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ふと思ったのですが、キリスト教と仏教、イスラム教とヒンズー教、みたいに複数の宗教宗派を同時に信仰してる人っているのでしょうか。
日本人みたいに曖昧に複数の宗教の行事をやっている、というのではなく、意識的に宗教組織に所属したり、信仰してる人限定で。

とある仏教関係の宗教家が「どんな神を拝んでもいい。その信仰に誇りがあれば」というような言葉を残しているのを聞いたことがあります。また、神道系の武術の伝承者でありながらキリスト教の神父をやっている人もいたりします。
ならば、「私はキリストや聖書の教えを信じていますが、同時に釈尊の教えも素晴らしいと思うので悟りも目指しています。そしてその手段として神道の修行も取り入れています」なんて人もいる気もするのですが、どうなのでしょう?
釈尊の教えは聞いた限り、特定の神への信仰は含まれていませんし、あくまで個人の悟りを開くための哲学のように感じます。
ならば仏教とキリスト教は別に矛盾しない気がするのですよね。宗派にもよるかもしれませんが。アッラーのほかに神はなし、って言ってるイスラム教は難しそうですが。
そういう風に複数の宗教の同時信仰って実際やってる人はいるのか?
また、同時信仰ってどう思いますか?

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A 回答 (14件中1~10件)

学校のレポートに書きたいのか?




個人的、知的関心なのあ?


関心というより恐怖、不安なのか?


それをまず聞きたいですね。


それから、この問いに正解は期待しない方がいいような気もします。


同じ宗教で同じ地区に居住し、同じ聖典を読んでいても個人差が大きいですから。


たしかに、興味深い問題だとは思います。


キリスト教に関しては、ニーゼルという研究者が、世界のキリスト教のさまざまな違いを研究し、本を出しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ただの知的好奇心です。こんなの学校のレポートの宿題になるもんなんですかね?
私自身は無宗教なので、特に不安とかそういうのがあるわけではないです。ただ、人間の思考や文明に影響を与える要因としての宗教というものに興味はあります。信仰する気は皆無ですが。

正解があるようなものではないと思っています。実際にそうしている人は実在するのか、また、これについて他人はどう思うのかに興味がありますね。

お礼日時:2012/05/13 17:34

一神教で同時信仰しちゃうとおかしなことなっちゃうでしょ。



同時信仰しちゃっている人がいたら、
いいとこどりの解釈しちゃっている人たちだろうね。

信仰の考え方が違うから別の宗教として存在しているわけだからね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
キリスト教の中にも汎神論とか唱えてる人もいるみたいですし、クリスマスとか古い別の宗教の行事をキリスト教に取り込んでしまってたりもするので、結構融通が効くのかな、という気がしますね。

お礼日時:2012/05/13 17:36

4つの宗教を同時信仰?しています。



なぜ4つも入っているか。
究極的には人類は普遍的な思考を持っているので、
目指すところは同じなのです。

人間と複雑そうで単純なんですよ。
あなたの言うように矛盾しません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど。やはりいらっしゃるのですね。信仰はロジックなのか感情なのか、とか思いますけどもどちらにしても矛盾をなくすことは難しくない気がしますね。
というか、現代なら1つの教義第一って感じで妄信してる人のほうが少ないのかもですね。
そう言う人は原理主義者みたいなちょっとヤバい人になるのかもですが。

お礼日時:2012/05/13 17:38

元旦、七五三には神社へ参り。


法事の際にはお寺さんへ
クリスマスには赤いウェアと髭を付けてメリークリスマス!

今のところ3つ。
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この回答へのお礼

単に娯楽化された儀式を行うことは宗教と言っていいのやら。
どこまでが慣習でどこまでが宗教なのか分からないものですね。

お礼日時:2012/05/19 02:49

各儀式の由来を見詰めてみましょう。

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この回答へのお礼

由来を気にせず考えのいいとこどりをしようと考える現代人はいてもおかしくないかなと思います。

お礼日時:2012/05/19 02:34

宗教への基本的な考え方に二つのタイプがあります


宗教排他主義VS宗教多元主義です


宗教排他主義とは基本的に正しい宗教は一つという考え方です
キリスト教など一神教はこれになりやすく正統と異端の争いをします
仏教でも法華経系で自分たちが正方で他の宗派や宗教を認めないこともあります
宗教の伝道者や民衆の信仰者はこれが多いです=確信があり押しが強いです


宗教多元主義は宗教の本質が一つで宗教の表現はいろいろという考え方です
キリスト教でも仏教との対話を目指すところもあります(特に禅系と共存しやすいです)
日本の神道は基本的に宗教同源であり宗教帰一の考え方です
昔は神道と仏教が習合していました、神社に仏像があったのです
今の神道系のある新興宗教はほかの宗教と同時でもOKです
また、いろいろな宗教を統合した新興宗教もあります(デパート宗教との批判あり)
宗教の学者やインテリの信仰者にはこれが多いです=学問があって寛容的です

PS=実際の信仰
宗教多元主義の人でも実際の信仰の時にはいずれかの宗教を選ぶようです
ただ、一つの宗教を信じつつも他の宗教から学ぶ態度が見られます
現代のキリスト教の神学者であるグルデン先生の言葉
「私はよきキリスト教者になるために仏教を学び、よき仏教者になるためにキリスト教を学ぶ」
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この回答へのお礼

宗教多元主義という主義があったのですね。
なるほど。複数の教義を勉強していても実際には特定の宗教に帰属する、というのは現実的ですね。
複数の格闘技をやる人も、基本的には専門の何かを自分なりに決める人が多いですし。空手と柔道をやってる人は、柔道もできる空手家か、空手もできる柔道家、あるいは個人が理想と定義する無名の格闘技を極めるための手段として柔道と空手をやっているか。

