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貴方は誰を一番に思い浮かべますか?
その理由は?



※主な候補者

近藤勇・土方歳三・勝海舟・榎本武揚・渋沢栄一・福地源一郎・徳川慶喜・松平慶永・松平容保etc

A 回答 (6件)

お礼に対して回答したい



>薩長(土肥)中心に、維新前後に活躍した人物は多く、資料やエピソードも豊富なのだが、幕臣(将軍直属の家来)並びに非薩長旧体制派の中にも、維新以降の国家&国体創設に貢献した人物が多くおられるだろうと思い、皆様にお教え願いたく質問を致しました。

指摘には概ね賛同するしかない
小生は歴史教育者として常に思慮することとして、幕末・明治維新の薩長・新政府側のインフレ評価の適否について違和感と拒絶感を感じることが多い

よくよく薩長・新政府側は高い評価されるが、その評価の妥当性は概ね批判している
例えば講座派と呼ばれる人々は、マルクス主義的視座で明治維新を市民革命として捉え好意的評価に至るし、皇国史観・国学に近似する思想家は、天皇を主軸した国家体制へのシフトに全く嫌疑を持たず評価している
小生からすれば、薩長・新政府の要人たちは、常に野蛮であり粗暴であり、論理思考として常に劣っている存在でしかない
冷静に歴史を俯瞰してみれば、幕末の戊辰戦役は、未曾有の国内内紛であって、多くの維新志士達が指摘した「列強の侵入」と許しえ、助長する内紛であった、と見るのが可能だろう
しかも、薩長は英国・幕府はフランスの支援を受けていた時代背景を思慮すれば
典型的な英仏の植民地代理戦争の要諦を為している。(維新史では、「代理戦争史観」)
列強が植民地支配する場合においてもっともパターン化された『植民地の内紛に乗じた』という形状を戊辰戦役は見事に体現している、とも言える。
(慶喜が代理戦争を見抜いた、とは言い切れないが、全面闘争になった場合を軽視するべきではないだろう)
そして、極めて重篤な問題として、新政府側は、最終的には、幕府の海軍に勝つことが出来なかったわけである。それも圧倒的に劣勢であった事実がある
当時において日本の国防の主軸は、海軍力であることは小学生でも理解できるだろう。
戊辰戦役では、陸上部分での新政府の優性だけが指摘されるが、幕府側が海軍力で常に優性であった事実を振り返る識者は少ない。
同時に、”代理戦争史観”を理解するために必要な世界史的教養が乏しいのが、現在の維新史学会の現場であることも指摘できるだろう。

色々指摘したことがあるのは山々だが、これだけは、指摘しておきたい

明治維新においてもっとも活躍しえた人物のもっとも間違いない回答は、

苦しい社会事情にも関わらず、それに耐え偲んできた一般庶民であろう。
地租改正などの抜本的な社会変革については、あまり指摘されないが日本の長い歴史からして、地租改正時ほどの高い税率の時期はない。8公2民の紀州徳川家と比較しても、搾取的とも言えるだろう
明治維新は士族の社会革命という視座だけで理解されるが、文明開化という『プチ文化大革命』の荒業の影で多くの日本古来の習俗が否定された。その否定の背後で多くの庶民が生活基盤や社会習俗の変化を強制されたことを考えれば、当時の一般庶民の苦しみは想像するに大きなものだろう。
小生は、マルクス主義的な史観を許容している部分もあろうが、間違っても、偉ぶっているだけの政治家の功績は、功罪でいえば、罪の方が大きいとしか思えない。

特に長州藩の松下村塾の門下生にはその傾向を強く指摘しえるものである
例えば、伊藤博文は大日本帝国憲法の起草者として認識されているが、文献からしても井上毅(”馨”ではない)が強くかつ巨大な影響力を持っているのは明らかであるように、新政府の要人でも薩長閨閥は『功を盗んだ』という部類の批判も可能かつ適切な場合が多い

小生は明治維新の立役者としては、水戸藩というパイオニアを根底にして評価する思想的背景を重視する立場である。ポっと出てきただけの長州藩などは「奇兵隊」みられるように結果論だけの話であって、行き当たりばったりの成功に過ぎない彼らの功績など評価しようとは到底思えない。
結局、社会の根底はマイノリティである政治家に依拠するものではなく、それを支える庶民・大衆の功績であるべきであって、その思想が不適切である理由もないだろう。
歴史はフィクションであって、偏ったフィクションで史学は出来上がることがありえる。その典型例が明治維新であって、歴史小説との共鳴作用で、明治維新・幕末は虚偽・偽証を交えて無知・魑魅魍魎が跋扈する世界になっている
歴史教育的に中立であろうとする小生からすれば、これほど指導しにくい時代は現代史と大差ないし、出来れば教えたくない
しかし、歴史とは人間の認識で創造されうるものであることを許容するしかないわけだが、正直いって、陳腐な歴史認識ばかりで反吐が出る

