今キング牧師について調べているのですが、その中で気になったことがありました。
キング牧師の公民権運動についてのケネディ大統領の対応についてです。
ケネディは自分が白人なのにどうして黒人解放運動について良い反応を示したのですか?
何か政治的に自分のメリットになることがあったのでしょうか。
黒人を味方につけたとしても白人の票を失うことは大いに考えられますよね?
ただ単に良い人だった、と言ってしまうとそれまでなのですが
やはり政治家であり大統領というポジションなわけですし何かあるのではと思うのですが・・・
自分で調べた中ではどうもしっくりくるものが見つからず、以前の質問を見ても同じでした。
何か知ってる方がいたら教えてください!
ちなみに今までに見た情報
・父がアイルランド移民のカトリックで少数派だったため差別をされているのを見てきた
―とはいっても黒人差別とはスケールの大きさに大分差があるように感じます。
でもやはり差別について考えさせられる環境だったということでしょうか・・・これは有力なのですか?
・キング牧師とつながりがあった
―どういうつながりなのか調べられませんでした。キング牧師が逮捕された際に保釈運動に
関わったそうですが、また同じ疑問に戻ります。自分は白人なのに何故?
・・・やっぱり不可解です。何か知っていましたらよろしくお願いします!
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
政治的打算と国家戦略の点から黒人の権利拡大に動きました。
黒人の権利拡大、公民権問題については何もケネディ独自の政策というわけではありません。
ケネディが大統領選挙に立候補した時の民主党の選挙公約を調べればわかりますが、民主党の政策として公教育の差別撤廃、投票税の撤廃、リテラーシーテスト(読み書きテスト)廃止、雇用平等、公的機関における人種分離の廃止等々の公民権
問題が取り上げられていますし、この人種問題の取り組みは対ソ戦略の一環であるとも位置づけています。
「国家戦略の観点」
当時は米ソの冷戦時代であり、米ソ両国は世界中で勢力圏争いをしていました。
そうした中でアメリカの場合、黒人のアフリカ諸国を自国の味方に付ける、勢力圏に取り込む時に、アメリカ国内で黒人という人種問題があっては、黒人の味方としてアフリカ諸国を取り込む事が難しくなります。つまり黒人のアフリカ諸国を味方につけるために、世界からの人種差別批判をかわすために、アメリカ国内の黒人の権利を拡大し問題を解決する必要がありました。
また、いつまでも人種問題が解決せず国民が分裂状態にあると国を弱体化させます。米ソ冷戦の中で、ソ連という強敵がいる中でそれは避けねばならない事です。それ故、黒人の権利を拡大し不満を和らげ国をまとめる必要がありました。
「民主党としての政治的計算」
民主党にも色々な考えがあるわけですが、共和党との対決を考えた場合、政治的に人種差別の厳しい南部州と比較的自由な北部州の北部対南部という構図があります。
民主党として黒人の権利拡大に動いたのは、それにより南部の白人票を失っても公民権運動に理解ある北部州と全国の黒人票を得る事で採算が合うどころかプラスになると計算したからです。
「ケネディの打算」
ケネディがキング牧師に接近したのは大統領選挙の時です。
当時、黒人はキング牧師の提唱した非暴力による運動を行っていました。「イエス・キリスト、マハトマ・ガンジー、マーティン・ルーサー・キングの教えを忘れるな。愛と非暴力を忘れるな」と座り込みやデモ行進などを行っていました。
それに対して人種差別主義者たち、それも南部の白人は容赦のない暴力をふるいます。これが逆効果になりました。容赦のない暴力を振るわれた黒人の姿が全米の新聞の一面のトップを飾り、それに衝撃を受けた国民から人種差別主義者は大々的に批判を受ける事になり信用を失墜させる事になります。
キング牧師はデモと座り込みをした事で逮捕されていたわけですが、そんな時、キング牧師の立場に立ったのが大統領候補として選挙中だったケネディです。
もし心の底から、または人種差別撤廃の理想があるのなら、もっと早くから黒人の非暴力運動に賛意を示し協力していた筈です。しかしケネディは黒人への暴力が激しくなってからキング牧師の側に立っています。