お礼日時:2012/05/19 02:37

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は元が同じ旧約聖書から発しています。

なので非常に排他的で他の宗教を受け入れることはありません。
キリスト教は武力的に急激に勢力を伸ばしてしまった事もあり、他民族の宗教を「悪魔」と位置づけたために、取り込まざるを得なくなりました。ヤギの頭蓋骨、魔女、黒猫、クリスマスなどはその代表で、元は全て地域の神や信仰などでした。逆にブードゥのように他宗教に取りこまれてしまったものもあります。
このような形態変化はありますが、同時に別個のまま信仰することは無理でしょう。

キリスト教の一部は比較的柔軟で、例えば私はカトリック・マリア会で学びましたが、仏式などの葬儀などの出席も自由でした。でも剣道場や柔道場に香取神宮などの神棚はなく、あって礼拝してもそれは作法としてのみ捉えています。心に描くべきは常に「創造主」であるべきと教えられました。
更に原理主義に近い考えの人たちは日本武道に触れることも無いかもしれませんね。

確かにヨーロッパの一部には仏教を哲学、あるいは思想として捕らえている人が居ると聞いていますし、私もある程度そのように思っています。しかしそれによって取り入れた場合は、あくまでも信仰ではなく思想として取り入れているのであって、読経によって何かがあるとかいう考えは無いでしょうね。つまり異種の宗教を並列に信じているとは言い難い。

日本でも種々雑多に風習として取り入れていますが、信仰として取り入れているわけではありません。逆に原理主義的思考の人たちが複数の宗教を信じていると誤認しているいすぎません。
でも神道国日本が仏教を取り入れた経緯においては政治的意味が強いとはいえ、仏教という異種宗教として取り入れたことは事実です。思想としてならば救済のための仏像建造は無いでしょう。
ただし、逆に「宗教は教えを伴うが新党には教義が無い、故に神道は主教ではなく信仰である」というのが神社本庁などの見解であり、仏教公伝の時代に慌てて理論武装をしようとしたという研究もあることから、現代において、神道と仏教を「複数の宗教を並列で信仰している」という定義に当たるかは微妙だと思います。つまり、神道の特異性によってそれが可能になったといえるのではないでしょうか。

その神道も細かく見ていけば、道教や所謂「陰陽道」の考えや風習を取り入れていることから、異種の宗教を取り込んできた歴史があることは間違いありません。

とはいえ、外国の研究者や一般人には日本が異種宗教と対立することなく受け入れている文化が珍しく、ある意味理想として映っていることも事実のようです。
日本人は「神様・仏様」と大雑把な範囲で捉えているから受け入れることができるのではないでしょうか。教えを詳細まで決めてしまい守ろうとする宗教ではこのような寛容性は生まれないと思います。

つまり、海外の宗教では取り込むか、排斥することでしか信仰は成り立たない。日本は大雑把な部分で受容するので複数の信仰を並列に受け入れることができるというのが現状での私の考え方です。
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この回答へのお礼

一神教の教義を考えれば同時信仰は難しそうですね。
ただ、他の回答者さまの答えにもあるように個人レベルでは欧米人でもベースの宗教は1つに決めつつも複数の教義を受け入れて修行や個人の人生を極めようとする人はいるようです。それは多宗教同時信仰とは違うかもしれませんが、寛容さというものの表れな気がします。

お礼日時:2012/05/19 02:40

一神教は基本的に排他的であり、同時に他の「全知全能の


第一原因」があっては、矛盾を起こしてしまう。
多神教の場合、往々にして征服した土地の神を、「帰依した」
として「多神」の中に取り込んで、現地の人の心を治めており、
そうした場合、それまでの祭祀がそのまま残って、複数の
信仰をしている様相を呈する場合がある。

多神教の場合、どうしても“絶対者”の迫力に欠け、人間的な
神様像となるので、我の強い遊牧系・大陸系の文化では拘束
力が弱く、自己中心的になりがちな個人の意識に社会性を
付与するには、強力な教義を持つ一神教が必要だったのだ。
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この回答へのお礼

宗教が社会形態と密接しているというのはよく聞きますね。
しかし、現代の先進国のように宗教が生存に密接に関わらない社会では教義はともかく個人の信仰レベルではかなり柔軟な考え方を持つ人はいる気がします。

お礼日時:2012/05/19 02:43

特定の教儀を普及させる際にも、


文化圏によって受け入れやすさの度合いが食い違いますので、
それをヒントにしてみましょう。
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この回答へのお礼

もともとの民族性というのは重要な気がしますね。
日本人の宗教に対する特異性はヒントになりそうです。

お礼日時:2012/05/19 02:44

併行して勉強するケースはあるでしょうが、信仰するケースは稀だと思います。




キリスト教、イスラム教は一神教であり、神への絶対服従を説いています。
他宗教を信じず、キリスト教やイスラム教の神だけを信じる事です。旧約聖書には、他の神々を崇めるようになり、堕落した国家が神のご機嫌を損ねていく様が詳細に語られています。

キリスト教の保守派は、聖書絶対の立場なので、まず他の神々を崇めることは許さないでしょう。
イスラム教は、旧約聖書よりなので、旧約聖書を読むと他宗教の同時信仰はありえないと感じます。

仏教の事はよくわかりませんが、日本の仏教は中国経由の伝来仏教ですから、時代や宗派にも考慮して調べる必要があると思います。個人的には、仏教の経典は結構残酷で複雑な教えが多いと感じたことがありました。
仏教は経典が複数あるそうですから、どの経典にどう書いてあるかによっても異なるかもしれません。

原則として、キリスト教・イスラム教は他宗教への信仰は不寛容です。
キリスト教の最も重要な掟の一つは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マタイ22:37)です。
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この回答へのお礼

信仰と教義を学ぶことにはやはり大きな違いがありそうですね。
私自身は仏教は学んだことはありますが、信仰心はないのでどうも宗教を学術的、あるいはツール的に捉える感覚が強く、信仰心というものが具体的には分かりづらいですね。

お礼日時:2012/05/19 02:45

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Q複数の宗教に入信しても、良いのでしょうか?

