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誰が言ったのか忘れたのですけど
『神は死んだ』っていうのはどういう意味ですか?
けっこう激震?

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A 回答 (16件中1~10件)

神は死んだ――ほかの回答者の通りです。


でも生き返るかもしれませんね。神ですから
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狂いは自然における理性だろう。


社会における狂いは個々の人間のコンプレックスを
解消してくれる。
社会と自然を結び付けた上で狂ったなら、
その存在は神の子供時代だ。
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すべてがおなじになっちゃうこと。

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fwappy様。



>数学・論理学の危機は、それ以前の
>ラッセルのパラドックスが引き金
>でしょう。

論理学に限らず,<数学の危機>の元を辿るなら,
ロバチェフスキーとボーヤイ,リーマン辺りだと思うのですが…….
論理学なら,ブラリ=フォルティのパラドクスやカントルのパラドクスの辺りで,
イヤな予感はしていたはずでしょう.
その追い討ちとしてラッセルのパラドクスがあると思います.
完成されつつあると思われていた集合論に穴が発見された時期ですよね?

>ゲーデルの不完全性定理は、神の非存在の証明というよりは
>「神がいるならば、その存在が証明できない」というべきもの
>です。ゲーデルは神は存在を証明するようなものではないと
>いっているわけです(といいながら、彼自身けっこう存在証明
>にこだわってたようですが(笑))

補足ありがとうございます.まだまだ不勉強ですね.
質問者様,何か変なことになってしまってスイマセン.
ゲーデルの不完全性定理の帰結としては,
<全数学を論理学に還元することや公理化することは不可能である>と捉えます.

神の存在は,そもそも<定義>が問題ですよね.
「対象xが全ての肯定的性質を持つ時に限ってxは<神性>Gである」(ゲーデル),
「全ての真理を知る無矛盾な存在を<神>と呼ぶ」(グリム).
ゲーデルは,自分の定義に基づいて,様相論理公理系を用いて,
神の存在を証明しました(その証明が論理的に正当なのかは知りませんが).
グリムは,自分の定義を以って,不完全性定理によって,
神の非存在を証明しました.

ニーチェの「神」は,やっぱり19世紀の理性時代の象徴なのでしょうか?
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rene氏


>論理学においては,
>ヒルベルト=プログラム上で,
>ゲーデルが不完全性定理を証明し,
>数学・論理学の危機が叫ばれました.

数学・論理学の危機は、それ以前の
ラッセルのパラドックスが引き金
でしょう。

ゲーデルの不完全性定理は、神の非存在の証明というよりは
「神がいるならば、その存在が証明できない」というべきもの
です。ゲーデルは神は存在を証明するようなものではないと
いっているわけです(といいながら、彼自身けっこう存在証明
にこだわってたようですが(笑))
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「神は死んだ」とは、フリードリヒ・ニーチェの言葉として、つとに有名です。


この言葉を理解するには、哲学者としてのニーチェよりも、反キリスト者としてのニーチェの告白として受容する必要があると思います。反キリスト者と言いましたが、正確には反キリスト教者です。この「神は死んだ」は、キリスト自身にではなく、キリストの名を冠した”キリスト教”への絶縁状であり、宣戦布告なのです。つまり、信仰の名の下に、弱者(ルサンチマン)になるのではなく、実はキリスト自身はもっと人間の強者としての内的可能性と普遍性を高々と歌い上げていたのだとニーチェは信じていたのです。
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 「神は死んだ」と言ったのが、「狂人」であることは注目に値すると思います。

狂っているのです。「理性的」ではなく。
 「神を殺した以上、われわれ自身が神のごとき存在になるしかないのか」と問いながらも、「狂人」には「そうだ、そして、それは可能なのだ」と答えることができません。理性によって自らを神と連続化したことで神を殺害した人間は、それと同時に自らの生に意味を与える存在を殺害しています。が、その理性そのものは「生に意味を与える存在」になりうる、あるいはそれを作りうるものではありません。「神のごとき存在」にはなれないのです。すなわち、理性自身の力によって、皮肉にも理性そのものの意味が失われたという事態が、「狂人」の叫びという形で表現されているのでしょう。その意味では、「神は死んだ」という言葉は「理性に対する不安・不信」を孕み、含意しているとは言えると思います。
 僭越にも批判めいたことを書きましたのは、ニーチェの思想が19世紀後半から20世紀にかけての「理性の不安・動揺」を象徴する代表的な思想の一つであることは確かだと私も思いますが、あまりに大きな流れと関連付けると「神は死んだ」という言葉自体の意味合いについてはピントがぼけてしまうように感じたためです。科学や数学の展開とは明らかに文脈が別ですし(相対性理論や量子力学はニュートン力学を否定するものではなく、拡大・補完し物理学として完成しようとするものでしたね)。
 ということで、reneさんのご指摘に基づき、回答を補足させていただきました。
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serpent-owl様,わざわざ補足ありがとうございます.