世論を見て黒人の側に立つ事が選挙に有利になると判断してキング牧師に近づいたと言われても仕方のない行動だと思います。
また、ケネディは大統領になった当初、公民権の立法措置に消極的でした。
1961年5月、まだケネディが大統領になって数ヶ月後の事ですが、民主党のジョセフ・クラーク上院議員が投票税廃止、公教育の差別撤廃、雇用の公正、リテラシーテスト廃止等々、一連の公民権法案を提出します。
これに対してケネディ大統領は「公民権立法を進める必要はない。現行法の枠内でできる事を取り組む」と消極的な姿勢を見せています。
だからキング牧師が、公民権関係の立法は少なすぎるし、現行法の枠内で事態を解決する努力も足りないとケネディ大統領を批判しています。
これでは本当に選挙のためにキング牧師を政治的に利用したと言われても仕方のない事でしょう。
そんな状態が1963年まで続きました。
ここで大きな事件が起きます。1963年5月に発生したバーミンガム事件です。黒人デモ隊を警官隊が容赦のない暴力で弾圧しました。
これがテレビでそのままアメリカどころか世界中に流され大きな反響を呼びます。
そして人種差別主義者に対してまたしも大きな批判が巻き起こることになり、世論は大きく黒人の側に立ちました。
全国的な大きな批判のもとにそれまで人種差別をしていた企業では黒人と妥協する姿勢が生まれ、商店やレストランでも人種差別撤廃の姿勢が見られるようになります。
この時、6月10日になってからですが、キング牧師は新聞で「問題解決のためにリーダーシップを発揮してこなかったし、選挙公約も守っていない」とケネディ大統領を大々的に批判しています。
その翌日の夕方になりケネディ大統領はラジオとテレビを通じて国民に対し、公民権問題への積極的に取り組みを表明します。
そしてそれまで立法措置には消極的だったのにようやくケネディ大統領は公民権法案を出してきました。
つまり人種差別主義者の非人道的な弾圧に対して、黒人の非暴力運動が全国的な共感を呼んだ事から何かしらの対応策を打ち出さなければ、政権に批判は集中するし、次の選挙で勝てません。翌年の1964年には大統領選挙の年です。
つまりケネディは世論が大きく黒人に味方する時に、黒人に擦り寄る姿勢を見せているのです。これでは選挙対策と言われても仕方のない事だと思います。
キング牧師の味方をする姿勢を見せて人気を得る・・・だけど心底からは黒人の公民権運動には消極的で、ある程度の活動でお茶を濁している。だからキング牧師にも度々批判されている。
ケネディはそういう人物です。
ケネディ大統領を批評する人の中には、ケネディの公民権問題の対応は嫌々ながらの遂行だという人もいるくらいです。
そういえば冷戦の時代なんですね・・・
政治的打算という小さい範囲でしか考えていませんでしたが世界規模の問題でもありましたか。
白人VS黒人という構図で考えてしまいましたが確かに北部の票は得られますね!
最初から協力していたわけではなかったのですね・・・
バーミンガム事件についても調べてみようと思います。
詳しく書いてくださりありがとうございました!
No.8
- 回答日時:
>キング牧師について調べているのですが、その中で気になったことがありました。
キング牧師の公民権運動についてのケネディ大統領の対応についてです。
ケネディは自分が白人なのにどうして黒人解放運動について良い反応を示したのですか?
集票目的
>何か政治的に自分のメリットになることがあったのでしょうか。
上記した通り。
>黒人を味方につけたとしても白人の票を失うことは大いに考えられますよね?
総合収支としてプラスであろうことは確実だっただろう
問題は、黒人への好意に留まらず、ヒスパニックなどの非白人移民の行為である
>ただ単に良い人だった、と言ってしまうとそれまでなのですが
やはり政治家であり大統領というポジションなわけですし何かあるのではと思うのですが・・・
集票目的
>自分で調べた中ではどうもしっくりくるものが見つからず、以前の質問を見ても同じでした。
何か知ってる方がいたら教えてください!
