最近の年寄を見ていると、「目が悪い」だの「手が動かない」だのといっては、若者に甘える癖があります。いつから日本の年寄は嘆かわしい存在になってしまったのでしょうか。

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A 回答 (11件中1~10件)

誰でも赤ん坊の頃は自分でオシメを替えたりできなかったから今のお年寄りの世話になったのだと思いますが...



「最近の若い者は、大きくなっても自分が出した質問のケツも拭けないのか?」

なんて書いたら怒りますよね。

このような質問は、自分の次の世代を立派に育て上げてからにしたほうがいいかもしれません。
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この回答へのお礼

質問のケツを拭く、という意味がわかりません。それに次世代のガキなどどうでもいいし、種の保存もするつもりはまったくありません。

お礼日時:2001/05/17 23:53

加齢はみなが迎える現象です、ホントはここに「経験者」の書き込みがぜひ欲しいところなのですけどね!


ここまで多くの方々がご回答されたように、自分の老いの自覚(老性自覚)には
個人差があります。それをネガティブに受け止め失望する人もいれば、比較的平静に受け止める人もいます。人生を登山に例えると、頂上を過ぎて、今や下山の段階というときになって、頂上を極める目標がなくなり失望を感じる人もいれば、がむしゃらに登っていただけのときには気が付かなかった、山の美しい草花や、景色を見ながら下山をゆっくり楽しむ人もいます。
 おそらくこのご質問は、hirohitoさんが「こうあって欲しい」(あるいはこう歳を重ねて行きたい)という年長者の理想、とはほど遠い例を目の当たりにされてのご発言なのだと思います。
 そこで人生の大先輩たる年長の方々への尊敬の念とは別に、「加齢」ということへの非現実的な美化も、確かに衰えていく肉体的面への必要以上の絶望も、好まない個人的立場から書かせていただきます。

 今の、特に日本の高齢の方が消極的で、自信がない方が多いのは、やはり日本の社会構造のためではないでしょうか。vitamin-powerさんの言われる「若者文化」中心社会という面ですね。どう見ても「老人」とは言えない年代に、(多くの人にとって生きがいである)仕事から引退を余儀なくされ、経済力は低下し、子供は巣立ち、友人には先立たれ、家庭内の役割さえも少なくなっていく・・・・加えて健康問題です。
 しかし、昔「老化」のせいと考えられて来た身体的変化が、実は疾病であり、健康に歳をとっていくこともだいぶ可能であると考えられるようになりました。知的能力も、昔は20歳がピ-クだなんて言われてきましたが、今の認識は変っています。50歳になっても同一人の知能は変化なし、計算などの数理的な部分は多少の低下が見られるものの推理的能力はむしろ発達、学習能力を加えても全体に、効率性は下がりますが、経験による理解力、洞察力は若者より高いでしょう、と。
 優れた芸術家に高齢まで活躍している人も多いですが、彼らは決してhirohitoさんの言われるような「お年寄り」ではありませんよね?

 だから、日本の社会が高齢者の力を過小評価しているのが、「自信のないお年寄り」「依存したがるお年寄り」を増やしているのだと思います。
 身体的に自信がなくなり、社会的に決定権がなくなったかのように思うと、人間自信がなくなるのですよ。自信を与える要素は、まわりのかかわり方による所が大きいといわれてます。元気なお年寄りを増やしたいと思ったら、自分が高齢の方を尊敬し、その人それぞれの(また、歳をとればとるほど、性格や価値観の差が大きい!)自信が出るような言葉をかけて、接していくことだと思います。

honmakainaさんとこの辺りは同意見ですが、もっと、元気のいい不良高年が増えて欲しいし、翁とか媼とか呼ばれるような上品なお年寄りになるのもすてきですが、どっちかというと、自分も思いっ切り意地悪なバーさんになって若者に悪態つかれながらも、それでもずっと構われていたい、かな。
 
長くてすみません~ 。
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面白い!


