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 アマテラスは スサノヲの非行をなぜ咎めないのか

 古事記などが伝えるスサノヲとアマテラスの物語には われわれ現代人が人間を考えるための恰好の題材を提供していると考えます。そこで 表題の件で問います。質問者なりにあらすじをしるしますので
 
 ○ ほかの人びとはスサノヲを咎めてもアマテラス自身はそうしなかった。それは何故か。

 について 見解を示してください。

     *

 スサノヲは イヅモで復活する前に タカマノハラの世界でアマテラスの《なぜわたしの領域にやって来たのか。それは領土を奪いにではないのか 》という疑いによって悩まされていた。かれは 理屈で弁明するよりは 非行・愚行を繰り返すという破廉恥な抵抗によって 自己の知恵の同一にとどまろうと欲した。その一つに。

   アマテラスオホミカミが 忌服屋(いみはたや=清浄な機屋)に坐(ま)
  して 神御衣(かむみそ)を織らしめたまひし時 〔スサノヲが〕その服屋
  の頂(むね)を穿ち 天の斑馬(ふちうま)を逆剥(さかは)ぎに剥ぎて堕
  (おと)し入るる時に 天の服織女(はたおりめ)は見驚きて 梭(ひ)に
  陰上(ほと)を衝きて死にき。(古事記)

 とさえ記されている。
 もちろんスサノヲは 殺そうと思ってそうしたのではないであろう。だが あえてこのような事をも辞さなかった。

 そこで これらの天つ罪と呼ばれる非行のあと 罰を受けて追放されたのだが しかもなおかつその上で イヅモ・スガの宮での復活を受け取ることになった。こうなると つまりあたかも神の国が生起して身は復活し ひとの歴史が前史から後史へ入ったとすると おそらくこの神の国は 過去へとさかのぼり 後史が前史をも覆う・つまり前史を完成させるということが 生起するのではないか。

 それは こうだ。この世にあっては 神の国は地上の国と交ざり合ったかのように互いに入り組んでいるのだ。地上の経験的で相対的な人間の愛が ちょうどその向きを変えられ回転せしめられてのように あの神なる愛につらなるという〔観想的な〕事態を見ることになるのではないか。
 なぜなら 《その皮を剥いだ馬を機屋の屋根を破ってその穴から落とし入れて その結果 服織り女たちは驚いてしまい ひとりは 梭(=杼=shuttle)にほとを衝いて死んでしまった》という経験の中のスサノヲの前史の心を すでに その後史の心がおおいつつむと見られるから。ちょうど

   王はその宮からわたしの声を聞かれ
   王に叫ぶわたしの叫びがその耳に達しました。(旧約聖書詩篇18・6)

 とすでに言ってのように 前史の愛のなかに後史(または 王の本史)の愛がたしかに はたらいていたと見出されたかのように。あるいは

  〔神の愛は〕処女の胎から あたかも閨(ねや)から出てきた花婿の
  ように 道をかける巨人のように躍り出た。
  (旧約聖書詩篇 19・5;アウグスティヌス:告白 4・12〔19〕)

 というのが 事の真相であるのではないか。これによって機織り女が驚いたのでないなら それは 何故か。機織り女も 肉の眼によってではなく 心の内なる眼で なぞ(神の愛)を見たか。

 この事件のあと 《ゆえにここにアマテラスオホミカミは見畏(かしこ)みて 天の石屋戸(いはやと)を開きて さし籠もりましき》。つまり その身を隠した。



 もう一例を引こう。
 スサノヲは アマテラスの疑惑を疑い返し やはり自己の知恵の同一にとどまろうとして この上の事件を起こす前に 次のような愚行をおこなったと記されている。

   アマテラスオホミカミの営田(つくだ)の畔を離ち(境界を取り除き)
  その溝を埋め また その大嘗(おほにへ)を聞こしめす殿(アマテラス
  の神聖な御殿)に尿(くそ)まり散らしき。(古事記)

 これは いわゆる反体制の運動のようなのだが そのあと

   しかすれども アマテラスオホミカミは 咎めずて告りたまひしく
    ――尿(くそ)なすは 酔(ゑ)ひて吐き散らすとこそ 我(あ)が
    汝弟(なせ)のミコト(=スサノヲ)は かく為(し)つらめ。ま
    た田の畔を離ち 溝を埋むるは 地(ところ)を惜(あたら)し
    (=土地が惜しい)とこそ 我が汝弟のミコトは かく為つらめ。

   と詔(の)り直したまへ〔ども なほその悪しき態(わざ)は止まずて
   転(うたて)ありき〕。(古事記 承前)

 要するに アマテラスは なお疑惑を解かなかった。

    *

 疑惑を解かないけれども 咎めもしなかった。なぜか?

