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「これまで隅田川の東岸は武蔵の国だったことは一度もない」という説は本当でしょうか?
江戸時代に下総の国に属していたこともあったように記憶しているのですが。

A 回答 (1件)

これが由来だそうです。



wikiより抜粋・・・

歴史 [編集]

江戸時代の1659年(万治2年)12月13日に架橋され、当初幕府によって大橋と名づけられたが、両国橋と通称された。

両国橋東岸の地域、現在の両国は神田、日本橋方面と直接結ばれ、以後江戸が隅田川をはさんで東側に拡大する足がかりとなった。現在の両国を含む北側が本所、両国よりも南側が深川であり、双方とも江戸時代の新興住宅地域にあたる。

1686年(貞享3年)(一説によれば寛永年間(1622年-1643年))に、のちの南葛飾郡が武蔵国へ編入されるまでは隅田川(当時は大川)が下総国と武蔵国の国境であったため、大橋(両国橋)はその両方の国に跨っていた。これが両国橋の名称の由来となっている。

・・・・・抜粋終わり

寛永年間までは隅田川東岸は下総の国だったのですね。
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この回答へのお礼

早速の情報提供ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/25 10:35

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