本日休みでここをのぞいています。最近のお年寄りって・・・というお嘆きに
興味をひかれました。そうですね、礼節を知り、知識が深く、わたしたちの
手本になるようなお年寄りは減ってしまったのでしょうか・・・?

なお、わたしには手本になる年長者の、人生の先輩なる方々が
たくさんいらっしゃり、日ごろ年長の方々に接する機会も多く、
決して年長者の尊厳を傷つける意図はないことをお断りしておきます。

というわけで、ちょっと書きたいことがあるので、またあとで
回答してもいいでしょうか?
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誰もが言うような「あなたもいずれは歳をとる・・」


若ければ若いほど実感なんてこれっぽちもないでしょうね
hirohitoさんがおいくつなのかわかりませんが
あなたがこれまで生きてきた人生で
全く人に頼る事なく歩んできたといいきれますか?
人間はこの世に生を受けたその日から
周りの人たちに助けられ、育てられたんですよ。

確かに甘えている年配のかたもたくさん
いますよね。でも実際に気持ちだけは若くても
体の衰えはどうしても避けられないんです。
体が衰えてくると心が弱くなるのは
年齢にかんけいないと思いませんか?
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江戸時代ならお爺さんも孫も、そのまた孫も同じような一生を送ったことでしょう。


だんだん時代が進むほど、生活の変化に加速度がついてきますね。

私が子供の頃は真空管のラジオしかありませんでしたが、トランジスタラジオを組み立てたり、シングルボードのマイコンを自作したりしながら現在に至っています。
でも、老眼になったのと、器用にハンダができなくなったのはつらいですねぇ。
(もっとも、基盤にハンダごてをあてなくてもパソコンを組み立てできる時代になりましたが)
hirohitoさんが老いられる頃は、私なんかが辿った時代の変化よりずっとすごい変化があるでしょうね。ぜひがんばってください。
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昔の年寄りと比べて最近は、という意味ならば、世の中が若者中心の文化に移行して、横文字が日常化し、生活環境もハイテク化して、昔ながらの生き方では不自由する事が増えた為でしょう。

「目が良くて手が思いのままに細かく動くのなら自分で何とかしようとは思うのだが、そのへんにハンデがあるので難しい」、というのは悲しい言い訳けの要素が含まれているのでしょう。50年前に若者であった人たちの環境を想像してみれば、その人たちが激変した現在の生活環境で普通に暮らせる事の方に驚くべきです。テレビさえ無かったんですよ!
順応しようにも各種の能力は次第に減退していくなかで、生活環境の変化のスピードは加速度的ですらあります。同じ経験、経歴を経てもいないで、「努力もせずに人を頼る嘆かわしいやつ」、などというのは、甘い環境で育った若者の尊大な態度だといわれても仕方ありません。
あなた自身にも、身体が衰え、一般の生活レベルに順応するのが難しくなる時期が訪れるものと思います。あなたのこの御質問を、そのときのあなた自身はどう感じるでしょうか。
若い人にはなんでもないことでも、理解しようとしてもわからない、自分でやろうと思っても身体的理由でできない、そんな辛いみじめな事が老人にはたくさんあるのです。
因果応報、あすは我が身です。
その人の立場で考える、というのは案外難しい事です。老人の状態を再現するメガネや拘束具をつけて生活してみる、という企画をテレビでやってたことがあります。hirohitoさんもそういう体験をなさってみれば見解がおおいに変わる事と思います。
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そんなこと別段驚いたり嘆かわしく思う必要はないのだ


これからどんどんますます「非行中年」「不良老人」が増えていくであろう
若いモンへの逆襲が始まる
私は30代半ばであるが
少なくともそうあらんことを願っている
以上
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いろんな若者がいるように、


