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立憲主義と法治主義の違いとは何でしょうか?

学校では先日、

法治主義→ 統治が法によって行われるもの(権力の行使が法に基づいている)

立憲主義→ 権力自体が法に規定されているもの(権力の行使が法に拘束されている)

と習いました。
しかしこの違いがよく理解できません。

権力の行使が法に基づいているとはつまり、権力は法によって縛られている(拘束されている)と私には取れるのですが違うのでしょうか?

基づいている、つまりそれを基本に成り立っているとは、
それに縛られていると自分では考えています。
(なんか2回同じことを言っているような)

結局のところ違いとは何でしょうか?

A 回答 (3件)

>法治主義→ 統治が法によって行われるもの(権力の行使が法に基づいている)


>立憲主義→ 権力自体が法に規定されているもの(権力の行使が法に拘束されている)


基本的には「不適切さはない」という見解ですが、若干、精度を上げた定義にする必要性があるでしょう

法治主義:公私に渡る権力の恣意性を排除し、公開された法に依拠し統治が行われることを重視する思想

立憲主義:憲法典に基づき統治が行われることを重視する思想


>権力の行使が法に基づいているとはつまり、権力は法によって縛られている(拘束されている)と私には取れるのですが違うのでしょうか?

『法の支配』という概念があります
これは、立憲主義との密接な親和関係にある用語ですので、是非覚えてください
法治主義という概念は、権力を法で拘束する視点が希薄・・と理解されるのが望ましいでしょう

法治主義という概念の原初は、中国戦国時代に遡ります。法家と呼ばれる人々達が提唱した概念と極論しても良いでしょう
法家の法では、皇帝・国王などは超然とした存在で、法の拘束を受けない法律が大半です
一方、立憲主義・法の支配は、13世紀の英国マグナカルタを原初とします。これは、時の皇帝・国王ですら”法で拘束できる”としています。

つまり、より権力を縛る範囲が広いのが立憲主義・法の支配の重要部分・・・と理解するのが良いでしょう
または、法治主義は、一般人を拘束するが、立憲主義は、権力者とそれに近い権力全体を拘束する、との理解でも良いでしょう


実は、質問文の記述は立憲主義は「法の支配」に置換するのが望ましいでしょう

是非、学校で、立憲主義と『法の支配』の違いについて質問されると良いでしょう

なお、本件は、弁護士さんも大概が意味不明な回答をしますが、

もっとも表彰性があるのは、
・ドイツ(統一前の西ドイツ)のドイツ基本法が法治主義
・英米諸国の近代憲法の多くが、立憲主義・法の支配 

と理解されても大過ないでしょう

ドイツ基本法は、その法律が権力だけではなく、一般人まで拘束する、ということでの相違性があります
一方、英米諸国の憲法は、専ら権力を縛る・牽制・統制するのが首座・・とも言えます

少し難しいかもしれませんが、適切な憲法理解のためには重要な知識と言えるでしょう

日本国憲法が、立憲主義・法の支配と言える論拠になりえる条文を最後に提示しておきましょう

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

99条は憲法を守るべき主体を規定します
これには一般国民は含まれません。実は、一般国民は憲法の拘束性を受けているわけではないのですが、それについては補足要請があれば回答しましょう

・・・・・・・・・・
なお、本件は極論であることについては、一定の法哲学・法思想・法制史の知識のある人は理解・寛恕の上で理解されたし

この回答への補足

できればもっと深く知りたいため補足をお願いしたいです。
一般国民は憲法の拘束を受けているわけではないのに、
現在のわれわれはきちんと憲法を順守していますよね?
順守と拘束を私が、あるいは根本的に理解していないだけかもしれませんが・・・。

御迷惑でなければお願いします。

補足日時:2012/06/10 22:02
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この回答へのお礼