 数年前の事ですが、亭主を亡くしたばかりの婦人のところに、いくつもの宗教団体から勧誘がありました。
 その婦人は、地域の顔役の様な人で、非常に交際の広い人だったので、ずいぶん何人もの人が、勧誘に訪れました。
 そして結局その婦人は、勧誘に来てくれた10近い、全ての宗教団体に、入会してしまいました。

 身近な人だったので、複数の宗教に入信というのは、おかしいのではないか、と詰問すると、「みんな、私のために、私を思って、来てくれたのだから、お断りできない。」というのです。

 それはそれで、確かに一つの理屈ではありました。

 毎日のように訪れる、先輩会員に倣って、手のひらを胸の前で合わせたり、握った手を上下に振ったり、頭に手をかざしたり、お経かなにか分かりませんが、ゴニョゴニョ言ってたりしました。

 身近な彼女が、非常に遠い人に見えました。

 彼女は、本当に入信したと言えるのでしょうか?
 また、彼女の様な例は、外にもあるものでしょうか?

Aベストアンサー

彼女にとっての旦那さんを失った後の自分の人生の見出し方、離別の意味づけ方が必要だった。
そういう部分ではご自身が選択した部分も勿論ある。
ただ客観的に見たら、冷静な判断は難しい。
それに何かに縋りたくなる条件は整ってる。
尚且つ自分の為を思う気持ちを成り立たせる為の選択としての入信。
勿論形としてはその宗教に関わる誓いを立てた事は確か。
ただ複数のモノにそれぞれ関わる時点で、それはある意味彼女側の整理の問題であってね。これからそういう宗教と共に歩むかどうかは分からないと。ただ、今の過渡期はそういう形で自分を一人にしない人たちの支えも感じながら生きていこう位の気持ちだったのかもしれませんよね。深くは入り込んでないと思います。
今をどう生きるかという意味で少し足元が不安定な時にそういう形での自己再生もありなのかもしれないという気持ち。
貴方が感じてた身近な彼女の部分はおそらく失われていないと思いますよ。今は当時とは違う関わり方になっている可能性も高いですしね☆

Q無宗教なんですが神道と仏教どちらがいいでしょうか。

無宗教なんですが神道と仏教どちらがいいでしょうか。日本人なら黙って神道!!!ですか?

Aベストアンサー

文科省の調査によると、神道の信者は1億1千万で
仏教徒は9千万だそうです。
つまり、だぶっている人が多い、ということです。

神道は先祖を想い、自然が好きだ、というだけ
で信者になれる宗教です。
信者という自覚すら不要の宗教ですから、質問者さん
もすでに神道の信者である可能性が高いですよ。
だから、今更神道に入る必要も乏しいかと思います。

戦前、戦争をやるために造った神道はいわば人工的な
神道で、本来の神道ではありません。
本来の神道には教義も教典もありません。
自然は人間よりも偉く、自然と対立するのでは
なく共存、調和すべきもの、と考えます。
それだけです。

これに対して、仏教は教義も教典もあり、人間の生き方
モノの考え方など、色々勉強になります。
しかし、現実の仏教は堕落しておりまして、
葬式専門の、ハイエナ産業になっております。
独学するならともかく、入信してもお金を取られるだけで
得るものは少ないと思います。

Q創価学会って実際、なんですか?(長文です)

婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。

隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。
でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。

私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。
彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。

私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。

ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私とはもうつき合えない、と言います。人に聞いてみても、創価学会に対して良い感情を持つ人はいないようです。

私自身、学会には色々矛盾を感じています。
でも、彼にそこを聞いても、世間の間違った思い込みだと言われます。

私は仏教には関心があるのですが、創価学会も仏教なんですよね?
それなのに、私には学会員が何を信仰して、何を目的としているのか
さっぱりわかりません。
学会員に聞いても、よくわかっていないようなのですが…
しかも仏教の教えについて批判さえしています。

それでは、創価学会とは一体なんなのでしょう?

そして、どうして非学会員のほとんどが学会を毛嫌いするのでしょう?

学会の方、非学会の方、両方の意見が聞きたいです…

婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。

隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。
でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。

私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。
彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。

私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。

ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私と...続きを読む

Aベストアンサー

困りましたね・・・
現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。
ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。
仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。
長くなりそうですが、お付き合いください。

創価学会は日蓮正宗各寺の信徒団体(各寺檀家の、寺をまたいだ横のつながり)だったものが、異様に大きく膨れたものです。本来の教義についてはNo.5様のおっしゃるとおり、オウムのような悪い考えではありません。どちらかというと、むしろ世界の平和を求めている宗教です(と、彼らは言っています)。
歴史的にはそもそも「日蓮」自体が排他的だったそうですし、「日蓮正宗(大石寺)」は「日蓮宗(身延山)」と袂を分かち日蓮の教えを正しく受け継いだはずですが、本来、日蓮正宗寺院の檀家であった創価学会は本山(大石寺)のご僧侶とも袂を分かち、もう10年位前に破門になっています(学会の仕切る葬儀には僧侶がいません)。
つまり、本来の日蓮正宗からも離れ、特定の個人崇拝になって、ますます排他的・独善的になっているということです。

