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1年前小観音菩薩像を購入しました

ネットでどんなご利益があるのか調べましたが色々解釈が違いすぎて良くわかりませんでした

聖観音菩薩にはどんなご利益がありますか?

詳しい方教えて下さい

A 回答 (3件)

こんばんは



仏さま、菩薩さま、如来さま・・・いろいろ言いますが仏教は基本的に衆生救済です。
地獄に落ちるところを救って頂いて極楽浄土に迎えてくれる。
あるいは末世・末法の世に現れて、人々を救う。
というのが基本的な性格です。

現世利益を求めるのならば、八百万の神々ですね。
五穀豊穣・商売繁盛の宇迦ノ御霊神(お稲荷さん)とか縁結びのお伊勢さんとか、こちらは人々の欲望にダイレクトに応じてくれます

もっとも神仏混淆が長かった歴史もあり、お寺さんでも現世利益に応じているところも多々あります。
ともかく仏格は垂迹が多く、宗派も多岐にわたり、また由緒や縁起に応じて変幻自在なところがありますね
正直言って「お寺によって、仏様のご利益は違う」くらいに様々です
(観音様も「千手観音」・「馬頭観音」・「慈母観音」、はては「マリア観音」なんて観音様までいらっしゃいます)
そういった現世利益的な意味合いでいえば観音様は「あらゆる衆生を救い、あらゆる願いをかなえる、」オールラウンドプレイヤーと言ってもいいかもしれません
なにしろ、マリア様に変身して隠れキリシタンまでお救いになった方です。
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観世音菩薩はなんでもやさん。


人々を救済するために、あらゆる形態に変身します。

「聖観音」はその基本形態でオリジナル。
その他に「千手観音」「十一面観音」「馬頭観音」などあります。

最近の特撮番組「仮面ライダーフォーゼ」が40種類もの変身をするようですが、
そのルーツは観音菩薩にあるかもしれませんね。

極楽浄土キタ---(゜∀゜)---!!!!!(笑)。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3% …
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聖観音菩薩だけを信奉しても、利益はありません。




現在は、仏教で言うところの「末法」に当たります。
先に貴方が上げた様々な菩薩は、法華経を信奉
している菩薩です。
それらの菩薩を信奉していても、利益はありません。

病気なのに、良薬を求めず、医師の処方を無視する
様なものです。

末法には、末法利益の“法”があります。先ず、この
法に帰依して行かなければ、何事も始まりません。

鎌倉時代の僧、日蓮聖人は当世の日本に存在して
いる一切教を研鑽され、釈尊の本意である“南無妙
法蓮華経”を末法利益の法として本尊として現しま
した。

現在でもそうですが、無知なる出家、在家の輩は
法の研鑽さえせずに、方便の仏、菩薩を本尊として
崇めています。これこそが、世に天変地妖をもたら
している元凶なのです。
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Q守護霊に観音が見えるってどういうこと?

僕の友人の知り合いで霊能者がいるのですが、
その人に見てもらった友人の彼女の守護霊が観音様だということです@
それを聞いてちょっと疑問に思ったのですが、
もともと観音というのは仏教の世界で出て来る存在で…、
ということは人間が考え出したものではなかったのでしょうか。

そもそも仏教でいう三千世界が物理的に存在していて、
大日如来からそれにらにまつわるモロモロまでが実在するかどうかの問題なのかもしれませんが、まさか今の時代にそれを信じる人はいないと思います。

だから尚更不思議と思うのです。
それとも、仏教という宗教の有る無しに関わらず、
観音はそれ自体独立して存在するものなのでしょうか? 
たとえ釈迦が生まれなかったとしても、観音はそれ以前から(以後かもしれませんが)
実在すると考えた方が良いのでしょうか?

