誰が言ったのか忘れたのですけど
『神は死んだ』っていうのはどういう意味ですか?
けっこう激震?

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A 回答 (16件中1~10件)

神は死んだ――ほかの回答者の通りです。


でも生き返るかもしれませんね。神ですから
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狂いは自然における理性だろう。


社会における狂いは個々の人間のコンプレックスを
解消してくれる。
社会と自然を結び付けた上で狂ったなら、
その存在は神の子供時代だ。
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すべてがおなじになっちゃうこと。

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fwappy様。



>数学・論理学の危機は、それ以前の
>ラッセルのパラドックスが引き金
>でしょう。

論理学に限らず,<数学の危機>の元を辿るなら,
ロバチェフスキーとボーヤイ,リーマン辺りだと思うのですが…….
論理学なら,ブラリ=フォルティのパラドクスやカントルのパラドクスの辺りで,
イヤな予感はしていたはずでしょう.
その追い討ちとしてラッセルのパラドクスがあると思います.
完成されつつあると思われていた集合論に穴が発見された時期ですよね?

>ゲーデルの不完全性定理は、神の非存在の証明というよりは
>「神がいるならば、その存在が証明できない」というべきもの
>です。ゲーデルは神は存在を証明するようなものではないと
>いっているわけです(といいながら、彼自身けっこう存在証明
>にこだわってたようですが(笑))

補足ありがとうございます.まだまだ不勉強ですね.
質問者様,何か変なことになってしまってスイマセン.
ゲーデルの不完全性定理の帰結としては,
<全数学を論理学に還元することや公理化することは不可能である>と捉えます.

神の存在は,そもそも<定義>が問題ですよね.
「対象xが全ての肯定的性質を持つ時に限ってxは<神性>Gである」(ゲーデル),
「全ての真理を知る無矛盾な存在を<神>と呼ぶ」(グリム).
ゲーデルは,自分の定義に基づいて,様相論理公理系を用いて,
神の存在を証明しました(その証明が論理的に正当なのかは知りませんが).
グリムは,自分の定義を以って,不完全性定理によって,
神の非存在を証明しました.

ニーチェの「神」は,やっぱり19世紀の理性時代の象徴なのでしょうか?
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rene氏


>論理学においては,
>ヒルベルト=プログラム上で,
>ゲーデルが不完全性定理を証明し,
>数学・論理学の危機が叫ばれました.

数学・論理学の危機は、それ以前の
ラッセルのパラドックスが引き金
でしょう。

ゲーデルの不完全性定理は、神の非存在の証明というよりは
「神がいるならば、その存在が証明できない」というべきもの
です。ゲーデルは神は存在を証明するようなものではないと
いっているわけです(といいながら、彼自身けっこう存在証明
にこだわってたようですが(笑))
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「神は死んだ」とは、フリードリヒ・ニーチェの言葉として、つとに有名です。


この言葉を理解するには、哲学者としてのニーチェよりも、反キリスト者としてのニーチェの告白として受容する必要があると思います。反キリスト者と言いましたが、正確には反キリスト教者です。この「神は死んだ」は、キリスト自身にではなく、キリストの名を冠した”キリスト教”への絶縁状であり、宣戦布告なのです。つまり、信仰の名の下に、弱者(ルサンチマン)になるのではなく、実はキリスト自身はもっと人間の強者としての内的可能性と普遍性を高々と歌い上げていたのだとニーチェは信じていたのです。
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 「神は死んだ」と言ったのが、「狂人」であることは注目に値すると思います。

狂っているのです。「理性的」ではなく。
 「神を殺した以上、われわれ自身が神のごとき存在になるしかないのか」と問いながらも、「狂人」には「そうだ、そして、それは可能なのだ」と答えることができません。理性によって自らを神と連続化したことで神を殺害した人間は、それと同時に自らの生に意味を与える存在を殺害しています。が、その理性そのものは「生に意味を与える存在」になりうる、あるいはそれを作りうるものではありません。「神のごとき存在」にはなれないのです。すなわち、理性自身の力によって、皮肉にも理性そのものの意味が失われたという事態が、「狂人」の叫びという形で表現されているのでしょう。その意味では、「神は死んだ」という言葉は「理性に対する不安・不信」を孕み、含意しているとは言えると思います。
 僭越にも批判めいたことを書きましたのは、ニーチェの思想が19世紀後半から20世紀にかけての「理性の不安・動揺」を象徴する代表的な思想の一つであることは確かだと私も思いますが、あまりに大きな流れと関連付けると「神は死んだ」という言葉自体の意味合いについてはピントがぼけてしまうように感じたためです。科学や数学の展開とは明らかに文脈が別ですし(相対性理論や量子力学はニュートン力学を否定するものではなく、拡大・補完し物理学として完成しようとするものでしたね)。
 ということで、reneさんのご指摘に基づき、回答を補足させていただきました。
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serpent-owl様,わざわざ補足ありがとうございます.