更に反論するようで申し訳ないのですが
(と言うか私に反駁できるアタマはないのですけれども),
中央大学の某名誉教授が,
「神は死んだ」について,<理性の崩壊・破産>と言い直しても,
そう大きな間違いではない,と仰っています.

ニュートン物理学についてですが,
少々言葉が足りなかったかもしれません.
一般相対性理論は,<空間・時間関係についての測定結果は,
対象そのものに属する絶対的規定ではない>ということで,
ニュートン物理学の<絶対空間・絶対時間>という基本概念の打開だそうです.

私,もっと言葉足らずなことに,<従来の価値体系の崩壊>とは,
ニーチェの言から導き出せることではなく,
ニーチェが「神が死んだ」というニヒリズムで20世紀の思想を予見した時に,
その20世紀の概観を差し当たってはこう言える,というつもりでした.
全然違っていて,すいません.
「私の著作は時間を要する」,
「50年後におそらく数人の人が私の為したことを見る目を開くであろう」
(勝手に引用ごめんなさい).

これでも間違ってるといけないので,指摘して頂けると嬉しいです.
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 「ディオニソス的なもの」を重んじたニーチェには確かに反理性主義的な面があります。

が、「神は死んだ」という言葉自体は「理性による神の殺害」を指す言葉であり、直接「理性の限界」を指摘する言葉ではありません。また、だからと言って神を殺害した理性を称える趣旨の言葉でもありませんので、その意味において「反理性主義的」と言えますが、しかし20世紀における物理や数学の刷新と同じ流れの中にあるものではありません。(ついでに言えばアインシュタインの相対性理論は「理性の限界」を物語るものではなく、またニュートン力学は「崩壊」などしていません。)
 また、ニーチェは「ギリシアおたく」と言ってよいほど古代ギリシアにはまっていた男ですが、ソクラテス、プラトンには極めて批判的です。ソクラテスは、自然哲学の伝統に反して「人間の生き方」だけを自然から切り離して問題にした点で「反ディオニソス的」とされますし、プラトンも「イデア」なる虚構を立てて生の無意味を隠蔽した点で「反動的なニヒリズム」を代表するものとなります。
 1883年以降のニーチェ後期の思想に特に顕著なのがそうした議論で、それによって彼は既存の価値観を積極的に破壊し、刷新しようとします。これが彼自身の言葉で言うところの「価値転換」であって、単に「価値が崩壊している」という事実を指摘するに留まるものではありませんでした。
 以上、No.7、reneさんのご指摘を受けてNo.6の私の回答を補足し、質問者に回答申し上げるものです。

(すいません、reneさん。管理部が推奨する形式を保とうとすると、どうしてもこういうイヤミな書き方になってしまいます。ごめんなさい。)
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すいません,気になったので.


>serpent-owl様

>アインシュタインやゲーデルはもう少し後の時代の人たちです。

誤解を与えてしまったら申し訳ありませんけど,
ニーチェがアインシュタインやゲーデルの影響でこう言ったと
書いてるわけではないので…….
あくまで19世紀後半から20世紀初頭の知的状況について書いただけなので…….

更に補足しますと,
ニーチェのニヒリズムは近代ヨーロッパだけでなく,
遠く古代ギリシアにまで遡ります.
古代ギリシア以来の指導原理の失効と読み取っても構わないでしょう.
現に彼は古代ギリシアにも手を付けていたそうですし.
そのニヒリズムは価値転換というより,価値崩壊の方がピンとくると思います.