私は仕事上のお付き合いでしたので、部外者の目で内部のことを見聞きする機会がとても多くありました。守秘義務がありますので、ここでその一つひとつを例示するわけには参りませんが、特定の個人とその周辺を中心にした組織の仕組みには、私個人としては首肯できないものがありました。No1様のおっしゃる「巨悪」が真実かどうかは存じませんが、さもありなんと思うところがあるのは確かです。

逆に、日常生活レベルではいいこともあります。
毎日朝晩、正座して背筋を伸ばして腹から声を出してお題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば、冬場に風邪を引きにくくなる程度のご利益はあるのではないでしょうか。まぁこれは冗談です。
学会では地域の会員達の集まり(各地の「会館」で行われるものと、もう少し狭い範囲の「地域の世話役」の自宅で行われるものとがあります)が頻繁に行われます。
組織も年齢、性別や職業(学生・主婦含む)で複合的になっていますので、複数の会合に出席することもあるようです。
昨今隣近所のお付き合いも減り、また、2世代3世代が一緒に暮らす大家族ではなくなりましたので、年寄りの知恵の伝承もなされず、例えば子育てをするヤングミセスにも苦労が多いと聞きますが、学会の地域での会合に出ることにより、フラストレーションが解消される、例えば子育ての先輩の知恵が伝承される、困った時に助け合える、何よりも同じ価値観を持つ仲間がいるなど、町内会やご近所付き合い的な効果により、彼らはとても明るい生活を送っています。

学会員は、それぞれ「仕事」と「家庭」の他に、地域社会でも熱中できる対象を持っているわけですから、それはそれで幸せなんだろうな、ちょっとうらやましい人生かもしれないな、などとふと思うことがあります。

これを、「だまされている」というのは簡単です。でも、これが宗教なのです。
創価学会に限らず宗教は皆そうなのですが、信じない人から見れば全く理解できません。価値の尺度が異なるので、私たちの判断基準と合わないのです。
インチの物差し(学会)とセンチメートルの物差し(一般)ではゼロ以外に一致する個所はありません。
偶然2本の定規の線がそろう所もあります。そこが一般社会との窓口です。
ですが、ゼロからの長さは同じでもインチとセンチですから、お互いに相手の尺度で測らなければ、やっぱり何だかよくわからないのです。
お香典を全部持っていってしまうのも、インチの世界に入って見れば、地元組織として一種の互助会的に対応していると言い換えることも出来ます。

一般に毛嫌いされるのは、「あなたのため」と、学会の考えを強要するように感じさせるからです。実は彼ら一般会員は善意なのですが、センチの領域に入ってこようとしないからです。
これは最初に書いた日蓮自体の排他的な歴史の流れと、第二次大戦中の弾圧への反動もありますが、昭和40年代ごろの全国的に行われた強引な折伏(これにより大きな組織になった)が、「学会は・・・」という評価を定着させてしまったことが大きいでしょう。

試しにインチの世界に入って見れば(1~2ヶ月一緒に活動して見れば)ひょっとすると何か分かるかもしれません。
ただ、No1様ご指摘のような、裏と表までは見分けられないでしょうが・・・
いやなら戻ってこられるうちに戻ってくればいいのですが、おそらくその時は彼とはお別れしなければなりません。きっと「金縛り」から逃れる時のように、思い切った動きが必要でしょうから・・・。みんな良い人たちだし、結構楽しいし、このままでいいやと思えば、あなたには新しい世界が開ける代わりに、今のお友達とは縁遠くなる可能性があります。

今の状態のままで結婚なさっても、ご両親が熱心な学会員であればいつかは入信することになるか、さもなければ価値観の相違に耐えられなくなるかのいずれかのような気がします。

困りましたね・・・
現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。
ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。
仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。
長くなりそうですが、お付き合いくだ...続きを読む

Qクリスチャンではないのですが教会の礼拝に参加してもいいのでしょうか?

クリスチャンではないのですが教会の礼拝に参加してもいいのでしょうか?

悩んでいます...(長文です。)
アメリカ在住なのですが、つい最近クリスチャンの友人が出来ました。(日本人の方です。)
とても優しく、尊敬できる良い方で仲良くさせて頂いています。
その方はクリスチャンのようで毎週教会に通っておられるのですが、
ひょんなことから教会の話になり「教会に興味がある」と伝えると
「もしよければ一度一緒に」と誘って頂きました。

先週早速連れて行ってもらい、教会のみなさんには歓迎して頂き、説教もわかりやすく
とても良い印象を受けました。無理やりな勧誘や献金等も特に無く、
「興味があればぜひまた行らしてください」というような雰囲気でした。
既に次の集まりにもお誘いを頂いています。

ここでふっと思ったのですが、クリスチャンではない人間が教会に行って説教を聞いたり、
礼拝をしたりするのは良くないことなのでしょうか...?
礼拝や賛美歌のときは下を向いて静かにしているか、周りの人に合わせて歌っています。

私自身は洗礼もなにも受けておらず、家族は仏教徒です。
私は自分はキリスト教徒だとも仏教徒だとも思っておりません。
どちらかというと思想的には無神論者に近いと思います。
しかし神様を信じる人を特におかしいとも思いませんし、信仰が人を救うことがあるのも
確かだと思います。

私は純粋にクリスチャンの方の考え、教会はどんなことをしているのか、聖書はどういうものなのか、
「せっかくアメリカにいるのだから教会に行ってみたい」「聖書を読んだり、説教を聞いたり、
教会で他の人と交流するのは英語の勉強にもなる」等という理由で教会に行ったのですが、
こういう理由は不純でしょうか?

