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考える葦の「葦」は葉っぱ・草の事ですか?

あと、読み方について
http://ocnsearch.goo.ne.jp/ocn.jsp?IE=UTF-8&OE=U …
で調べてたら、
読み方が「ヨシ」で出たのですが
「考える葦」は「カンガエルヨシ」が正しいのでしょうか?

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A 回答 (7件)

    L'homme est un roseau pensant



    物の名も所によりて変わるなり
        浪速の葦(あし)も 伊勢の浜荻

1。考える葦の「葦」は葉っぱ・草の事ですか?

    はいそうです。。

2。考える葦」は「カンガエルヨシ」が正しいのでしょうか?

    いえ、「あし」です。
    

    
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この回答へのお礼

英語バージョン、ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/04 20:12

ヨシは方言ということは存じませんでした。


大いなる創造と人生の河が湾と大洋に入る直前の河川敷の河童の地域は日常用語でヨシという言語使用です。
アシは日本語、文章などのきちんとした言語、用語ですので、翻訳語はアシとするでしょう。
スラングと日常用語との区別はともかく、ヨシはスラング(隠語)というものではありませんが、翻訳ではアシですね。
それは私達もそのようにしています。どの階級や社会でアシのスラングが存在するか存じませんが。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 22:46

ヨシは日本だけの言葉、方言と言うより、隠語と言った方が正しいかな。

(これだけ堂々と使われる隠語もないですが)
全国で通じる言葉でもないですよね。(通じるけど、地元の葦をヨシとは言わない)
外国の物や外国の言葉は全てアシのはずです。
その代表格が「人間は考えるアシである」

外国の物にもスラングが有るかも知れませんが、それはヨシではないはずです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 22:45

関東です。

雷門を出て花川戸あたりで東武は隅田川にぶち当たっているが、その隅田川遡って水神大橋あたりで隅田川を渡ると荒川に出る。
戦災時7歳の私はその後、荒川河川敷の河童として成長したが、私達は葦(よし)と呼称しています。クツワムシはガチャガチャ、ばんその他の水鳥たち。ヨシキリという雀ににた鳥はとてもにぎやかであった。“よし”です。

これがパンセとかの考える葦(あし)と同じだということを気にもしていませんでした。
浅草は無論、柴又あたりまで東京湾の湿地帯であった将軍の狩場のこのあたりは正に豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の地でした。葦はこの辺では、“あし”とはいいません。“よし”です。
そして文献などの場合は“よし”とはいわず “あし”といっています。“よし”は日常語で使っています。
葉っぱと茎とはあまり区別のし難い植物(水の上げ下げのある岸辺の草)だと認識テイマす。
蒲と同じ茎や根っこに近いところは水分が多く、咽喉が渇いたりすると我ら河童はそれをムシャムシャやります。きれいなものです。

●ka28miさんの梨⇒ありの実はおもしろいですね。
●kine-oreさんの聖書の話もおもしろいですね。

●ご参考:
1) Psalms詩編90:4-6 "For a thousand years in Thy sight are but as yesterday when it is past, and as a watch in the night. "Thou carriest them away as with a flood; they are as a sleep: in the morning they are like grass which groweth up. "In the morning it flourisheth, and groweth up; in the evening it is cut down, and withereth."
(拙訳:千年の過ぎ去りもあなたの目には夜のひと時の僅か昨日です
あなたは彼らを大水のように流れ去らせ彼らは眠るかの如くになります
そして朝にはまた草と同じに生え出させます
彼らは朝に盛んになり成長し;夕べには刈られ枯れていきます)
2) http://sanderfeinberg.com/sdf/spirit/kalachakra/ …
3) http://kikitai.teacup.com/qa6130438.html
4) http://kikitai.teacup.com/qa6546890.html
5) http://kikitai.teacup.com/qa6134582.html
6) マハバーラタやバガヴァッドギータでも、婚姻前の子どもを葦を編んだ上に乗せ、川に流し、老武士夫婦に拾って育ててもらう話があります。

なお、上記の内の下村湖人の白鳥入蘆花は臨済の偈では白馬入蘆花となっています。
湖人の素晴らしいセンスと直感での思想ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 22:45

人間は葦(あし)にすぎない…「L'homme n' est qu'un roseau ロム・ネ・カン・ロゾー」


考える葦(あし)である…「Roseau pensant.(ロゾー・パンサン)」
植物一般としてはどちらでも大差はないのですが、(2)の意味では、「葦(あし)」です。
「Roseau:(1)《植物》アシ・ヨシ。(2)(人間の非力、もろさの象徴としての)葦(あし)。」
(「プログレッシブ仏和辞典」小学館)

このパスカルの語る「もろさの象徴としての)葦(あし)」という言葉は本来、聖書に由来します。
「折れ葦(あし) broken reed」は旧約の「列王紀略下18-21」や「イザヤ書42-3」にあります。
この ロム・ネ・カン・ロゾーはつまり、「自然の物の中で最も弱いもの le plus faible de la nature,」です。

そして更に、「風にそよぐ葦(あし)であったか。A reed shaken with the wind?」というキリストの言葉(「マタイ伝11-7」)では、それは荒れ野の預言者ヨハネと関わります。
そしてこの節は「知恵の正しさは、その働きによって証明される。」と結ばれています。
ここからロゾー・パンサンという言葉にとつながって行くのだとされています。
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この回答へのお礼

聖書に由来するのですか。
知りませんでした。ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/04 20:12

人間は自然界で最も弱い一本のアシである


しかし そのアシは考える葦である

このパスカルの有名な言葉は
アシと読みます 又茎の事です
私は関西ですが ヨシ とは言いません
アシはアシです
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この回答へのお礼

どの地方でも「アシ」が正解なのですね。ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/18 23:11

パスカルの台詞ですね。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC% …

葦とは、イネ科の植物の一種です。
見かけがヒョロヒョロとして弱い印象の草なためか、ヨーロッパでは弱いものの代名詞のように使われていたようですね。

読み方は、「アシ」が正解です。

「ヨシ」というのは、主に関西で「アシ」では「悪し」に通じるとして、言い変えたものが定着してしまったパターンです。
余談ですが、ヨシほど有名ではありませんが、「スルメ」を「アタリメ」、「梨」を「ありの実」などの言い変えもありますよ。
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この回答へのお礼

アシでいいのですね。ひょろひょろなのですか。

・「スルメ」を「アタリメ」
・「梨」を「ありの実」
参考になります。ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/18 23:11

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ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む


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