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神輿を担ぐ祭りに参加するときや相撲をするときは、

公の場でふんどし姿になって「お尻」を出しても許されるのに、

たとえば普段、普通の日に一人の人がふんどし姿で

街中を走っていたりした場合、途端に「ワイセツ?」とか、「変態?」とか、

世間の目が悪い方向に変わるのはなぜですか?

「ふんどし」は祭りのときは良くて、普通の日はダメなのですか?

長年の謎で、どうしても解けません。

集団心理と関係があるのでしょうか?

できれば脳科学や精神・文化、社会学等の専門的な知見をお持ちの方、

回答をお願いいたします。

A 回答 (4件)

まあ今ではフンドシじゃなくてみんなパンツを履いているでしょうが、そうじゃなくて当然みんながフンドシだった時代でも、ハッピとフンドシ一丁で街を闊歩してたら「あいつは頭がおかしい」と思ったんじゃないでしょうか。



露出とかわいせつとかじゃなくても、明らかに違和感のある行為に対して警戒をするのは、人間が生き物である証拠です。
そうでないと敵意とか危険を察知できなくなりますからね。

夏の浜辺でビキニパンツを履いていても景色の一部でしかないのに、朝の新宿駅でそれをやったら当然職務質問でしょう。

つまり「同じ服なんだからいいじゃん」ではなくて、「空気を読めてなさ過ぎる」って状況そのものがやばいんじゃないですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

違和感のあるものを、自分にとって危害を加えるもの

と考えることで、自己を防衛しようとする、一種の

危機管理のような本能が働くから、ということでしょうか。

人間として誰もが備えているものだから

悪く見られても仕方がない、ということですかね。


今回はありがとうございました。

お礼日時:2012/04/24 06:46

#3の回答者です。

また、ズレていたらごめん

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3695128.html
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この回答へのお礼

ご紹介ありがとうございます。

異質なものに対する集団心理については、
私は興味のある部分で、現在、インターネットの
有料サイトでの法解釈を含め、いろいろ勉強中です。

いろいろな考え方があり、うなずけるものもあれば、
すでないものもあります。

結局、「常識」というものをどう捉えるか、
の問題だと思います。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/04/27 11:23

できれば・・・というのが建前なのかな、と不安を感じつつ・・・自説を



神輿や相撲はいわゆる神事。神様に乗って戴いたり、見ていただくためのもの。
神に対しては何事も隠し立てせず、本来は裸で行うもの。
オリンポスの神々に見ていただいた競技会は、真っ裸だったそうな。
しかし、それではあんまりということで、必要最小限の下着で行うようになった?
まあ、神輿や相撲は運動を伴うのと、武器を隠していないのを明らかにする意味もあるかも。

宮城にいたころ、「裸参り」というのに参加した。
街中をフンドシで参詣し、最後はドント焼きで終わる。
そのときの説明では、神に隠し事をしていないことを表すため、と聞いた。
逆に下着姿では失礼になるのでは? と思ったが・・・

そして神事はハレ(特別)の行事なので、同様のことをケ(普通)の生活ではしてはいけない。
ここは既出の回答「空気を読め」と同じ。

この回答への補足

まずはご回答ありがとうございます。

私の相談の仕方が悪かったのかもしれません。


私は空気は読めています。

知りたかったのは、なぜ、そういう空気になるのか、

ということです。

祭りや相撲では「お尻」丸出しの「ふんどし」や「まわし」を

締めていても文句を言う人はほとんどいません。

なのに、祭りではない日や、相撲大会の土俵の上ではないときに、

例えば街中で一人で「ふんどし姿」でランニングなどをしていた

場合、なぜ、「ワイセツ?」とか「変態?」とか思われてしまうような

「空気」になってしまうのか、ということが知りたいのです。


もちろん、「空気」を作っているのはそこに居る人間たちです。

人類の祖先は、身を守るため、今までの空気の中に、突然、

違う空気(異質なもの)が入り込んできたとき、それを敵とみなすことで

自らの安全をより一層高めようとしたのかもしれません。

そうしないと、「種の保存」が脅かされるからだったと考えられます。

そういう、「敵から身を守る」という人類の祖先からの

細胞レベルの記憶が、「警戒する」、「嫌悪感を感じる」という

かたちで、現代においても、「古い脳」の働きにより、

大脳の中に顕在化してくるのかもしれません。


ただこれは、学問の知識のない素人である私の意見なので、

そういうことに詳しい専門の方の回答をいただきたかったわけです。

でも、ご回答いただいた内容は、私にとってうなずける部分が

多かったです。


今回は大変ありがとうございました。

補足日時:2012/04/24 22:05
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時と場によって社会の通念が変化するからです。



公衆浴場で、衣服を着用していたらおかしいでしょう。

海水浴場でスーツは変ですが、町中で水着は
変ですね。

結婚式場でジーンズはまずいでしょう。

それぞれ、その場その時に適した姿格好というものが
要求されているから、それに合わない格好をすると
おかしな眼で見られるのです。

そういうのも文化の一種なんでしょう。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

私が知りたいのは、なぜ、「悪く見られるのか」

ということです。

「おかしな目」で見られることは分かっています。

どちらかというと「排除しようとする」側に見られる理由が

知りたいのです。

これは、人間が持つ、自分たちと違うものに対する、

一種の防衛本能かも知れない、と思っていますが、

学術的な知見を持つ方の専門的な回答を希望したのです。


どうもありがとうございました。

補足日時:2012/04/24 06:28
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