補足も含めてありがとうございました。
内容を完璧に・・・とまでは行きませんでしたが、
とても興味深く、また分かりやすい内容でした。

こんな数行程度で申し訳ないですが感謝です。
ありがとうございます。

お礼日時:2012/07/01 01:14

補足を受けて回答




>一般国民は憲法の拘束を受けているわけではないのに、
現在のわれわれはきちんと憲法を順守していますよね?
順守と拘束を私が、あるいは根本的に理解していないだけかもしれませんが・・・。
御迷惑でなければお願いします。

根本的には、憲法を守るべきは、公権力者(99条規定される存在)だけです
実際に、憲法違反と法廷で問われるのは、99条規定の国・地方公共団体など、だけです

実は、憲法が権力を首座にした規範という話は、憲法の基礎中の基礎です
しかし、その基礎を学校教育ではほとんど教えません

理由は様々な部分にありますが、ここでは割愛しましょう

さて、憲法は一般人を拘束するものではない・・と表現していますが、判然としないと思います
例えば、勤労の義務・教育の義務・納税の義務などは国民・住民に課せられた憲法規定 と学びますし、そう思われるでしょう

しかし、立憲主義的には以下のような解釈が妥当でしょう

『勤労の義務』は、主に政府・地方自治体などの公権力 が国民に対して勤労の場を確保することができるよう義務付けている、と解することが無難でしょう
同じように、納税・教育の義務も、政府・地方自治体などが国民に対して確保する義務を負う・・・と解するのが妥当でしょう

さて、一般人が憲法の拘束を受けない、という話は、『私人間(しじんかん)効力』という憲法訴訟の有名な論争で一番簡単に示唆できるでしょう
内容は極めて高度かもしれませんが、是非、下記URLを参照してください

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1503/ …

ちなみに、法の支配については

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1503/ …

でも参照してください

無難かつ平易な説明だと思われますので・・
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 法治主義とは,簡単に言えばお役人の取り締まりが,役人の恣意ではなく法を根拠として行われているということです。

その法が民主的に選ばれた議会によって制定されている必要はなく,単に国王が独断で定めた法に基づいて行われている場合でも,「法治主義」であることに変わりはありません。
 これに対し,立憲主義とは,簡単に言えば国王といえども好き勝手に法を定めることはできない,法は民主的に選ばれた議会によって定められなければならない,また議会であっても,近代法の諸原則として確立された国民の人権を踏みにじるような法を定めることはできないという,法治主義よりはかなり踏み込んだ内容の考え方を指すのが一般的です。
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>ホッブズの考えでは、自然権=生命、自由、財産のなのではないでしょうか?

正確には、ホッブズの場合は、「生命・自由・財産を保持する権利」=自然権です。生命・自由・財産=自然法です。

で、ホッブズの場合は、世の中の資源は限られているので、各人は自分の自然権を行使すれば、他者の自然権を侵害しなければならないと考えたのです。これが「万人の万人にたいする闘争」というやつです。つまり、ホッブズの場合、自然法と自然権は矛盾するのです。各人が自然権を行使することによって、他者の自然法が侵害されるからです。

そこで、社会契約をむすび、各人が自然権を放棄して、一人の支配者に自然権を委ねるのです。この支配者をリヴァイアサンというのです。つまり、自然法を守るために、自然権を放棄せよというのがホッブズです。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

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体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
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だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
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公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
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一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
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Q近代立憲主義について

憲法の中で近代立憲主義と立憲主義と出てきますが両者に違いはあるのでしょうか?そもそも、近代立憲主義の内容と意義というものはどこにあるのでしょうか?高校の憲法の授業で出てきたのですが、詳しい話はしてもらえずさっぱりです。時間がありましたら、意見を聞かせてください!よろしくお願いします。

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まず、立憲主義ですが、これは憲法にもとづいて政治を行うことを意味します。その場合、憲法とは国家の組織・構造に関する基本法のことをさし、国王などが好き勝手に政治を行うのではなく、その政治権力を法の枠によって規制しようとするねらいがあります。この意味での立憲主義は古代・中世においてもみられ、古典的立憲主義とも呼ばれます。
これに対し近代立憲主義とは、フランス人権宣言にみられるように
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Q慣習法 判例法 が分らず困っております。

政治経済を勉強しているのですが政治の分野で分らない部分があるので質問しようとおもいましたがカテゴリーの中になかったのでこのカテゴリーに質問さして頂きます。


法には自然法と実定法があって
実定法には成分法と不文法があり
不文法には慣習法 と 判例法などがあるようですがこの慣習法と判例法がうまくイメージできません。

ネット検索で「慣習法 例」「判例法 例」で探してもでてきませんし

この2つを自分にもわかるようにできれば具体的な例も交えて教えていただけませんでしょうか?

