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18世紀末にアフリカから年間5~8万人の奴隷がカリブ海や南北アメリカに連れて行かれたそうです。

私が疑問に思っていることは、どうして黒人は白人に対して抵抗をして、連れて行かれることを阻止できなかったのか、そして、なぜ多くの黒人を黒人の数よりも少ない人数の白人が支配できたのかということの2点です。

知っている方がいらしたら、どうか教えてください。よろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

黒人が連れて行かれる事を阻止できなかったのかという事については、白人の奴隷商人に黒人の支配者(国王や部族長)が、敵対する国や部族の黒人、自国に不必要な黒人を貿易の商品として引き渡すという奴隷貿易に加担していたという面があり、黒人の全てが奴隷貿易に反対の立場ではなかったという事があります。



当初、白人の奴隷商人はアフリカの黒人の国や、黒人の部族長にところに、交易品として帽子や銃や装飾品や布、食料を持っていき、奴隷が欲しいと要望すると、その国や部族長は社会に不必要な犯罪者を渡したり、他部族に戦争を仕掛けて捕虜を得てそれを渡したり、他部族の子供を誘拐して渡したりしました。その取引する規模が拡大するにつれて白人の奴隷貿易の拠点としての港がアフリカ沿岸に幾つも確保され、そこで黒人奴隷の取引が大々的に行われるようになり、黒人奴隷を供給する黒人の国や黒人の部族がその貿易で潤う事になります。
つまりアフリカの黒人は反奴隷貿易で一つにまとまっていたわけではなく、自国や自分の部族が潤うために、他の黒人を白人に奴隷として売り渡していた国や部族がいるという情勢でした。黒人が連れて行かれるのを阻止するどころか、同じ黒人が奴隷貿易に加担していたのです。だから阻止できませんでした。
ただし、この事に心を痛める黒人の国王もいました。コンゴのムベンバ王は1526年にポルトガル国王に奴隷貿易をやめるよう手紙を送っています。ただしその効果は全くなく奴隷貿易が止まる事はありませんでした。


なぜ多くの黒人を数の少ない白人が支配できたのかという点については、簡単に言えば武力による支配です。

アメリカ南部では1791年~1810年の20年間だけでも40もの黒人奴隷の反乱がありましたが、大きくなる前に鎮圧されています。以後も1831年のターナー暴動事件などが起こりましたが、これも軍が出動して100人以上の黒人を殺害して反乱が大きくなる前に潰されています。
訓練され優れた武器を持つ軍隊の前には、たいした武器を持たず組織化されてもいない奴隷の反乱の成功は難しいという事でしょう。

ただし奴隷の反乱が成功する場合もあります。それが1804年に独立を宣言したハイチです。
ハイチはフランスの植民地でしたがアフリカ黒人奴隷が反乱を起こし白人の支配から脱しました。
「ハイチ革命」とも言われます。

「ハイチ革命」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4% …
ただハイチ革命の場合はフランスが全力でハイチの反乱を鎮圧できる状況になかったという点もあるかと思います。

ところで、人口についてアメリカの場合一言言うと、黒人の人口が白人の人口を超えた事はありません。
アメリカは1865年に奴隷制を廃止しますが、その5年前の人口では白人は2692万人で黒人は444万人であり、白人にたいして黒人は約6人に1人程度の割合でしかいませんでした。
ですからアメリカの場合は多数の白人が少数の黒人を支配したというのが正しいかと思います。
なお、黒人のアメリカでの反乱は前述したように失敗していますが、白人の支配から抜け出すために逃亡するという手段があります。その逃げた黒人奴隷はかなりの数に上ります。
アメリカでは1830年~1860年までの30年間だけでも6万人もの黒人奴隷が逃亡しました。彼・彼女達は逃亡する事によって自由を獲得しようとしました。
この逃亡という行為こそ黒人奴隷にとって主要な抵抗形態だと言う人もいます。
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 蛇足気味ですが、例えばアメリカに連れてこられた黒人奴隷についてですが20年ほど前に興味深い論文を読みました。



 アフリカから連れてこられた黒人奴隷同士は相互にコミュニケーション可能だったか?という論文ですが、答えは否です。様々な言語集団=部族がまとまった形で一つの農園に集められるわけではありません。

 奴隷狩りや奴隷売買の過程で集団や家族も解体されてしまい、さまざまな異なる言語や文化を持つアフリカンが農業奴隷として一つの農園に集められます。
 従って彼らは身分は同じ奴隷同士ですがコミュニケーションが不可能です。さらに本来親や言語集団から継承すべき文化を学ぶことも出来ませんでした。このような人間は無力です。考えることも行動することも、ましてや自分のおかれた境遇を理解し改善することも不可能であったろう、と書かれていました。

 古代ローマの「スパルタクスの反乱」の様に、虐げられた奴隷が一致団結して農園場主やアメリカの社会制度に反抗することは原理的に無理なんですね。

 彼らがアメリカ社会や奴隷制度に自らの意思で反抗、反対の意思表示をし始めるのは二世、三世の世代になって農場主の命令後である簡単な「日常英語」が奴隷達の中に広まってからです。
 この「日常奴隷英語」を修得した奴隷達によって相互の意思伝達が可能となり組織化も出来る様になったそうです。

 悲惨ですよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/28 21:25

述べ4000万が輸出されましたね。



1,当時のアフリカは、今でもそうですが
 国家というものがあまり無かったのです。
 だから、部族単位で英仏などの国家と対決せねば
 ならず、圧倒的に不利でした。
2,武力が異なります。
 アフリカ人は,何度も反乱を起こしていますが
 英仏の軍隊に鎮圧されました。
3,英仏得意の間接統治がありました。
 これは、現地人を使って現地人を支配する
 というものです。


余談ですが。
(1)成人式では槍と盾だけでライオンを仕留める
 マサイ族は、奴隷にされませんでした。
(2)イエズス会が日本人を奴隷貿易をしたため、
 秀吉は、キリスト教を禁圧するようになりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/28 21:26

ほいほい・・・元教師・現役予備校講師が「ほめられてのびるラジオ」を聞きながら回答!



>18世紀末にアフリカから年間5~8万人の奴隷がカリブ海や南北アメリカに連れて行かれたそうです。
私が疑問に思っていることは、

(1)どうして黒人は白人に対して抵抗をして、連れて行かれることを阻止できなかったのか、

ほいほい。正確な文献がないので明言は出来ない質問だったりするけど、おおよその可能性は、19世紀のアメリカの史家が見解を提示しているので、それを踏襲しませう

まず、黒人奴隷は、同じ黒人によって供給されています
意味不明かもしれませんが、簡単にいえば、黒人社会では人売りが普通だったのです
日本でも江戸時代の大飢饉の時などでは食わせられない子どもを売り払ったりしていますし、中世のアラブ諸国でも人を売り買いすることは多々あります。(『マムルーク』って言えば分かるかな?)