じっさい、霊が見えるということもあると思うし、仏教も好きです。
だから批判するつもりは全くありませんが、
ちょっと疑問に思っていましたので、質問してみました。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

宗教には全く詳しくありませんが、霊の事については詳しい者です。
観音様はかなりの高級霊です。
その観音様が守護してる方は確かにたくさんいらっしゃいます。
観音様が守護してる人間は、とてもとても慈悲深い人格を持っています。
その人の魂自体が高いので、観音様が「守る」のではなくもっと人を助けるように「導いて」くれるのです。
一番わかりやすい例を挙げますと、テレビでおなじみ江原啓之さんは観音様が守護しています。
「人を助ける」という宿命を持った人に観音様は導きをくれます。
ちなみに先祖代々、神道を行ってきて霊感を継いできた私自身は、人を助ける道ではなく普通に自分の人生を歩む道を選びましたので、観音様や龍神様などの高級霊は私には憑いていません。

観音様が導いてくれる人というのは、本当に高いステージにいる魂を持った人なのです。
そしてまさに性格は、観音様のように慈悲深く、包み込むようなあたたかさを持っています。
特に医者、ボランティア、霊能者、介護施設で働く方に多いです。

神様は確かに人間が作りあげたものです。
しかし人間が考える事というのは、実は霊界に既にあるという話は有名ですよね。
発明にしてもそう、何かの閃きや文化を発展させるアイディアは霊界から夢を通して人間に伝わり、それを実現する。
だからこそ宗教・神が生まれたのだと。
人間が神を作り出したように見せかけて、実際のところやはり神が先というのが私の見解ですが・・

賛否両論あると思いますが、観音様が見守ってくださるなんて凄いことなのです。
マイナスな事なんてありません。
霊能者といえども人間です。
霊視をして「観音像が後ろに視える」から、「観音様がついてる」と言うのです。
江原さんほどの力を持つ霊能者はそうそういませんので、「霊に振り回されてるかわいそうな霊能者」のほうが多いと思います。
逆に悪い師匠を持ってしまったがために、あくどい事を生業とする霊能者も私は知っています。
今回の件ではなんの問題もありませんが、霊能者の言う事を妄信するとイタイ目をみます。
なので質問者様のように、「あれ、なんかおかしいよな?」という冷静さが、世界中のみんなに必要だと思うのです。
頭から妄信する、頭から否定する、のではなく中間にいればなんの問題も起きません。
未熟者が失礼しました。

宗教には全く詳しくありませんが、霊の事については詳しい者です。
観音様はかなりの高級霊です。
その観音様が守護してる方は確かにたくさんいらっしゃいます。
観音様が守護してる人間は、とてもとても慈悲深い人格を持っています。
その人の魂自体が高いので、観音様が「守る」のではなくもっと人を助けるように「導いて」くれるのです。
一番わかりやすい例を挙げますと、テレビでおなじみ江原啓之さんは観音様が守護しています。
「人を助ける」という宿命を持った人に観音様は導きをくれます。
ちな...続きを読む

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

Aベストアンサー

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一...続きを読む

Q般若心経を唱えてしまった!!

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。

ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。防御系に強い菩薩の真言を奏上してその後内観という心の内を澄み切った愛情で満たしたうえでかくなる方法にて般若心経を唱えなくては霊にとってはまったく意味がございません。逆に霊を迷わす原因となります。

上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。
まったくの素人です。般若心経をとなえてしまいました。しかも実家は浄土真宗なのに。。きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。
パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。どうしたらいいでしょうか。こわいです。心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。アドバイスください。般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその...続きを読む

Aベストアンサー

悪い霊は、比較的に午前0時を過ぎて般若心教を唱えると出てくるような気がします。朝、太陽が昇ってから唱えるのが一番効果的に思えます。朝時間がなければ、風呂上りの体をきれいにして直ぐにやれば良いです。それから般若心教に宗派は余り関係ありません。仏教でも神道でも気にするような事はないです。仏教、神道、キリスト教等がどうしてできたとかを考えれば根本は同じです。それぞれの宗派に分かれて多少は、教えが違ってきてますが、根本が同じなので気にする必要はないです。

Q夜中に光明真言をとなえると・・・

最強のマントラとよばれる光明真言です
「おん、あぼぎゃ、べいろしゃなぅ、まかぼだら、まに、はんどま、ぢんばら、はらばりたや、うん」
これを夜中に唱えると、よくないことが起こると聞きました。

どうしてでしょうか?

Aベストアンサー

私の家系は真言宗なので、光明真言は法事やらお葬式やらで普通に唱えています。
夜中にも言ってみたことありますが、一度も何にも起こったことはないです。
むしろ金縛り(霊的なものじゃなくて体の疲れによるもの)などのとき、おまじない代わりに唱えてかえって気休めになります。

唱える人が只の人なら、只の言葉にしかならないんじゃないでしょうか。

Q薬師如来像にはどんなご利益があるのですか?

