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自己啓発本は大抵そう書き記します。否定はしませんが肯定しきれません。
今あるものに感謝し、喜びを感じろと。その心の態度こそが幸せそのものだと。
それがベースにはなってもそれだけでは幸せではないと思う。
どう思う?

A 回答 (13件中1~10件)

多分、本当に悟ってしまえば、どんな状況でも幸せなんだろうと思います。


しかし、神様でもないかぎり、それは無理でしょう。

はぐらかすようですが、卵が先か、鶏が先かという事なのではないでしょうか。
引き寄せの法則という物がありますよね。
世の中、その法則を使って、お金を引き寄せることばかり考えていますが、それはおいといて。

ものすごくつらい経験をしても、後から振り返ると笑い話にできる場合と、それをずっと引きずって負の連鎖に陥る場合があると思います。

つらい経験の真っ最中は、本当に悟った人以外にとっては、絶対不幸だと思います。
しかし、感謝の心を持ち続けていれば、いずれ幸せな状況を引き寄せる。
被害者意識を持ち続ければ、実際に不幸な状況を引き寄せる。(自分が現実に被害者になる)
自分の心がフォーカスしている状況を、そのままの現実として、自分自身が作り上げて行くのだと思います。

逆に、最初から感謝の心を持っていれば、そもそも不幸な状況には陥らないと言うことではないでしょうか。
しかし、完璧な人間など存在しませんので、感謝の心と言っても、程度問題でしょう。
また、その人が所属するグループ全体の傾向によって、グループ全体が不幸な状況に陥り、そのとばっちりを受けるという事もあると思います。

結論ですが、四六時中幸せでいることは、不可能。
しかし、努力することによって、一生の中で、幸せを感じている時間の比率を延ばすことは可能。
だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
その通りです。まさにそう感じています。
でも、結構、その心の態度こそが幸せそのものなんだという論の文章をよく見かけます。
半分は実践の上で納得するのですが、半分は違和感を感じていました。
で、まさにその悟ったレベルになるとという表現もよく見ますが、誰も悟ってないし、この世にそんな超人的な人間なんていませんし(そう見えることや見せることはあっても)、それもちゃうかなと。
まあ、それはそれでも、優れた心の態度を高めていくことは大事ですね。

お礼日時:2012/06/07 17:34

何度も回答にお礼をいただき、ありがとうございます。



6回目です。
ついつい、おもしろくなってしまって、すみません。

>2番目は、だめだったが諦めずにやることやりきった爽快感と自信upてだけな気がしますが違いますかしら?

確かに客観的にみると、その可能性はあると思います。
しかし、爽快感とあのときの幸福感とはちょっと違うと感じています。
爽快感や達成感は、心が興奮していると思いますが、あのときの幸福感は、底抜けに落ち着いており、非常に冷静な状態でした。
自信UPについては、その通りだと思います。

私は、2ヶ月間くらいですが、ほぼ毎日2時間ずつ瞑想をしたことがあります。
瞑想がうまくいったときは、前述の幸福感と、似たような感覚がありました。
あの幸福感とは、雲泥の差でしたが。
絶対の幸福感まで到達するためには、超人的な忍耐力で、長期間瞑想をする必要があるのではないでしょうか。永平寺など、厳しい禅寺では、そのような境地に達するお坊さんもいるそうです。また、悟りにも段階があるそうです。
私の場合は、恋が原動力だったため、努力や忍耐力を必要とせず、長期間の集中が達成できたのではないかと思われます。
尚、私は自分が悟ったなどと言っているわけでは決してありません。
知人によると、特別ボーナスのように、スタート地点で初心者に最終目標をほんの少し垣間見せてくれる事があるそうです。

>右脳が前面に出ると幸福感に包まれるというのも少し違う気が。
私の体験をNo.7の方の理論とつじつまをあわせてみました。

単なる受け売りですが、右脳左脳の役割分担だけでなく、そのさらに奥に、人知を超えるものがあると思っています。

私は以前は、オカルト的なことは歯牙にもかけませんでしたが、身近で、不思議な体験(霊的体験ではない)を数多くした結果、人知を超えるものが確かに存在すると現在では確信しています。