横槍な書き込みですいません.
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Qニーチェの有名な言葉「神は死んだ」について

「神は死んだ」についてです。

何故にこの言葉が広まった?のでしょうか?ニーチェのこの言葉を重要視して有名な言葉として広めた人がいるのでしょうか?

自分で「ツァラトゥストラのかく語りき」を読んだのですが、その言葉はさほど重要な点ではないと感じましたが…

Aベストアンサー

 キリスト教批判については、西洋の思想史をさかのぼれば、無神論の思想家を見つけ出すことができますが、最も明確に筋道立てて隅々まで否定したのはニーチェだけでした。特に、日本人にとっては、キリスト教は世界宗教の一つにすぎませんが、ヨーロッパ文明にとってキリスト教は、文明のバックボーンであり、キリスト教を否定することはすさまじいものがありました。

 例えば、マタイの福音書に「貧しい人は幸いである。天国は彼らのためにある」という有名な言葉があります。この言葉は、貧しい者や無力な者、弱い者こそ神に祝福されるという意味ですが、ニーチェは、そこに無力な者が有力な者に持つルサンチマン(怨念、ねたみ)が隠れていると指摘したのです。実際、キリスト教は最初、ローマ帝国の奴隷の間に広まったものですし、キリスト教はさかのぼればユダヤ教を母胎として発展したもので、そのユダヤ教自体、他民族によって滅ぼされたユダヤ人の間に広まったものですので、そうしたことからも、弱者の強者に対するルサンチマンが含まれているとしたのです。

 ですから、キリスト教の根底には、弱者(能力のない者・病人・苦悩する者)が強者(能力のある者・健康な者)をねたみ、恨む気持ちが隠されているとニーチェは主張します。ですから、こうしたことからニーチェはキリスト教を「奴隷道徳」と批判し、そうした弱者に代表される、没落し衰退し滅んでいくべき存在に同情や憐れみを持つことは、人間の心の弱さから生じたものであり、自分自身を弱者の地位にまで引き下げるとしたのです。言い換えれば、弱者への同情や憐れみは、人間が本来持っている「生」へのたくましい欲求(支配欲・権力欲・性欲・我欲など)を押さえつけ、人間を平均化し、無力化してしまうとしたのです。そこで、ニーチェは「神は死んだ」と宣言し、キリスト教的価値観を否定したのです。

 また、彼が否定したのは、キリスト教の「神」だけではありません。自己よりも崇高なものを認める価値観すべてを否定していったのです。ですから例えばそれは、イデア世界に永遠なる真・善・美を認めるプラトン哲学も、キリスト教の奴隷道徳の系譜に属していますし、その他、自己より崇高な価値観である「真理」「理想」「理念」もすべて否定していったのです。つまりそれらは、弱い人間が、自己から逃避した結果であり、自己の生を意味づけるためにねつ造したものであり、虚構であると暴露したのでした。そして真の価値基準は、「神」や「天国」「真理」ではなく、自分が生きている現実の「大地」に置くべきとしたのです。

 またニーチェは、キリスト教は「畜群本能」にとらわれた道徳であるとしています。畜群本能とは、自分を越えた特別な能力を持った者を危険視し、群れから排除しようとする「弱者」たちの本能であり、それは主体性を否定し、平均化し没個性的に生きることで安心しあう心理によって支えられているとしたのです。そのためニーチェは、民主主義や平等主義をキリスト教の俗化したものとして嫌悪したのでした。

 なお、ご質問の「ニーチェのこの言葉を重要視して有名な言葉として広めた人」は、特にいません。「ツァラトゥストラ」も当初、40部を自費出版しただけで、晩年は彼を敬愛する妹に見守られながら、次第に高まる名声を知ることなく静かに息を引き取っていきました。

 キリスト教批判については、西洋の思想史をさかのぼれば、無神論の思想家を見つけ出すことができますが、最も明確に筋道立てて隅々まで否定したのはニーチェだけでした。特に、日本人にとっては、キリスト教は世界宗教の一つにすぎませんが、ヨーロッパ文明にとってキリスト教は、文明のバックボーンであり、キリスト教を否定することはすさまじいものがありました。

 例えば、マタイの福音書に「貧しい人は幸いである。天国は彼らのためにある」という有名な言葉があります。この言葉は、貧しい者や無力な...続きを読む


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