私の家に柘植の木で出来た薬師如来像があります
数日前購入しました

色々ネットで調べましたがご利益に関してはいろいろな解釈があって
よくわかりませんでした

薬師如来のご利益について詳しい方是非教えていただきたく存じます
宜しくお願いします

Aベストアンサー

病気平癒の現世利益を祈願する仏様です。

奈良の薬師寺は、天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して建立したお寺です。
その他のご利益もあるでしょうが、元々はそのようなご利益を期待していたということ。

Qスピリチュアルな観点で・・・全ての縁が切れる時期

52歳女性です。
あまりにも普通じゃないほど、人、お金、仕事、趣味・・・全ての縁がここ3~4ヶ月でばたばたと切れています。

こんな感じです。聞いてください。
付き合い始めた彼とはたった2ヶ月でいきなり振られました。
長年の友人とは耐え難い事があり、事実上絶交状態に。(それに伴い、その周りの人たちとも疎遠に)
一人でネット販売の仕事をしていますが、売り上げが急降下し、どうしようもなくなりました。
頼りにしてた常連さんたちも注文してくれなくなりました。
元々、十分な収入では無かったのですが、ついに貯金も底をつき、来月の支払いのめどが立ちません。どうやって食べていけば良いのか途方に暮れています。
生活苦のため夜のバイト(水商売)をしていますが、やはり頼りにしてたお客さんが不思議なほど一気に切れて行ってしまいました。
唯一の楽しみでバンドをやっていましたが、他のメンバーが忙しすぎて突然活動休止と言う事に。
短い期間で、こんな風に全ての縁がどんどん切れて、何もかもダメになってしまいました。
絶望的です。

ただ、入れ替わるように新しい縁もあるにはあります。
ちょっと気になる男性に出会ったり、2人ほどデートに誘ってくれたり(水商売のお客さんは抜きで)
だからと言って、それがどう・・・って事も無いんですが。何か意味はあるのかしら。

ネット販売の仕事はもうあてにできないので副業にするとして、就職活動を始めました。
とは言え、この年齢では難しいでしょう。

偶然と言うにはあまりにも一気に、お金も仕事も人の縁も切れてしまうのは、何かスピリチュアル的な事なんじゃないかと思ったもので・・・詳しい方にお聞きしたいと思います。

これから、何を気をつけてどのように生きていくべきなんでしょうか・・・。
アドバイスください!お願いします。

52歳女性です。
あまりにも普通じゃないほど、人、お金、仕事、趣味・・・全ての縁がここ3~4ヶ月でばたばたと切れています。

こんな感じです。聞いてください。
付き合い始めた彼とはたった2ヶ月でいきなり振られました。
長年の友人とは耐え難い事があり、事実上絶交状態に。(それに伴い、その周りの人たちとも疎遠に)
一人でネット販売の仕事をしていますが、売り上げが急降下し、どうしようもなくなりました。
頼りにしてた常連さんたちも注文してくれなくなりました。
元々、十分な収入では無かったのです...続きを読む

Aベストアンサー

スピリチュアル的には、人として成長したので、今の自分とはあわないものや人と縁が切れた。
と言われますね。
私もちょうどその時期だったので、調べたところそういう感じでした。

今になって思うと、確かにその通りなんですよ。
縁が切れた人とは話が合わなくなっていました。

例えば私は昔よりずっとポジティブになりました。
縁が切れた人は、昔から変わらず、いやそれ以上にネガティブになっていました。それにともなって、冷静な判断が下せなくなっていて
焦りからあれこれ自分の都合にあいそうなものに手をだしていまして
スピリチュアル的に言わなくても、異常にしか思えませんでした。

しかしその人にとってはそれが一番正しい行動なんですね。
目的のものを手に入れるために一番確実な方法だと思っているんです。

私だったら、今を楽しんでいる方が幸せだしよい出会いもあるだろうと思うのですが(過去の偉人たちの名言にもそう言うものが多いですしね)
そうした方がいいんじゃないかと、ちょっと落ち着いて心を整理した方がいいんじゃないかと、
思って言ったら喧嘩するようになりました。