 《疑うなら つまりそう考えるなら 我れあり。》と考えていたという答えをひとつ用意していますが いろんな解釈があると思われ みなさんの知恵を拝借したいところです。
 
 スサノヲの清くあきらけき心は 証明されえましょうか?

 わたしは 《和を乱すな》と言われなかったなら 和を乱すことを知らなかった。と言えるか?

A 回答 (5件)

こんばんは。




☆☆☆
◇ スサノヲ事件
☆ はやはり スサノヲの十字架事件と見るほうに片向きますが どうでしょう。

◆これは、難しい問題ですよね。どうなんでしょう?
で、仮説を提示。まぁ、お遊びです。

スサノヲはイザナギの鼻から生まれた。
つまり、スサノヲは《息(いき)》と密接な関係がある。
息とはなんぞ!!
旧約聖書でも見られる通り、これは人間の《生命》《霊魂》に深く関係している。
スサノヲは、人間に生命をもたらすと同時にそれを奪うものとして宿命づけられていたのではないか。
《根の堅州国》に行きたいと言ったの説明がつくわなぁ~。
だとすれば、スサノヲはキリストのような役目になるわなぁ~。
天界の掟《律法》を一時的にとはいえ、木っ端微塵に破壊したわなぁ~。
そして、地上に降りたってことかなぁ~。
やっぱり、スサノヲの十字架事件と見るべきなのだろうかぁ???
スサノヲの高天原追放は、キリスト教でいうところの、この世の人間に新たな契約、《福音》を地上にもたらしたということになるのだろうか????

なのですが、材料が不足しているので、分かりません。


☆☆☆
◇ ~~~
 古事記における、この食物・穀物に関するスサノヲの記述を、ウケヒの前に持ってくれば、アマテラスが武装をして待ち受けていたことの説明がつくような気もします。

 《死穢》という最大の穢れを持ったままスサノヲは高天原に昇ろうとした。・・・
~~~~~
☆ この――そうとすれば――事件ないし《ケガレ》論という主題は どうも案外 社会のウラに隠れているようで 大きな問題であるように思います。

 ほんの少し思うことは この主題は 必ずしもアマテラス vs. スサノヲという関係そのものから出て来たのかどうか。つまりたとえば 《アマテラス‐スサノヲ》連関としての二階建て構造が出来てから 社会におけるケガレの分野が決められその職業とその家筋が固定されて行くといったような問題ではないかとも ちらっと思います。


◆たぶん、政治が隠れているんのしょう。当時の為政者側の思惑が。それがちらほら、ちらほら見えてくるような。
中央集権的な国家が誕生すると、
多神教世界の場合、大概、神さまと為政者の血統が結びついちゃうようなので。
本来、民衆発祥型の素朴な宗教であるにもかかわらず、王権などの支配原理の確立にそれを利用されてしまうようなので。

アマテラスは、卑弥呼がそうであるように、一種のシャーマン・巫女さんのような役割でしょう。
古代日本がそうであったように、祭祀を司る巫女さんは、政治には直接関与しない。実際の政治は男がやる。一種の《政祭分離》の考えの表明。
ツクヨミ君がこの神話に出てこないのは、ツクヨミ君がアマテラスの影に隠れて実際の高天原の政治を司っていたからだ、なんてね。

すると、《A-S連関》ではなく、《T-S連関》になるのだろうか。
《ツクヨミ・高天原の神々←→スサノヲ連関》でとらえるべきなのではなかろうか?
高天原は合議制でしょう。
今の《官僚←→一般大衆》の構図が鮮明に現れてくるのではなかろうかなど.....

スサノヲ事件の様子を見ていると、アマテラスもスサノヲも直情型というか、五十歩百歩って感じられるもので。
案外《A≒S連関》だったりして。
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この回答へのお礼

 こんばんは ねむりねこさん。ご回答をありがとうございます。

 あんがいまだまだ主題があるようにも見えますね。

 まづは疑えの精神で行きますので あしからず。

 ◆ ~~~
 すると、《A-S連関》ではなく、《T-S連関》になるのだろうか。
 《ツクヨミ・高天原の神々←→スサノヲ連関》でとらえるべきなのではなかろうか?
 高天原は合議制でしょう。
 今の《官僚←→一般大衆》の構図が鮮明に現れてくるのではなかろうかなど.....
 ~~~~
 ☆ これは もしツクヨミが官僚だとすれば ありうることですが と言いますか アマテラス〔もどき〕に成ろうとするアマアガリ・シンドロームに罹ったような状態にある官僚は スサノヲ市民に対して こういった上下関係を固定させて振る舞おうとするでしょうね。
 つまり 神聖にして侵すべからざるアマテラス(ないし その抽象名詞化の アマテラシテ amatérasité; amaterasity; Amaterasität )に仕えるアマテラス公民の無謬性が 神話となってのごとく きびしくクウキとしても権力としても 出来上がって行ったと思います。
 ただ どうでしょうね これも二階建て構造と見れば 一般には《 A - S 連関》となるかとは思います。

