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すみません、教えて下さい。江戸時代に海外の情報を収集するのに、オランダや中国から風説書を提出させていたようですが、朝鮮や琉球からも何か文書が出ていたのでしょうか。またそのような海外の情報を薩摩藩や対馬藩は知っていたのでしょうか。
「鎖国」政策の理由として、幕府の情報独占をあげる書籍がありますが、幕府が統括する以外に3つの窓口が海外に開かれていたので、そこから当然情報が入ってくることも考えられるのではと思っています。
ご専門の方、詳しい方、ぜひ教えて下さい。どうぞよろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

3つじゃないです、4つです。



江戸時代の対外外交先は、
オランダ、朝鮮、琉球、蝦夷。

こんなとこで断片的な回答待つより、
図書館で本を借りてきたらよろしいのに。
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朝鮮や琉球に海外の情報などありません。

と幕府は考えていたから、幕府は対馬藩と薩摩藩に任せっきりでノータッチだった訳です。
1844年に琉球王国をフランス海軍が訪問して、貿易とキリスト教布教を要求し、琉球王国はその要求を呑んだといった事例がありますが、それを薩摩藩に報告したのは1847年というのだから、割といい加減ですよね。オランダ風説書と違って定例報告は無かったと思います。少なくとも私は知りません。
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 朝鮮や琉球からの海外情報がゼロだったとまでは断言できませんが,朝鮮も鎖国政策を採っていたこと,対馬の宗氏による朝鮮との外交や薩摩の琉球支配は幕府の承認と管理の下に置かれていたことから,幕府のあずかり知らないところで,薩摩藩や対馬藩が海外に関して有益な独自情報を入手できる可能性はあまりなかったと思われます。

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