>普通そこまで集中できないので、俺って、すごい?
苦しみを減らすには、醜い自分を見つめ、それを受け入れることが大切です。
これは、冗談半分ですが、あえて醜い私を表現してみたつもりです。
酔っていたことは確かでしたので、本音を出してみたのですが、自分で、馬鹿だなと思いますし、恥ずかしいとも思います。
愚かな自分、独善や、傲慢に陥る自分を素直に自覚することによって、自分自身をだまそうとする欺瞞を見つけ出すことができれば、幸福に一歩近づくことができると思います。

現実の自分を無視して、理想の自分をあたかも本当の自分自身であるかのように周囲に認めさせようとして嘘をつくと、現実の自分が理想の自分より劣っていることを自分自身に思い知らせることになり、そのギャップに苦しむ事になります。また、嘘がばれる恐怖にも苦しむ事になります。

醜い自分を認め、さらけ出すことで、そのギャップをなくせば、その分苦しみが減り、幸福に近づくと思います。

ちなみに私は現在、どちらかと言えば、幸福だと感じています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そしたら、それはむしろ瞑想の効果では?穏やかに自分の心に向き合い一層すっきりした気分の良い状態になったとのことでは?
仙人レベルでなくとも、瞑想自体に一定の効果ありますしね。

オカルトとは思いませんが、人間の脳だって解明しきれてるわけではありませんし、まだ解明できていないことを不思議なパワーにしたがるのは人間の昔からのパターンですね。神様がいて欲しいんですよね。

自分のことそれでいいじゃないですか~
全てを出せるのは自信があるか極端に欠けた人だけですからね。

お礼日時:2012/06/13 21:56

またまた出てきました。

5回目です。

書いた後で気付いたのですが、私の2回目の幸福感は、禅と似ていませんか?

一つのことに長時間集中する事で、左脳(分析、計算脳)が麻痺するのではないか?

その結果、右脳の活動が前面に出てきて、幸福感に包まれるのではないか?

No.7の方の理論と、ぴたりと合致しませんか?

普通そこまで集中できないので、俺って、すごい?

また、酔ってます。
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この回答へのお礼

禅とは違うような気が。
左脳壊したのはどちらかというと最初のケースな気が。
ちなみに、右脳が前面に出ると幸福感に包まれるというのも少し違う気が。
但し、あなたが幸福な人間であることは間違いなし!

お礼日時:2012/06/09 20:09

しつこくて済みません。

4回目の投稿ですね。

私は、今までの人生の中で、2回だけ、なかなか経験できないような幸福感に包まれたときがあります。

1回目は、20代で、会社から派遣された、研修の直後です。
いわゆる、地獄の特訓と言われる研修です。
自分を変えたいと常々思っていたので、いいチャンスだと捉え、自分から研修の内容に乗っかりました。
思いっきり、自分をさらけ出してみたのです。
その時の開放感と、幸福感は、すばらしい物でした。
端から見ると、多分、頭の少しおかしい人に見えたと思います。
残念ながら、研修後1~2日でその幸福感は消えてしまいました。
急速に元の自分に戻って行くのに、恐怖を覚えたほどでした。

2回目は、30代で、好きな女性に猛アタックしたときです。
私は、その女性に嫌われてはいないが、彼女には、別に好きな男性がいたようです。
一旦デートをOKしてもらったのに、後からキャンセルされ、それでも何とかしようと、頭がおかしくなるのではないかと思えるくらい、集中して3週間くらい、起きている間中、彼女の事を考え続けました。
もちろん、電話をかけたり、会って話もしました。
1週間目くらいの、デートをキャンセルされた直後のタイミングだったでしょうか、あるきっかけで、私は、絶対的とも言えるような幸福感に包まれました。

