しか考えてない人もいるから。

人を変えたいなんて・・・
自分が自分らしくあるより難しい。。。

価値観なんて人それぞれしだし、他人が自分をどう評価するかなんて気にしない。

最後は、自己満足。
これだけの仕事をした。達成感だけでいい。
もし、その仕事で誰かの役に立てたり、喜んでもらえたら、それで幸せ。

ありがとう。って言われたら、うれしい。
誰かに助けてもらったら、必ず「ありがとう」を伝えて欲しい。
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質問者様が心の奥底で求めている回答と文面のピントがずれていますね。



答えを一言で申し上げますと
あなた自身であり続けよということになるのですが…。

人間の価値はどのように決まるのかと言う問題に対して、
そもそもあなたは正しい答えを持ってこの質問を投げているのでしょうか?
本来ならそこから考えて欲しいところですが、
価値と言うものは本来他社からの是認に求めるべきものではないと
だけ申し上げて、私の考えを言います。

(1)受け入れてもらえない弱点な立場
(2)手からこちらに合わせて変わってくれる強者の立場

はあくまであなたの目に見えている現象であって
彼らの本質ではありません。

愛される人間は自分を愛しています。
そして他人から受け入れられなくとも、
自分は他人を幸せにしたいと言う意志で動くことができ、
自らの行いに喜びを感じることが出来る。
それで十分だと(2)は思っていることが多いです。
多くの人を心からひきつける人間には、このような
無償の愛という資質を磨き上げています。
同時に、自らの欠点を、素直に受け入れています。
それが対人関係において無駄な力みをなくし、
本人の努力にも直結しています。
よって、プラスのループを続けることが出来るわけですね。

もしそれを持たずに多くを得ようとしている、もしくは得た
人間がいるなら、それは長続きはしません。


一方、(1)の人たちは自分が愛されていないと
感じている人が大多数ですが、
存在価値を否定された人間は、よほどの罪人を除けばおりません。
愛されていないと言う認識は、非常にヘビーで
取り去りがたいもののように思えますが、
それは人に与えると言う地道な努力によって、または
辛い思いをしていたころの自分に立ち戻って
ただ無条件にその自分を許し、受け入れると言う作業を
積み重ねることで、弱めていくことが可能です。

犯した過ちは素直に反省しなければなりませんが、
(1)の人たちは理不尽な人格攻撃を真に受けてしまったことや、
そこから事実の取り違いをしてしまったことも間々あるはずです。
そのためにはまず、自分自身を長所短所ひっくるめて許し、
自分は皆と平等に愛されたものだという認識にまで高める
必要があると思います。その道は非常に困難です。
ですが、絶対に外してはならない道です。

あなたの人格を貶めた人は居ますか?
居たとしたら、それは正真正銘、正当な評価なのですか?
あなたは何かを持っているから愛されるのですか?
何も持っていないから愛されないとでも思っているのですか?
その先入観が、他人の前でこびへつらったり、
利用されているだけだと言う卑屈な姿勢を生み、
それが更に自身を「利用しやすい都合のいいやつ」
に貶めてしまうバッドループの始まりなるというのに。

やりたいことはやりたいと言い、
やりたくないことはやりたくないと言えば良い。
ただし、「やりたいこと」は自分と他人をともに幸せにすること
「やりたくない」と言うにはそれが自分も他人両方を
幸せにするに至らないことを証明せよ。
その判断基準はもう大人なんだから分かりますよね?

その答えを求めるプロセスが、
愛されたければ愛せよ、
受け入れられたければ受け入れよ、
という言葉への表れであり、

これはすべて、最初に何も持たない状態の
自分自身を受けないと出来ないことであるから、
一番難しいことを最初にしなさいよというメッセージです。
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それらの意味は


あなたが望むものなら
あなたが欲しいものなら
まずあなたが他人にあげなさい。
ってことじゃないかな。
欲しかったらあなたが先にあげる。
そしたらお礼としてあなたも貰えるって意味じゃないかな。
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愛されたければ愛しなさい。

受け入れられたくば受け入れなさい。
これは一言でいうと、自分以外は自分の鏡なのです。
それと自らが世界を創造しているという解釈もあります。

自分が変われば他人も変わる。
これは前の意見と同様、立ち位置が変わり、見方が変わるという意味です。
短所が長所に見えるようになった。他人は変わっていないけど、変わったように見えた。
それと他人の容姿は同じでも本質が別人になっているという解釈もあります。
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前者の立場であろうと、後者の立場であろうと、その相手に合わせる様に変わることは、お互いが幸せに成ることですか。


片方だけが幸せに成ることで、他方は不幸せになることなら、いつかは破綻する関係ですね。

皆が幸せで価値ある人生を生きて欲しいと思いますよ。

「自分は何も変えたくない。あの人が変わってくれれば、皆幸せに成れる」と考えている人は、いつも問題を作り出す人です。心の問題が多いですね。
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私は「自分を変えられるのは自分だけだ」、と思います。

弱い立場の人は、なぜ自分がその立場に甘んじているのか、そこから抜け出すのには何をするべきか、を考えないといけません。要は、自分を変えることで、自分の立ち居地を変えることが出来る、という事ではないでしょうか。質問者様がどのような状況にいらっしゃるのかわからないので、フワッとした回答しか出来なくて、すみません。
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