 アフリカ黒人奴隷の多くは、その地域の政情不安などの関係で売れた人・・という可能性が高いでしょう。
部族社会であれば、部族長が「おまえの家の三男坊は売ってしまえ!」という命令がまかり通ったでしょうし、そういう社会はアフリカ諸国だけの話でもありませんので・・・

まぁ、暴力的に身体拘束された可能性もあるでしょうが、現代では想像もつかないほど、人身売買は当然の時代がある・・・というのが現実ですので、あしからず

ちなみに、奴隷売買というのは非人道的な職業と思われるかもしれませんが、合理的な穀物生産を行う上では、必要だった部分も指摘できます
(アフリカでは1しか生産できない奴隷でも、アメリカでは10生産できるなら、そっちの方がいい・・というレベルの話だけどね)

残酷だと思うかもしれませんが、冷静に考えてみる奴隷として売られた先では生き残れたわけですから、ある意味では幸福だった・・かもしれませんね。
そのまま郷里に残って餓死を待つよりは・・・という考えもアリだと思いません?

『帰る場所がないから反抗しない』

(「マイホームしか居場所のないダメオヤジが、怖い奥方に忍従するしかない」そんな光景とも被りますが・・・・・俺のことだw)

>(2)そして、なぜ多くの黒人を黒人の数よりも少ない人数の白人が支配できたのかということの2点です。

 上記したように、故郷に戻っても居場所がないなら・・・ということもあったでしょう
まぁ、実は知られていませんが、黒人奴隷の大反乱ということは、それなりにあった可能性も指摘できますし、その恐怖に苛まれ続いているのが現実です。

 ある史家は、
「女子供などの弱い人間を人質として囲い込んで、屈強な男どもを支配した」という指摘もあるようですが、これがどこまで有効だったのかな?とは疑問視してしまう話です

ちなみに、こういう見解もあります
アメリカの大統領であったジェファーソンの考えをアレンジしたものですが
・・・・
黒人奴隷たちが反乱した時に、彼らは白人抜きにして社会を形成できただろうか?
強制連行された黒人たちは、見知らぬ土地で生きてゆくために、白人が提供する生産手段が必要であって、生産手段を牛耳っている白人に反抗すれば、彼らの明日はない。
仮に彼らが生産手段を支配できたとしても、白人がそれを買わなければ、黒人社会は維持できないだろう。「生産手段を生産する技術」はそれこそ白人が独占していたものだし、学のない黒人には技術習得には限界はあるだろう
黒人奴隷を解放したとして、彼らは生産手段・技術を持ち得ていないのだから、必然的に白人社会に戻らざるを得ないだろう
・・・・

まぁ、この見解は至極適切だったことをアメリカの黒人奴隷史が証明してしまいます。
有名なリンカーンの『奴隷解放宣言』で奴隷は奴隷身分から解放されます。
しかし、生産手段・技術を持たない彼らが自由人になっても、食べてゆけないわけです。
したがって、悲しいかな解放奴隷は、元の地主(奴隷主)の元に戻ります

ちなみに、心優しいように思える一部のアメリカ人は、アフリカのリベリアという地域に黒人国家を形成して、奴隷たちを”祖国でもない地域”に移民させます・・移民させられた黒人奴隷たちの移民先での生活は・・・・・・(あとは調べてね。リベリア殖民協会がいいかな?)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1% …

止む得ず白人社会・白人支配の鉄鎖に拘束され続けることになるわけです
このような黒人奴隷の構造は、アメリカ独立戦争において活躍した奴隷が解放された時にも確認されているのですから、
「奴隷解放の課題」は、政治的な奴隷解放ではなく、奴隷身分を脱するための技能・技術・経済力を持ち得ることが重要だったわけです・・・

これも後の公民権運動でも繋がるわけですが、権利を政治的に付与しても、その権利を行使できるだけの経済的裏打ちがないと・・・ということになるわけですね

 リンカーンの奴隷解放宣言は史家では、評価は分かれます。
リンカーン自身は「解放します!」と宣言しただけで、解放奴隷の生活の保障などしていないわけですから、無責任とも言えるわけ・・・

これに対して、奴隷制維持だったジェファーソンはまだマシだった
 「奴隷解放のためには、奴隷に技術を持たせる必要がある!」と認識していたので、所有していた奴隷に様々な技術を提供し、訓練させた。
奴隷身分は変わらなくても、生産手段・技術をもった彼らが高い生産性をもつ有能な奴隷になった上に、自由人になれば自立できた・・・と考えられたでしょう
 もっとも、「黒人が作った?そんなもん買えるかよ!」という白人が多かったので、作れたのはいいが、売れない、という悲しい末路だった可能性も指摘できるかもしれない



なんとなく分かりますか?彼らは自らの生命を盾にされて支配されたわけです

・・・・・・・・・・・・

非人道的という批判は別にして、奴隷主が、子どもを人質にとったり、奴隷たちの大事な財産を人質にしたりすることは日常茶飯事です
上記したように、居残っても地獄だったわけですから、一概に奴隷身分は不孝とも言い切れないわけです

まぁ、こういうことは実はアフリカ奴隷だけの話ではなくて、日本でも同じことです

『日本には奴隷はいなかった!』というイメージが強いでしょうが、記録残されないだけで、地方農村部では普通にいた、と考えられています。『農奴』といいます

彼らも黒人奴隷と同じく、生産手段・技術を持ち得ないが故に、支配者に従うしかなかった・・というのが現実です

まぁ、この話は、『共産党宣言』のマルクス的な説明にも通じる部分もありますが、一番大きい話でしょう

まぁ、圧倒的道具による暴力性を実現できた白人の暴力に従うしかなかった・・という見解もあるわけだが、技術格差が乏しかった古代の奴隷の説明が出来なかったりするので、説得力はないわけです

ちなみに、文献的に農奴は、チベットでは戦後まで確認できます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

補足

聞いてないことだろうが、奴隷制度では、奴隷価格が急上昇すると、奴隷間の婚姻が推奨されます。
家庭を営めないのが一般的奴隷なのですが、婚姻させ、家族を形成させ、奴隷二世・三世を作らせる必要性があったのですが・・・・
 南米の黒人奴隷は、早々と消滅するのは、奴隷に家族を持たせるよりも、新規購入したほうがいい!という浅慮が原因だと言われています。