心がシーンと澄んで落ち着き、なんの不安も怒りもなく、あらゆる人に感謝し、会う人全てを慈しみ、人見知りが解消し、誰と会っても楽しい、と言う状態でした。
多分、そのとき脳波を測れば、α波だったでしょう。
そんな幸福感が、2~3週間ずっと続いていたと思います。
当時その状態で、仕事を含めた、日常生活を送っていました。
自分では、頭がおかしくなったのかと思いましたが、先輩からは、「別に変には見えない、逆に、急に仕事が出来るようになった」と言われました。
取引先の人からは、「何か急にすっきしした顔になった」と言われました。

その後、何となく、彼女を諦めたと言うか、興味が無くなった感じで、お別れを言いました。
Mission Complete だったのでしょうか。

しばらくして、絶対的な幸福感はなくなりましたが、それ以前の自分とは、かなり変化したと自分で感じました。
私の人生の転換点でした。

>今あるものに感謝し、喜びを感じろと。その心の態度こそが幸せそのものだと。

上に書いたように、幸福感に包まれると、感謝と喜びが湧き出ます。
しかし、感謝と喜びを感じるようにしても、幸せになるには足りないと思います。
自分をごまかさないこと、自分をさらけ出すこと、嘘を言わないこと、誠実に生きること、が必要だと思います。

偉そうなことを言っていますが、当時の幸福感がいまだ再現できていないと言うことは、私もそれを実行できていないようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
1つ目は、啓発系の研修で時々ありますが、自分をガードしてる理性を壊して、同じようにプラスな言動をとる人間に囲まれ、つまりプラスの空気に満たされそこに浸かり最高の気持ちになる感じです。同じように再現するのは難しいですが、前向きな人間ばかりと接することです。
2番目は、だめだったが諦めずにやることやりきった爽快感と自信upてだけな気がしますが違いますかしら?

お礼日時:2012/06/09 20:03

(笑)うーんと、きっと幸せに捉えてるんでしょうね。


不幸とは思えないので(笑)
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この回答へのお礼

ええと、まいっか。笑

お礼日時:2012/06/08 18:25

(笑)


これは失礼(照)

全ての物事を幸せに捉えたら…

きっと私のようになりますね(笑)
私は悪く考えられないから(笑)
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この回答へのお礼

ん~と、それって幸せにとらえてることになるのかな?笑

お礼日時:2012/06/08 17:29

幸せは物事をどれだけ幸せに捉えられるかってことでしょうか。


けどそうは捉えることは出来ないのが現状じゃないでしょうか。
辛い時は辛い。
それを幸せに捉えることが出来るでしょうか。
考えようかな。
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この回答へのお礼

有難うございます。

でもこれ僕の質問じゃないですか。笑
仮に、モノゴトをしあわせに捉える脳の習慣が最強にできたとして、現実に思いつく限りの世間でいう不幸なことばかりが起きまくったら、はたしてどうなんでしょう。

お礼日時:2012/06/08 12:30

人間の苦しみや、不幸や、孤独は『自分自身が、自分自身を否定する態度』の表れです。

この意味は、苦しみも、不幸も、孤独感も『自身の心が、自分で頭の中で作っている事』を意味します。

逆な言い方をするなら『逆境の中でも、苦しみに見えている場合でも、或いは死に瀕していたとしても』平然として、笑顔すら浮かべている場合もあります。

この違いが分かる時、本当の違いが分かります。

この違いは『現在を肯定出来て受け入れる事が出来た場合に』笑顔で平然として、現在を幸福感を讃えて過ごす事が出来ることを意味します。

孤独を感じたり、不幸と感じたり、心が苦しい場合では、沢山の友達に囲まれていたり、優しい家族や、沢山のお金に囲まれていたとしても、自分の心が『頭の中にそういった感情を作り出しています。』この場合では、今現在を『疑ったり、肯定出来ていない場合です。』

この違いは、年を取って独りポッチですごす場合も同じです。

独りポッチでいながら『幸福感を感じている人と、その逆の場合があります。』この違いに通じています。

この違いを説明すると分かると思います。

この違いは『自分の心が争っているのか、或いは仲良く出来ているのか?』の違いです。脳科学を持ち出して説明します。是は心の構造を説明する場合に理解しやすいと思うからです。