まぁ、質問者の見解には概ね同意するが、身分立場を超えた人間が活躍した時代、という評価もありえることは思慮してほしい
もっとも、薩長は身分立場に「こだわり続けた」部類であることは、割愛しておこう

なお、対外的には、小生は、明治維新の原動力としては、適塾の塾生をあげるようにしている
(もっとも福澤諭吉は絶対的に除外するが・・・)

以上

これでもかなり割愛しているのだが、指摘したいことがありすぎて、困る
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この回答へのお礼

重ねてのご教授ありがとうございます。

考察のバックグランドを時系列・人物分析・深層心理等の多様な視野視点から記述賜り、ゼミ樹高のように分かり易く咀嚼指導を願いましてありがとうございます。

お礼日時:2012/05/27 05:51

こんばんは。



これは色々思い入れもあるのでしょうね。
私も小栗忠順などは、もっと評価されて良いと思います。
あの人の最後の潔ぎよさなどは流石にと思うものがあります。

あなたの挙げられた中では、松平容保、会津中将ですね。
私はこの人に一番好感を持ちます。
何故と言うに、信義を最後迄とおした人ですものね・・・。
ご存知のように藩祖は保科正之です。

最近は愚直と言う言葉が、簡単に使われます。
私は、この言葉は容保に、より、ふさわしい様に思います。
正之の遺言を守って徳川の為に最後まで戦う・・・。
事の善悪は別ですよ・・・日本人らしいじゃあないですか!

日本人には分かった上での滅びの美学がありますね。
容保が晩年、家臣に心を配りながら、ひっそりと生涯を終えた・・・
私などは、とても心を魅かれます。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。


◇西周
◇大鳥圭介
◇榎本武揚
◇福沢諭吉
◇松平容保

お礼日時:2012/05/26 05:57

福沢諭吉、小栗忠順、山岡鉄舟の名がなぜ無い?意味がわからん。

なんで将軍の慶喜が幕臣?

質問者さんがどういう意味で幕臣という言葉を使っているのか理解できないし、何を持って活躍というのか?幕臣としての活躍なのか?それとも明治維新後の活躍なのか?通常、幕臣といった場合は旗本か御家人だけで大名は含めません。

どうしても一人選べというなら福沢諭吉しかありえないでしょう。幕臣で紙幣の肖像人物になったのは福沢諭吉ただひとりでは?他に誰かいたかな。みんなの財布(札入れ)の中に福沢先生はいませんか?
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。


◇西周
◇大鳥圭介
◇榎本武揚
◇福沢諭吉



>福沢諭吉、小栗忠順、山岡鉄舟の名がなぜ無い?意味がわからん。なんで将軍の慶喜が幕臣?


ご指摘の通りです。
薩長(土肥)中心に、維新前後に活躍した人物は多く、資料やエピソードも豊富なのだが、幕臣(将軍直属の家来)並びに非薩長旧体制派の中にも、維新以降の国家&国体創設に貢献した人物(悲運非業の人物も)が多くおられるだろうと思い、皆様にお教え願いたく質問を致しました。
尚、記載の人物は、あくまでも、非薩長または旧体制に属していた著名人の代表例です。

お礼日時:2012/05/26 05:55

幕臣で、候補者の中で一番有名なのは「勝海舟」だと思いますが、明治維新の前夜が彼の活躍時期ですので、維新後に政府要人として活躍した著名人は「榎本武楊」でしょうか。

渋沢栄一も旧幕臣とされる場合があり、実質一番活躍した人かもしhれません。でも一般には地味で風采がいまひとつなので紙幣の肖像には採用されなかったと聞いたことがあります。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。


◇西周
◇大鳥圭介
◇榎本武揚

お礼日時:2012/05/26 05:46

 え~っ、大鳥圭介でございます。

ポテチン。

 日清戦争直前に、朝鮮国王を脅して日本の出兵を
請願させた人。
伊藤博文が清国との戦争を避けよう避けようとしているのに、
行け行けドンドンで戦争への鞭を入れた、と理解していますが
間違ってたらすんません。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。


◇西周
◇大鳥圭介

お礼日時:2012/05/26 05:45

西周



次点としては、大久保一翁


理由:多すぎて指摘できない

ちなみに、質問文には、幕臣ではない人間がいるのだが・・まぁ、いいか



以上
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。


◇西周





※ちなみに、質問文には、幕臣ではない人間がいるのだが・・まぁ、いいか

ご指摘の通りです。
薩長(土肥)中心に、維新前後に活躍した人物は多く、資料やエピソードも豊富なのだが、幕臣(将軍直属の家来)並びに非薩長旧体制派の中にも、維新以降の国家&国体創設に貢献した人物が多くおられるだろうと思い、皆様にお教え願いたく質問を致しました。

お礼日時:2012/05/26 05:42

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