奴隷に多くの生産物を作らせたい地主と、出来ればサボりたい奴隷との様々な駆け引きも面白い話があるわけだが、そういう駆け引きから黒人文化が形成されていたりするのは・・自重しておこうw

長くなったが、こんな程度の話で理解されるのがいいだろう

糸冬
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 黒人奴隷の問題は,概ね16~18世紀と,19世紀とに分けて考える必要があります。


 16~18世紀までは,白人のヨーロッパ諸国もアフリカを支配していたわけではなく,せいぜい航海や交易の拠点を築いている程度に過ぎませんでした。熱帯で資源にも乏しいので,南アフリカなどの一部を除いては,特に支配する価値もないと思われていました。
 インド航路を開くためにアフリカを探検していたポルトガル人は,現地の黒人とも商売や交流をしていましたが,黒人から買える物は対立する部族の捕虜(奴隷)くらいであり,当初は買ってもあまり使い道がありませんでしたが,新大陸の発見に伴いブラジルで大規模な砂糖生産を始めるようになると,黒人にも農場の奴隷として使い道があるということになり,わざわざヨーロッパから武器や繊維製品,ラム酒などをアフリカに運び,そこで奴隷を買って新大陸に運び,新大陸からは奴隷を使って生産した砂糖や綿などをヨーロッパに運ぶ「三角貿易」が発達しました。この時点では,奴隷を売ったアフリカ人達は,白人に支配されているという認識もなく,自分達が同じ「黒人」であるといった仲間意識もありませんでした。
 一方,19世紀になると,それまでヨーロッパ諸国の経済を支えていた新大陸の植民地が相次いで独立してしまい,イギリスやフランス,ポルトガルなどの諸国は,その代わりになる植民地としてアフリカに注目し,アフリカの植民地化が本格的に始まりました。アフリカの各地で貴重な鉱物資源が発見されたことも植民地化の追い風でした。
 こうなってくると,さすがにアフリカ人も自分達が支配されていると認識せざるを得なくなり,各地で抵抗運動が起こりましたが,武器も戦術も国家組織も格段に優れていた当時の西欧諸国には,アジア諸国なども敵わない状況であり,国家も文明も未成熟であったアフリカ人が敵う相手ではありませんでした。
 現在は,アフリカ諸国も概ねヨーロッパ諸国から独立していますが,独立とは名ばかりのことで,実際には今でも内部対立と宗主国への経済的従属を余儀なくされているところが多いようです。
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支配などしていない。

単に商売をしただけ。

部族抗争があったのです。負けた部族は賠償金替わりに奴隷を取られます。勝った方は奴隷を白人の奴隷商人に売る。売った代金で鉄砲と弾薬を買う。鉄砲と弾薬があれば、部族抗争が有利になる。国などなくて部族社会があっただけ。白人の奴隷商人は商売をしただけです。そうやって勝ったり負けたり、お互い様でどんどん奴隷が売られていく。その奴隷を新大陸で売れば奴隷商人の儲けになる。黒人は頑強で、過酷な奴隷労働にも耐え抜いたので高く売れました。新大陸のインディオはひよわで奴隷労働に耐えられずにばたばたと死んで労働力不足になっていた。その穴埋めに黒人奴隷が鉱山主などに売られたわけです。
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この回答へのお礼

黒人奴隷の背景に、アフリカの部族社会が関わっていたことを初めて知りました。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/28 00:04

まず、持っている武器、兵器のレベルが非常に違います。


素手の人間10人に対して、ピストルを持っている人が1人いたら?抵抗なんてできないでしょう?

次に、奴隷にされたというのは結果を見るから分かることです。
詐欺でもそうですが、そうすることが正しい事のように、自分にとって利益になるように騙されてしまえば、分からないでしょう?
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この回答へのお礼

相手がピストルのような武器をもっていたら、怖くて相手の言うことに従ってしまいますよね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/27 23:33

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Q白人はどうして黒人を差別するのでしょうか?

アメリカで黒人が白人に差別されたと
デモや暴動が起きているそうです。

どうして白人は黒人を差別するのでしょうか?

日本では、ボビーオロゴンやビリー隊長とか
大人気だし。野球でも黒人が大人気なのに
どうして差別されちゃうのでしょうか?

私にはどうしても分からないのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人系アメリカ人とはその立ち位置は大きく違います。
 アメリカでの黒人差別は様々な要素が複合的に絡まりあって成立しています。差別の原因となっている要素を幾つか列挙してみます。

・歴史的経緯
かつて白人は黒人をアフリカ大陸から連れ出し(多くの場合、奴隷化したのは現地のアフリカ人達なのですがややこしくなるので割愛します)奴隷として過酷な労働条件で使役してきました。これを根源的な原因として加害者だった自分達白人を黒人は憎悪しているのではないかと考え、それ故に黒人との共存や黒人の社会進出を苦々しく思う白人は常に一定数存在します。

・社会階層的経緯
多くの黒人系アメリカ人は依然として貧困層であり充分な社会進出を行えていません。白人全体における犯罪経験者の割合と黒人のそれを比べるのであれば前者が明らかに高い数値を示すでしょう。その黒人は非文化的で危険であるというイメージが一部のメディアによって増幅され、それに強く感化されてしまう白人が人種差別に走り、さらにそれがイメージに輪をかけるといった悪循環がアメリカ社会には存在します。

・文化的経緯
同じかつての黒人奴隷を導入した国でも南米などでは人種の混合が進み、人種差別などそもそもどれを差別すれば良いのか解らない程複雑になっている国もあり、これらの国では当然人種差別は殆どありません。
 これとは違いアメリカでは人種・文化の混合が行われませんでした。原因については不勉強なのでなんともいえませんが(カルバン主義やアングロサクソンの島国根性が関わっているのかもしれません)、一部の白人にとって黒人が“同じアメリカ人”では無く“国内に居住するよそもの”的な存在になってしまった事は否めません。

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人...続きを読む

Qアメリカの奴隷制度の実態について

アメリカの奴隷制度の実態はどのようなものだったのか教えて下さい。

僕は歴史に全然詳しくないので、これは素人の質問であることをご了承ください。


アメリカで奴隷制度が廃止される前の黒人の生活実態はどのようなものだったのですか?