私はどちらかというと宗教としてより学問や教養としてキリスト教に興味があります。
なので今のところ特にクリスチャンになりたいとも思っていません。当然聖書も持っていません。

皆様に質問なのですが上記のような理由で教会には行かない方がいいでしょうか?
それとも私がそう思っていないだけで、教会に行っている時点で既にクリスチャンなのでしょうか?

教会の方からは特に「キリスト教の信者か?」というようなことは聞かれなかったのですが、
「教会に来ている時点で信者だと思われているのでは?」という不安と、
実は自分はクリスチャンではないという申し訳なさで一杯です。
小さな韓国系の教会なので、みなさんに名前を覚えられ始めています。
友人からの紹介という形で行っているので、失礼があったらその友人にも迷惑になると思うと
心配でなりません。それにもしかしたら友人自体も私がクリスチャンではないということを
知らないかもしれません...

失礼にあたるようなら、友人には理由を話し教会に連れていってもらうことは次回からは
丁重にお断りしようと思います。

ぜひクリスチャンの方、そうでない方、両方からのご意見をお伺いしたいです。
回答よろしくお願い致します。長文失礼致しました。

クリスチャンではないのですが教会の礼拝に参加してもいいのでしょうか?

悩んでいます...(長文です。)
アメリカ在住なのですが、つい最近クリスチャンの友人が出来ました。(日本人の方です。)
とても優しく、尊敬できる良い方で仲良くさせて頂いています。
その方はクリスチャンのようで毎週教会に通っておられるのですが、
ひょんなことから教会の話になり「教会に興味がある」と伝えると
「もしよければ一度一緒に」と誘って頂きました。

先週早速連れて行ってもらい、教会のみなさんには歓迎して頂き、説教...続きを読む

Aベストアンサー

一般のキリスト教のお話はクリスチャンでなくても、とてもためになります。

自分がどういう立場にいるか、自分の寄って立つ所が分かっていれば気にすることはなく、教会に行けばよいと思います。クリスチャンになるのかならないかは、ずっと先のことです。ヨハネの福音書に書かれてあるように、クリスチャンは神に選ばれるものだという言葉がありますから、そういう時が来るか、来ないかは、自力の問題ではないようです。

一度教会に行ったとしても、気が進まない時には、自分の気持ちははっきり伝えるべきですね。私は、10代の頃に、統一教会の教会の説教を聞いたことがありますが、もう既に宗教教育は受けていたので、彼らの理屈をもう認めることは出来ませんでした。彼らの教えには、一般キリスト教にないものが多く含まれているからです。ただし、まだ霊感商法のない時代ですが、すでに社会問題には発展していました。

ご友人に、自分の気持ちをはっきり伝えて、その人が離れていくなら、それは、その人自身が宗教のために近づいたということだけにしかならないと思います。

私個人は、団体には、今は、どこにも属していないけれども、多少のキリスト教の知識は持っているつもりです。ただ、とても、一部の米国系のキリスト教とは考え方が一致するとは思えません。

だからといって、一般的なキリスト教のお話を聞けないわけではありません。また、私は、キリスト教の考え方は米国が主流だとは決して思っていません。私の知っているキリスト教の考え方とは、かなり開きがあります。私は、あるキリスト教学者を尊敬していますが、先生は日本の伝統的キリスト教の考え方ですが、ドイツにそれに近いもので、神秘主義を一切排除した所を出発点にしていらっしゃいますので、かなり違った印象を受けます。

また、一部、米国キリスト教は、日本バッシングや親イスラエルを聞かされることがありますが、とても、そのまま彼らの話を受け入れるわけにはいきません。日本人に対する無理解の中傷だけでは、その人たちを認めるはずがありません。彼らの中には、日本人は、偶像崇拝だとか、無神論だと、自分たちを中心にした概念の範疇で批判する人たちがいますが、それは、単に、日本の宗教史に詳しくないだけでなく、異文化圏に対する宗教についての接し方を知らない人たちです。

日本人のいう仏教を基盤とした「無神論」というものと、英語の"Atheism" とは、まったく異なるものぐらいの知識は必要です。日本の宗教が、アニミズムだと言われるもの、やはり無知によるものです。むしろ、密教の影響のせいか、汎神論(Pantheism)と言ったほうが、良いかもしれません。うかつに、"Atheism" や、"Irreligion"という言葉は、よほど思想体系を持たない限りは言わないほうがよいと思います。日本人でも、明確に神(仏)を否定するような人は、よほどの変わり者です。不思議なことに、日本では、仏が、概念とはまるで違うのに、神格化しているのです。キリスト教と大きく違うのは、全ての人に救いのチャンスを与えています。

日本人の宗教というのは、生まれながらのままで、自覚をしない宗教だと思います。生まれながらの宗教は、もう一度宗教に目覚めないと、本当の信者にはなれないのです。ほとんどは、一度も宗教に目覚めないままに、死んでいきます。宗教は、本来、その人自身の死生観の問題ですから、キリスト教であれ、仏教であれ、イスラム教にしろ、そういう問題は最期の最後に決めても遅くないような気がします。

日本人は、明治以降だけでも、本当に、宗教には、さんざんに翻弄されてきたわけですし、戦後の新宗教の問題にしろ、昭和・平成になってからでも、日本国民が無宗教・無信仰と言わざるを得ない気持ちに、一定の理解を示しても良いと思いますし、他の国の人たちに説明しても悪くはないと思います。