 《 スサノヲ市民社会圏‐アマテラス圏〔公民+アマテラシテ(王・象徴・元首)〕》


   *

 ○ ケガレとそれをめぐる日本式カースト制
 ◆ ~~~~~
 たぶん、政治が隠れているんのしょう。当時の為政者側の思惑が。それがちらほら、ちらほら見えてくるような。
 中央集権的な国家が誕生すると、
 多神教世界の場合、大概、神さまと為政者の血統が結びついちゃうようなので。
 本来、民衆発祥型の素朴な宗教であるにもかかわらず、王権などの支配原理の確立にそれを利用されてしまうようなので。
 ~~~~~~
 ☆ これは そのまま受け取ります。いまは 言わずもがなとしておきます。(ただし すでに《えた・民・在日韓国朝鮮人・暴力団》の問題は いくらか質問に挙げています)。

   *

 ○ スサノヲの十字架事件
 ☆ これは ちょっとたとえ方が大袈裟すぎたようです。
 でももし その心の清きを賭けてうらなうというのでしたら そしてもし清くあると判明しても なお風当たりが強いままであったとすれば いくらかは 磔に遭ったようだとは見られるかも知れません。いえ 追放ということは かなり重たいように見えます。
 
 もし仮りに アマテラスその人は 意見を言ったりすることが 官僚のツクヨミによって封じられていたとするなら そういう意味での《 T - S 連関》が 人間の社会には出来上がる傾向があるのかと考えられますが どうなんですかねぇ。
 例の《大悪天皇》の雄略ワカタケルは オホキミ候補のイチノヘノオシハを狩りの野で暗殺したりして数々の殺しをおこなっていますから 必ずしも 初めから《官僚主導》とも言えないような気がします。


 崇神ミマキイリヒコが スサノヲ市民であるオホタタネコを探し出して三輪山のオホモノヌシの神を祀る神主としました。このときは 《 A - S 連関》もほとんど平屋建てと言っていいほど 仲睦まじかったのではないか。とさえ思えるところもあります。

 簡略に言ってしまえば このオホモノヌシの神のほかに まさにアマテラスの神を祀れと言い出した勢力。これが――神功オキナガタラシヒメとその子の応身ホムダワケの系譜を当てていますが―― 《 S - A 連関》を 一階と二階のあいだに大きな隔たりのある《 A - S 逆立連関制》に仕立て上げようとしたのではないかと踏んでいます。

 雄略ワカタケルが 奥の手を使って対抗勢力(ミワ政権の側)を根絶やしにしておいて そのあと例の越(こし)の国から出て来た継体ヲホドによって 仕上げられて行くものと見ます。


 
 ちょっと質問趣旨からは 脱線になりました。

 このスレに書き込んでおきたいことなど ありましたら どうぞ。しばらく開いています。

お礼日時:2012/06/19 22:46

こんばんは。




☆☆☆
☆この神話の物語じたいが 人物のつくり方として 破綻をきたしているのかも知れないとまで思いました。

◇わたしも、アマテラスは 首尾一貫した人格としては描かれていない。こういう疑いを持ちました。
おっしゃる通りだと思います。

アマテラスの立場、立ち位置、不安定というか、あっち行ったりこっち行ったりと、定まっていないと思います。
最高神なのか、高天原の人間ティックな神々の中でちょっと抜きん出ている神なのか、さっぱり分からない。古事記を読んでいると、アマテラスよりも知恵の神さまであるオモヒカネの方が偉い神さまなのでは?、とさえ思えてきます。

高天原で起きたスサノヲ事件をどのように読むかで、アマテラスがどのような神なのか、定義が変わってくるような…

天孫降臨の際、真正の神として引っ込んだはずのタカミムスビの神が何故か再登場します。スサノヲという試練を経てアマテラスが真正の神になったとするか、スサノヲ事件で《アマテラスは頼りない》ということで引っ込んだタカミムスビの神が再降臨したのか、その解釈が分かれると思います。
天孫降臨の部分を読むと、アマテラスとタカミムスビの同格の神として扱われているので、スサノヲという試練を経て、アマテラスは真正の神となったと読むべきなのでしょう。
スサノヲ事件で試されたのは、紛れもなく、アマテラスであったのですから。


☆☆☆
テキスト的に言えば、出雲神話が古事記に入って、それで内容が混乱した。統一的な記述が困難になったと言ったところでしょうか。

実際、日本書紀でも、アマテラスとスサノヲの話はかなり混乱しているようです。ネットで少し調べたのですが、ウケヒに関する記述、三種類ほどあるようなので....
たとえば、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E% …

天皇家の正統性に係わる、きわめてデリケートで重要な部分であるにもかかわらず、
朝廷が直接編纂した日本書紀においても、天皇家の祖先がアマテラスなのかスサノヲなのかがはっきりしていない。
物実(ものさね)を交換せず、スサノヲが皇祖に直接つながる
正哉吾勝勝速日天忍骨尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほね)
を生んでいる話さえあります。


古事記では、マサカツアカツカチハヤビアメノオシホミミはアマテラスが産んだことになっていますので、この名前から判断すると、ウケヒの勝者は、アマテラスになります。
にもかかわらず、スサノヲが勝手に自分が勝ったと思い込み、そう言いふらし、高天原で乱暴・狼藉を働いた。