例えば奴隷制度といっても、実際には働いた分賃金をやり取りする雇用形態の形をとっていたのですか? それから黒人の労働市場は誰がどんな形で取り仕切っていたのですか?

それからもう1つ疑問なのが、現代日本の感覚で「奴隷」と言うと、完全に人権のない家畜のような扱いを受ける存在という意味で使われたりしますけど、本当にそんな扱いを受けていたのですか?

「風と共に去りぬ」とかを読むと、確かに当時は白人と黒人の身分が違う社会だということは明確に分かりますけど、案外、白人と対等に生活している黒人もいたりして、少なくとも今の日本人がイメージする「奴隷」というのとは大分違うのかなあと疑問を感じました。

Aベストアンサー

アメリカの奴隷制度を語るためには、古代からつづく地中海世界の奴隷制度を確認しておく必要があります。

紀元前の時代から「奴隷制度」というのはありふれた制度であったといえます。奴隷の多くは、アテネなどの都市国家から離れたアフリカ大陸や未開なゲルマン民族やスラブ民族であったものの、都市国家間で戦争がおき、負けたほうの市民が奴隷として売られることも多くありました。
また海賊などが船を襲ったときに、人質となった人々のうち金持ちは地元から身代金を持ってきてもらって引き換えに開放されたのですが、身代金を払えない人々は奴隷商人が買い取って、地中海から離れた中近東などに売っていたようです。

これらは1世紀ぐらいには、かなり高度に組織化されており、ローマ帝国の奴隷にはアフリカ出身の肉体労働者から、ギリシャ出身の教師の奴隷や医者の奴隷なども居たようです。また、奴隷には賃金がある程度払われており、それを元手に儲けあるいは宝くじを当てるなどして、主人にお金を払い奴隷身分から開放されたようです。
 
 またプランテーション的な農業が多かった地中海世界では、奴隷は労働力として必要だったものの、積極性は皆無だったため、馬牛などを使った場合の生産性と奴隷を使った場合の生産性について議論した同業経営書などもあったようです。

いずれにしても「奴隷」の地位は、主人の所有物であり、馬や牛などの家畜と変わらない存在でした。3世紀ぐらいの奴隷の価格は30万円前後であり、家畜を飼うほうがいいか奴隷を飼うほうがいいか、というものだったと思います。


時代が下がって中世のヨーロッパにも奴隷性が残っていました。この奴隷性の特徴はほぼ古代と変わらないのですが、供給先がアフリカとスラブ民族に変化していきます。また、当時のヨーロッパは相対的に貧しい地域でしたので、中近東などから宝飾類やスパイスなどの輸入に対して、奴隷を代金代わりに払っていたようです。
アラブ諸国では、白い肌が珍重されるために特に女性は高値で買われていたようですが、これは現代のニュースにも同じ側面が出ています。

わずかな金額で買われる少女予たち:http://japanese.ruvr.ru/2012_11_29/96332677/

アメリカ合衆国が独立すると、ほぼすぐに黒人奴隷が供給されるようなります。このときに供給したのはヨーロッパに存在する奴隷商人だったことでしょう。
アメリカは広大な土地があったため、労働力がいくらでも必要だったからです。

奴隷制度そのものもヨーロッパの制度とほぼ変わらなかったと思います。重要なのは
・奴隷は主人の所有物であること
・奴隷の子供も奴隷であること
・奴隷の生殺与奪権は主人にあること
です。

先ほど書いたように、奴隷の労働力を向上するためには多少の娯楽必要になりますので、小遣い程度の賃金を与え、日常的な楽しみは享受できた、という場合も多いようです。
しかし、アメリカ南部のなにもないプランテーションで働く奴隷には、娯楽もなにもなく掘っ立て小屋で寝起きをする暮らしの人々もいました。
 これらの処遇は、主人の資質によるところが大きく、それは古代から同じでした。

アメリカの奴隷制度を特長つけているのは、黒人法という法律でしょう。アメリカには独立当初からわずかですが自由人としての黒人がおり、また奴隷から解放された黒人もわずかながら増えていきました。
 ヨーロッパでは(実際に差別がなかったとはいえませんが)、肌の色で差別する法律は無かったのですが、アメリカには黒人法(black code)が制定されていました。

この法律が制定されたのは、皮肉なことに奴隷解放を是非とした南北戦争の後のことであり、憲法で奴隷制を廃止したのにも関わらず、黒人法で差別することになっていったのです。

つまり、私たちの知っている奴隷制というは、南北戦争までの「主人が所有する」という奴隷性と、戦後の黒人法による実質的な差別の二つに分かれます。

以後は黒人法による「実質的な奴隷制」の継続の根幹です。
黒人法は多岐にわたる法律の総称なのですが、その内容は
・選挙権の実質的な剥奪 投票税などで黒人の投票権を縛った
・異人種間の通婚の禁止 白人と黒人が結婚することを禁止した
・教育の分離      白人と黒人は教育する場所を厳密に分離された。
・公共施設の隔離    鉄道・バス・レストランなどの場所を分離した。
・武器の所持や夜間外出の禁止
・徒弟法        黒人が労働する際に、お礼奉公を義務つけるなど、実質的な職業の自由を奪った。

これにより、黒人は白人とは違った「2級市民」の扱いをうけ、特に南部の奴隷出身者は、実質的にそのまま主人の元で働くことを余儀なくされました。
また、黒人が自立して働き、個人の権利を確立することはかなり難しかったと思います。特に教育で差別され、賃金や選挙権で差別されているのですから、実質的に奴隷と同じだったといえます。
ただし、元々自由民だった黒人も少数ながらいましたし、北部では(黒人が元々少ないが)かなり自由に生活が出来ていたといえます。

これらの黒人法は1866年(南北戦争終戦の翌年)から数年で公布され、南部11州で常態化していきます。
これが解消されるのは1964年の公民権法が施行されてから、ということになり、この法律が施行されてからまだ50年たっていないことになります。

今でも黒人差別は南部が激しく、北部は比較的穏やかです。しかし、それ以外にも黄色人種差別やヒスパニック差別などもあり、白人優位主義が消えたわけではありません。
 

アメリカの奴隷制度を語るためには、古代からつづく地中海世界の奴隷制度を確認しておく必要があります。

紀元前の時代から「奴隷制度」というのはありふれた制度であったといえます。奴隷の多くは、アテネなどの都市国家から離れたアフリカ大陸や未開なゲルマン民族やスラブ民族であったものの、都市国家間で戦争がおき、負けたほうの市民が奴隷として売られることも多くありました。
また海賊などが船を襲ったときに、人質となった人々のうち金持ちは地元から身代金を持ってきてもらって引き換えに開放されたの...続きを読む

Q黒人奴隷と良好な関係の持ち主もいた?