小生はケネディの本心は公民権運動など無関心だった、と思う。
赤狩りに積極的であった背景から、リベラル派の不興を被った背景は相当強く指摘できるだろう
というか、アメリカ連邦裁判所判決をベースに公民権運動の経緯を調べれば、その必然性を理解できるはずなのだが、JFK論は司法論がないのが多いので、どうも好きになれない
というか、これは異論を見ないだろうが、
基本的に公民権運動の高まり・及び公民権法制定の過程は司法権力の主導性を指摘するのが現実的かつ建設的であろう。
ちなみに、小生は指摘される二つの俗説を補完する情報を持っていないので、回答できない
なお、集票目的と極論しているが、それ以外に、JFKが積極的に公民権運動を支持する動機は見たらない・・・という見解からの回答である
No.6
- 回答日時:
白人という無意味な記号に囚われるから、暗黒の闇につつまれてしまう。
ケネディはマサチューセッツ州の下院議員を6年務めた後に大統領選に出馬しました。北部のマサチューセッツ州に生まれ、南部のテキサス州で撃たれた。早い話が、それがケネディの人生です。マサチューセッツ州は北部の象徴で、テキサス州は南部の象徴です。同じアメリカでも南部と北部は南北戦争を戦ったことでも分かるように、かなり色合いが違うのです。マサチューセッツ州は面積は至って小さいのですが人口密度はテキサス州の10倍近い。工業州だから人口密度が高い。元々奴隷制度に批判的だった北部で生まれ育ち、北部を支持基盤にするケネディが、またそうなるのはごく自然な話です。何も不思議ではありません。
そうか、もともと北部出身でそういう思想があったのですね。
政治的背景の前にもっと根本的なものもありましたね。
ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
ケネディ
1961- 民主党
アイゼンハワー
1953- 共和党
トルーマン
1945- 民主党
ルーズベルト
1933- 民主党
フーバー
1929- 共和党
クーリッジ
1923- 共和党
ハーディング
1921- 共和党
ウィルソン
1913- 民主党
ルーズベルトが勝つまで、民主党は三連敗しております。
その後は民主党が5連勝 その勝因は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB% …
ニューディール連合と言われる、大恐慌での社会的弱者連合です。
弱者連合を救済するという目標を立てることによって、民主党は選挙区に勝ってきた。
勝ち続けるには、弱者連合を広げる必要がある。
なるほど・・・民主党は弱者救済というマニフェストによって勝利してきたのですね。
ケネディ個人で考えていて民主党という政党に目を向けていませんでした。
ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
キミの頭には政治家はただ自己の利益のためだけの存在としか見えていないのじゃないか?
現在どの国家も総力戦の方向へと走り始めている。日本なら女性が働きやすくなることでさらに高い生産性を目指すことができる。
当時は世界戦争の後もあって、とにかく人が必要だった。差別待遇はそういった総力を結集する方向性の大きな妨げになる。具体的には国家安全保障法のもとに独立した米空軍はとにかく人手不足。そのために黒人だからといって待遇に差をつけることはなかった。こういった認識は当時アメリカ中に広がっていたし、特にケネディの出身母体の民主党は非常に古くから理想主義を掲げてきた経過がある。
さらに黒人層を含めたマイノリティーの支持層は差別を肯定する連中よりも、南北戦争時代よりも遥かに多くなってきていた。
キリスト教自体が生まれた頃は女性は信者になれなかった。しかしどんな組織であれ広範な支持を獲得しようとすれば、入り口の敷居を低くするしかない。
だからケネディの理想は当時、戦争で疲弊した世界への大きな希望となっていた。だから今でも暗殺の真相が蒸し返されている。
No.2
- 回答日時:
白人と一括りに見てるようですが。
WASPの国でした。当時のアメリカは。
彼はWしか満たしていない。
ケネディはカソリック教徒で初めて米国大統領になりました。
アイルランドはジャガイモ飢饉があって、食えなくなった人が移民したという過去があります。
アイルランド系は移民として比較的後発だったため、命がけの危険な仕事にしかありつけなかった。
警察官とか消防士とか。
彼の家系はずっと差別されてきたはずです。
お父さんが野心家でFDRと組んで実業でのしあがったので、そのご威光があるにせよ。
黒人の問題は他人事ではなかったのでしょう。
それと、質問文で気になったのは、
当時は黒人に投票権がなかったというのは、認識なさってますでしょうか?
ケネディの副大統領のジョンソンの政権時から黒人の参政権が認められました。
ケネディ家はお父さんの大活躍によって、莫大な資産がありました。
政治家というのは妥協につぐ妥協を強いられるものですが、
思い切った施策を打つことができたのは、資金力があったからかもしれません。
それが自らの生命を縮めることになってしまいましたが。
No.1
- 回答日時:
白人のリンカーンが奴隷解放のため南北戦争をしたと同じでは
南北戦争の場合、リンカーンだけでなく北部全体にそういう雰囲気があったのでは?
(高校の世界史で学んだことに基づいて書かせていただきます)
北部は産業資本家が多く商工業が中心(自由貿易派)
→奴隷として働かせるよりも賃金労働者にした方が効率が上がる
これに対して南部は綿花栽培が中心で奴隷が必要、またそれを売るためのイギリスとの貿易が必要だった
(当時のイギリスは力が強くしたがって保護貿易派となる)
そういうことの結果、南北戦争になったのだったと思います。
時代が全然違いますから、背景もまた全く違っていたのではないですか?
政治的な背景など関係あれば知りたいのですが自分で調べた範囲ではよくわかりませんでした・・・。
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