その人はその人なりにがんばっているんです
それがどんなに理にかなっていなくても愚かに見えても
その人はそれが正しいと信じている。
けれど私はそれを正しいとは思わない。昔なら判断つかなかったけれど今は何が原因でそうなってどうなるのか分かるから止めたい、けどそれを相手は望んでいない。

それが、合わなくなった、縁が切れた時なのだと思います。

あなたは縁が切れるものが多い今、どういう経験が多いでしょうか。
意見の相違という経験なら、それは生きる世界が変わっていく狭間なのだと思います。

質問を読むに、仕事に関する変化が如実なように思います。

となると、私が自分の経験から思うのは
本当はやりたい夢があるんじゃないか
本当はこう生きたい、という思いがあるんじゃないかということです。

私は仕事をやめたい、この会社のやり方にはついていけない。と思っていたとき
自分からやめる前に、首をきられました。

それからしばらくショックで食事もままならず
無職にならざるをえませんでしたが、その苦しい時間が
人として成長する大きな気付きの多い日々となりました。

仕事をしていなくても生きていられる幸せ
支えてくれる人への心からの感謝
生きているということは奇跡のように誰かのお陰なのだという感覚
無理をしなくても生きていけるのだという、この世への信頼
健康のありがたみ
理解者のありがたみ
理解されない悲しさと、それでも頑張れない壊れた心身
本当にやりたいことをやろう、という覚悟
自分を大事にできるようになろうという決意

あなたに今それがあるでしょうか
ないとすれば、あなたは今、この世の奇跡のような素晴らしさを感じる、その機会にあるのかもしれません。

経験者として私に言えるのは
プライドを捨てなさい。ということです。

スピリチュアルの質問をしていらっしゃるからには
その手の知識もあるのではないでしょうか。だとすれば

おそらくですが、今まであなたが身に付けたいなと思ってきたスピリチュアルな愛とか感謝の気持ち
知識としては分かるけれど、感覚では分からない
そういう感覚に目覚めるときがきて
その感覚を持たないモノとの縁は邪魔にしかならないので、バッサリ切れていっているんじゃないかと思います。

あなたが今まで素敵だなと思ってきたものを手にいれるための別れなのでしょう。

自分を信じて
世界の優しさを信じてください。

今失っていくものは、本当に欲しいですか?
必要ではなく、欲しいと思いますか?

本当の気持ち、本当に望むもの、こうありたいと思う自分
それを圧し殺す時期は終わりを告げました。

心の底にあるかぎりない平和の感覚を
感じられるようになるといいですね。

そういえばその時期、私はエンジェルナンバーという本当にとても助けられました。
二冊ありますが両方買っちゃった。最初は白っぽい表紙の方を。
お持ちでないなら購入をおすすめします。安いですし。すごくすごく天使たちの優しさを感じられると思います。
ドリーン・バーチュー博士の本です。

スピリチュアル的には、人として成長したので、今の自分とはあわないものや人と縁が切れた。
と言われますね。
私もちょうどその時期だったので、調べたところそういう感じでした。

今になって思うと、確かにその通りなんですよ。
縁が切れた人とは話が合わなくなっていました。

例えば私は昔よりずっとポジティブになりました。
縁が切れた人は、昔から変わらず、いやそれ以上にネガティブになっていました。それにともなって、冷静な判断が下せなくなっていて
焦りからあれこれ自分の都合にあいそうなものに手...続きを読む

Q観音様を信仰している父

私の父は現在85歳です。最近足腰が弱ってきたせいで行く末を案じて
葬儀の話や墓の話をよくするようになりました。

父いわく「俺は観音様に縁があるから葬儀は長男がいる実家の天台宗とかじゃなくて
観音様に極楽浄土に導いてもらう事が可能なお寺で葬儀を頼むぞ。」と言います。
母は「でもそんな非現実的な事無理でしょ。近所の天台宗のお寺で挙げて貰うのよ。」
と言い返します。
「俺の死後は仏壇などいらないぞ。観音様の横に位牌を置いて拝んでくれればいいからな。
それで十分だぞ。あと卒塔婆は南無観世音菩薩と書くのかどうか知らないが立派な墓等いらないからな。お盆は普通にやってくれ。」と言い返します。仏教の事は詳しくないので私たちは困ってしまいました。

