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本当にどうでもいいことなのですが、ばかという言葉はどこからきているのでしょうか。馬鹿のばかという説と仏教用語のばかという説があると聞いたのですが、どっちが本当なんでしょうか。というか、どっちか本当なんでしょうか?ほかに何かあるんでしょうか?ひまな方はよろしかったら教えてください。

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中国の詩人」に関するQ&A: 中国の詩人 

A 回答 (4件)

「馬鹿」とは鹿をさして馬という意味であるというのは、中国の「史記」の故事にのっとっているといわれていました。


「史記列伝」の記述は、趙高という大臣が自分の権力をかさにきて、皇帝に鹿を差し出し「これは馬である」と言ってのけます。皇帝は驚き、自分の精神が錯乱したのではないかと思います。
しかし、これはいま完全に否定されています。もし中国から来たなら「馬鹿」は重箱読みでなく「バロク」と発音されているはずです。

梵語から来ているという説は広辞苑の「慕何(moha)」または「mahallaka」すなわち無知の意からか、によっています。

また「破家」という漢語から来ているという説もあります。

「全国アホ・バカ分布考」(1993、太田出版)という本には、また別の説、唐代の詩人白楽天の作品「杏為梁 刺居処奢也」の「君見ずや 馬家(ばか)の宅は尚お猶お存し 宅問題して捧誠園と作(な)すを」から来ているという説を取っています。平安時代の「馬家」は語源が不明になってしまい、15世紀の辞書「文明本節用集」には「馬鹿(バカ)」は「母嫁、馬嫁 破家」とも書くようになっている・・・と解釈しています。おひまでしたらお読みください。
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由来・語源については諸説あるようですね。



「探偵ナイトスクープ」と言うTV番組で、以前
全国のアホとバカの境目を探す、という特集があり、
その内容が一冊の本になっています。

「全国アホ・バカ分布図」 松本修 著(新潮文庫)

アホ・バカ等の語源や伝播の歴史が
アホらしくも詳しく記述されています。

当書によると、バカ」の語源は、白楽天の『杏為梁』に
ある「馬家[ばか]の宅」とほぼ断定。
仏教の梵語から出ている、という説は成立し難い、と
しています。

ぜひ、一読をオススメします。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~defshot/essay/essay1 …

参考URL:http://www2.big.or.jp/~yba/intro/ahobaka.html
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参考URL


「馬鹿」と「莫迦」の違いをおしえて!です

↓馬鹿の語源

http://homepage1.nifty.com/hankai/backnum1/mag43 …

因みに私も中国の王様が馬を鹿と間違えたのがばかの由来だと思ってました
漫画の項羽と劉邦にあったような・・・

参考URL:http://homepage2.nifty.com/osiete/s375.htm
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語源的には仏教用語の「莫迦」で、お坊さんが使っていた隠語です。


「馬鹿」は後からできた当て字です。

この回答への補足

早速のご回答ありがとうございました。
でも私は昔「中国の王様が馬を鹿と間違えたのがばかの由来」と教わった気がしたのですが・・あれはなんだったんでしょうか?

補足日時:2004/01/09 17:47
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Q「馬鹿」の語源

について調べています。

秦の始皇帝亡き後、宦官・趙高が家臣の粛清として「鹿を用意した」という説と「鹿の絵を用意した」という説とがあるようですが、これはどちらを信じたらよいのか困っています。

どなたかご存知の方おいででしたら、どうか教えて下さいませ。m(_ _)m 

Aベストアンサー

 いろいろと説があり、正確な語源ははっきりしないと手元にある「中国故事物語」(河出書房出版)にあります。

 それによると、趙高は本物の鹿を2代目皇帝胡亥を奉ったとあります。始皇帝は、生前太子の扶蘇を位につけるよう言を遺しましたが、側近により凡庸な胡亥がかつぎだされます。胡亥は相当な馬鹿殿(再帰的表現ですみません)だったらしく趙高は難なく実権を握っていきます。

 ある日、馬だと言って鹿を見せられた皇帝以下臣下一同は目をまるくします。ただただ戸惑う者あり、「いや鹿でございます」と直言する者ありで、混乱するその場で鹿だと言った者を趙高は記憶に留めておき、その後その者たちを誅したという話です。

 この出来事を通じて、反対者を排除することに成功した趙高は益々権力を掌握しました。しかし結局胡亥は趙高によって殺され、趙高自身もその後、自分が秦王に立てた子嬰に殺されてしまいます。

 このようなエピソードを通じて「鹿をさして馬と為す」ということばは、無理を押し通し人を馬鹿にする意味で使われたといいます。

 同書からもう一つ紹介しますと、梵語では「無知」のことを"Moha"あるいは"Mahallaka"と言ったそうですが、この言葉に「慕何」という漢字が当てられ、それが「馬鹿」に変化したという説があるそうです。
 

 いろいろと説があり、正確な語源ははっきりしないと手元にある「中国故事物語」(河出書房出版)にあります。

 それによると、趙高は本物の鹿を2代目皇帝胡亥を奉ったとあります。始皇帝は、生前太子の扶蘇を位につけるよう言を遺しましたが、側近により凡庸な胡亥がかつぎだされます。胡亥は相当な馬鹿殿(再帰的表現ですみません)だったらしく趙高は難なく実権を握っていきます。

 ある日、馬だと言って鹿を見せられた皇帝以下臣下一同は目をまるくします。ただただ戸惑う者あり、「いや鹿でござい...続きを読む


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