更に反論するようで申し訳ないのですが
(と言うか私に反駁できるアタマはないのですけれども),
中央大学の某名誉教授が,
「神は死んだ」について,<理性の崩壊・破産>と言い直しても,
そう大きな間違いではない,と仰っています.

ニュートン物理学についてですが,
少々言葉が足りなかったかもしれません.
一般相対性理論は,<空間・時間関係についての測定結果は,
対象そのものに属する絶対的規定ではない>ということで,
ニュートン物理学の<絶対空間・絶対時間>という基本概念の打開だそうです.

私,もっと言葉足らずなことに,<従来の価値体系の崩壊>とは,
ニーチェの言から導き出せることではなく,
ニーチェが「神が死んだ」というニヒリズムで20世紀の思想を予見した時に,
その20世紀の概観を差し当たってはこう言える,というつもりでした.
全然違っていて,すいません.
「私の著作は時間を要する」,
「50年後におそらく数人の人が私の為したことを見る目を開くであろう」
(勝手に引用ごめんなさい).

これでも間違ってるといけないので,指摘して頂けると嬉しいです.
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 「ディオニソス的なもの」を重んじたニーチェには確かに反理性主義的な面があります。

が、「神は死んだ」という言葉自体は「理性による神の殺害」を指す言葉であり、直接「理性の限界」を指摘する言葉ではありません。また、だからと言って神を殺害した理性を称える趣旨の言葉でもありませんので、その意味において「反理性主義的」と言えますが、しかし20世紀における物理や数学の刷新と同じ流れの中にあるものではありません。(ついでに言えばアインシュタインの相対性理論は「理性の限界」を物語るものではなく、またニュートン力学は「崩壊」などしていません。)
 また、ニーチェは「ギリシアおたく」と言ってよいほど古代ギリシアにはまっていた男ですが、ソクラテス、プラトンには極めて批判的です。ソクラテスは、自然哲学の伝統に反して「人間の生き方」だけを自然から切り離して問題にした点で「反ディオニソス的」とされますし、プラトンも「イデア」なる虚構を立てて生の無意味を隠蔽した点で「反動的なニヒリズム」を代表するものとなります。
 1883年以降のニーチェ後期の思想に特に顕著なのがそうした議論で、それによって彼は既存の価値観を積極的に破壊し、刷新しようとします。これが彼自身の言葉で言うところの「価値転換」であって、単に「価値が崩壊している」という事実を指摘するに留まるものではありませんでした。
 以上、No.7、reneさんのご指摘を受けてNo.6の私の回答を補足し、質問者に回答申し上げるものです。

(すいません、reneさん。管理部が推奨する形式を保とうとすると、どうしてもこういうイヤミな書き方になってしまいます。ごめんなさい。)
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すいません,気になったので.


>serpent-owl様

>アインシュタインやゲーデルはもう少し後の時代の人たちです。

誤解を与えてしまったら申し訳ありませんけど,
ニーチェがアインシュタインやゲーデルの影響でこう言ったと
書いてるわけではないので…….
あくまで19世紀後半から20世紀初頭の知的状況について書いただけなので…….

更に補足しますと,
ニーチェのニヒリズムは近代ヨーロッパだけでなく,
遠く古代ギリシアにまで遡ります.
古代ギリシア以来の指導原理の失効と読み取っても構わないでしょう.
現に彼は古代ギリシアにも手を付けていたそうですし.
そのニヒリズムは価値転換というより,価値崩壊の方がピンとくると思います.

横槍な書き込みですいません.
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Aベストアンサー

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長い年月のうちに硯のように削られた岩だそうです。
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不明です。(一応参考URL)

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霊力のある特別なものにするための呪文)に、
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Q日本神話・天津神・国津神

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学生なのですが、最近ふとしたことから日本の神様について興味を持ちました。
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きっかけは『少年陰陽師』という角川ビーンズ文庫発刊の小説です。
そのため、その小説に名前が登場した神様のお名前、祀られている場所…ぐらいしか今現在はわかりません。

できればこれをきっかけに少し日本神話、天津神、国津神などについて知りたい、と思うのですが
なにかおすすめのサイト様、文献などをご存知でしたら教えていただきたいです。
もちろん大いに『個人的』にこれがオススメ、などの主観が入っているもので構いません。
参考までに『初心者に読みやすい』のか、『バックグラウンドが入ってる人向け詳しい』のかも一緒に教えていただけると嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

もげやま日本神話
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★ネットで読める漫画日本神話

太葉と三花月 Laboratory(神話研究室) Myth
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日本の神話 古事記
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★初心者向け