人間は、信じ難い事ですが『心が二つあります。』

脳内に二つの人格が存在していると言う意味です。ウイキペデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

貴方の場合でも、脳梁を切断した場合には、機能が違う二つの意識が存在しています。科学的に実験されて、ノーベル賞まで貰った研究成果です。

左脳の意識は顕在意識です、『自我意識』という言い方もされています。自我意識の機能は『言葉で考える機能です。』計算が得意で、選り好みが好きで、期待する心です、言い方を替えるなら、過ぎてしまった事を後悔して、未だ来ない未来を不安で眺めている意識です。

右脳の意識は『命を働かせている意識です。』動物や植物や昆虫でさえも持っている働きを働いている意識です。その機能は『命そのものを働いている機能です。』

命が芽生えた瞬間から働いていて、命が絶えるまで働き続けている機能から成り立っています。人間には人間として機能する働きをする機能です。言葉を替えて言うなら、命の維持装置に当たります。或いは感情の発生装置も兼ねています。或いは人間の目の前の出来事を『自我意識に教える働きもしています。』

ですが『自我意識はこの事を知りません』この二つの意識の間の、機能の違いに疑いを抱かない場合を『健常者』と呼んでいます。この意味は『例え独りで自分と向き合っている時間であっても、何も違和感を抱かない場合です。』

逆な場合です。身体に異常感を抱いたり。健康に疑問を感じている場合です。この場合では、医師の元に行って精密に検査をした場合、何処にも異常がない場合があります。この場合では『自分の命の働き』の中の『身体の生命維持装置たる意識』と仲違いをしたり、主導権争いをしています。

今の病名に置き換えるなら『自律神経失調症や、過敏性腸症候群や、難治性の心身症』という事になります。

その他の状態は『行動に付いてです。』自我意識と、右脳の意識は意識する場合と、無意識でする場合と
交替制をキープする事で調和が取れています。この交替制が『意識する場面が増える事によって』調和が取れなくなる場合が生じています。自分の行動面が『不自由になったり、出来なくなったり。出来たかどうかさえ定かではなくなる場合です。』この場合を神経症と呼んでいました。今は呼び方が違うようですが?

その他の状態では『心に湧き上がる感情面や、心に湧き上がる考え』に付いて疑う場合や、異常感や、違和感を抱く場合です。この場合では『感情や考えを湧き上がらせる意識』として働いている命の働きと仲違いや、調和が出来なくなっています。この場合を『心を病む』と言っています。

何れも、医師の元に行って検査をしても、『健常者との区別は付き難くなっています。』

脳の機能面では変わらない結果になっています。

脳の障害によって『自我意識が前面に出たり、全面的に引っ込んでいる動画を載せてみます、その後でもう少し説明します。

URL:

右脳の意識は、自我意識に感情を湧き上がらせている意識です、或いは考えもです。行動する場合では『メンタル面が強いという意味での、自我意識が出ない動作』の主人公になっています。

身体機能としては、生命維持活動の全てを賄っている機能から成り立っています。自律神経や、交感神経や、副交感神経や、ホルモンの調節や、腸の制御や、ホルモンの分泌など、身体の生命活動一切です。

釈迦が『仏性』といった者が、右脳の意識です。自我意識には、生きるための情報として絶えず脳梁を解して、情報を送っています。

この情報の受取りを拒否する場合が、恐怖症の始まりです。或いは孤独感の始まりです。幸福感が喪失し始める事を意味します。

お腹が空いた事も、お腹が一杯になった事も、手洗いに行きたくなった事も、寒い場合では暖かいところや、暖かい飲み物でさえ『探すように指示さえ出しています。』高いところでは『恐い感情と共に、その高さの情報を精密に教えています。』

恋愛という場合では、本気の本当の愛か、或いは遊びかまでも教えています。

自我意識の背後にいながら、お互いの人格を認め合う場合、二人の間に『赤い糸さえ感じます。』そう感じさせる者が『命の働きの意志』です。

『幸せは幸せに感じる心(脳)の態度? 』とは、言葉にするなら『自分の心が争わないでいる事』を意味します。そうして自我意識が『自分の命の働きの前にしゃしゃり出なくなる時』心の矛盾は解消します。