アマテラスの立場は争わないなので、これを見逃した。あるいは、無関心を決め込んだ。高天原の神々にスサノヲに対する判断を任せた。実際、天の岩戸に隠れた後、高天原の神々は、自力でスサノヲを追い払っており、彼らにはそれだけの実力があったわけですから。
天の岩戸に隠れたのは、もはや自分は高天原を初めに地上にも直接関与しない、という高天原の神々への意思表明、《しるし》であったということになるんでしょうか。
でも、高天原の支配に対してすぐに未練をを示すというか、う~ん、どうなんでしょう。
態度が定まっていないというか、不安定な.....


☆☆☆
いくつかもっともらしい理由を考えてみたのですが、
天の岩戸のあとに、スサノヲが食べ物・穀物の神であるオオゲツヒメを殺し、その身体から稲などの種子が発生したという記述があります。
この記述は、本来、《月読》に関するものであり、これが理由で《アマテラス》と《月読》が分かれ、昼間と夜が誕生したと、日本書紀ではされています。アマテラスが月読に対して「あなたは悪い神である」と宣言したためです。もはや高天原でいっしょに住むことはできない。

古事記における、この食物・穀物に関するスサノヲの記述を、ウケヒの前に持ってくれば、アマテラスが武装をして待ち受けていたことの説明がつくような気もします。

《死穢》という最大の穢れを持ったままスサノヲは高天原に昇ろうとした。持ち込もうとした。高天原の主であるアマテラスはそれを咎めた。スサノヲは《禊ぎ》が必要であった。そして、自身が《悪い神でない》ことの証をたてる必要があった。ウケヒはその証明であり、《死穢》の《禊ぎ》であった。
オオゲツヒメの身体から生じた種子をカミムスビの神に預けたことも説明もつく。

合理的な解釈にすぎるでしょうか、ポリポリ。


☆☆☆
あるいは、
アマテラスVSスサノヲに関する話はすべて《死と再生》に関する話であると考える。

《イザナギの冥界詣》の話にあるのは、生と死の決別、絶対的な断絶です。イザナギはこの世と死後の世界の間で《事戸(ことど)》を立てて、生者と死者の国との明確な境を設けます。生と死の絶対的断絶です。

一方、アマテラスVSスサノヲ。
アマテラスは、ウケヒでスサノヲに破れます。これは支配原理、支配権の交代、神としての死です。
その象徴が、アマテラスが隠れた天の岩戸です。
岩戸は《事戸》であった。神としての死を迎えたアマテラスを復活させる秘儀が岩戸の前で行われたドンちゃん騒ぎ。
このドンチャン騒ぎの秘儀によってアマテラスは復活した。そして、その支配は揺るぎないものとなった。

《事戸》は《言葉で立てた戸》を意味するのだそうです。そして、この事戸に使われたのが《千引きの岩》。なぜ、《天の岩戸》を動かすのに、怪力無双の神《タヂカラヲ》を必要としたのかも説明できるような....


世界の神話をみると、この種の話は意外と多いです。
天上界の支配者であるバアルは、冥界の神(?)であるモトによってあっさりと殺されてしまいます。
支配権の交代。
ですが、バアルの妹(姉とも)であるアナトはバアルを秘儀によって復活させます。そして、復活を果たしたバアルは、モトを倒し、その支配権をさらに揺ぎないものとする。
天界だけではなく地上界の支配権も完全に掌握する。
死と再生のテーマを扱いつつ、その神が絶対的存在になったことを証明する。

世界的に見られるこの種の神話のパターンなのでは...
.
ギリシア神話にも同じような話があります。ゼウスはデューポーンに負けて、仮死状態に陥ります。
《洞窟》に閉じ込められてしまいます。
そして、デューポーンは《暴風・台風》の神さま(?)。
まさに、荒ぶる神・スサノヲ!!
スサノヲも暴風の神さまとされている!!!

この神話の近親性はなぜなのだろうか?
農耕を始めた民族の心の中に芽生える、説明不能で根源的な何かがあるのだろうか???

世界の神話から考えると、
アマテラスはスサノヲという試練を受ける必要があった。
そして、その試練を克服して、初めて《真の神》となったといったところしょうか。
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この回答へのお礼

 こんばんは ねむりねこさん。ご回答をありがとうございます。

 いやあぁ たいへんいろいろな見方を考え また紹介していただきました。
 ただし正直に申せば この神話の類型的な解釈にはわたしは 昔から半信半疑でした。
 たとえば
 ◇ ~~~
 ギリシア神話にも同じような話があります。ゼウスはデューポーンに負けて、仮死状態に陥ります。
 《洞窟》に閉じ込められてしまいます。
 デューポーンは《暴風・台風》の神さま(?)。
 まさに、荒ぶる神・スサノヲ!!
 スサノヲも暴風の神さまとされている!!!
 ~~~~~
 ☆ という場合 天の岩屋戸と洞窟の類似と言い おもしろいです。おもしろいのですが だとするとインドに行けば 暴風神シーワ゛がスサノヲに当たるでしょうし 保守維持の神としてヰ゛シュヌは アマテラスということにもなるようです。ただし そうなると 主宰神ブラフマンは どうなるかともなりかねません。
 わたしは 言語と信仰にかんして 類型論を用いていますが 神話についてはどうか。という疑いをまだ消してはいません。
 といった問題があるかと思っています。
 つまり 少し違うと その微妙さから ひとつの体系がくづれることさえありそうなのです。(大して多くの事例を検証したわけではありませんが)。

