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ピューリタンは質素倹約で知られているのに、アメリカが消費の盛んな国である印象が強いのはなぜでしょうか?

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A 回答 (3件)

補足拝見しました。



イーディス・ウォートンですか。
ウォ-トンはたとえばフランクリンなどとは同じ文脈では決して読めない、読んではいけない作家だと思います。
つまり、フランクリンに見られる「アメリカン・サクセス・ストーリー」=「自己創造神話」が成立するのは、白人男性においてだけであり、女性はまったくその夢から閉め出されているのです。

ウォートンにあっては、経済活動はまったく考察の対象ではありません。
また、上流社会に生まれ、同時にその社会の反逆者としてそこを飛び出したウォートンにとって、信仰は重要なテーマではありませんでした。

彼女の意識にあるのは、あくまでも新・旧大陸の上流社会の人間模様なんです(『イーサン・フローム』や『夏』という例外もありますが)。

たとえば『歓楽の家』で美貌も才知も備えたリリー・バートは、富だけを持っていないがゆえに、没落し、悲劇的な死を遂げますが、それは彼女の「消費行動」に問題があったからでも、ピューリタニズムにも関係はありません。
19世紀後半のニューヨークは、オランダ系移民の「貴族」直系の少数の子孫たちを頂点とする、「つるつるすべるピラミッド」(『エイジ・オブ・イノセンス』)であり、そこから滑り落ちた人々は転落するしかないのです。

『無痛分娩』という作品はまったく知らないままこのようなことを言って、的を外していたら申し訳ありません。
ただ、ピューリタニズムの精神-アメリカン・ドリームの文脈からは、女性や有色人種は閉め出されていた、ということは理解しておいていただきたいと思います。
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この回答へのお礼

またまた回答頂きありがとうございます!!ghostbusterさんは何でも知っていますね♪かなり助かります。ウォートンの『無痛分娩』での消費活動とピューリタンの精神が相容れないのではないか?という疑問を探っている本『読み継がれるアメリカ』というものがあったのですが、その著者がそのような問題を抱くこと自体その人の認識不足ってことですかね??もし時間があれば是非読んでみて下さいね↑本当に参考になりました!ありがとうございました。

お礼日時:2004/01/17 00:37

プロテスタンティズム、とくに、カルヴィンのもとで成立したピューリタニズムの考えを大雑把にまとめると、以下ようになるかと思います。



1.人間は罪深い存在である。
2.けれども、ある種の人々は神の恩寵によって救済される。
3.人間は神の栄光を現世に実現する道具である。
4.そのためにおこなわれる現世の労働は、倫理的に価値のあるものである。
5.それゆえに、その結果として得られる富も、倫理的に価値あるものである。

さて、汎アメリカ的な精神をピューリタニズムにおいてよいかというと、ちょっと問題はあるのですが、アメリカ的な富と成功のもっとも早くからある規範がベンジャミン・フランクリンとされていたことは間違いないので、ここではフランクリンをモデルケースに考えていきましょう。

フランクリンは『自伝』のなかで、勤勉・質素・規律・清潔・謙譲など十三の徳目を重要なものとしてあげ、こうした徳目に従って生きることを奨励しています。
というのも、勤勉に働き、富を得ることは、個人に営利をもたらすだけではなく、他人の生活資源を生み出す「隣人愛」的行為でもあるからなのです。

つぎに消費とは何か辞書で引いてみると、広辞苑では

(2)欲望の直接・間接の充足のために財貨を消耗する行為。生産と表裏の関係をなす経済現象

とあります。
別の観点から見ると、勤勉に働き、富を得たからこそ消費が可能なのであり、またこの消費行動によって、他人の経済活動を支えることになるわけですから、消費が否定的なものである必要はまったくないのです。

事実、富を築いたフランクリンは、その富に見合った消費行動を取り、アメリカン・ドリームの初代体現者となっていく。
こうして見ていくと、質素倹約と消費行動はなんら相反するものではないことがわかるかと思います。

さらに興味がおありでしたら、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、ちょっと考えただけでは相反するものであるかのような「営利を求める心」と「倫理(ウェーバーの用語では〈エートス〉)」が、資本主義の精神の中で、いかにひとつに結びついているかを解き明かしていますので、ぜひそちらも読まれることをお勧めします。

この回答への補足

勤勉に働き、富を得たからこそ消費が可能なのであり、またこの消費行動によって、他人の経済活動を支えることになるということはおっしゃる通りだと思います。得た富を貯蓄に回さず浪費してしまうという点ではどうでしょうか?イーディス・ウォートンの「無痛分娩」においてポーリーンのような消費活動により精神的、肉体的、さらには身体的限界をまで否定してしまうような幻想的な楽園を構築してしまい自らを神に近い存在までに格上げしてしまったらピューリタンの宗教心というものが形骸化してしまったのも納得できません??

補足日時:2004/01/16 19:10
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この回答へのお礼

マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を手にしたことがありますが、旧約のものしか挑戦したことがなくちょっとまだ僕には難しかったです・・・大学のディベートの参考にしたいのでいろいろ補足してしまってますがどうか気を悪くなさらないで下さいね。思ってもいないような質問などされるとディベート中に困ってしまうので(笑
回答、とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/01/16 19:18

ご存知の通り、アメリカは世界で最も一人あたりの摂取カロリーの高い国であり、国民平均貯蓄は先進国でもかなり低いですね。

ご指摘のように消費の盛んな国であることは
間違いありません。

けれども、「質素倹約」とはその当事者の感覚的な絶対比較的な尺度であり、他国や世界水準との比較において論じることは適切ではありません。
まして宗教上のことであるならなおさらです。
お金持ちが「俺は去年は1千万しか使わなかった。例年の十分の一だ。」と言えば質素倹約したと言えるでしょうが、その隣の家の貧乏人が「俺は去年は百万で生活した。例年よりは贅沢な年だった」と言えばどうでしょうか。

彼らは彼らのレベルで十分に「質素倹約を旨として生活している」と言うなら、彼らにとってそれはそうなのでしょう。私達のレベルから言えば、とんでもない!と思えるような水準でも・・。

ご参考までに。

この回答への補足

よくわかりました。何故なら自分もizayaさんと同じ考えだからです。しかし、マックスウェーバー氏や多数の経済学者は私の問題についてたくさん議論されていますし、無神論者だらけの国に住む日本人にとってアメリカの様な国について考えることはとても難しく、宗教観や彼等の持つアイデンティティーなどの事柄について考え出すとそれらのことがこの消費の問題についてどのようにリンクしているのかわかるようでわからなく困っています。なにかよい参考資料等ありましたら、是非教えて頂けると有難く思います。

補足日時:2004/01/15 16:54
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