総合心理相談ES DISCOVERY
『古事記』『日本書紀』の日本神話
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es003/japanese_myths.html

神奈備
http://kamnavi.jp/

『神々の国しまね~古事記1300 年~スペシャルサイト』
http://www.shimane-shinwa.jp/

【ピクシブ百科事典】日本神話 (にほんしんわ)
http://dic.pixiv.net/a/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%A9%B1

願えば叶う 餅鯛稲荷大明神
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日本書紀を読んで古事記神話を笑う <初版>
http://www3.point.ne.jp/~ama/old/index.html
★興味深い解説・考察
神功紀を読み解く・・・神功皇后のごり押しクーデター
http://www3.point.ne.jp/~ama/shinkoki/

日本神話の御殿
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★かなり専門的な内容

なぞなぞ古事記 上
http://www1.cts.ne.jp/~nakoziki/index.html
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新古代学の扉
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html
★古田武彦先生のお弟子さんたちのサイトのようです

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Q本当に『 神は死んだ 』のだろうか.

日々の信仰に励まれる,知性高き皆様,こんにちは.

世の中の出来事は,すべて数学で記述できるといいはる
数学者がいます.

しかしこれは単に,記述の美しさに酔いしれる,愚かな
考えではないだろうか.
数学を芸術として捉えるのならば,それでもいいんですが.

実際のところ,記述しえない ≪志向性≫ ありきでの,
世の中であり,それは神が生きていることを示唆してい
るのではないか.と,思えるのです.

志向性は,数字ならば零に過ぎない.しかしそれは記述
不可能だからではないでしょうか.

本当に神は死んでしまったのでしょうか.休んでいらっ
しゃるだけではないんですか.

帰納法によって,神の息吹を感じることはできますか.

よろしくお願いします.(´ω`;)

Aベストアンサー

神様は優しいです。旧約聖書を読めばわかります。
定義とかはどうでもいいのです。

ただ、子供の心で聖書を読み信仰する。信じる。自分の上に超越者を持つ。

そしてイエス・キリストというお方は実は人間社会を混乱させるために生まれたと新約に書いてあります。

バベルの塔は崩壊します。神に逆らう行為だからです。
だから数学は芸術として捉えて「知りたい。解明したい」と思わないほうがいいと個人的には思います。
神様は自然を宇宙を人生をコントロールできるからです。

別に私はクリスチャンではありません。
しかし、聖書を読むことは重要なことだと思っています。

ニーチェ、フーコー、まともな死に方をしましたでしょうか?

だからと言って宗教に入れと言っているわけではありません。
聖書を読むことはいろんな意味で大切なことだと思っているだけです。
たぶんパスカルが本当に賢い天才だと思います。

バカなことを言っているように思えますでしょう?(笑)

Q「千と千尋の神隠し」に出てきたヘドロ神の名前

急に思い出せなくなったので、どうか教えてください!!

「千と千尋の神隠し」に出てきた神様の名前を教えてください!!千尋が温泉に入れてあげて、ごみやヘドロで汚くなっていた神様がきれいになった・・・神様なんです。きちんとした名前を教えてください☆
(ハクの名前にきちんとした川の名前があったように、きちんとした名前があったと思うので)

Aベストアンサー

オクサレさま・・だったかな?
記憶が曖昧ですみません。

Q何と言う《神は死んだ》のか?

 主題は ふたつです。
 神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?
 ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?


 まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。

 ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~
 ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。

   寒くなってきてはいないか?
   これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?
   昼前から行燈を灯す必要はないのか?
   神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?
   神が腐る臭いがまだしてこないのか?
   ――神々といえども腐るのだ。
   神は死んだ!
   死んでしまい 蘇ることはない!
   しかも 我々が殺したのだ!
   殺しの中の殺しをした我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?
   これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。
    (『喜ばしき知識』125番)

 大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。

 しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。

 実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。

 《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。

 ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。
 ・・・
 再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。