映画を見てると黒人の召使と関係良好な旦那様やその一家なんかが出てきます

実際にそういうのはありえたんでしょうか?

奴隷の悲惨さが伝えられていますが実際はどうだったんでしょうか?

Aベストアンサー

 アメリカ合衆国南部においてご存じのように白人入植者が農園開発をする際の
労働力として黒人を奴隷的に使役しました。

 ここで重要なのは黒人奴隷を購入する白人は2つに大別されるということ。
一つは「アンクルトムの小屋」にみられる大農場主たち。この物語では、
比較的に優しい扱いをする白人農場主一家なのですが、トムはお嬢様の行為に
侮辱を感じました。それは彼女が部屋にトムを呼んで招き入れた時に下着姿で
平気だったこと。つまり彼女はトムに親切で優しくはあったけれど人間扱いは
していなかった。人間扱いしなければ人はいくらでも残酷になれるのは自明。

 片方、貧しい白人農園主も多くいた。彼等にとって一人の黒人奴隷を買うのは
全財産をなげうつほどの行為で黒人奴隷は貴重な存在。衣食住を共にして共に
何十年も働く仲となる。自然人間らしい感情の交流があったでしょう。
 奴隷状態で給与無しの強制労働で人生を終えさせられた黒人は悲惨としか言い
ようがないけれどそれでも黒人同士、優しい白人との交流は温かいものであったはず。



 

Qアメリカの奴隷文化

アメリカ人がかつてアフリカから沢山の黒人を奴隷のために本国に連れてきた歴史がある事は有名と言うか、知られた事実かと思います。
知識として私も持ってはいましたが、ふと、
何で黒人なんだ?
黒人は抵抗しなかったのか?抵抗しようにも武器等の圧倒的支配に服従するしかなかったのか?
ヨーロッパに輸出もしたようだが、他国の人はアメリカのその行為を何とも思わなかったのか?
他国は勿論自国国民は?
と、思いました。
国の文化の違い、時代背景、自分の中の常識と違う話なので、単純に疑問に思ったので、どなたか歴史などに詳しい方、教えて頂けたら幸いです。

Aベストアンサー

アメリカ何故奴隷制度が根付いたのかについてはここでは述べません。
ここではそういった奴隷がなぜ黒人だったのかについて説明します。

以前は白人も奴隷にされていました。オスマン=トルコなどヨーロッパ人の奴隷を集めて
精強な軍団を組織していたほどです。

それが奴隷と言えば黒人という有様になったのはアメリカでの黒人奴隷が一般的になってからです。

理由の一つ目は黒人がインディオよりも頑健だったことです。
インディオは旧大陸からもたらされた病原菌に対してまったく抵抗力がなく
バタバタと死んでしまいました。

二つ目の理由は黒人奴隷が安くしかも沢山仕入れることが可能だったからです。
当初は白人の奴隷もいたようですが、新大陸での需要を満たすことはできませんでした。

一方当時のアフリカでは部族闘争が盛んにおこなわれていました。
ある部族にヨーロッパ製の武器を与えてやれば、その部族は強くなり敵対部族を多数捕虜にします。
そのした捕虜は武器の代金として奴隷商人に渡されます。

それがアフリカでの部族抗争というものでしたから、
それが非人間的なことと思うものは居ません。殺されるよりマシという感覚でしょう。

三つめはローマ法王庁が異教徒は人間ではないので奴隷にして良いという見解を出したことです。
アフリカにはまだキリスト教が広まっていませんから黒人は奴隷にして良いのです。

四つ目も宗教上の理由ですが旧約聖書に次のような記述があるのです。

箱舟で有名なノアが酔っぱらって醜態を晒していたのを面白がった末の息子セムが
兄たちに告げ口したという逸話です。そのことを怒ったノアはその息子セムの子供である
カナンを呪うのです。(なぜカナンに怒りを向けたのかはわかりません)
それ以後カナンの子孫は他の民族のしもべとなることが約束されました。
このカナンの末裔が黒人なのだという説です。

ローマ法王庁の認可とこの逸話を元にヨーロッパ人は黒人を奴隷として扱うことを
正当化することができました。

なお黒人奴隷というとアメリカ南部の綿畑を連想しますが、
カリブ海諸国や中南米一円、ヨーロッパ本国にも送られています。

アメリカ何故奴隷制度が根付いたのかについてはここでは述べません。
ここではそういった奴隷がなぜ黒人だったのかについて説明します。

以前は白人も奴隷にされていました。オスマン=トルコなどヨーロッパ人の奴隷を集めて
精強な軍団を組織していたほどです。

それが奴隷と言えば黒人という有様になったのはアメリカでの黒人奴隷が一般的になってからです。

理由の一つ目は黒人がインディオよりも頑健だったことです。
インディオは旧大陸からもたらされた病原菌に対してまったく抵抗力がなく
バタバタと死...続きを読む

Qアメリカの南北戦争って結局は黒人奴隷の取り合いだったの?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、なぜ戦ったのか不思議に感じていました。  普通考えるとあり得ないですよね。  あまりにもキレイゴトすぎるというか ・・・ もし自分が北部の白人兵士だったら、黒人奴隷を開放するために戦場に行って南部の白人と戦えますか?

結局は62万人もの犠牲を出して戦争は終結したのですが、朝鮮半島のように同胞どうしが国内で戦う悲惨な歴史をアメリカはもっているわけですよね。

そこでお聞きしたいのですが、有体にいってアメリカの南北戦争とは結局は 「黒人奴隷による安価な労働力」 を南北で取り合ったというのが正しい考え方でしょうか?

もしそうなら、リンカーン大統領はなぜ偉人というか歴史に残る大統領として今でも語り継がれるのでしょうか?

仮に 「たしかに労働力の取り合いだったとしても、結果的に奴隷制の廃止、またその後、黒人奴隷の人権も認められるキッカケになったじゃないか」 という意見があったとしても、実際にアメリカで黒人が白人同様の人権を認められるのに南北戦争後、約100年以上もの時間を要しているわけすよね?