    *

 たいへん申し訳ないながら このような批判的な見方を継ぐとしますと 到達された結論についても 問題点を指摘できるような気がします。

 ◇ ~~~
 世界の神話から考えると、
 アマテラスはスサノヲという試練を受ける必要があった。
 そして、その試練を克服して、初めて《真の神》となったといったところしょうか。
 ~~~~~

 そもそもアマテラスは 初めからタカマノハラの主宰神として登場していると考えられるからです。
 三貴子には 父イザナキが次のように分けて《事(こと)依(よ)さしき(=委任した)》と明確に書いてあります。(古事記のばあいですが)。

 アマテラスに:汝(いまし)命(みこと)は タカマノハラを知らせ(治めよ)。

 ツクヨミに:汝命は 夜の食(をす=おさめる)国を知らせ。

 スサノヲに:汝命は 海原(うなばら)を知らせ。

 つまり ことの初めにこの分割統治〔と呼べるかどうか〕は決まったものと思われます。

 すなわちつまり
 ◇ アマテラスよりも知恵の神さまであるオモヒカネの方が偉い神さまなのでは?、とさえ思えてきます。
 ◇ 《天の岩戸》を動かすのに、怪力無双の神《タヂカラヲ》を必要としたのかも
 ☆ というように 《アマテラスの頼りなさ》が書き出されているように見えたとしても おそらく誰もアマテラスのその《事依された》地位について 疑ってもおらず おそらくそれを奪おうともしていないと思われます。
 スサノヲがその権力を奪いに来たのではないかと恐れ疑うのは どうもアマテラスの独り相撲であるのではないか。そういう見方に片向きますが どうでしょう。たとえばスサノヲは たった一人で訪ねて行っているのですし。

    *

 ◇ 死と再生のテーマ
 ☆ というのでしたら まさにスサノヲに当てはまるのではないか。スサノヲが タカマノハラを――罪のむくいに爪を抜かれたりしたあと――追いやられた。この死から イヅモにやって来て 息を吹き返した。オホクニヌシの代に到るまでそれとして栄えたと考えられるほどですから。

 ◇ スサノヲ事件
 ☆ はやはり スサノヲの十字架事件と見るほうに片向きますが どうでしょう。

 ◇ 岩戸は《事戸》であった。神としての死を迎えたアマテラスを復活させる秘儀が岩戸の前で行われたドンちゃん騒ぎ。
 ☆ といったアマテラス側の見方に対してはどうしても スサノヲ寄りの見方も提出しておきたい気持ちにかられます。
 つまり この岩戸隠れは ただアマテラスが バツがわるかった。だけだとも見られます。スサノヲのやりたい放題を大目に見ていたのですから。神々がスサノヲを追放すると決めたなら 前々からの態度を堅持してそれをやめさせるか それとも 分かった スサノヲを咎めなかったことはマチガイだったと考えをあらためるか どちらかをしないとおかしい。それをもしなかったので はづかしさで身を隠してしまった。しかもバツがわるくて 出るに出られない。・・・ 
 でも 王さまは 昔からしたい放題のことをすると決まっています。ですから 《頼りなさ》も織り込み済みであるかも知れません。それでも 《タカマノハラの最高指導者》であるわけです。


    *

 ウケヒをめぐって
 ◇ ~~~
 天皇家の正統性に係わる、きわめてデリケートで重要な部分であるにもかかわらず、
 朝廷が直接編纂した日本書紀においても、天皇家の祖先がアマテラスなのかスサノヲなのかがはっきりしていない。
 物実(ものさね)を交換せず、スサノヲが皇祖に直接つながる
 正哉吾勝勝速日天忍骨尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほね)
 を生んでいる話さえあります。
 ~~~~~
 ☆ これは おもしろいと思いますね。たとえば 雄略ワカタケルは 書紀のほうで《大悪天皇》と堂々と書かれています。そういうおおらかさ あるいは 柔軟性が 昔の人にはあったような。
 しかし 現代人は 国民主権であるにもかかわらず そしてアマテラスとスサノヲは実の姉と弟であるにもかかわらず アマテラスの家系とそしてスサノヲの系譜とは丸っきり別だとさえ思っているかも分かりません。


