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立花宗茂は高橋家の長男なのに、なぜに立花家に養子に出されたのでしょうか?
母親が正室ではなかったのでしょうか?

A 回答 (5件)

立花家の当主が既に老齢の域に達するが跡継ぎの男子が居ない。



一方の高橋家の当主はまだ若くあっちの方も万全、男児が生まれた実績もあれば二人目三人目の可能性は充分にある。
共に大友家の一門としての家柄でもあり、赤の他人を養子に迎えるよりも一門同士での縁組みの方が互いの結束も強まり、主家の為にも好都合。

そう考えれば、嫡子であっても養子に出さざるを得なかったのかも知れず
ヒョッとしたら、大友家からの指示があったのかもしれず
色んな事情があったんだろう。
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この回答へのお礼

大友家からの指示ですか、あったかもしれませんね。
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/14 15:36

第二企画課長が出世して 営業部長になりました。


そんな感じじゃないのかな

名字って何よ?と言えば、名字の地を継承したってことで、現代的な家族認識じゃない。

立花道雪自体が、元々は戸次と名乗っていた
豊後の戸次を名乗っていたが、筑前に攻め込んで大友宗麟に立花を継がせられたのが 立花道雪。

つまり 筑前支配には 立花がよく似合うという話。

父親の高橋紹運だって吉弘鑑理の息子だし。

明智光秀が惟任を名乗ったりしてますし。
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この回答へのお礼

立花家と高橋家、それほど絶対的な差でしょうかね?
どちらも大友家の名家ではあると思うのですが。
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/14 15:40

 養父である立花道雪が領していた筑前は、10年以上に渡って道雪が大友の将として戦って獲得した土地(毛利氏の調略と侵攻が有った)である為、大変不安定な土地でした。


 (立花山城の城主だった立花鑑載は二度に渡って大友宗麟に反旗を翻した。)

 道雪の家臣も寄せ集めの為、道雪個人に対する忠心は期待できても、亡き後にどうなるかは不明瞭でした…。

 この為、道雪の後を継ぐ者には当人の器量は勿論の事、後援する事に成る実家の力(同じ大友氏の重臣である高橋紹運)も必要に成ったようです。
 (道雪が当初、自らの跡継ぎと期待した家臣の薦野増時は、上記の理由で辞退。また、既に道雪には戸次鎮連という養子が存在していた…。)

 あと個人的な認識ですが、大友氏の家臣って実家の家名継承する意欲に薄いような気がします…。
 宗茂の父の高橋紹運 は吉弘氏の出身ですし、養父の立花道雪は戸次氏の出身ですし….
 (と言うか、宗茂の弟で高橋家を継いだ高橋統増までも後に、高橋姓をすてて立花直次と名乗っている…。)

 まあ、名門大友氏家中では名跡継承は重要課題だったのかもしれませんが…。
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この回答へのお礼

大友家の独特な風土?
確かにあちこち家督相続がややこしいですね。
うーん何か大友家独特な理由があるのでしょうかね?
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/14 15:39

別に長男だから養子に出されないと言うことも無いかと。


長男か次男かどちらでもいいから養子に欲しいと言うことだと次男を出すのかも知れないけど、
特に望まれてのことのようなので、まだ他に男子がいるのであれば、養子に出した方が自分の子孫を広げられるので得だと思います。
さすがに次男が居ない状態だと出してないと思いますが。
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この回答へのお礼

>長男だから養子に出されないと言うことも無いかと。
そうでしょうか?家格に圧倒的な差がある場合を除き嫡男を養子に出すのはあまり他に例を知らないのですが。

お礼日時:2012/06/14 15:37

ウィキペディアによると立花道雪の家臣高橋家の嫡男とあります。


つまり高橋家の正室の長男です。
道雪が強引に養子にしたそうです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/14 15:36

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