つまり奴隷解放、人権回復というのは南北戦争がなくても20世紀に入ってからの時代の趨勢で実現されていたというか ・・・

それとなぜ英語では南北戦争ではなく、Civil War (市民戦争?) と表現されるのでしょうか?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、...続きを読む

Aベストアンサー

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですから自由貿易を望みます。
ところが新興工業地域の北部にとっては、まだ生産性が低い自国製品では進んだ英国製工業製品に太刀打ちでがきません。
イギリスからの輸入品との競争に弱い北部工業地域は、保護貿易を主張します。
南北戦争とはこのような国内産業のあり方、対外政策のあり方をめぐっての戦争だったわけです。
だから南北戦争では北部は南部に打撃を与えるための戦術として奴隷解放を主張したと思われます。(現に「勝つためなら奴隷のことなんてどうでもいい」というような発言も残っています。)

そして北軍の勝利となり、国内産業保護的な政策をとることができるようになり、これを背景としてアメリカ国内における工業が飛躍的に発展するわけです。
これがいわばアメリカ版産業革命です。

Civi lWarと呼ばれるのは多分対外戦争ではないからでしょう。

リンカーンが語り継がれるのは別に奴隷解放を主張したからではなく「人民の、人民による、人民のための政府」という演説が有名になったためでしょう。
日本でのリンカーン人気は、有色人種差別に苦しんだ明治の頃の日本人が、「奴隷解放宣言」を真に受けて広く紹介したためと思われます。

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですか...続きを読む

Qユダヤ人はどうして嫌われているのでしょうか?

映画「ホテル・ニュー・ハンプシャー」で、
「このホテルにユダヤ人がいるんじゃあるまいな」という
発言がありました。
シェイクスピアの「ベニスの商人」もユダヤ人です。
チャップリンの初期の映画にもユダヤ人をばかにする人種差別的ギャグがあるそうです。
ヒットラーにも嫌われました。
どうしてユダヤ人は嫌われるのでしょうか?
イエス・キリストがユダヤ人なのですが、白人はそう思ってないのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様です。気をつけたいものです)。

さらには独自コミュニティを形成してそれを崩そうとせず、あくまで頑なにユダヤであるということを固持してきました。
これは、キリスト教という緩やかなつながりでつながっていた西ヨーロッパ圏では、ユダヤという存在は異端という点がその場に存在しているようなものです。
日本でもそうですが・・・自身たちとは違う風貌、習慣を持つ人は少なからず煙たがられる傾向があります。
さらには、銀行業などの当時「卑しい」とされていた職業で設けていました。余所者に自身たちの金を吸い上げられるのですから、決して面白いわけはありません。

もう一つが、政治的要因。
政治で、国民の不満をそらす方法に、悪役をつくる、というのがあります。
簡単に言えば、こじつけでも「~が悪い」というのをつくれば、そこに国民の不満がいきますから、政府とかそういったお上に攻撃がこなくなります。
で、ユダヤはキリストを十字架送りにしたというのがありますから、非常に悪役に仕立てやすいのです。上に書いた民族的な特徴も仕立てやすい理由です。

大体、嫌われる、あるいは嫌われている人、民族には共通項があります。
1.お金にうるさい(理由はともあれお金をためる人全般)
2.異文化的である。または異文化の性質を強く持っている
3.異郷の地でがっぽり稼ぐ人
4.郷に入らば郷に従えを実践しない人
5.自分たちのほうが偉いと少なからず思っている人
などなど・・・
ただ、こうやって見るとわかるように、どこぞの民族も似たようなことをやっています(車をアメリカで売りまくって、ご当地の車会社から白い目で見られたりする国です。まあ、いまはあまりやらないのかな・・・?)。
結局、嫌われる民族か、そうでないかというのは、ある意味紙一重なところがあります。
ユダヤが嫌われているのは、これらを満たしてしまっているせいと、国を持たなかったという地政学的悲劇のためと考えています。

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様で...続きを読む

Q宣教師が日本人を奴隷として売り払ったのですか?

歴史に無知な者でございます。

今まで、聞いたことが無かったのですが、キリスト教の宣教師が日本人を奴隷として拉致・連行し、外国に売り払っていたという話を耳にはさみました。

これは歴史上の事実ですか?  
それとも、キリスト教嫌いの人が捏造した作り話なのでしょうか?

あるいは、キリスト教宣教師と緊密な関係を築いてた南蛮商人が独自に奴隷貿易を実施しただけで、宣教師は日本人の奴隷貿易には一切関与していなかったのでしょうか?

私が学校教育を受けた時代は、アメリカ人やキリスト教徒に遠慮しなければならない時代で、第二次大戦中に国際法違反で非人道的な原爆を投下したキリスト教徒たちを糾弾することもありませんでした。そんな時代の教育でしたので、キリスト教徒や南蛮商人が日本人を奴隷として輸出していたなど、キリスト教徒に失礼になる事実は教えてもらえなかったのかもしれません。

しかし、現在はアメリカによる占領は終わり、キリスト教を特別に崇める必要もない、自由な良い時代になりました。

今の時代になったからこそ、歴史の真実を知っておきたいと思います。

戦後の検閲教科書に書かれていない歴史の事実をご存じの方から、教えていただけるとありがたいです。

歴史に無知な者でございます。

今まで、聞いたことが無かったのですが、キリスト教の宣教師が日本人を奴隷として拉致・連行し、外国に売り払っていたという話を耳にはさみました。

これは歴史上の事実ですか?  
それとも、キリスト教嫌いの人が捏造した作り話なのでしょうか?

あるいは、キリスト教宣教師と緊密な関係を築いてた南蛮商人が独自に奴隷貿易を実施しただけで、宣教師は日本人の奴隷貿易には一切関与していなかったのでしょうか?

私が学校教育を受けた時代は、アメリカ人やキリスト教徒に遠慮...続きを読む

Aベストアンサー

16世紀の南蛮貿易というのは一般には

東南アジア交易圏に南蛮人も参加するようになった
と、ご理解ください。
南蛮人が来る前と来た後で交易の構造はそれほど大きく変わっていない。
商材として鉄砲が加わった
※ ちなみに日本にもたらされた鉄砲も西欧から持ってきたのではなく、東南アジアで製造されていたものがもたらされています。

人間を商材にすることは、世界中どこでも行われてきたことです。
この際に、人間を確保するのは現地の権力、交易の主体になるのは交易業者となります。
※ アフリカの奴隷貿易も人間確保はアフリカの現地権力です。

後期倭寇における禅僧の位置づけは、南蛮貿易におけるイエズス会士である。

ということで、他の方へのお礼の中の文章になりますが「まとめ」ということで書かれている文章に関して。

1.奴隷の調達は日本人がやっていた(奴隷狩り)。キリシタンは直接の奴隷狩りには手をださなかった。
※ 手を出さなかったのではなく、手を出せなかったと考えるのが妥当かと