    *

 ◇ ~~~
 古事記における、この食物・穀物に関するスサノヲの記述を、ウケヒの前に持ってくれば、アマテラスが武装をして待ち受けていたことの説明がつくような気もします。

 《死穢》という最大の穢れを持ったままスサノヲは高天原に昇ろうとした。・・・
 ~~~~~
 ☆ この――そうとすれば――事件ないし《ケガレ》論という主題は どうも案外 社会のウラに隠れているようで 大きな問題であるように思います。

 ほんの少し思うことは この主題は 必ずしもアマテラス vs. スサノヲという関係そのものから出て来たのかどうか。つまりたとえば 《アマテラス‐スサノヲ》連関としての二階建て構造が出来てから 社会におけるケガレの分野が決められその職業とその家筋が固定されて行くといったような問題ではないかとも ちらっと思います。

   *

 ということで 今回の質問者の思いとしての結論は 次です。
 ◇ ~~~
  ☆この神話の物語じたいが 人物のつくり方として 破綻をきたしているのかも知れないとまで思いました。

  ◇わたしも、アマテラスは 首尾一貫した人格としては描かれていない。こういう疑いを持ちました。
 おっしゃる通りだと思います。

 アマテラスの立場、立ち位置、不安定というか、あっち行ったりこっち行ったりと、定まっていないと思います。
 ~~~~~~

 例の《 A - S 連関制》を取り出して来て言うからには 《アマテラスとスサノヲ物語》は もっとしっかりとした筋立てであって欲しいと いまも思いますが それほどの文学的かつ人間学的な完全性は 求められ得ない。と見るべきかも知れません。
 今回は――すでに勝手に まとめに入ってしまっていますが―― こういう確認が あらたなものであり 収穫であった。こう思います。

 ご批判など ありましたら お寄せください。

お礼日時:2012/06/18 22:36

こんばんは。




☆☆☆
アマテラスVSスナノヲの話は、両者がまったくかみ合わないままに終ってしまっています。
ここに見られる二人の性質は、
(1)アマテラス:《他者に対する絶対的無関心》とそれにもとづく事実誤認
(2)スサノヲ:《幼児性》とそれにもとづく《甘え》
といったところでしょうか。

アマテラスの他者に対する絶対的無関心は、彼女が普遍的な神であるためではないでしょうか。
彼女がスサノヲに見せた寛容ともとれる姿勢は、彼女がスサノヲをはじめに誰に対しても無関心であったからと読みとることができます。
それゆえに、スサノヲに対する誤認がいくつも生じる。スサノヲが姉である彼女のもとに別れの挨拶をしようと赴けば、天界をのっとりにきたのだと疑い、武装をして待ち受ける。そして、スナノヲが自分にとって脅威にならないことを知れば、ふたたび他者に対してまったくの絶対的無関心の姿勢をとる。

一方、スサノヲの狼藉といっても、ハプニングで機織りの女性が事故死をしたことを除けば、他愛のないいたずら程度です。
《幼児性》を有する、《甘えん坊》な《スナノヲ》坊やが、《アマテラス》姉さんの気を引こうとして、やらかした《いたずら》でしょう。
そもそもことの発端は、スサノヲが死後の世界にいるイザナミお母さんの所へ行きたい、と駄々をこねたことです。
スサノヲ君は、甘えん坊なんです、基本的に。お子ちゃまなんです。依存体質なんです。

