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こちらのカテでよいのか少し不安ですが、ご存知の方教えてください。
千葉・東京・埼玉の境を流れる江戸川には、いくつかの自然の中洲がありますね。河口付近には最大の中洲である妙見島がありますが、古い地図を見ると妙見島から約1km上流の、旧今井橋付近にも大きな中州が描かれていました。
いま、当地に行って見ると水域が広がっていて何もありません。ただ杭によって、そこが浅瀬になっていることはわかります。
この中州には名前があったのでしょうか。またなぜ消滅したのでしょうか。人為的に掘削されたのでしょうか、それとも護岸の整備等により自然消滅したのでしょうか。もしかして地図から消えただけで今でもあるのでしょうか(今でも干潮などでは姿を見せるのでしょうか)。
地元の方、江戸川に詳しい方よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

推測になりますが



1979に今井橋が50メートル下流に移動して掛け替えられています。
旧今井橋は橋脚間隔が狭くしばしば船舶の衝突事故があったようです。
で(ここから推測)、掛け替えに伴う旧橋撤去の際に河道改良の一部として中洲の掘削が行われたのではないかと思われます。

>ただ杭によって、そこが浅瀬になっていることはわかります。
この杭は旧橋の撤去の際に残置された橋脚やケーソンの目印の杭では

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95% …
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この回答へのお礼

早々のご指摘ありがとうございます。
自分の記憶が誤りなら大変申し訳ないのですが、自分は当地の地元民ではありませんので、薄ら覚えとして、旧今井橋を渡っていた当時にも中州はなかったような気がしています。
旧橋の橋脚あとの写真ははじめて拝見いたしました。
自分が見ていたのは竹の棒状の長い杭が地図で見た中州の外周と同じような場所に立てられているものです。地図はこちらです。
http://showa.mainichi.jp/map/
おそらく浅瀬を印す船舶への目印かと思っておりました。
本当に中洲があったのか、実は自分も解らないのです。
もしあったとすればおそらくは昭和50年ころより以前ではないかと思われるのですが。

お礼日時:2012/06/11 21:39

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