いろいろ経験してみるのは良いことだとは思います。

ただ、いずれにしても、どこの国でもありますが、カルト系の団体には気をつけたほうがよいと思います。

一般のキリスト教のお話はクリスチャンでなくても、とてもためになります。

自分がどういう立場にいるか、自分の寄って立つ所が分かっていれば気にすることはなく、教会に行けばよいと思います。クリスチャンになるのかならないかは、ずっと先のことです。ヨハネの福音書に書かれてあるように、クリスチャンは神に選ばれるものだという言葉がありますから、そういう時が来るか、来ないかは、自力の問題ではないようです。

一度教会に行ったとしても、気が進まない時には、自分の気持ちははっきり伝えるべきです...続きを読む

Qキリスト教の方の他宗教についての考え方

キリスト教の方は、他宗教は一切信用しないのですか?聖書の中には、キリスト教は永遠に唯一絶対の存在である、偶像崇拝はいけない、というような内容が記されている箇所がありますが、キリスト教の方には、キリスト教以外の宗教を受け入れる、認めるということは難しいのでしょうか?
私の彼はアメリカ人でクリスチャンです。私のほうはもともと我が家が別の宗教をしており、小さい頃からその中で育ってきました。しかし、「神様はひとつ。全ての宗教の源はひとつ」という教えがあるので、私はキリスト教も仏教も全ては天地創造の唯一神からのものであると信じています。しかし、クリスチャンの彼には私のような考えが納得いかないようで、ちょっときついことを言われてしまいヘコんでしまいました。今はほとんどメールでのやりとりなのですが、その中で「クリスチャンにならないのなら一緒に歩いてはいけない」と。すごくショックでした。私は別の宗教をしているけれども、他の宗教から学ぶべきものもいっぱいあると思っています。そしてイエス様も信じているし、聖書だって読むし、教会にだって何度か行ったことがあります。しかし、彼は私が別のことをやっているというのに納得がいかないようです。仏教など他にもほんとの教えがいろいろあるだなんて信用ならないようです。私は私の教わっていること、思っていることを一生懸命に伝えましたが、まだ彼からの返事を待っている状態で、いったいどんな反応が返ってくるのかと、不安な気持ちでいっぱいです。クリスチャンの方から見れば、わたしみたいな考えかたは納得いかないもんなのですかね?

キリスト教の方は、他宗教は一切信用しないのですか?聖書の中には、キリスト教は永遠に唯一絶対の存在である、偶像崇拝はいけない、というような内容が記されている箇所がありますが、キリスト教の方には、キリスト教以外の宗教を受け入れる、認めるということは難しいのでしょうか?
私の彼はアメリカ人でクリスチャンです。私のほうはもともと我が家が別の宗教をしており、小さい頃からその中で育ってきました。しかし、「神様はひとつ。全ての宗教の源はひとつ」という教えがあるので、私はキリスト教も仏教...続きを読む

Aベストアンサー

> その中で「クリスチャンにならないのなら一緒に歩いてはいけない」と。

失礼を承知で、ストレートにお答えいたします。

あなたの彼が、本気で自分をクリスチャンだと思い込んでいるのなら、それはただのカン違いです。

ホンモノのクリスチャンなら、信仰は純粋に個人の問題であることも、キリスト教ほど自由な宗教は他に例がないことも、よく知っています。まして、恫喝まがいの言動で他人に信仰を強制することなど考え付きもしないでしょう。

> わたしみたいな考えかたは納得いかないもんなのですかね?

ホンモノのクリスチャンなら、(少なくとも宗教的な意味で)あなたを受け入れることに何の抵抗も感じないと思います。ホンモノのクリスチャンから見れば、納得いかないのは彼の方です。

QGmailアドレス変更方法

Gmailのアドレスを変更したいと考えているのですが、どのようにして変更すればよいのでしょうか?

Aベストアンサー

Gmailアドレスの変更はできません。

今使っているものと違うGmailアドレスを使いたいのならば、新規にGmailアドレスを取得してください。

そして従来のアドレスが必要ないならばそのまま放置しておけばOK。確か半年アクセスしなければそのアカウントは削除されるはずです。

なお、もし古いアドレスに配信されるメールもチェックする必要があるならば、新しいアドレスに転送設定しておきましょう。

Q日蓮正宗ってやばいのでしょうか・・・

日蓮正宗(カルト集団と呼ばれる)に・・・
という質問を見たことがあるのですが
そうなのですか?
自分が日蓮正宗ながら知りませんでした。
数珠が皆と違う事と
お花はダメとされている事はなんでだろ~と
思ってましたが、カルト集団と呼ばれる
宗教だったと思ってませんでした
そう思われてるのでしょうか。。

Aベストアンサー

日蓮正宗は、カルトではありません。
日本では、「カルト」の定義が誤って考えられています。
「カルト」とは、宗教団体の開祖か開祖に直接かかわった人達が、教団の中心となっている時期で、教団の方向性が確定していない時期を指します。
カルトの次の段階が「セクト」で、教団が安定化してくる時期で、だいたいカルト時代の人達を知っている・指導を受けた人達が、中心となってくる時代を指します。
次の段階が「チャーチ」で、教団が安定化する時期になります。