でも、
天界を追放されて、お子ちゃま《スサノヲ》は、このままではいけないと、一念発起。
持って生まれた悪知恵を使って、ヤマタノオロチを退治して、オロチからめでたく地上の王権を奪取。
話はここで一件落着のはずであった。
しか~し、お子ちゃまで甘えん坊な《スサノヲ》君は、ここでまた悪い癖が出た。
お姉ちゃんに褒めてほしくて、オロチから取り出した草薙の剣を、アマテラスお姉さんに差し出してしまう。

《草薙の剣》と言えば、王権の象徴。
おバカですね、《スサノヲ》君。
甘えん坊ですねぇ~。
《アマテラス》姉さんに褒めてもらいたかったんですね。
アマテラス姉さんへの依存体質、脱却できていませんねぇ~。

bragelonneさんの表現を使えば、
《人類前史》を脱却できるもう一歩のところまで行っていたのに、
《人類前史》へと逆行してしまった。




☆☆☆
なのですが、これではつまらない。
三柱の貴子の一柱、《月読》君が全然、絡んでいない。
なので、危険な香りのするシナリオを僕が製作!!

古事記ではすっかり影の薄くなった《月読》君、じつはアマテラス王国の簒奪をひそかに企んでいたんですね。
天界の共同支配者であったはずの《月読》君、地上にいた保食の神を殺害した件で、アマテラス姉さんと喧嘩別れをした。
何としても天界に戻りたいお利口な《月読》君、《スサノヲ》坊やをそそのかしたんですね。
「イザナミ母さん、根の堅州国にいるぞ」
これがことの発端。

スサノヲ坊や、自分に母親がいることを知らなかった(日本書紀ではスサノヲの母親はイザナミ!!)。
イザナギ父さんからは、「おまえは俺の鼻から生まれたんだ」と言い聞かされていたもので。
で、お母さんに会いに行きたくなってしまった。
そして、天界にいる《アマテラス》姉さんのところに挨拶に行った。

すべては、お利口な《月読》君の筋書きどおり。
ことは、とんとん拍子に進んだ。
《アマテラス》姉さん、天の岩戸に隠れた。
これは、日食。
太陽が月に隠れたことを意味しているんですね。
《月読》君、アマテラス王国の簒奪に成功。
でも、アマテラス王国の住民たちは納得しなかった。締め付けの厳しい《月読》君の支配に反旗をひるがえした。
アメノウズメ、「あなたよりすぐれた神がいますんで」みたいなことを言っているでしょう。
実は、これは《月読》君のこと。
で、「嘘でしょう」と《アマテラス》姉さん、アマテラス王国に復権!!

これが天の岩戸事件の真相。
この事件の共犯者として、甘ちゃん《スサノヲ》坊やは、アマテラス王国から追放されたというわけです。


な~んてね、洒落、洒落。
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この回答へのお礼

 ねむりねこさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 問いは 《なぜ咎めなかったか》だけですが その物語の範囲が広すぎたでしょうかねぇ。
 でも ツクヨミがじつは《活躍?》するストーリもありだとか。そう来ますか。

 ツクヨミは何もしない役割りだという例の中空構造説がありますが この見方は ピンと来ていませんでしたから ツクヨミが《暗躍?》するというのは おもしろいかも知れません。
 それに スサノヲをそそのかすというのは あまり思いつかない。
 そうですね。正直に言えばこのストーリでは 日食のあいだだけ クーデタが成功しているというかたちが もうひとつではないかと思うでしょうね だれしも。

 ツクヨミは ひょっとして 官僚にあたるのではないかと考えたこともありましたが。

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 スサノヲにかんして
 ◇ 《人類前史》を脱却できるもう一歩のところまで行っていたのに、 / 《人類前史》へと逆行してしまった。
 ☆ とは見ないですね。ヤマタのヲロチを退治したあと《須賀の宮》において〔でしたか〕 スサノヲは 《わが心 すがすがし》と宣言していますね。これは もうここではふつうの大人になっていることでしょう。
 ◇ お姉ちゃんに褒めてほしくて、オロチから取り出した草薙の剣を、アマテラスお姉さんに差し出してしまう。
 ☆ たしかにそう(つまり 見つけたあとすぐ 差し出したと)書いてあります。けれどもこれは 明らかに歴史的順序をたがえていると思います。
 ◇ 《草薙の剣》と言えば、王権の象徴。
 ☆ にすでにこの時点で成っているのなら その三種の神器のひとつが どうしてヤマタのヲロチが持っているのかというナゾが出て来ます。ですから のちに《くにゆづり》をして 服属したあと 差し出したのでしょう。と考えます。
 ので スサノヲは もうお子ちゃまでも甘えん坊でもないと思いますよ。


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 ○ ほかの人びとはスサノヲを咎めてもアマテラス自身はそうしなかった。それは何故か。
 ◇ 彼女がスサノヲに見せた寛容ともとれる姿勢は、彼女がスサノヲをはじめに誰に対しても無関心であったからと読みとることができます。

