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現在、賢治文学を勉強している最中で、「疲労」という詩をみています。分からないことが色々ありますが、できれば教えて頂きたいと思います。詩は以下のようなもので、1926年の5月に下根子桜で賢治が農作業をしていたとき書かれています。

   南の風も酸っぱいし
   穂麦も青くひかって痛い
   それだのに
   崖の上には
   わざわざ今日の晴天を、
   西の山根から出て来たといふ
   黒い巨きな立像が
   眉間にルビーか何かをはめて
   三っつも立って待ってゐる
   疲れを知らないあゝいふ風な三人と
   せいいっぱいのせりふをやりとりするために
   あの雲にでも手をあてゝ
   電気をとってやらうかな

分からないことは以下の通りです。

「南の風」はなぜすっぱいですか。
穂麦は青く光っているが、なぜそれが痛いのか。
「黒い大きな立像」ですが、これは「黒い雲」のことでしょうか。また、雲だとしたらルビーとはどいうことでしょうか。また、「風な三人」とありますが、この三人は誰ですか。農作業している人々ですか。

すみませんが、よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

今、賢治が農作業をしている「下ノ畑」は、下根子桜の別邸の崖の下にあり、北上川のほとりに位置した20アールの砂地です。



この砂地の開墾の厳しさ、植え付けた菊芋の水遣りも重労働。
疲労で身体に乳酸も溜まります。
だから、涼やかなはずの南風もどこか酸っぱいのです。
「岸までくれば
 またあたらしいサーペント
    ……水を汲んで水を汲んで……」
(大正十五年五月「水汲み」より)

また、開墾した麦畑での雑草取りでは、屈みながらの作業の連続で、また青く元気な穂麦にもちくちく刺され辛いものです。

そんな野良仕事の労苦から手を休め腰を伸ばして、崖の上を見上げれば、聳え立つ木々とその木漏れ日がありました。
それは心象において、疲れ果て諦めに襲われている賢治には、崇拝する阿弥陀三尊像のように姿を成した木々が見守り、木漏れ日はあの眉間のルビーのように輝き、その「疲れを知らない…三人」の姿こそ、賢治の心を癒し励ましてくれるかのようです。
脇に取り巻くようになびき湧いている雲を、数珠のように手に取って、感謝のお祈りを捧げたいものだなあ。弱虫の自分にお言葉を賜りたいものだ。ビリリと来るような霊感を忘れないでいたいものだ、と。
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