2.奴隷売買は日本人の奴隷商人がやっていたことであるが、鎖国時代であったため国内売買だけで、輸出はできなかった。
※ 江戸時代に入って日本人の海外渡航禁止令がでるまでは、奴隷交易に参加していたと推測するほうが妥当かと。


3.日本人の奴隷商人から奴隷を購入したキリシタンの奴隷商人が独占的に日本人奴隷を貿易することができた。
※ この判断はできない。

4.世界各地のポルトガル人の街で日本人奴隷が観察され、レポートされているが、輸出された日本人奴隷の人数は定かでない。
※ メキシコはスペイン領ですので、ポルトガル人の街と限定する必要はないかと。

16世紀の南蛮貿易というのは一般には

東南アジア交易圏に南蛮人も参加するようになった
と、ご理解ください。
南蛮人が来る前と来た後で交易の構造はそれほど大きく変わっていない。
商材として鉄砲が加わった
※ ちなみに日本にもたらされた鉄砲も西欧から持ってきたのではなく、東南アジアで製造されていたものがもたらされています。

人間を商材にすることは、世界中どこでも行われてきたことです。
この際に、人間を確保するのは現地の権力、交易の主体になるのは交易業者となります。
※ アフリカの奴隷貿...続きを読む

Q1滴は何mLですか?

常温常圧での水の1滴は何mLですか?教えてください。辞典などで調べても見つからなくて、困ってます。

Aベストアンサー

こんばんは
0.04ml位です。
滴定時にビューレットから落ちる一滴の容量です。

Q「チャウシェスクの落とし子」は実在するのですか?

「ブラックラグーン」という漫画に「チャウシェスクの落とし子」と称されるルーマニア人の双子の殺し屋が出てくる話があります。
チャウシェスク時代の人口政策の煽りをくらって孤児院に入れられた双子が、ルーマニア革命後に闇ルートで海外(イタリア?)に売られ、キッズポルノ出演を強制される等、散々性的搾取された挙句、スナッフ(殺人)ムービーの片棒を担がされ、生きるためにビデオの前で殺人を演じ続けて遂には快楽殺人者になる・・・という流れなのですが、こういったことは実際に起きた事なんでしょうか?
もちろん、快楽殺人者云々というのは行き過ぎにしても、似たように性的搾取をされて闇に葬られた子供というのは多い物なのでしょうか(漫画の中では「変態どもに玩具にされた挙句、豚のエサになる運命」といわれていますが・・・)?
実際にルーマニア孤児達の辿った運命はどういうものだったのでしょうか。

Aベストアンサー

正確には違います。
 たしかにルーマニア孤児院にいる子供達は、チャウシェスク政権による人口増加政策の申し子達だと言えます。ただ、国営孤児院の子供達の多くがその後、性的搾取のために売られたかというと、これは違うかと思います。実際に売られたりさらわれたりする子供は、貧しい家庭やストリートチルドレンの出身であることがほとんどのはずです。

今も、東ヨーロッパにおいて性的搾取を受けている(いた)子供達は多く存在します。もちろん、性的な目的以外にも強制労働のために売られていく子供や、高額な「手数料」の為にを払う「西側」の裕福な里親の元へ行く子供もいます。子供を売る家族の中にも、あまり考えずにそうしてしまう親も居れば、子供のためと信じて手放す家庭も居たでしょう。
 当時ルーマニアにおける人口政策は「子供をもうける事は素晴らしい事である」という概念を前面に押し出しており、子供を沢山(十人以上)もうけた家庭には政府から新車や勲章などの特典が与えられ、その反面で妊娠中絶や離婚、避妊用具の配布など、人口低下につながる事項はよほどの事情で無い限り、実質的に禁止されていました。
 その結果、確かに人口は増加したものの、大して改善されない貧困のためか生まれてきた子供達を支えられない家庭も多くなり、子供の放棄が多発するようになりました。対策としてルーマニア政府は孤児院を数多く建設しましたが、収容されなかった孤児達の一部はその後ストリートチルドレンとして街をうろつくようになったようです。
 そしてこの状況に付け込んだのが、人身売買のブローカーです。元々彼らは戦乱や不況の影響を多く受けた地域から、後の「商品」を買うなり攫(さら)うなりします。ルーマニアでは貧困にあえぐ家庭に接触し、幾らかの金額を渡すの代わりに子供を引き渡すよう交渉したわけです。もちろん、ストリートチルドレンを確保するブローカーも居たであろうことは想像に難く有りません。

ですが、国営孤児院にもブローカーが接触したかどうかは不明です。確かに1990年代になって西ヨーロッパの注目を浴びるまでの孤児院の状況はずいぶんと酷かった様で、栄養失調や暴行(性的なものも含む)が横行していたとされています。ただ実際に孤児院出身の子供達が人身売買ルートに乗せられていったかどうかは分かりませんが、可能性としては低い方かと思います。
 18歳になり、「成人」として社会に放り出されていく孤児院の子供達も大勢います。その中で、なんとか安定した生活を送れる者も居れば、ギリギリで生活費を稼ぐ者、ホームレスとなる者、社会に適応できずに死んでいってしまう者もいるようです。

ちなみに人身売買で売られた子供がスナッフムービーに出演していたかどうかと言えば、こういったフィルムが存在自体が議論の的であり、あくまで噂や都市伝説などの類の話題として存在しています。ですので、「スナッフ(殺人)ムービーの片棒を~」という部分に関しては、単に作者による演出と考えるべきでしょうね。

長文で失礼しましたが、参考になれば幸いです。

参考サイト:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4629589.stm(BBCのルーマニア孤児院に関する記事――英文)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4630857.stm(BBCの孤児院出身者のインタビュー――英文)
http://en.wikipedia.org/wiki/Nicolae_Ceau%C5%9Fescu(英語版ウィキ-ニコラエ・チャウシェスク)

正確には違います。
 たしかにルーマニア孤児院にいる子供達は、チャウシェスク政権による人口増加政策の申し子達だと言えます。ただ、国営孤児院の子供達の多くがその後、性的搾取のために売られたかというと、これは違うかと思います。実際に売られたりさらわれたりする子供は、貧しい家庭やストリートチルドレンの出身であることがほとんどのはずです。