父は若き日に旅行中に交通事故に遭い奇跡的に無傷で助かったそうです。
その時事故現場の山側にあった巨大な聖観音像が自分を救ってくれたと信じているようです。

そんな訳で父はそれ以来、観音様の大ファンになり父の部屋の茶箪笥の上にはお厨子に
安置された小さな聖観音像を丁寧にお水、御飯、お菓子、お花を供えて
朝夕には蝋燭を灯しお線香を焚きお鈴を鳴らして数珠を持って手を合わせてお祀りしています。

このような信仰をしている父は仏教徒ではあるのでしょうが何処の宗派にも属していない
と思います。しかし父が言うように観音様に極楽浄土に導いてもらうお経を挙げて下さるお寺
というものが存在するのでしょうか?あったとしてもそのお寺の檀家となってそのお寺の宗派の
やり方で葬儀を挙げることになるのでしょうか?もし仏壇を購入したとしても観音様は仏壇に入れて
よいのでしょうか?母は母で別の部屋にある貰い物の帝釈様も新しく買った仏壇に入れてあげなさいとか訳の分からない事を言っていました。これは流石に無理ですよね?
仏像だからって何でも入れていいと考えているようです。

観音様を信仰している父の葬儀の形態はどのようになってくるのでしょうか?
観音様のファンは結構多いようですが父は信仰が篤いので私たちはなるべく父の意向に
沿うようにしてあげたいです。

私の父は現在85歳です。最近足腰が弱ってきたせいで行く末を案じて
葬儀の話や墓の話をよくするようになりました。

父いわく「俺は観音様に縁があるから葬儀は長男がいる実家の天台宗とかじゃなくて
観音様に極楽浄土に導いてもらう事が可能なお寺で葬儀を頼むぞ。」と言います。
母は「でもそんな非現実的な事無理でしょ。近所の天台宗のお寺で挙げて貰うのよ。」
と言い返します。
「俺の死後は仏壇などいらないぞ。観音様の横に位牌を置いて拝んでくれればいいからな。
それで十分だぞ。あと卒塔婆は南無観世...続きを読む

Aベストアンサー

「観音様に極楽浄土に導いてもらう」のが望みなら、むしろ天台宗のお寺で葬儀をしていただくべきです。

阿弥陀三尊といいまして、観世音菩薩は阿弥陀如来の脇におまつりします(脇侍と言います)。
阿弥陀如来は、人が亡くなった時に、極楽浄土に導くために亡者のもとにやってこられるのですが、その時に観世音菩薩と、もう一方の脇侍の勢至菩薩がいっしょにおいでになります。

俗な言い方をすると、阿弥陀如来が上司で観世音菩薩が部下です。いくら、観世音菩薩に極楽浄土まで導いてくださいとお願いしても、上司を差し置いて迎えに来ることはできませんから、お父様の願いは観世音菩薩を困らせるだけです。阿弥陀如来に迎えに来ていただくことがすなわち、観世音菩薩に導いていただくことになります。

宗派によって葬式で導いていただく仏様はさまざまですが、天台宗は阿弥陀如来なので、何も心配はいりません。ちなみに、葬式の時に観音経の読経もありますので、お父様はとても嬉しいはずですよ。

お墓や仏壇は宗派のやり方に従ってください。ルールを守れないようなわがままな人は浄土に連れて行ってもらえません。


帝釈天の話も出ていますが、帝釈天は天部の尊なので、おまつりするのにとても気を遣わなければなりません。天部は粗末に扱ったり、間違ったまつりかたをすると強烈な罰が当たることがあると言われているので気をつけましょう。帝釈天をよく理解した上でおまつりするか、そうでなければ一般家庭におまつりしない方が無難です。
これは、開眼してある(お性根が入っている)場合のことです。開眼してなければ、ただの置物として飾っても差し支えありません。ただし、拝んだり、仏壇に入れたりしてはいけません。変な霊が入り込むことがあるからです。

「観音様に極楽浄土に導いてもらう」のが望みなら、むしろ天台宗のお寺で葬儀をしていただくべきです。

阿弥陀三尊といいまして、観世音菩薩は阿弥陀如来の脇におまつりします(脇侍と言います)。
阿弥陀如来は、人が亡くなった時に、極楽浄土に導くために亡者のもとにやってこられるのですが、その時に観世音菩薩と、もう一方の脇侍の勢至菩薩がいっしょにおいでになります。

俗な言い方をすると、阿弥陀如来が上司で観世音菩薩が部下です。いくら、観世音菩薩に極楽浄土まで導いてくださいとお願いしても、上...続きを読む

Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q左肩につくものは何ですか?

