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こんにちは いつもお世話になっています。

中世イタリアの歴史について教えてください。
花田清輝「復興期の精神」の「鏡の中の言葉」でレオナルド・ダ・ヴィンチがフランチェスコ1世に玩具を献上する話があります。この中で、レオナルドが新興勢力フィレンツェ自由都市国家派で、フランチェスコ1世がフランス旧勢力代表という図式が書かれています(読み違いでしょうか?)。
調べてみると、フランチェスコ1世はメディチ家でトスカーナ大公国の代表であり、メディチ家はフィレンツェから出ているわけですよね。フランスとの関係はあるのでしょうか?

上記の玩具の話ではレオナルドは自国の象徴である獅子と、敵対するフランスの国花である百合の花を玩具にすることで、両者とも相対化しているとあります。なぜ、フランチェスコ1世がフランスなのでしょうか?

素人の興味本位の質問です。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

その本を読んでいないので、内容がよく分かららないのですが、人物の整理を一度された方がいいと思います。



レオナルド・ダ・ヴィンチ<1452~1519年>
フランチェスコ1世(トスカーナ大公)<1541~1587年>
この二人は、同時代には生きていません。なので、本の中で出てくる「フランチェスコ1世」とは、メディチ家がトスカーナ大公国の君主だった時代の人とは別の人だと思います。

ダ・ヴィンチが健在だった頃のフィレンツェは、ロレンツォ・デ・メディチとその息子ピエロ・デ・メディチまでが、“トスカーナ共和国”の実質的支配者ではありましたが、君主ではありませんでした。ダ・ヴィンチの晩年は、メディチ家はフィレンツェを追われていますし、ダ・ヴィンチ自身もフィレンツェを離れているので、フランチェスコ1世と呼ばれるメディチ家の人と関係があったとは考えられません。

あくまで推測ですが、その本に出てくるフランチェスコ1世とは、もしかしたらフランス国王フランソワ1世のことではないでしょうか。
本来日本では、外国の固有名詞を表す時には本国の読みを採用します。フランス国王ならフランス語名、イタリア人ならイタリア語名という具合に。ただ、著者によっては自分の専門を優先して、他の国の人まで全部自分の専門の言語にしてしまうというケースをたまに見ます。

この本も、もしかしたらそうなのかもしれないと思います。
フランソワをイタリア語にするとフランチェスコになりますし、何より、フランソワ1世は晩年のダ・ヴィンチをフランスの居城近くに住まわせていました。フランソワ1世はダ・ヴィンチをとても尊敬していて、父親のように思っていたとも言われています。

あと、この話とは直接関係ありませんが、ルネサンス期のイタリアは、ご存じのように都市国家という政治体制でした。国家規模が小さかったため、神聖ローマ帝国やフランスなどの影響を大きく受けていました。
今の私たちの感覚では、イタリアなんだからドイツやフランスは関係ないだろうという思考に陥りがちですが、当時は違いますので、フィレンツェの君主がフランスを後ろ盾にするということは大いにあった話です。
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この回答へのお礼

kushiroai 様 ありがとうございました。お蔭様で解決しました。

 ルネサンス期というだけで生没年をしっかり見ていませんでした、お恥ずかしい限りです。
フランソワ1世のことなんですね。イタリア語だったとは、そりゃそうですよね…情けないです。

ウィキペディアから引用させていただくと

1515年に即位したフランス王フランソワ1世は、同年にミラノを占領した。この時、レオナルドはボローニャで行なわれたフランソワ1世とローマ教皇レオ10世の和平交渉の締結役に任命され、(恐らくは、このとき初めて)フランソワ1世に出会った。以後、フランソワ1世の庇護を受け、1516年からは王の居城アンボワーズ城に隣接し、フランソワ1世が幼少期を過ごしたクルーの館 (Clos Lucé) に招かれ、年金を受けて余生を過ごした。
レオナルドは、1519年5月2日にフランスのクルーの館で亡くなった。

引用終わり
 玩具の話はこのクルーの館での出来事かもしれません。ルネサンス期に雇われたユマニストは猟犬掛以下の冷遇をうけたそうですが、そんなもんでしょうか。
大変勉強になりました。詳しく教えていただき助かりました。
簡単で恐縮ですが、お礼申し上げます。

私が読んだのは講談社文庫(S.52)で現行の表記はわかりませんが、私のようなおっちょこちょいに役立てばいいんですが。

お礼日時:2012/04/25 09:14

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