いろんなお年寄りの方々がおられます。
それは「人間にいろんな人たちがいる」と同じ意味でそうなのです。
hirohitoさんが
どのような体験を持たれてそのように感じられるに至ったのかは
存じ上げませんが、確かに自立心旺盛なお年寄りばかりでもないでしょう。
ですが、やはりお年を召され、
体力が衰えてくると不安になり、
ついつい甘えてしまうような状況が生じてくることがあるかもしれません。
嘆かわしい人間がいろんな世代にいるように、
嘆かわしいお年寄りがいることは少しも不思議なことではありません。
でも、それでもhirohitoさんが「日本の年寄りは」と
おおまかに束ねて発言しておられますので敢えて申し上げますが、
やはり「今の日本のお年寄り」が今の社会
(その功罪についてはいろんな意見があるにせよ)を
作り上げてくださったのです。
それを「嘆かわしい存在」と片付けられてしまっては
「日本のお年寄り」は身も蓋もないですね(^_^;)。

やがて我々も行く道です。
助け合いの精神で社会を作っていきましょうよ。(^^ゞ
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目が悪ければ悪いといい、手が動かなければ動かないといい、人の助けが必要でしょう。


これは、若者も年寄りも同じです。

若者が年寄りの、年寄りが若者の「悪口」ばかり言っても何も良いことは有りませんから、お互いに止めませんか。

あなたが今、目が悪くなり、手が動かなくなっても、誰にも全く頼らずに生活できますか。

いずれ、年老いてその様になった時に、この発言を思い出すでしょう。
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この回答へのお礼

申しわけありませんが、私は「年老いる」ほどの寿命がないのです。ですから、今のうちに言っているだけです。
仮に人様に迷惑をかける状態になりましたら、私は人生から引退しますよ。

お礼日時:2001/05/17 23:46

年をとれば目も悪くなるし、手も動かなくなってきますし、他にも肉体的にはどんどん衰えてくるのは当然のことで、私たちもそれを免れることはできませんよね。

医学や食料事情がよくなって、昔より老化が始まるのは遅れてきてるし、長生きにもなってますが、人生わずか50年といっていたのですから、それを越して現役でがんばっている人が大勢いるということは、逆に「最近の年老いたものは、昔にくれべて元気だな」なのではないでしょうか?

とはいえ若いときには今の自分の健康が衰えてくることは信じられないし、おじさんやおばさんが、腰がいたいといったり新聞を目から離しているのを見ると、何だかみっともなく見えるのかもしれませんね。でもそのうち分かりますよ。きっと。
どんなに健康に留意しても、スポーツで鍛えても、自然には逆らえませんからみんな年は取るんです。
今、判れとはいいませんが、自分が経験していない老化というものについて、声高に批判は格好悪いからやめときませんか?

私も幸い、まだ老化がでるような年ではありませんが、それでも10代20代のときを思い出すと情けないほど体が動かなかったり、怪我が治りにくかったりしてふとしたときにショックを受けます。・・・あすは我が身ですね~。
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>「最近の若者は・・・」というのは、何十年も前から
言われ続けられていることだと聞きました。

 何十年ではなく2~4千年くらい前からです。
出典もとを思い出せないのですが、
エジプトかどこかの古代文字を翻訳して
いたらこの「最近の若者は~」という文章が
出てきて大笑いになったとか・・・


>いったいどんな理由があるのでしょう? 

 変な例ですが、「猿山の猿はみな同じに見える」
とう言葉をご存知でしょうか?

 これ少し真面目に社会学的説明をすると、
自分から離れた集団は1つに見えてしまうという
現象をわかりやすく表現したもので、
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いるはずですが、普通人間からはそれが見分けられま
せん。みな同じ猿に見えている。
しかし、毎日猿山を管理しているおじさんには
見分けがつくので、名前などつけて呼んでいるわけ
です。

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という内容の回答になるのです。

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 そこで、
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と思います。

>「最近の若者は・・・」というのは、何十年も前から
言われ続けられていることだと聞きました。

 何十年ではなく2~4千年くらい前からです。
出典もとを思い出せないのですが、
エジプトかどこかの古代文字を翻訳して
いたらこの「最近の若者は~」という文章が
出てきて大笑いになったとか・・・


>いったいどんな理由があるのでしょう? 

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