 左肩と右肩には、どちらに先祖霊がついて・・・などあったと思いますが、左肩は何がつくのでしょうか?

 3日ほど前から、貧血のように目が回ると言うより額を中心に回っていて、とても具合が悪い状態が続いています。
 つい先ほどなんですが、真っ暗い部屋に入った時に左肩の上に黄色っぽく光るものがあり、正面を見ていてもその光が視界に入ってくるほどでした。自分でも何だかわからなかったのですが、もしかしてこの具合悪さは何かがついているのかと思いました。

 左肩はどんな存在が付くのかお分かりの方がいましたら教えてください。
またその対処法も教えていただけたら嬉しいです。

Aベストアンサー

個人的な経験ですが、幼少期から霊感などが強く、人の未来なども見えます。

経験的には、左肩が痛い時は、余り良い場所にいない時が多いです。
横になっていて悪い霊が入ってくるのは、大体足元から入ってきます。
自分を助けてくれたりする、良い霊の場合は頭から入ってきます。
両方とも無重力状態になり、入ってきた場所から痺れてきます。
子供の頃はなすすべが分かりませんでしたが、今では生きている自分の方が強いと言う気持ちで、追い払えます。

因みに、先日ですが、叔母と話をしていて、南東に三つの光を見ました。金と銀を合わせた様な光です。
その光が、叔母の娘たちである事は解ったのですが、方位と、順番と光具合が分かりませんでした。
でも、叔母と話をしていて、三つの光の順番や揺らめき方などを解く事が出来、その後叔母に次々と娘たちから福が舞い込みました。
その時の、私の感覚は息を飲む幸せ、としか表現出来ず、光の強さとその幸福感に、精神的に躁鬱を繰り返しました。
私自身は振り回されて大変でしたが、叔母達には沢山の福が舞い込んだので良かったです。

余談になりましたが、黄色っぽい光なら、悪いものではない気がします。独断になってしまいますが。
自分が酷い目に会う時は、尋常じゃない恐怖感や、現実と夢の堺で襲われたりします。
因みに、先日叔母の後ろから煙が上がりました。昔から何度か見ている、ひいおじいさんの現れ方は、煙が多いです。その時は、右肩から煙が上がりました。

先祖の霊がどちらにつくとか、そう言う事は明確に分かりませんが、自分に着いた時は左肩を、右手で払う事をしたりします。
後は、悪いと感じた者には「負けない」と言う、思いですね。
ただ、幼少期、良く霊が着く時、くるくると視界が回ったのを覚えています。今も、眠っていて金縛りに会う時は、頭の中がくるくる回ります。
状況は違うかも知れませんが、生きている私の方が強い負けいないって思いで、いつもはねのけます。気合いですね。
悪いものなら、負けない!って言う思いが大切ですが、黄色い光って言うのが、少し気になりますね。
良い事が起きる前兆で綺麗な光を見る事がありますので。
少し、自分の周辺を調べてみてはいかがでしょうか?

長くなりましたが、少しでも参考になれば幸いです。

個人的な経験ですが、幼少期から霊感などが強く、人の未来なども見えます。

経験的には、左肩が痛い時は、余り良い場所にいない時が多いです。
横になっていて悪い霊が入ってくるのは、大体足元から入ってきます。
自分を助けてくれたりする、良い霊の場合は頭から入ってきます。
両方とも無重力状態になり、入ってきた場所から痺れてきます。
子供の頃はなすすべが分かりませんでしたが、今では生きている自分の方が強いと言う気持ちで、追い払えます。

因みに、先日ですが、叔母と話をしていて、南東...続きを読む

Q神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願いごとは、上記の神拝詞(となえことば)を唱えたあとに、お願いすればいいのでしょうか?