 ☆ とのご回答です。じつは わたしも――趣旨説明には書きませんでしたが――同じような見方を持っています。

 ○ 神のごとくいかなるものの下にも立つまいと決心した人間であったから。

 と。次のご見解といくらか似ています。 
 ◇ アマテラスの他者に対する絶対的無関心は、彼女が普遍的な神であるためではないでしょうか。

 なぜ書かなかったかと言いますと 《すでに神である》のではなく《神のごとくふるまった》という見方は 一方で神目線というごとく上からの目線と見なされやすいことと 他方でそうではなく逆にあたかも地べたからの下から目線だと見なされてしまうかも知れないこと この両方により書きませんでした。

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 それで 《無関心》と《神である〔ごとくある〕》という見解が 必ずしもまだ全体にわたっては通らないと思われるところもあるのです じつは。これが ひっかかっています。
 つまりスサノヲの心の清きをかけて 賭けのごとき《うけひ》を ふたりはおこないます。そこで そのかぎりでアマテラス姉さんは 《無関心》の封を解いているからです。

 もっともこのウケヒは どういうものか分からず その勝ち負けの判断基準もあいまいです。スサノヲが勝ったことになっていますが いったいどういう判定なのか 分かりにくいと思います。

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 つまりそこで アマテラスは スサノヲの非行をなぜ咎めなかったか?
 《酒に酔ったから》とか《土地が惜しいから》とか 言っているようですが どうも中途半端であり あいまいです。ウケヒには応じるといったことも 中途半端ぶりだとも見られます。
 タカマノハラからスサノヲを追放するとき このときにも アマテラスは何も言っていなかったような。すべて取り巻きがことを運んだような。つまり 咎めないのなら この追放をこんどは最高統治者であるアマテラスがやめさせてもよいと思われます。あいまいです。

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 じつはこの質問は 二度目なのですが 今回設問するにあたって考えたことは 単純に言って この神話の物語じたいが 人物のつくり方として 破綻をきたしているのかも知れないとまで思いました。
 アマテラスは 首尾一貫した人格としては描かれていない。こういう疑いも持ちました。

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 あとですね。《普遍的な神である》と見るにしろ《人間が神のごとくあるよう振る舞う》と見るにしろ ひとつの事例として その見方を破綻させるのではないかと見られることがあります。
 それは スサノヲが暇乞いを言うためにアマテラスの元をおとづれるとき アマテラスは そのスサノヲなる弟が自分の主宰者としての地位を奪いに来たのではないかと思う場面です。

 警戒するのはいいのですが みづからも武装していますね。これは 何とも話に合わないように感じます。
 もしそれほどスサノヲがおそろしいのなら もともと根の国をおさめると言い渡されたスサノヲの務めも そのおそろしさを怖れてそうしたのであって 決してスサノヲが依存心のつよい子供じみた人間であったとは思えなくなります。

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 もしスサノヲが
 
 ○ わたしは 《和を乱すな》と言われなかったなら 和を乱すことを知らなかった。

 と言うとすれば つまり《悪事に対して子どものようであってよいが 考え方においては大人になりなさい》というその《子ども》の部分があったとすれば それゆえにかれは人びとに蔑まれたのかも知れない。ただしそうだとしても 他方では 《おそろしいチカラの持ち主》だとも見られていた。
 ということは――死者の国の王に取り立てられたということの意味としても―― スサノヲは 人びとからよそ者扱いを受けた。例の第三項としての排除を受けた。いじめというよりは やはり無関心をもって相い対するかたちを人びとによって取られた。

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 こういったいくつかの小主題ないし論点があるように思います。
 この質問は たたき台がありません。取りとめのないご返答になったかと思いますが ここらあたりで ご見解をあらためてお伺いしたいと思います。どうでしょう。

お礼日時:2012/06/18 00:40

悲しいかな、歴史の源初から、


『既得権得を守る建て前』が管理者達には有るのでしょうね。
http://sp.e-words.jp/w/E38387E38395E382A9E383ABE …
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この回答へのお礼

 管理者になる前には なかったかも知れません。
 助け合いを基礎として生活している人びとには 既得権益の保守という考えは ムラ全体のことでなければ なかったでしょう。
 
 また それは 建て前ではなく むしろ本音のほうです。建て前は 社会公共のためにいい政策を考え みなさんのためにはたらいていると言うでしょう。それと違う本音が あらたに出来るのでしょう。
 むろん 全部が全部 誰もがということでもないでしょう。

お礼日時:2012/06/17 15:12

ヒントの為に、下記のページを…。


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7536934.html?rel=inn …
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この回答へのお礼

 ヒントのために その質問に回答を寄せました。

お礼日時:2012/06/17 12:33

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