今も、東ヨーロッパにおいて性的搾取を受けている(いた)子供達は多く存在します。もちろん、性的な目的以外にも強制労働のために売られていく子供や...続きを読む

Qアフリカは、なぜ、貧困なのか・・・

アフリカでは、今も病気で死ぬ人や食べられない人が大勢います。そもそも何でアフリカの地域は、貧困が多いのでしょうか?ダイヤなどの資源がとれるので、貧困にならないような気がするのですが・・・民族に対する差別的な意見(なまけものだから・・・)などじゃくて。。。ちゃんとした理由がわかる人がいればご指導ください。また、どうすれば、経済というのは発展するのでしょうか?解決策も教えてください。

Aベストアンサー

当然の疑問だと思います。
アフリカはあなたのおっしゃるようにダイヤや石油・希少鉱物など天然地下資源も豊富で、しかも農作物も実は生産量は高いです。
ではどうして今の状況にあるかと言えば世界の近代史を知る事で見えてきます。

アフリカはナイル川流域のエジプト文明に代表されるように、古代から文明の栄えた地でもあります。数々の王国が栄え、ローマ帝国やイスラム帝国、オスマン帝国との興亡もありました。
しかしアフリカの人は豊かに暮らしていました。これは北米や南米・オーストラリアの原住民も同じです。
そして白人が来ます。時は大航海時代です。アフリカ人は捕らえられ、船積みされ世界中に奴隷として売り飛ばされました。南米・北米・オーストラリアの人は虐殺され土地を奪われました。北米のインディアンなどがそうですね。「最後のタスマニア人のトルガニーニ」のように絶滅した民族もあります。

もともと原住民には土地の所有と言う概念はなく、みんなのものと言う意識でした。しかし白人の持ち込んだ価値観により、土地は一部の白人の所有となります。アフリカは植民地となり、白人は農園を開き、現地の人間を労働力として安く使い、生産された利益はすべて白人、つまり欧米諸国に吸い取られました。ここで社会の構造が現地の人を安い労働力としてのみ固定してしまいます。
アフリカと言うとサバンナのイメージがあると思いますが、農業生産も盛んで地下資源の輸出が増えた現代でも、アフリカの輸出品の55%は農産物です。
~~~余談になりますが、地球の人口爆発の原因の最も大きいのはアフリカです。この原因は一人あたまの収入が少なく、また収入の大きな職につけない事で、子供を増やす事が収入を増やす事につながるからです。つまり子供イコール労働力です。一人あたまの収入は少なくても、人数で補おうとする考えです。また貧困の為に乳幼児の生存率が低く、その為また人数を生もうとします。生存率が低いのに一人っ子では、その子が死んでしまえばそれまでだからです。悪い循環になっています。
逆に先進国では一人頭の収入は多いが、子供がいる事で支出が増える為に少子化になっています。
アフリカの人口爆発の原因を教育が遅れているせいだとする人がいますが、それは違います。なぜなら白人が来る前の原住民のあいだでは、人口爆発はなかったからです。白人が作った経済格差と社会構造が人口爆発の原因です。~~~

20世紀に入り植民地支配の時代は終わります。数々の国が独立します。しかし今度は植民地ではないが、欧米諸国の経済支配となります。相変わらず農産物は欧米の多国籍企業がその利益を吸い取ります。
そしてつい最近、ここ数十年で豊富な地下資源が発見されます。独立したアフリカの国は「何とか自国での採掘をしたい」と思います。しかし悲しい事にその為の「資金」も「技術」もありません。欧米にその為の援助・協力を要請しても、絶対にそんな事の為には援助はしません。またすでに欧米に多額の借金もあります。結局はわずかなお金と引き換えに、欧米の多国籍企業にその採掘権を売り渡します。そのせいで、アフリカからどんなに資源が出ても、その利益は欧米に吸い取られ、アフリカは借金が減るどころか増えているのが現状です。事実、アフリカの石油はほとんどがアメリカの企業が持っています。
そして国内に問題も多く、政治的にも不安定で汚職や犯罪・貧困などもはびこっています。それを何とかしたくても、どうにも出来ない・なかなか改革は進展しないというのが現状です。またアメリカにとっても、その状態が都合がいいという事もあります。常に経済的優位に立て、利益を確保できるからです。これはアフリカに限らず、中東のゴタゴタにも多分にアメリカの石油戦略が絡んでいます。イラクの問題もそうですね。イラン・イラク戦争の時、フセインに武器援助をし軍事専門家を派遣し、あそこまで軍事国家に育てたのはアメリカですし、今のアメリカ政府のトップはブッシュ大統領を含めほとんどが石油企業を持っています。ブッシュ大統領の親族企業はビンラディンの兄との共同出資で作った石油企業を持っているのは有名な話ですw。
これが政治というものです。

21世紀でアフリカの貧困はもっとも大きな問題の一つです。これを解決して行くには、欧米・アフリカなどの当事者ではなく、アジアの、特に発展している日本の役割は非常に大きいです。しかしご存知のように、日本はアメリカ追従の姿勢で、アフリカどころかアジアの中でまだゴタゴタをしている国です。「経済は一流、外交は三流」などと揶揄される所以です。最近は経済も二流ですがw。アジアの中で未だに近隣諸国の感情も理解できず、逆なでしているのみの情けない外交です。これはアメリカにとってもそのほうが都合がいいので、なかなかアジアとしてまとまる事ができません。アメリカは中国と日本が接近するのは非常に都合が悪いですし、アジアに共同経済圏・巨大連合体が出来るのは自らの利益を損なう事になります。政治的には反目しあってくれてるくらいがちょうどいいです。

ネットの中でもここを見ていても、中国・韓国の話題がでると非常に感情的な誹謗・中傷や、不毛な議論を始める人が多々います。情けない事です。
もっと歴史を知り、欧米や日本が何をしてきたかを知り、変な思想には惑わされずに事実は事実として受け止め、その上で世界に対して日本が何を出来るかを真剣に考えられる政治家が出てくる事を望みます。
21世紀、日本が中心になってアフリカの問題を良い方向に進められれば、これはすばらしい事ですね。

当然の疑問だと思います。
アフリカはあなたのおっしゃるようにダイヤや石油・希少鉱物など天然地下資源も豊富で、しかも農作物も実は生産量は高いです。
ではどうして今の状況にあるかと言えば世界の近代史を知る事で見えてきます。

アフリカはナイル川流域のエジプト文明に代表されるように、古代から文明の栄えた地でもあります。数々の王国が栄え、ローマ帝国やイスラム帝国、オスマン帝国との興亡もありました。
しかしアフリカの人は豊かに暮らしていました。これは北米や南米・オーストラリアの原住...続きを読む


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