それとも、個人的なお願いごとをする場合は、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなくてもよいのでしょうか。よく、神社やパワースポット関係の本には、参拝作法に、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなさいと書かれていないと思います。

ただ、時々、神社に行ったとき、拝殿の御賽銭箱の近辺に、上記の神拝詞(となえことば)のうち、
「祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と書かれた表示物を見たことがあります。

そもそも、参拝の際に、神前での願い方について、何を唱えればいいか、何が正しいかわかりません。

よろしくお願いします。

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願...続きを読む

Aベストアンサー

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありません。

昨年でしたか、大相撲の朝青龍が、手刀を切り、懸賞金を左手で受け取り、大ひんしゅくをかいました。相撲というのも、神の御前でする神事ですが、形から入り、心が入り、そして、そこに美と調和が生まれるわけです。これを「様式美」と言い、ただ、勝てばそれで良いというわけではない、という端的な例を表しています。

神社では、鳥居の前で脱帽し、礼をし、二礼二拍手一礼のマナーというものがあります。また、手水舎(てみずや)で片方ずつ手を清め、口をすすぐというのは常識ですが、直接、ヒシャクに口をつけてはいけません。今は、常識が常識でなくなってきているようです。確かに、出雲大社などでは違う作法があるところもありますが、それは注意書きが入っていたはずですし、こういう作法は、混沌としているということでもありません。明治以降、二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)を一般としてしてきているわけですから、それに従えば済むことです。知らなければ、覚えれば済む話です。この作法は、明治時代に作られた「神社祭式」を根拠としています。

また、女性は、柏手(かしわで)を鳴らさないというのは、占い師の細木数子氏が言ったそうです。しかし、女性は鳴らさないというようなことはありません。柏手は、神様を呼び出すという意味を持っているのですから、死者の前(葬式やお墓)では鳴らさない時(しのび手)があるという常識さえ知っていればよいことです。また、お寺では、二礼二拍手一礼はしないということも心がけてほしいものです。

それが、いつの時代に作られたものであれ、統一されたものなら、それに従わないということはありません。マナーのひとつとして、ぜひ、守って欲しいものです。それを守らなかったら、どうにかなるということではありません。日本的な表現ですが、「美しくない」ということです。

それから、祝詞というのは、簡単にいうと、「かむながら」という言葉がある通り、「神の御心のままで」という意味ですから、もともとは、「神の言葉として上から下に申し伝える言葉」だったわけです。唱え詞(となえことば)で一般的に知られているものは、

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ、幸(さきは)え給へ」
というものです。私は、特に参拝客が声を上げて唱えるという話は聞いたことがありませんが、神社に詣でたときに、どこかに書かれていたら、黙読し、心の中で、「清い心で、神様の御心のままに、みなを守り、みなが幸せになれますように」と祈ればよいと考えています。

なお、浄土真宗の話に触れておきます。
日本の宗教の中で、戦前戦後、妥協を許さなかった宗教であり、西洋哲学でいうなら、日蓮宗が日本型の強者の理屈を持つ宗教なら、(浄土)真宗は、それに対抗する弱者の宗教です。

浄土真宗は、現代まで靖国神社を反対している唯一の仏教団体です。ここでは、日蓮系の新宗教団体は除きます。明治政府は、事実上、仏教と神道を分離しました。祝詞を唱えると願いが叶うという発想は、空海の真言密教を起源とする両部神道であるかもしれませんが、仏教色が残るものとして、これ自体も廃仏毀釈運動によって排斥されました。

浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と唱えることは、日蓮宗のように題目を唱え利益(りやく)が得られるというような意味合いを持ちません。念仏は念仏を唱えること自体に意味を持ちません。それは、信仰そのものの現れだと考えています。

真宗大谷派大阪教区『銀杏通信』靖国神社に対する考え方。
http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_042.htm

明治の初期、森有礼の建白書や浄土真宗の島地黙雷僧侶が、明治政府に信仰の自由を訴えましたが、逆に神道側は、その体制を整えることになりました。

明治憲法が発布されたとき(明治23年)に、神道とは国家神道として、別格な地位を得て、「国民の道徳」としました。断じて、浄土真宗が、神道に影響されたり、政府に擦り寄り、神道に影響を与えたなどということはありません。

また、見えない霊自体を肯定するかどうかは別としても、霊体が危害を加えようとするという、オカルティズムは、私たちの一般社会には馴染まない考えだと思います。

参考:国家神道

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93#cite_note-6

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありませ...続きを読む