Aベストアンサー

専門家ではありませんが、法律は嫌いでは無いので今までに読んだ事例を脚色して、例を書きます
・慣習法
『弁護始末記 17』(http://www.npb.go.jp/ja/books/mokuroku/_380301.html)という書籍にでてきたのですが、「こさがり」と言う慣習があります。これは、地方によって意味合いが異なるとはおもいますが、邪魔な草や枝を刈る行為のことです。
さて、ある村に住むAは山林を持っておりました。その山林に隣接する畑をBが所有しており、Bは慣習に従い、畑に接する山林の下草を刈り、枝を取り除いておったのです。しかし、突然の病でBは死亡し、よそから来た娘婿のCが畑を相続したことが問題の発端です。
Cが畑を相続した数年後、Aが山林を見に行くと、畑が山林まで広がっています。AはCに文句を言いましたが、Cは『親父が生きていた時から、俺は毎年この位置まで土地を使用してきた。今まで畑として使わなかったのは、お宅の山にある木が邪魔をして、日が当たらない為だ。ここまでが俺の土地だ!「こさがり」って何なんだよ。イチャモン付けるな』となり、民事訴訟へ発展。色々有って、A側の代理人となった弁護士は『こさがり』についての文献等を提出する事で、「こさがり」という慣習は存在し、民法の時効取得より優先されるとなったのです。

・判例法
米国の司法小説を読むと、判事は『この答弁の根拠は何処かの判例ですか』と問い、弁護士や検事は「××州▲裁判所●●事件です」と答えている場面があります。つまり過去に出された判例を踏襲し、同類の事件に対する判決は同じようにしていくのです。
日本でも殺人事件が起きると、『死刑を求刑する場合には、最高裁判例が適用され・・・と言う事は、今回の事件においては、条件に当てはまらないが、』このような解説等を読んだ事御座いませんか?

専門家ではありませんが、法律は嫌いでは無いので今までに読んだ事例を脚色して、例を書きます
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『弁護始末記 17』(http://www.npb.go.jp/ja/books/mokuroku/_380301.html)という書籍にでてきたのですが、「こさがり」と言う慣習があります。これは、地方によって意味合いが異なるとはおもいますが、邪魔な草や枝を刈る行為のことです。
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Q法の支配と法治主義

試験用の本をいくつか参照してみたのですが、説明が抽象的で直感的理解までにいたっていません。この二つの概念の違いをできるだけ簡潔に教えてください。

Aベストアンサー

一番簡潔な違いは、法治主義はドイツ人が考えた概念であり、法の支配はフランス人が考えた概念ということです。同じことをドイツ的に説明したり、フランス的に説明したりしているので、何が同じで何が違うのかというのが良くわからないところです。

また、法治主義も法の支配も、時代により変遷しており、現在は、ドイツ法治主義も、フランスや米国の法の支配は、ほぼ同じ概念となっています。

法の支配と法治主義を単純に比較するのではなく、むしろ、戦前ドイツの法治主義と、戦後ドイツの法治主義の違いを比べてみるのが、わかりやすいのではないかと思います。

なお、法の支配のような思想を生んだのは、イギリス人(クックなど)ですが、英国自体は、現在でも、裁判所に法律の審査権や、国会に優越するような法規範(憲法)を持たず、議会への信頼が非常に強いシステムであって、かつての法治主義よりもがちがちの国会優位思想です。