 (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )
 ~~~~~~~~~~~~~~~~

 一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思いますが 割愛します。
 そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。

 と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。

 三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの文章である。

 つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてその熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。

 いったいニーチェとは何だったのか?
 レクイエムを書いてやってください。

 主題は ふたつです。
 神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?
 ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?


 まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。

 ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~
 ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。

   寒くなってきてはいないか?
   これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?
   昼前から行燈を...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。


それが何であるかはひとまず置きまして、
素朴な心性として「神はいるのであろう。そして、ヒトは神を知っているのではなかろうか・・・」などと、昨日から考えるようになっています。
ここでいう神は、宗教などで神とされる存在ではなく、もっと素朴で原始的なものです。日本人が漠然と感じるような、素朴でナイーブな神、あるいは、神という直観(直感か?)の存在は、素直に認めるべきなのではないか。そこを出発点として、神について語るべきなのではないか。
そんなことを考え始めています。


何事の おはしますかは しらねども
 かたじけなさに 涙こぼるる     by 西行


この神(?)は教えを説かない。
実は錯覚なのかもしれないけれど、
ヒトの脳が見せる《まやかし》なのかもしれないけれど、
この神、???の存在、神の直観(直感か?)、神感覚・神体験の存在だけは、認めるべきなのであろう。

と同時に、
ヒトは神を知っている。
プラトンのイデア想起説ではありませんが、そして、すこし文学的な表現になりますが、
ヒトはかすかに神の記憶を有している。
そして、これをもとに、神と神でないものを直覚的に嗅ぎ分けることができる。
―――直覚的にです。ここに理性や悟性などと呼ばれるものが加わると、おかしなこと、おかしなものになる―――
ひょっとしたら、これはヒトが進化の過程で身につけた、ヒトという種の存続のために獲得した能力なのかもしれないのだけれど、
こうした《こころのハタラキ》、この存在だけは認めるべきなのであろう。

そして、
この神は、決して、死にません。
キリスト教、イスラーム、仏教などなどの宗教、
金、自由、理性などなどの新参の神さまがすべて死に絶えようと、
この神だけは、死・な・な・い。
この神だけは、ヒトが葬り去ろうとしても、葬り去ることはできない。


そんなことを、ちょっくら、考え始めています。

ニーチェは「神は死んだ」と考えていない、と思いますよ。
アポロン・ロゴス的な神は死んだのかもしれないけれど、
何だかわからないディオニュソス的・パトス的な神の存在は否定していないじゃないですか。
コスモス的な神ではなく、カオス的な神の存在までは否定していない、と思いますよ。

こんにちは。


それが何であるかはひとまず置きまして、
素朴な心性として「神はいるのであろう。そして、ヒトは神を知っているのではなかろうか・・・」などと、昨日から考えるようになっています。
ここでいう神は、宗教などで神とされる存在ではなく、もっと素朴で原始的なものです。日本人が漠然と感じるような、素朴でナイーブな神、あるいは、神という直観(直感か?)の存在は、素直に認めるべきなのではないか。そこを出発点として、神について語るべきなのではないか。
そんなことを考え始めています。
...続きを読む

Q【小売・流通の神様の本】日本の小売・流通業を経営している人は必ず読んでいるという小売の神様が書いた書

【小売・流通の神様の本】日本の小売・流通業を経営している人は必ず読んでいるという小売の神様が書いた書籍の名前を教えてください。

ダイエーとかマクドナルド、ニトリにUNIQLOの社長もEコマースやECビジネスやのれんやフランチャイズをする人は必ず読んでいるという本です。

ほとんどの経営者が読んでいるという。

Aベストアンサー

日本銀行券

Qどんな《神は死んだ》のか?

 どんな《神は死んだ》のか?

 主題は ふたつです。
 神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?
 ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?


 まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。

 ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~
 ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。

   寒くなってきてはいないか?
   これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?
   昼前から行燈を灯す必要はないのか?
   神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?
   神が腐る臭いがまだしてこないのか?
   ――神々といえども腐るのだ。
   神は死んだ!
   死んでしまい 蘇ることはない!
   しかも 我々が殺したのだ!
   殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?
   これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。
    (『喜ばしき知識』125番)

 大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。

 しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。

 実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。

 《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。

 ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。
 ・・・
 再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。

 (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )
 ~~~~~~~~~~~~~~~~

 一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思います。
 そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。

 と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。

 三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの〔ニーチェの〕文章である。

 つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてそんなに熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。

 いったいニーチェとは何だったのか?
 レクイエムを書いてやってください。

 どんな《神は死んだ》のか?

 主題は ふたつです。
 神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?
 ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?


 まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。

 ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~
 ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。

   寒くなってきてはいないか?
   これからはますます夜に 夜が深くなっていくので...続きを読む

Aベストアンサー

歴史も文献もすべて軽視自覚の上ですが、ニーチェが否定したかったのは、外から拘束してくる外在神でしょう。

観念化、教義化、制度化され、それゆえ、人を縛ってくるのが、外在神。

ニーチェに安らかさを与えうるのは、外在神でもあり内在神でもある、梵我一如であり、観念の縛りを越えた境地でしょう。

もっともキリスト教にも聖霊という内在神の面もありますが、観念化、教義化、制度化により、実質離れてしまってきていたのではないでしょうか? 観念、教義、制度の度合いを少なくしたクエーカーあたりに、本来の内在神との接触が残されてきているように思われます。日本では、梵我一如の同型として、大乗仏教や神道があり、これらに触れていれば、ニーチェも満足したかもしれません。


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