そのため、日蓮正宗は、完全に「チャーチ」の時代で、教団も安定化しています。
創価学会による信徒の大量離脱で、揺れる事はあっても、基本的には安定化した集団とみてよいでしょう。
一方の創価学会は、実質池田氏の始めた宗教で、完全に「カルト」時代です。
そのため、創価学会は、国際的にも「カルト教団」と認識されています。
(カルトとは、危険教団という意味ではありません。カルト時代にあるという意味です)

質問者のご心配は、以前創価学会が、日蓮正宗に属していたため、現在でも混同されている方の声を聞いたからではないでしょうか。

日蓮正宗は、カルトではありません。
日本では、「カルト」の定義が誤って考えられています。
「カルト」とは、宗教団体の開祖か開祖に直接かかわった人達が、教団の中心となっている時期で、教団の方向性が確定していない時期を指します。
カルトの次の段階が「セクト」で、教団が安定化してくる時期で、だいたいカルト時代の人達を知っている・指導を受けた人達が、中心となってくる時代を指します。
次の段階が「チャーチ」で、教団が安定化する時期になります。

そのため、日蓮正宗は、完全に「チャー...続きを読む

Q新興宗教からの脱会方法を教えてください。

ご存知の方いらっしゃったら教えてください。

先日、私の友達(男性)が、とある新興宗教に入信していると
話をしてきました。
8年程付き合っている彼女から勧誘をされて、5年前に入信したそうです。
友達は、全く信仰しておらず、むしろ不信感を持っているらしいのです。
その時は、別れたくないと言う気持ちから入信したそうなのですが、
もう彼女と別れようと思ってるので、その時にキレイに脱会したい
ということでした。

その宗教団体は、会費を払っていると信者とみなされるそうで、
入信してからずっと、彼女が会費やお布施を払い続けているそうなのです。
別れることによって、脱会することは可能な気もするのですが、
自分が勧誘した信者が脱会してしまうと、様々な会合に出席する権利を
失ってしまうという仕組みになっているらしく、勝手に会費を払い続けて
行く可能性もある。と、友達は心配しています。

また、彼女は家族で入信しているらしく、新興宗教と思っていないフシもあり、
未練から、「あなたが不幸にならないために」と、払ってしまうのでは
ないかということでした。

とりあえず、脱会届を出すつもりでいるようなのですが、
内容証明等で送ったほうが良いのでしょうか?
私も良い案が見つからず、こちらに相談させていただきました。

よろしくお願いします。

ご存知の方いらっしゃったら教えてください。

先日、私の友達(男性)が、とある新興宗教に入信していると
話をしてきました。
8年程付き合っている彼女から勧誘をされて、5年前に入信したそうです。
友達は、全く信仰しておらず、むしろ不信感を持っているらしいのです。
その時は、別れたくないと言う気持ちから入信したそうなのですが、
もう彼女と別れようと思ってるので、その時にキレイに脱会したい
ということでした。

その宗教団体は、会費を払っていると信者とみなされるそうで、
入信して...続きを読む

Aベストアンサー

 脱会することは、べつに、勤めていた会社を退職するとか、暴力団から足を洗うといった、大それたことではない。所属する地区の責任者に口頭で、

 「やめた」

と、伝えればよい。わざわざ手間暇かけて、文書にする必要もないのだ。しかし、気持ちのうえできっちりと決別したいときは、文書で、「脱会届け」を提出するのも一つの方法である。

 この場合、提出先の郵送先が、新興宗教の理事長でもよいし、会長等でもかまわない。

 「脱会届け」の文面は、これも決まりがないため、内容は自由である。一例では、

 「 脱会届け

 ○年○月○日付けをもって宗教法人・○○○○を脱会します。


  所属組織名

氏名(家族がいたら家族名も)

○年○月○日

宗教法人・○○○○

 ○○○○殿     」

 また、脱会届けを郵送するとき、同文に一言付け加える脱会者も多い。たとえば、

 「今後、私が了解しないかぎり、入会勧誘等を目的にした、信者方による自宅来訪を一切拒否します。貴殿も○○○○責任者の義務として、脱会者に余計な迷惑をかけないよう、地域周辺の信者方に指導徹底してください。」

 ところで、脱会する上で肝要なのは、あいまいな態度を取らないこと。口頭にしても文書にしても、べつに理由など説明することもない。ただ簡潔にきっぱりと、

 「やめた」

と、意志表示を鮮明にすることだ。

 脱会後、もし、信者方が来訪するようなことがあったら、

 「あなたたちは、個人の自由を拘束するつもりですか」

といった話をして玄関を閉めたらいい。人が勝手に信じている新興宗教の話など、実際、興味がなければ門前払いをすればいい。本人が価値を認めないものを、言葉巧みに押し付ける寝具やナベカマのセールスマンと変わりがないからだ。たちの悪い悪質な押し売りなら、一一〇番という方法もある。

 脱会することは、べつに、勤めていた会社を退職するとか、暴力団から足を洗うといった、大それたことではない。所属する地区の責任者に口頭で、

 「やめた」

と、伝えればよい。わざわざ手間暇かけて、文書にする必要もないのだ。しかし、気持ちのうえできっちりと決別したいときは、文書で、「脱会届け」を提出するのも一つの方法である。

 この場合、提出先の郵送先が、新興宗教の理事長でもよいし、会長等でもかまわない。

 「脱会届け」の文面は、これも決まりがないため、内容は自由である...続きを読む

Q宗教 日蓮正宗を退会するには?