Q内閣総理大臣の任期について。

内閣総理大臣の任期についてなのですが、アメリカでは四年で二期までですが日本ではどうなっているのでしょうか?
憲法第七十一条には「内閣総理大臣は、衆議院の解散や衆議院議員の任期満了により国会議員の地位を失っても、次の内閣総理大臣が任命されるまでの間は、その地位を失うことはない」とありますが何期できるのですか?
知っている方は教えてください。

Aベストアンサー

 日本の内閣総理大臣は,「1期○年」と決まっている訳ではありません。
 首班指名されてから,衆議院選挙後の首班指名まで,或いは辞職・死亡するまでが1期と言えるでしょう。というより,「第○代」と言う言い方をします。
 
>何期できるのですか?
 制限がないので,何年でもできます。
 ただ,自由民主党では,総理には党の総裁が就くことになっています。自由民主党の総裁の任期は現在,3年と定められており,2期までと定められていますから,最長6年ということになると思います。
 でも,自由民主党は総裁公選規程をコロコロ改正しています。昔,中曽根氏が総理総裁の時,総選挙で大勝したから,総裁任期を1年延長されたりしました。

参考URL:http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html

Q立憲の反対語は?

日本は立憲君主制とのことですが、
立憲主義の反対は、何ですか?

Aベストアンサー

日本は立憲君主制とのことですが、
   ↑
日本は立憲主義の国ですが、立憲君主制か
どうかについては議論のあるところです。


立憲主義の反対は、何ですか?
   ↑
立憲主義が理解できれば、それに対立する概念も
理解できると思われます。

立憲主義というのは、権力者の恣意を憲法により
封じ、もって国民の権利を守ろうとする考え方です。
つまり、
1,憲法があり
2,その憲法が最高位にあり
3,君主などの権力者も、その憲法に
  従わねばならず
4,その目的は、国民の権利を保障することにある。


似たような概念に、法治主義というものがあります。
これには、法で定めればよく、内容は問わない、という
形式的法治主義と、
内容も重要であり、それは国民の権利を守ることにある
とする、実質的法治主義があります。

実質的法治主義になると、立憲主義に似てきますが
全く同一、ということではありません。

この法治主義に対立する概念が人治主義です。
中国などがその典型と言われています。

そんで、立憲主義に対立する概念を表す用語
というものは特に無いようです。

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Q人民主権と国民主権

人民主権と国民主権という言葉がありますが、具体的にどのような相違点があるのでしょうか?私にはどちらも同じに見えてしまい・・・
お手数ですが、お分かりの方お願いします。

Aベストアンサー

一般的には同義ですが、下記のようにあくまで理念面で区別する捉え方があるようです。

まず、「国民主権」の「国民」とは、過去から未来への時間を超えた抽象的な存在としての国民を指します。
この場合、主権は国民個々人に分有されず、総体としての国民に帰属し、国民は直接現実に主権を行使し得ないという見解です。
つまり、実在するAさん・Bさん・Cさん・・・の各々に主権があるのではなく、全体概念としての国民に主権があるのであって、そのような抽象的で政策・統治能力を持たない国民に代わって国民代表機関(議会・政府)が実際に国家権力を担うという考え方です。
従って、国民代表は、国民から独立した自由意思で政策決定できると解する点で、「間接民主制」を民主主義の理念型とする主張と結び付きます。

一方、「人民主権」は、主権が具体的存在としての国民個々人に区別されて帰属するという見解です。
つまり、Aさん・Bさん・Cさん・・・の各々に主権があるから、国民間で利益が相反する問題については、全員が話し合いに参加するという権利を行使した上で、政策決定をするという「直接民主制」を民主主義の理念型とする主張と結び付きます。
この場合は、いちいち国民が全員集合して個別的な政策決定をすることが物理的に不可能な故に、次善策として間接民主制が採用されているのであるから、国民代表は、現実の国民の意思に従わなければならないと考えられています。