心に争いが無くなって、子供時代のように。静寂が戻ってきます。この現象を聖書では『神と和解する』と表現しています。

一人になって自分自身と向き合うのが恐いという場合の反対の心境です。

そうして神の僕となる、という意味は、『自我意識が右脳の意識と主導権争いをしなくなった。』という意味です。二つの意識の間にはホットラインが開通した事によって、仲違いしなくなって、相争う事が無くなった心境を『涅槃』と形容しています。
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この回答へのお礼

詳細な説明ありがとうございます。なんとか読み遂げました。笑

凡そその通りかと思います。
人間が自己防衛力として授かった理屈脳がプラスにもマイナスにも影響与えていることはその通りだと思います。(まあ脳が主導権争いをしない状態というのは多少異なる見解ですが。)

とりあえず理屈語ればそんな風なことなんですが、ある程度、脳の質を変えていくことやあるインパクトは与えられても、理屈通りに脳を自在にコントロールすることは難しいですしね。

お礼日時:2012/06/08 12:25

再投済みません。



今、友人から勧められて、「人間やりなおし」という本を読んでいます。
この本を書かれた方は、もしかしたら、本当に悟っているのでは無いかと、私は感じています。

宗教が嫌いだそうで、新興宗教の教祖様ではありません。
会社経営のビジネスマンの方です。

オカルトや、宗教臭くならないように、非常に慎重にこの本を書いておられるように感じます。
読めば読むほど、いちいち納得させられます。

素晴らしい本だと思います。
宜しければ、どうぞ。
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この回答へのお礼

有難うございます。
机上の空想家ではなく実務家の話は説得力ありそうですね。
本屋行って探してみます。

ただ、この世に悟った人間ていませんよね。
自分よりも多くの苦難・成功の経験をして悟っているように見えたり見せたりすることはあっても。

お礼日時:2012/06/08 11:43

被害者意識から自由になる事が、幸せな心のために、大切だと思います。



不満や、怒りは、被害者意識から生まれます。
人は、自分にも原因があるにもかかわらず、相手を責め、相手を裁こうと、自分の心の中で、戦争を始めます。
それが被害者意識です。
あいつのせいで、あの事のせいで、今の俺はこんなふうなんだ、という気持ちです。
しかし、自分の心の中で戦争を遂行すると、焦土となるのは、自分の心です。
ですから、その戦争に勝ったとしても、結局、自分自身が損をするだけです。

たとえ、相手が悪いとしても、もしこの損得勘定を本当に理解できれば、戦争を未然に防ぎ、自分の心が焦土とならずに済みます。

こうやって被害者意識から脱却できれば、それは心の不幸をぬぐい去ることになります。
それがすなわち幸せな心です。

「相手が悪いとしても」と書きましたが、本来、人間のやることに善悪など無いと思います。
例えば、人殺しをしても、人間が減れば、大自然や他の人間に益するかもしれません。
善悪とは全て、相対的な物です。

そもそも人間は、大自然や他の人間達に、迷惑をかけることなく生きていくことなど出来ません。
すべては、お互い様です。
そんな中で、自分は生かされている。

このことを理解すれば、自然と感謝の心がわき出てきます。
ただむやみと感謝するだけでは、幸せになれないような気がします。

受け売りなので、うまく書けませんでした。論理の飛躍がひどすぎますね。
今読んでる本を、自分でよく咀嚼出来ていないようです。
しかも、今、酔ってます。
ごめんなさい。(と言い訳する。)
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この回答へのお礼

有難うございます。
まあそんな感じのことが書いてたりしますよね。
それ自体は全く否定しないし、実践して生きているので効用も体で理解しています。

ただ~
では、現実として、
被害者意識ではなく、感謝の心が湧き出てれば、どんな状況でも幸せに感じ得るでしょうか?

お礼日時:2012/06/07 10:50

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