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16世紀の火薬が及ぼした要塞の変化について。 16世紀のヨーロッパの戦場についてなのですが、要塞はさまざまな形に進化したと思います。火薬が及ぼした要塞の変化はありますか?

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A 回答 (2件)

火薬というより大砲、それも運搬できる移動式の大砲の出現とその攻撃により、それまでの城壁が脆くも崩れさる事になった事により、城塞の大きな改良が始まりました。



発端になったのはフランスのシャルル8世が新しい大砲を持ってイタリアの諸国家に攻め入った事でした。
その大砲の威力の前にイタリア諸国家の城塞は次々と陥落していきます。
なかでも、かつて7年間の包囲攻撃を耐え抜いた事もあるナポリのサン・ジョヴァンニ要塞をシャルル8世は大砲の威力により8時間で陥落させナポリに入った事は全イタリアを震撼させました。
城塞の建設と維持に国家予算のかなりの部分をあて、防衛の主軸としていた諸国家には大きな衝撃となったのです。

それまでは城壁は高ければ高いほど攻撃部隊が城壁上に取り付くのが難しく、また攻城兵器の威力も減少しました。
しかし、大砲の攻撃は高い城壁に対し逆の効果をもたらします。その強力な威力の前に城壁は高ければ高いほど、損傷により不安定になりやすく倒壊しやすくなり、また倒壊した時は城壁の裂け目も大きくなり、掘り割りも瓦礫で埋まりやすく、攻撃側の格好の突撃路となりました。

この大砲への対抗策として初期に編み出されたのが「ピサの二重城壁」と呼ばれる方式です。
1500年にピサでは城壁の背後に土で内堤と掘り割りを作り城壁が二重にされました。そしてこれがフランス軍の攻撃を防ぎきりました。その有効性から多くの城塞がこの「ピサの二重城壁」を真似ます。
そうした中には城壁の外側にも土と木材による壁を作り三重の防衛線にするところもあらわれています。

城塞の改良はさらに続けられ城壁を厚くしたり壁面に傾斜をつけたり工夫がなされます。
そうした中で登場したのが稜堡です。
敵の砲撃に抵抗力を持つと同時に敵の歩兵部隊を接近させないよう攻撃できるように、各凸角に稜堡を構築し、そこに大砲や小火器を配置して有効な十字砲火を敵に浴びせれるようにしました。
この稜堡を築く城塞の形は幾何学的法則を取り入れ、様々な形に発展していき、「星型要塞」となっていきます。
そして時代は17世紀に入っていきます。

つまり移動式大砲の出現から、それまで一枚の城壁だったものが、二重、三重になり、さらに稜堡が出現し、それがさらに発展して星型要塞が出現するまでになりました。

「星型要塞」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%9E%8B% …

なお、イタリアでは稜堡を採用するなど城塞の建築技術が複雑化した事から、その設計、建築を専門にする技術者集団が現れます。大抵は家族、一族により「要塞技術者一門」を構成しており、サンガッロ一族、サン・ミケリ一族、サヴォルニャーノ一族など多数の技術者集団が出現しました。
彼らはイタリアだけに止まらず、スペイン、フランス、ロシアなどにも活躍の場を広げています。
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 進化したというより,火薬の発達で要塞に絶対的な防衛力を期待できなくなったことから,それに応じた戦術が発達したという方が適切ではないかと思います。


 例えば,その時期のヴェネツィア共和国では,陸地の要塞ではオスマン軍(トルコ軍)に火薬で吹き飛ばされてしまうので,半島の先端を切って海中に孤立した要塞を作るように変えたといわれています(『海の都の物語』にそのような記述があります)が,これはもちろん,ヨーロッパ全土について言えるような変化ではありません。
 私自身はあまり詳しくありませんが,おそらく陸地型の国家ではそれぞれの地形を利用した要塞の在り方を工夫したのではないかと思います。
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