以上は、憲法学説上の対比概念にとどまり、先鋭的な論争もないようですが、例えば、環境問題等をめぐって、地域住民が国に対して行政訴訟をした事案について、裁判所が「住民に訴えの利益がない」として却下する場合は、そこに「国民主権」的な論拠があり、他方、住民投票等の住民自治によって解決を図ろうとする主張は、「人民主権」的な概念を基調にしたものと思われます。

一般的には同義ですが、下記のようにあくまで理念面で区別する捉え方があるようです。

まず、「国民主権」の「国民」とは、過去から未来への時間を超えた抽象的な存在としての国民を指します。
この場合、主権は国民個々人に分有されず、総体としての国民に帰属し、国民は直接現実に主権を行使し得ないという見解です。
つまり、実在するAさん・Bさん・Cさん・・・の各々に主権があるのではなく、全体概念としての国民に主権があるのであって、そのような抽象的で政策・統治能力を持たない国民に代わって...続きを読む

Q法律のデュープロセスについての質問です。

実体的デュープロセスについて簡単に教えてください。
おおざっぱですみませんが実体的と手続的デュープロセスの違いのようなものは何でしょうか。
デュープロセスは分かるのですが、「実体的」「手続的」がつくとよく分からないのです。。

Aベストアンサー

一般的に「due process of law=法の適正な手続」のことをいいます。
米憲法では、法治国家においては何人も法の定める適正な手続きを経由しなければ、生命・自由または財産を奪われることはないと定めていて、この基本原則のことを「デュープロセス条項」と呼びます。



英米法では「operational code=手続としての法律」とでもいうべき性格を有すると解されています。すなわち、目的としての法を実現するために、あるいはその目的を維持するために行うべき手続きを記述したのが英米法的な意味での法律です。
手続き重視型というのは、最終的な価値に関しては問わないシステムです。ある価値観を維持するような状態を法律の手続きとして記述しておき、そこに民主的な手続きをビルトインしておけば、民主的な意思決定によって望ましい状態が実現されるという解釈です。


刑罰法規の実体的適性・デュープロセスとは一般に、
ⅰ犯罪および刑罰の内容については「明確」であることが適正手続きの要件とされる明確性の原則
ⅱ実体的デュープロセスとは、罪刑の均衡、過度の広汎性の排除を意味します。
これにより、絶対的不定期刑が禁止され、相対的不定期刑が採用されているのです。

実体的デュープロセスの要件
刑罰制度が社会で有効に機能していくためには、刑罰が国民の規範意識に裏付けられなければならず、国民の「正義意識」に著しく反する重い刑罰は社会の安定を導き得ないとの理由から、犯罪との均衡を失しない程度の刑罰が課されなければならないという「罪刑均衡の原則」が要請されます。

さらに、刑罰は民事制裁(損害賠償等)、行政制裁(営業停止)と比べて最も峻厳な制裁であることから、これを行使することは出来る限り差し控えるべきであるとの考えから、「刑罰謙抑主義」が採られています。
 
これに従い、保護すべき法益が存在しない(侵害法益が存在しない)のに刑罰権を行使することは刑罰権の濫用にあたり、刑罰に値しない行為を処罰の対象としているような刑罰法規は、刑罰法規の内容適正を要請する憲法31条に反することとなります。従って、刑罰県の講師のためには「法益の保護」という目的がなければならないこととなります。
 
さらに、違法行為を行ったことについて行為者を非難しうる場合でなければ刑罰を課すことが出来ないという「責任主義」の原則が要請されるのです。


参考URL
弁護士Q&A〔法律用語〕デュープロセスとはなんですか?
http://niben.jp/05qanda/qna28.htm

一般的に「due process of law=法の適正な手続」のことをいいます。
米憲法では、法治国家においては何人も法の定める適正な手続きを経由しなければ、生命・自由または財産を奪われることはないと定めていて、この基本原則のことを「デュープロセス条項」と呼びます。



英米法では「operational code=手続としての法律」とでもいうべき性格を有すると解されています。すなわち、目的としての法を実現するために、あるいはその目的を維持するために行うべき手続きを記述したのが英米法的な意味での法律で...続きを読む


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