ある知人の強い勧めで日蓮正宗に入信しました。(お寺にいき署名をしました)が、はっきり言っていやになりどうしても退会したいのです。そこで教えて頂きたいのですが・・・・
1、退会の方法はどうすればいいのか?(入信を勧め
  た知人には会わずに退会できないのでしょうか?
2、ご本尊様をもらって家にあるのですが、これはど  うすればいいのですか?(返さなくてはいけない  のでしょうか?
入信を勧めた知人に相談すれば「とにかく話を聞くから、こっちまで会いにこい」というと思いますが正直もう会いたくないです。 とても困っています。どうか回答をお願いします。

Aベストアンサー

1.方法としては、脱会(退会)届を「内容証明郵便+配達証明郵便」で送ることで
公的に証明される脱会ができます。これおすすめ。

参考(リンク先は創価学会・顕正会の退会方法ですが、どの宗教にも使える方法です)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1096928766/
http://www.toride.org/escp.html
http://versus9.ld.infoseek.co.jp/gaiyou/gaiyou-dakkai.html

検索する時にはNo.3さんの言うように「脱退」でもいいですが
「退会」「脱会」でも検索すると、もっと具体的なHPが出てきます。

2.返さなくても大丈夫です。
同じような内容で裁判を起こした方もあるようですが
「返さなくていい」という判決がでました。


参考
http://bbs3.otd.co.jp/308130/bbs_plain?base=462&range=1

>信徒に対する御本尊の下付行為がおしなべて将来の返還を予定して為されるとは
>到底認めがたい上(略)本件御本尊の下付を受ける際に将来の返還を約した事を
>端的に示す的確な証拠が何ら存しないことからすると、
>本件御本尊に対する原告の所有権を否定すべき事情は見当たらない

参考URL:http://versus9.ld.infoseek.co.jp/gaiyou/gaiyou-dakkai.html,http://bbs3.otd.co.jp/308130/bbs_plain?base=462&range=1

1.方法としては、脱会(退会)届を「内容証明郵便+配達証明郵便」で送ることで
公的に証明される脱会ができます。これおすすめ。

参考(リンク先は創価学会・顕正会の退会方法ですが、どの宗教にも使える方法です)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1096928766/
http://www.toride.org/escp.html
http://versus9.ld.infoseek.co.jp/gaiyou/gaiyou-dakkai.html

検索する時にはNo.3さんの言うように「脱退」でもいいですが
「退会」「脱会」でも検索すると、もっと具体的なHPが出...続きを読む

Q「儒教」って本当に“宗教”の部類に入るのでしょうか?

“神様や仏様に願ったり祈ったりする”ことは、その対象が“神”であれ“仏”であれ、あらゆる宗教・宗派を問わず大昔から現在に至るまでどこでも行われてきていることですよね。別に特定の宗教の信者じゃなくても、極論すれば常日頃「無宗教」を公言している人だって「こうなってほしい、ああなってほしい」と心の底から強く願ったり祈ったりすることはあると思います。

そこで質問なのですが「儒教(の信者)」にはそのような側面があるのでしょうか?確か歴史の教科書に載っている宗教分布図では東アジア(主に中国と朝鮮半島)は堂々と“儒教”と記されていたように思います。

しかしながら私の「儒教」というものに対する印象はあくまで生活の規範をこと細かく定めたものにすぎないのです(…典礼儀式として東アジア社会諸国ではそのシステム運営のために深く取り込まれはしましたが)。もしかすると「儒教」は“先祖を祀る、大事にする”という部分もありますから、何か願い事をしたい“儒教の信者(?)”は自分の先祖に対して願ったり祈ったりするのでしょうか?…真相をお教えください。

Aベストアンサー

そもそも「宗教」って定義できるものなんでしょうか?辞典にはもちろん解説が書いてありますが、何を見ても、「明確には定義できないが大体次のような傾向がある」などと書いてあります。

一応ウィキペディアを引いときます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99

さて、ではmustapha13666さんが書いておられる「儒教」の話に移りましょう。

そもそも、「儒教」とは孔子の始めた儒学がその基礎となっており、もとは学問なのです。ここで孔子の功績について述べることはしませんが、彼は徳による政治を地上に具現させることを理想としており、そのような人物を聖人と呼んで崇めました。聖人へと近づくための様々な訓練が、儒学という学問であったということもできます。

質問に書かれていた、「生活規範の定義」云々というのがまさにそれです。日常から自らの心身を律することが聖人への道であり、それこそが儒学の本来持つ存在意義です。

ですが、儒学は前漢の武帝の時代に官学化され(これはもちろん、為政者の立場からするに、儒学が都合のよい学問であったからです)、後漢中期以降は価値観の範たる「教え」としての性格を持ち始めました。これが、「儒学」が「儒教」化する過程です。

宗教としての側面を持ち始めた儒教ですが、これが今日メジャーな宗教(特に世界三大宗教のような)と異なるのは、神や仏といった「絶対的存在」がいないことに特色があります。#2の方が書かれているように、孔子は「不語怪力乱心」なのです。


以上のような儒教の持つ特有の性格のために、儒教は宗教と認知されにくくなっているだけです。言い方を変えるならば、現在世界を席巻しているいくつかの宗教が作り出した「画一的な」宗教像の枠にはまらないだけです。日本古来の「八百万の神」を信仰するという「宗教」も、そういう意味で宗教と認識されなくなっていますね。

そもそも「宗教」って定義できるものなんでしょうか?辞典にはもちろん解説が書いてありますが、何を見ても、「明確には定義できないが大体次のような傾向がある」などと書いてあります。

一応ウィキペディアを引いときます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99

さて、ではmustapha13666さんが書いておられる「儒教」の話に移りましょう。

そもそも、「儒教」とは孔子の始めた儒学がその基礎となっており、もとは学問なのです。ここで孔子の功績について述べることはしませんが、彼は徳...続きを読む


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